こんにちは
朱堂です
今回は、東京・文京区
「霊雲寺」です
(住所:東京都文京区湯島2-21-6)
このお寺は、5代将軍・綱吉が徳川家の祈願寺として
当時の高僧を招いて建てました
江戸時代の間は、かなりの名刹として栄えたそうです
ですが、例に漏れず戦災で焼けてしまい、
今は東京のお寺らしく鉄筋コンクリートです
でも、この敷地の広さから、
徳川家の保護を受けて栄えていたことがよくわかります
以上、朱堂でした
こんにちは
朱堂です
今回は、東京・文京区
「霊雲寺」です
(住所:東京都文京区湯島2-21-6)
このお寺は、5代将軍・綱吉が徳川家の祈願寺として
当時の高僧を招いて建てました
江戸時代の間は、かなりの名刹として栄えたそうです
ですが、例に漏れず戦災で焼けてしまい、
今は東京のお寺らしく鉄筋コンクリートです
でも、この敷地の広さから、
徳川家の保護を受けて栄えていたことがよくわかります
以上、朱堂でした
こんにちは
朱堂です
今回は、東京・文京区
「清水坂」です
(住所:東京都文京区湯島3丁目付近)
この坂は、江戸時代には霊山寺というお寺があったり、
旗本屋敷だったりと、坂とはまったく関係の無い場所でしたが、
大正時代に入ってから湯島天神と御茶ノ水をつなぐために
土地を持っていた会社がつくりました
その会社の名前をとって「清水坂」です
昔から坂道だらけの東京の中でも
比較的新しい坂なんじゃないかと思います
NHKの「ブラタモリ」じゃないですけど、
坂道1つ1つにも由来があって面白いです、東京は
以上、朱堂でした
こんにちは
朱堂です
今回は、東京・文京区
「湯島聖堂・昌平坂学問所跡(2回目)」です
(住所:東京都文京区湯島1-4-25)
1回目はコチラ
えー、半年後くらいにリベンジしにいきました
前回は、朝早すぎて開いていなかったっていう…
今回は、ちゃんと開いている時間だから大丈夫
そして、前回とは違って、正門からの突入です
正門近くの案内板によると、
昌平坂学問所は尾張藩初代藩主徳川義直が
上野に建てた儒学所が起源だそうです
新事実
近くにはこんな碑が
さぁ、いざ参る!!…と思ったんですが、
あれ
閉まってる
オーマイゴッド
なんという…運の悪さ…というかリサーチ不足…
反省です
というワケで、いつかあるであろう3回目に続く
以上、朱堂でした
こんにちは
朱堂です
今回は、関ヶ原シリーズ最終回
この関ヶ原観光では行きませんでしたが、
オススメの史跡をご紹介します
まずは、「陣場野・徳川家康最終陣跡」
関ヶ原町歴史民族資料館
や田中吉政陣跡
の近くにあります
(住所:岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原959-27)
桃配山
から移動した後の家康の陣地です。
合戦後は、ここで首実検をしました
…私が幼稚園くらいの頃は、コンクリート製の生々しい
首実検を再現した人形が置いてあったんですが
今は撤去されたようで、良かったです
続いて、「松尾山・小早川秀秋陣跡」
脇坂安治陣跡
の近くにあります
(住所;岐阜県不破郡関ヶ原町松尾山山中)
もう有名すぎて、説明不要の彼の陣跡です
関ヶ原に来たら絶対行きたいところではあるんですが、
山登りを約40分しなければいけないので、
要注意です
「不破関跡」
福島正則陣跡
の西にあります
(住所:岐阜県不破郡関ヶ原松尾148)
壬申の乱の後、越前・愛発(あらち)、伊勢・鈴鹿とともに置かれた
古代の関所跡です
「自害峯」
不破関跡の西にあります
(住所:岐阜県不破郡関ヶ原町藤下273)
壬申の乱後、敗北した大友皇子が自害したといわれる地域です
ココに、彼の首が埋められているといいます。
コレも、細い山道の先にあるので、
行くのが大変です
最後に、「常盤御前の墓」
関ヶ原の西の端の山の中にあります
(住所:岐阜県不破郡関ヶ原町山中534)
「常盤御前」といえば、源義朝の愛妾で、
源義経の母親です
このお墓は、全国各地にある彼女の墓といわれるものの1つだそうです
関ヶ原は見どころ満載の史跡の宝庫です
歴史ファンの方なら、是非一度行くことをオススメします
以上、朱堂でした
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました
こんにちは
朱堂です
今回は、関ヶ原シリーズ
「桃配山・徳川家康陣跡」です
国道21号線沿いにあり、
岐阜市方面から車で関ヶ原に行くと、
必ず最初に見かける史跡です
(住所:岐阜県不破郡関ヶ原町野上1428)
ココは、家康が最初に陣を置いた場所です
合戦中ごろに陣場野に移動するまで、陣がありました
家康が座ったり、テーブルとして使用したという石(岩?)が残されています
ここに座れば、家康気分
でも、椅子の石とテーブルの石との間隔が広いんですよね
果たして、使いやすかったんでしょうか
また、この桃配山には、関ヶ原合戦以外でも縁のある山なんです
それは、古代・白鳳時代の壬申の乱
皇位をめぐって、天智天皇の息子・大友皇子と
天智天皇の弟・大海人皇子が争った戦乱ですね
その主な戦場となったのも、関ヶ原なんです
その決戦に向けて、とある山に辿り着いた大海人皇子は、
地元の民衆からヤマモモをたくさん献上されました
それを受けて、大海人皇子は兵士一人一人に
ヤマモモを手渡ししたそうです
その後、戦に勝ち、天武天皇として即位した大海人皇子は、
このことに縁を感じて、
「ヤマモモを配った山」ということで「桃配山」と名付けたのです
この話を聞いた時、すごくワクワクしました
関ヶ原には、まだ壬申の乱関係の史跡があるので、
次回ご紹介します
というわけで、次回は最終回
「その他の史跡」です
以上、朱堂でした