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卒業 ~ その2 ~

燃える家・・・

多分、一時間くらいだったか経った後に、ようやく鎮火・・・


家が頑丈だったので、幸い全壊は免れた。

火事の原因は古い乾燥機をだましだまし使っていたので漏電。


火が完全に鎮火した時には、もうすでに夜中を過ぎていた。



暗くてよく見えなかったけど、鎮火直後の家の中はむちゃくちゃ・・・




さすがにその日は、うちで休むわけにはいかず、


お向かいのおばちゃんちに避難させてもらうことになった。



呆然としながら、まるで夢の中にでもいるかのような出来事が終わった後、

疲れてボーっとする頭のまま、おばちゃんのうちで休ませてもらっていると、

幼馴染の子が、泣きながら入って来た。


どうやら俺が死んだと思ったらしく、

彼なりに心配してくれて、会社帰りにわざわざ寄ったのだという。


泣きながら「よかった、よかった」と繰り返す幼馴染を見ていると、

ようやく火事が現実のものだったのだな、といううっすらとした実感が、

こめかみあたりにじわっと昇った。



幼馴染の彼とは、0歳の時からの親友。

高校に入るまでは、何をするにもず~っっと一緒だった。


中学を卒業してからは、進路が違ってしまったため、

あまり会う事が少なくなったが、泣きながら来た時は、なんだか嬉しかった。


次の朝、明るくなって焼けた我が家を見た。 すごい状態・・・




自分の部屋に行くと、

数時間前までキレイだった部屋は真っ黒こげで、

全てのものが使い物にならなくなっていた。


目の前の現実に、改めて目が覚める。



貴重品など一切持たず、服は飛び出したまま。

もちろん着替える物も残っていない。 19才でホームレス状態だ(苦笑)



財布などはかろうじて燃え残っていたけど、中のお札は半分焼けてる。


想いでのアルバムなどもて残ってはいたが、まともに使える物はほとんどない。

結局すべて廃棄処分になる始末。



それからの一週間は町内の公民館で家族と親戚で過ごした。

こういうときに、行政のありがたみがわかるものだ。


その後、市の計らいで、町営住宅に入れてもらったが、

5人で住むにはかなり狭い部屋。


だけど自宅が燃えた今、贅沢は言えなかった。



・・・そんなこんなで、その年の11月に、

今、住んでる立て直した家にようやく入居しました。


あれから14年たった今でも、当時の状態には戻っていない感じがしますね。



いまだに、思い出すだけでもつらい記憶ですが、

あれを転機に、私の中で何かが動き始めたんですよ。


ここから先は、次回ということでw


卒業 ~ その1 ~



忘れもしない、平成6年1月24日、午後8時頃。。

その日両親は新年会の為、外出していた。

自分は仕事が早く終ったために、自宅でくつろいでいた。
家に残っていたのは、祖母と弟と愛犬と愛猫だけ。

早々に夕食と入浴を済ませ、自室で彼女と家電で会話を楽しんでいた。
当時は携帯などまだなかった時代だ。


何気なく付けていたTVと電気がバチっっという音とともに一回切れた。


停電かなと思っていたら、電気類はすぐに復帰したので、
私はそのまま放置して、彼女と会話を続けていた。



その時・・・



下の部屋から大声が聞こえた。

なんだ?と思い電話を切り、声がする洗面台に行くと、
祖母が乾燥機に向かって、必死に水をかけているではないか!




みあげると、天井からは轟々と火の手が上がり
もうなにがなんだかわからないまま、パニック状態で119番




。。。電話口で、なにを言ったかは覚えていない



電話の直後、新年会に行ってる両親に連絡しようと思ったのだが、連絡先がわからない。
あわてて車に飛び乗って、両親を連れ戻しに行く・・・!



両親を連れ出し、一目散で実家に帰ると、すでに消防車が消化活動を行なっていた。

祖母は、昨年なくなった祖父の位牌を抱えて、猫と犬と脱出していた。



それからどのくらい経ったか覚えていない。
ただ鳴り響くサイレンの赤と、騒がしい喧噪の中、火はものすごいスピードで実家を飲み込んでいく。





徐々に、自分の部屋に火が燃え移る。。

何もできない。ただ、呆然と見ているだけ。


~ 続く ~

高校卒業後、そして・・・

こんにちは!

「静岡クラウンメロン産地直送ドットコム」 店長 久崎です!


前回に引き続き、ショーもないヤンキー道を突っ走っていた私の、

一大転換期がまさに訪れようとしていた瞬間。


お恥ずかしい話、その頃の私は・・・・こんな感じでした↓



箱ノリ中

この写真は、19歳の時のハコノリ中のものです。


ヤンキー時代に暴走族をやっていて、

夜中によくハコノリして遊んでたですね(汗)


仲間と
それから、BOOWYが好きだったので、

布袋仕様に車を塗り替えてみたり・・・



布施仕様
次の年には、

正月の集会用に車をオレンジに染めてみたりと、

お恥ずかしい話ではありますが、

10代の私は、今では考えられない素行をしていたな、と(--;


ただ、仲間意識だけは強かったですね。


学校でタバコすって何度も停学になっているヤツがいて、

次に見つかったら退学だ!というとき、

ソイツが運悪く警察沙汰になりそうになったことがあって(苦笑)


ソイツを逃がしたまではいいのですが、

私が捕まっちゃいまして。


でも、悪いことをしていたとはいえ、

「仲間を裏切るようなことは絶対にしない!」というのが、当時からの信条!

どんなことがあってもしゃべらずに、

「知らぬ、存ぜぬ」で通して、絶対にソイツの名前だけは言わなかったんです。


今となっては時候だし、笑い話なんですけどね。

人生、よくも悪くも、自分を曲げることだけはしたくないじゃないですか。


それに当時、地元であそんだ仲間たちも、

今では東京に出て整体師になったり、事業のオーナーになったりと、

それなりに自分の道を歩んでいるみたいです。

と、話がそれました。


この車をオレンジ色に塗った後、

私の人生を反転するような「一大転機」がやってこようとは、

この頃の私には想像だにできなかったんです。


長くなってしまったので、続きは次回ということで。