ネットで検索してみると「道」という漢字がつく言葉は、いろいろとある。こんな感じである。
・ 道理・理念・生き方(抽象的な道)
- 道徳(どうとく)、道義(どうぎ)、道理(どうり)、人道(じんどう)、王道(おうどう)、邪道(じゃどう)、中道(ちゅうどう)、天道(てんどう)
- 道心(どうしん - 仏道を求める心)
・ 技術・芸・教え(専門的な道)
- 柔道(じゅうどう)、剣道(けんどう)、茶道(さどう)、書道(しょどう)、華道(かどう)、芸道(げいどう)、武道(ぶどう)
- 道場(どうじょう)、道具(どうぐ)、道楽(どうらく)
求道者という言葉もある。
「求道者(きゅうどうしゃ)」は、何かの道を究めるため、精進する人を指す言葉です。 「求道者(ぐどうしゃ)」と仏教用語にした場合は、修行者を意味します。「求道者」の意味は“真理を求める人”です。 宗教的な悟りや真理を求めて修行や精進をする人のことを指す言葉ですが、教会用語として用いられる場合は洗礼を受ける前の人と、信仰を持ち敬虔に祈りを捧げる人のことを指します。
「求道者」はどこまでも探求する人
「求道者」は英語で「Investigator」または「catechumen」といいますが、それぞれ「求道者」以外の意味に「Investigator」では「調査者・研究者・捜査員」、「catechumen」では「洗礼志願者・入門者・初心者」という意味もあります。
調査者や研究者、捜査員は、真理や真実を求めて深く探求し、その途上で失敗や挫折があっても諦めることはありません。また、入門者や初心者も自分自身の未熟さを自覚しつつ、向上を目指して精進を続けます。
つまり「求道者」という言葉は、すぐにあきらめてしまうような人や慢心してしまうような人に対して使うことはできないのです。
「求道者」は自分を律することができる人
真理や真実への厳しい道を歩き続けることは、なかなか難しいことです。自分自身の甘え心や怠け心のほか、環境の変化や周囲からの誘惑などに負けてしまい、いつしか道から外れてしまうことは凡人の常でしょう。
「求道者」たらんとする人は、自分をストイックに律することに注意を払います。日常のルーティンなどの些細なことにも手を抜かず、自分の修行スタイルをくずさないことで、自分に課したノルマを淡々とこなしていきます。
誘惑に負けて自分に課したノルマをこなせなくなるような自律的でない人に対しては、「求道者」という言葉はふさわしくありません。
であるから、中道改革連合の「中道」には、様々な意味が込められているのである。中身を知りもしないで、「ちゅうかくれん」などと揶揄する麻生太郎は、自らの浅学さを晒したようなものである。