念願の商品化…
火曜日のあいつ (1976)
1976年にTBS系で放送されたドラマ「火曜日のあいつ」が今年の2月28日、48年を経て遂に商品化された。
どんな内容かと言うと、テーマ曲のサントラ盤(シングル盤)では…
がむしゃらに突っ走る浪花節的な辰也と、合理的に生きてはいるが熱いハートの持ち主、圭介とのまるで違うタイプの二人の若者がヒロイン章子を取りかこんで展開するトラックのカー・サスペンスアクション。
純粋な若者たちの魂がぶつかり合い、行動するその生き様を笑いと涙で描く。
…と表記されている。(AT-4011 より)
もう少し第1話を基にストーリーを要約してみよう。
舞台となる「中原運送」はいわゆる下請けの小さな運送会社。
その社長が亡くなってしまい、ひとり娘の中原章子(由美かおる)は会社の整理を始める。
中原社長を恩人と慕い、今は別の会社でトラック運転手をしている水島辰也(石橋正次)は、章子が新車の12tトラックの処分を始めたと知りそれを止めようとする。
その最中、辰也は暴走族にからまれた章子をたまたま通りかかって助けに入った風間圭介(小野寺昭)と出会う。
圭介は自動車会社のテストドライバーだった。
その後、偶然にも章子と達也は銀行で圭介を見かける。
圭介が財力を持っていると知ると、辰也は圭介に中原運送の共同経営者にならないかと強引に持ちかける。
もちろんその場で圭介は拒否するが、一転して辰也の提案に乗る。
実は圭介には会社に居づらい事情があった。
かくして辰也と圭介は章子と共に中原運送の「共同経営者」となり、会社の立て直しに奔走。行く先々での出会いや騒動に巻き込まれていくことで、未来を見い出して行く。
12tトラックの愛称「バッファロー」と共に…
…てなところだろうか。
当時ば東映の「トラック野郎 御意見無用」(1975年8月公開)が大ヒットしたことでシリーズ化され、第2作「トラック野郎 爆走一番星」(1975年12月公開)も好調な成績を残していた頃。
テレビでもトラック・ドライバーを主人公にしたドラマを…ということで本家と同じ東映が女性を主人公にした「ベルサイユのトラック姐ちゃん」(NET、現・テレビ朝日)を、東宝が「火曜日のあいつ」を製作した。
双方とも1976年4~9月の放送だが、「ベルサイユ」は金曜日21時台、「火曜日」は文字通り火曜日の20時台という枠。
1976年というと、僕は小学6年生…まだ21時台のTVは見せてもらえなかっらからか「ベルサイユ」の存在は知っていたが見たことはない。
もしくは、当時の新潟の民放TVは2局しかなかったので、ネットされていなかったかも…
放送枠も企画に反映されていたのかもしれないが、「火曜日のあいつ」はある意味「東宝らしい」作品だったと思う。
その理由は「特撮」
「出会い旅」な要素は「トラック野郎」と同じだが、「火曜日」は青春アクションドラマな作風で「見せ場」が特撮シーンという構成。
トラックを使ったアクション・シーンをカー・スタントとミニチュア・ワークを組み合わせるいう作りはユニークだった。
それ故に当時11~12歳の僕はこのドラマに熱中した。
2クール24話。さすがにDVDを一気に観るのは至難の業。
それでもほぼ連日見返す作業(?)が続いた。
♪
ここから、しばしMustangの私的「特撮」論。
特撮作品というと、大半の方は「ウルトラマン」などの変身ヒーローや怪獣が登場するとか、SF作品の印象が強いのではないだろうか。
僕が小学生の1970~76年頃のTV番組というと…
ウルトラシリーズ
「帰ってきたウルトラマン」(1971-72)~「ウルトラマンレオ」(1974-75)
ライダーシリーズ
「仮面ライダー」(1971-72)~「仮面ライダーストロンガー」(1975)
その他
「人造人間キカイダー」(1972-73)、「キカイダー01」(1973-74)、「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975-77)
…という時代。
しかしこれらの変身ヒーロー物、いずれの作品も見たことはあるが、熱中した覚えが全くない。
特撮で印象に残った当時の作品というと…
「日本沈没」(TVシリーズ:1974-75)
「スターウルフ」(1978)
「西遊記」(1978-79)
…といったところかな。
自己分析してみると、変身物というかヒーロー物がつまらなかったわけではないが、対決構図が鮮明なストーリーや現実離れしたメカニックなどの設定に心動かされなかった…のだと思う。
僕はどんな特撮に惹かれたのか。
それは特撮とわかっても「どうやってこの画を作ったのだろう?」と思わせるだけの迫力を持っているか否か…に尽きる。
最たるものは「日本沈没」(TVシリーズ)における様々な「破壊」シーンかも。
東宝の劇場作品では「日本沈没」(1973) と似たテーマの「地震列島」(1980) や「東京湾炎上」(1975) なども記憶に残っている。
こと地震の描写については新潟県中越地震(2004) を題材にした「マリと子犬の物語」(2007) でも東宝の伝統が生きていると思う。
東映作品でも「大鉄人17」(1977) における新幹線の暴走シーン(後に映画「新幹線大爆破」(1975)の使い回しと知る)は記憶に残っている。
つまるところ、1970年代にハリウッドの「大空港(AIRPORT)」(1970)、「タワーリング・インフェルノ」(THE TOWERING INFERNO) 」(1974)、「大地震(EARTHQUAKE)」(1974) といったパニック・スペクタクル作品を日本でも…という時期に重なる。
そんな当時の日本映画の特撮センスがちょっと形を変えて活かされたのが「火曜日のあいつ」と見ることもできそう。
CGが日常の世代には理解頂けないかもしれないが、今はCGと分かることでガッカリすることも少なくない。よく出来ていても驚きがないというか…
CGと分かってもガッカリしなかったのは…「ツイスター(TWISTER)」(1996) かな。
♪
回り道が長くなったが、「火曜日のあいつ」は「日本沈没」の特撮チーム(日本現代企画)が手掛けていることもあって迫力は十分な出来だと思う。
DVDで見返して我ながら驚いたのは、さすがにストーリーの詳細は覚えていなかったにも関わらず、特撮シーンのシークエンスはほとんど覚えていたこと。
崩壊寸前の山道や橋をギリギリですり抜けるとかはともかく、つづれ折の下り坂を故障で暴走するトラックの前へ出るためにバッファローが道路を飛び出して斜面を下る(第19話)とか…地すべりに巻き込まれ転がる(第14話)とか…無茶苦茶なシーンも多い…というか、そのための特撮なのだろうが。
とはいえ、工事中で繋がっていない橋をジャンプする(第5話)とか、荷台内に生じた水滴から発火した積荷の生石灰を紛れ込んだダイナマイト共々バック→急ブレーキで荷台から間一髪で落とす(第6話)などのシーンは白眉の出来だと思う。
全24話のうち、特撮チームのクレジットがないのは数本だけ。それ故に特撮の比重が高い作品であったことがわかる。
そんな特撮シーンの数々はいずれも「困難を乗り越える」ことのメタファーとして設定されたものと僕は受けとめている。
小野寺昭がDVDに寄せたコメントでは本作を「ファンタジー」と称しているのだが、確かにそう呼ぶのが似つかわしいかも知れない。
ライヴ・アクションでは小野寺昭が大型免許を取得してトラックの公道走行シーンで実際にハンドルを握っている。
石橋正次はジャックされたトラックに飛びついてぶら下がるシーン(第11話)などをスタントなしで演じている。
また「太陽にほえろ!」でもクレジットされていた「セキトラ・カーアクション」が随所で迫力のある車の動きを「演じて」いる。
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ユニークと言えば「音楽」も作品をユニークなものにしたことに貢献しているのは間違いないと思う。
音楽を担当した「ラストショウ」については、過去にこのブログの記事にしたことがあるし、つい最近は坂本龍一の仕事のひとつとして採り上げている。
バンド名の表記は "(THE) LAST SHOW" と "(ザ・)ラストショウ" が正式のようだ。
「火曜日のあいつ」のサントラ盤はラストショウの 1st アルバムより前に製作されたもの。
BULLFIGHT (O.S.T)/LAST SHOW (1976)
当時、泉谷しげるのバックバンドとしての活動以外にセッション・ワークも増えていて、中村雅俊のアルバムに参加した縁からこのサントラの仕事が決まったようだ。
当時だけでなく現在でもテレビドラマの音楽としてカントリーをベースとしたサウンドは珍しいと思う。
この点についてラストショウの 1st "ALLIGATOR RADIO STATION" のCD盤のライナーにこんなことが記されていた。
我々みんなはアメリカ大陸を疾走するコンボィを想像したのです。
しかし、出来上がった音を聞いた番組の監督からはいきなり怒られたそうで…
「日本のトラック野郎をよく見てみろ。長靴はいてハチマキして魚積んだり…そんなアメリカ的な格好良さじゃないんだよ。もっと浪花節なんだから、マイナーの曲をふやせー!」と言われガックリ来たのを覚えています。
(執筆:徳武弘文 RATCD-4334 より)
…なるほど(笑)
ALLIGATOR RADIO STATION/LAST SHOW (1977)
僕はカントリー・ミュージックがアメリカ的な格好良さを必ずしも表現しているとは思わない。歌詞が暗い内容でもメロディは暗くない…という印象を受けたことがあるもので…
「コンボィ」という言葉が出ているが、洋画…アメリカ映画の「トラック野郎」な作品の音楽にはカントリー…のイメージがある。
例えば…
「トランザム7000(SMOKY AND THE BANDIT)」(1977)
「コンボイ (CONVOY)」(1978)
…などが代表例。
トラック物ではなくても、僕のハンドル・ネーム "Mustang" のヒントのひとつになった「バニシング IN 60" (GONE IN 60 SECONDS)」(1974) もそうだし、「ザ・ドライバー(THE DRIVER)」(1978)では劇伴ではないが主人公がカセットでカントリーを聴いているシーンがある。
そんなこんなで、僕はなんとなくアメリカの70年代カー・アクション映画にはカントリーを音楽を使ったものが多い印象を持っていた。
とはいえ、今挙げた作品の多くは「火曜日のあいつ」より後だから、ラストショウの起用は製作スタッフに「見る目があった」のかもしれない。
そのラストショウ、「火曜日のあいつ」のサントラの後に2枚のアルバムを出して以後は散発的な活動になり、メンバーはソロ活動、セッション活動に移行していく。
LAST SHOW 2/LAST SHOW (1978)
2008年頃からラストショウの活動が活発化し、2009年には 1st、2ndアルバムが紙ジャケCD化。この際に「火曜日のあいつ」のサントラ音源が2枚にボーナストラックとして振り分ける形で収録された。
そして2010年、32年ぶりの3rdアルバムを発表。加えて80年代のライヴ音源がアルバム化。
THE NOISE FORM 80'S/THE LAST SHOW (2010)
家路~MY SWEET HOME/THE LAST SHOW (2010)
そして現在に至るまで「解散」はしていないようだ。
とはいえアルバム3枚というのはあまりに寡作というほかない。
だから、僕はDVD化がなかったとしても「火曜日のあいつ」の放送用テイクをまとめてCD化して欲しいとずっと思っていた。
放送当時から「太陽にほえろ!」と同様にサントラ盤収録曲のバリエーションが多数存在することは認識していたので、バップの「ミュージック・ファイル」シリーズのような形で少しでもラストショウの音源が増えることを願っていたわけで…
加えて、サントラ盤としてリリースされたシングル盤には曲者がある。
ラストショウのアルバムはサントラ盤を含めて日本コロムビアからリリースされているうえに、エンディング曲を歌った小野寺昭が以前に「太陽にほえろ!」の挿入歌として録音した楽曲も同じ日本コロムビアからリリースされている。
しかし、「火曜日のあいつ」のオープニング曲「ブルファイト」とエンディング曲「燃えてるあいつ」をカップリングしたシングルは「東宝レコード」から
のリリースだった。
ブルファイト/燃えてるあいつ/ラストショウ+小野寺昭 (1976)
この盤に収録の「ブルファイト」は日本コロムビアから出たLPとは異なる短めにアレンジされたテイクで、現在までCD化されていないはず。
ちなみに日本コロムビアから出たシングルは、サントラLPからのカットでラストショウ名義の「ブルファイト/マルガリータ」と、小野寺昭名義の「燃えてるあいつ/愛のささやき」(カップリングはドラマとは無関係)の2枚だったようだ。
もしも「ミュージック・ファイル」のようなCD化ができるなら、東宝レコード版「ブルファイト」のシングル・テイクも網羅してほしいもの。
3枚のオリジナル・アルバムもCDリリースは10年以上前で入手が難しくなっているだけに…と、思っていたらダウンロード販売とYouTubeへのアップローが確認できた。
さすがにライヴ・アルバムは含まれていないが「火曜日のあいつ」のサントラは含まれていた。
それだけでも良しとすべき…か。
♪
「火曜日のあいつ」の視聴率は決して悪くなかったが、俳優のスケジュール調整や特撮の費用などから2クールで幕を閉じざるを得なかったのだとか。
幕を閉じるといえば、エンディングで「燃えてるあいつ」をバックにキャストとスタッフのクレジットが流れる際の映像も強く印象に残っている。
それは12tトラックのバッファローが走る姿を中心にしたもので、高速を走る姿の空撮、雨の中や夜間を走る姿などで構成されていた。
この中で雨の中を走るバッファローの後輪が水を巻き上げる様子をアップで捕らえたカットが不思議と印象深い。
時に涙ぐみ 時にほほえんで
人は歩きだす 青春という道を
泣けるのは若いうち
とまどいを過ちをくり返すがいい
みんな手さぐりで 生きているのだから
(作詞:中里綴、作曲:田山雅充 AT-4011より抜粋)
DVDのライナーで石橋正次はこの歌詞を引用して「まさに青春を手さぐりで、12tのトラックを友として力一杯生きている辰也が好きでした。(中略) 演じるというより地でやっていたという方がいいかもしれません」とコメントを寄せていた。
辰也、圭介、章子の3人と同等、もしくはそれ以上の存在が12tトラックのバッファローだったと思うのは番組ファンならお分かり頂けるかな。
ただ、今でも残念に思うのは、バッファローが雪景色の中を走るシーンが見れなかったこと。
それは新潟という雪国住まいの僕のわがままなのだが、きっと特撮抜きでも印象的なドラマが展開されたのでは…と想像してしまう。
♪
ドラマ放映の1976年当時、新潟にはまだ高速道路も新幹線もなかった。
今、物流に「2024年問題」が突きつけられている中でバッファローの姿に再会できたのは偶然なのか必然なのか…てなことを考えてしまうほど、僕にとって「火曜日のあいつ」は思い入れのある作品だ。
思い入れのあまり、記事のアップが水曜日になってしまったが…(^^;