最近、
「ちいさい時のゆかさんは、やっぱりゆかさんやったんやね笑」
と、言ってもらうことがありました。
それは、子どもの頃に観ていたアニメの話題の時。
私が子どもの当時は、アニメがゴールデンタイムは勿論、今はほとんどニュースやドラマの再放送の時間帯になっている夕方にも、各局がアニメを流していることが多く、アニメ全盛の時代でした。
それこそ、セーラームーンやポケットモンスター、名探偵コナンが始まった頃が丁度、自分がアニメを観る全盛と重なっていたので、毎日アニメをはしごしていたとよく覚えています。
アニメ自体も好きなんですが、特に主題歌が大好き!!
歌うことが好きだからか、毎週見てたらあっという間に覚えられるもので、そのうち声優さんの名前を憶えて、このアニメにも出てるなぁと違う面白みを見出したりしていました。
そんな中、何をどう思ったのか記憶にないんですが、大好きなオープニングとエンディングを切り取って、一本のビデオにまとめるという作業をめちゃくちゃ楽しんでやっていました。
きれいにトリミングして、ビデオに録画した曲のリストを作ったり、全ての曲の歌詞を書き写したりと、結構忙しかったと思います笑
その頃、書き写していたノートを見ると、本当に一生懸命楽しんでたと見てもわかるほどです。
その頃のアニメの主題歌を鼻歌で歌う時、いまだにビデオに録画した順番で脳内再生されるので、バッチリ覚えている自分に驚きつつ、ほんまにアホやなぁと思ったりします。
そう、私は小学生の低学年のころから、リストを作ったり、資料をまとめたり、その当時はビデオデッキを使いこなしていましたが、そういう機器類を扱うことが大好きだったようです。
幼稚園の時から本を読むことが大好きで、それが大きくなるほど説明書や解説書、そういった類のものを読むことも全然苦ではなく、むしろ好きなので、何かを初めて使う時は熟読しながら取り扱うタイプでした。
ノートを板書することも大好きで、どの教科でもノートをいかにきれいに分かりやすくまとめられるか?について、かなり心を砕いていたと思います。
それは、よく同級生にノートを褒められたり、テストの時にノートの貸し出しをお願いされていたことからも、私はノートづくりが得意なんだなぁとぼやっと感じていました。
中学生の頃からパソコンに触れる授業があったように思いますし、高校では新聞部だったので、パソコンを早く使いこなした方が早く入力も終わっていいだろうと、まずは必死にブラインドタッチの練習をしていた記憶があります。
おかげで、聞き取りながら入力できるくらいブラインドタッチができているので、その当時の自分の頑張りにお礼を言いたいくらいです。
新聞部では、新聞を作るためにパソコン操作が必須なので、その時にパソコンを扱う感覚を養えたなと思います。
WordやExcelなどは、リニューアルすると同時に仕様変更もあるので、これまであった場所ではない場所に機能が移動していることも多く、その時はきっとこれをしたらこうできるだろうという感覚を頼りに動かしてみるので、トライ&エラーを恐れずとりあえず動かしてみるという、そういう心持ちもパソコンを触るうちに体得できました。
読書記録もリストにしたり、学校の書類やありとあらゆるものをファイリングするので、そういう細々したことが好きなんだなぁと思っていましたが、今のようにそれがお仕事にできるなんて、全く思っていませんでした。
それに、どちらかというとそういう特性は地味な感じで、理解されることもないだろうし、英語の宿題をめちゃくちゃ細かく書いてたんですが、それを見た同級生も引くぐらい驚いていたので、普段からわざわざリストにしたり、ノートにまとめたりしているなんてことを知られたら絶対怖がられるというか嫌がられるだろうなと思ったので、好きなことには変わりませんでしたが、特に大っぴらにはしていません。
そして、高校生三年間の時に、不特定多数から否定される言葉を受け続けていたこともあって、人間不信にもなっていたので、自分に何ができるとか、何か誰かの役に立つなんて全く考えられませんでした。
むしろ、生きてていいんだろうかとか、価値もないのに存在してていいんだろうかという気持ちがずっと根底にあったので、何かを褒められても「いえいえいえ」「またまたまた」と謙遜ではなくて、全てを否定していました。
大学生の時は理系に通っていたので、卒業研究でWordやExcel、PowerPointをフル活用する機会があり、研究をまとめる作業はなかなか大変でしたが、パソコンを使って集中している時間はとても楽しかったです。
この時、いかに効率的にしたらいいとか、発表する時に見栄えよくするにはといったことを考える片鱗が出ていたように記憶しています。
そのあと、新卒で入社した会社では、事務職でしたが営業事務のような仕事をしていて、お客様に報告書を作成する仕事もあったので、先輩からいかにきれいにわかりやすく作るかについて指導していただきました。
この時、会議の書記も定期的に当たっていたので、まとめる作業の面白さや、見やすくするにはどうしたらいいかについてかなり考えさせられました。
仕事をしている時でも、やっぱり好きだなぁとは薄々感じていましたが、今のように未来を見据えて事務仕事をしているというわけではなく、ただただ目の前の仕事を効率良く、スピーディーにこなして、期限に間に合わせられるかどうかだったので、事務仕事自体は好きでしたが、その先に自分の未来は全然イメージできていませんでした。
ただ、その仕事も長くは続けられず、軽い鬱になって辞めざるをえなくなりました。
仕事の内容自体は好きだったのですが、続けられなくなり、これからどうしようと思った時に母校の高校でお声がけいただいて、休職期間をおかず働かせてもらえることになりました。
きっと、軽い鬱になって、仕事を探すのもままならなかったので、お声がかからなければ社会に戻るきっかけが見つけられなかったかもしれません。
母校では、総務課に所属したので、その時、前職の仕事のやり方だったり、一般企業で働いた経験を活かす場面が多々あったので、それはただ単に前職と高校勤務との違いだからかなぁと感じていました。
自分が事務仕事が好きだからとか、パソコン作業が得意だからとかいうより、仕事をすること自体が好きなので、そこでもまだ自分が得意だからという意識はしていません。
ここまで書いていて、自分が得意だったのにそれが得意だと自分で認識するのは、なかなかできないことなんだなぁと改めて思いました。自分ではなかなか気づけないものですね。
そして、その高校も妊娠&出産の次なる仕事のために退職。
その後はどんなことをしようかなんて、全然頭にありませんでした。
そうは言っても、住宅ローンもあるし、漠然とパートかなぁと思っていたくらいです。
そんな中、子どもの乳児湿疹が酷く、顔中が真っ赤になっていたので、触られる可能性のある顔にお化粧する気にもなれず、暫く簡単なメイクしかしていませんでした。
そうしたら、いざお化粧しようとしても、市販の化粧品が合わなくなっていました。
お化粧は元々そこまで好きでもなかったし、かと言って全然しないわけにもいかないしなぁと思っていた矢先、友人が以前通っていた手作りコスメスクールで、新規の募集がありました。
丁度、子どもも預けやすくなってきた月齢だったので、家族にお願いして、手作りコスメマスター講座を受講させていただくことにしました。
それが、SHOKO先生との出会いでした。
・・・つづく。
crptr(チロプテラ)
たなか ゆか