いつも通る道沿いにある家に、バラの植え込みがある。年に3~4回咲いて私の目を楽しませてくれるのだが、二三日前、それが今年最後の花を咲かせた。白いバラなのだが、白色系のバラには珍しく比較的香りが強くて、その上香り自体も良い。朝は忙しいので少し難しいところがあるが、夜の帰り道にその香りを楽しむことが、いつの間にか年間を通しての私の習慣になってしまった。もちろん、他人のものなので、花弁に触れたり茎を傷つけたり、いわんや手折って持ち帰るなどということは絶対にしない。そのバラ自体にも、手入れをしている人にも、私は楽しませてもらっている立場だからだ。たとえ一輪の花でも数億円の名画でも、等しく楽しませてもらう側ならそうしたことに隔てなく敬意を払う義務があると私は思う。自分で育てられればいいのだが、いかんせん私の部屋は1階で、しかもベランダがないので、それをやるだけの場所がない。


今日もいつも行き会う名前も知らない猫が、自分の縄張りの見回りをしている。毎日同じコース、毎日同じ時間。


同じコースに同じ時間でも、私とはその自由さからいって随分な違いだ。



今日はとても空の高い、秋晴れの一日だった。夏の青空よりも淡く、空の縁の方に吹き払われて切れ切れになった鱗雲がほんの少し空に残っていた。

先日、久しぶりに母と電話で話した。本当に久しぶりだった。半年ぶりくらいだったと思う。母はとくに用があるという訳ではなかったらしいのだが、何かの拍子でふと私のことを思い出したのだろう、寝る前にかけたとのことだった。


相も変わらず、このくらいの時間だったら家にいるのだとか、そちらは相変わらずかだとかいった、何度繰り返し同じ答えをしたか分からないような質問を、その日もいつもと変わらず聞いてきた。人が聞いたら母親らしく心配しているのだと思われるのだろうが、実際のところは、以前聞いたことでも母は本当に忘れてしまっていて、今回もまるで初めて聞いているような心持ちで私に聞いているのである。何せ、私の母は頼んだことや自分で聞いたことなどを、まるで冗談のようにきれいさっぱり忘れてしまえるという天性の特技をもっているのだ。誤解の無いように言っておくが、決してなにかアルツハイマーだとか、痴呆だとかいったことではない。母が頼まれごとや約束などを忘れてしまうのは、私がうんと小さな頃からで、その奇妙な特技のせいで苦労させられたことは数え切れないほどだ。


母はそちらは相変わらずかと言った後、こちらは娘が(孫のことだ)三人もいて賑やかだよと言ったのだが、すぐにまずいことを言ってしまったと感じたのか、次の言葉を無くしてしまったようだった。母からすれば、それまでは想像も出来なかったような、平和な、賑やかで幸福な日常を、まるで自慢するように私に話してしまったことが、何かこう、申し訳ないかのような後ろめたい感じを覚えてしまったのだろう。私からすれば、母はそれを享受するだけの対価を充分、いや充分すぎるほど支払ったと思っているので、今の幸せを思う存分享受してほしいと思っている。同じことを私がしてあげられないのが本当に残念だが、それはまぁしかたがないではないか。嫌われ者は生来のもので、小さな頃から愛されるのは弟であり、嫌われるのは私とその役回りは昔から決まっていた。そのことは母も内心はよく知っている。


久しぶりにかけたはずなのに、母は気まずさに耐えられなくなり、しばらくしてすぐにそれではと電話を終えた。こんな思いばかりさせて本当にすまないと思っている。


何人か兄弟がいればひとりは失敗作があるものだ。どこの一家にも一人はいる。

なかなか寒くなりきらない季節だが、会社の行き帰りに見る桜の木の葉の中に、ちらほらと枯葉が目立つようになっている。他にも、いつも見上げるハナミズキの葉にもかなり枯れ色が見えるようになった。たとえ寒くならなくても季節はめぐり時は過ぎる。風邪はもうほとんど治ったといっていい。時々まるで思い出したように咳が出ることはあるが、あれほど痛かった喉の痛みもないし、ほとんど一日で一箱使い切ってしまうような勢いで出ていた鼻水も、もうほとんど出ない。今回はなんとか薬を使用せずに直せたようだ。


私は最近かなり無気力だった。とにかく何もする気が起きなかったのだ。頭の奥のほうがぼうっとして、体全体がなんとなくだるくて、一週間というサイクルがかなりのスピードで過ぎていったような感じだ。光陰矢のごとしというが、まったくもったいないことだと思う。



1年位前から私は約10年続けてきた画風を変えたいと思うようになっていた。きっかけは特にない。いや、ひょっとしたらあるかもしれないな。なにせ、関西から関東へと生活の場をがらりと変えたわけだから。しかし、それでも今述べたことが第一義的な理由ではない。なんとも上手く表現できないが、なんというかこう、今の私の体にはそれまでのスタイルが窮屈になったのだ。そう、例えるなら脱皮だ。甲殻類や蛇なんかがやるあの脱皮に似ている。蛹から蝶へという変身ではなくて、脱皮なのだ。自らの定めたスタイルに自分自身が納まりきらなくなっているような感じなのだ。


私はそのスタイルに落ち着く前、かなりメッセージ性の強い作風だった。自分の作り出す作品によって何かを伝えようとしているようなところがあった。いや、むしろそうでなければならない、ぜひともそうでなければといったところがあった。やたらと頭でっかちで、理屈で作品を作り上げているような輩の仲間だった。しかし、ふと私はそうしたことに虚しさを覚えるようになった。見るもの全てが美しくなく、素晴らしくもなく、魅力もない、美術評論家が好んで使うような理屈や語彙、ありきたりのうそさぶい文言で作り上げられたもののように見えて、馬鹿らしくなってしまったのだ。まるで、そいつらにいいように弄ばれているような感じがしたのである。その為、私はそれまでのスタイルをすっかり捨ててしまった。


私は美しいものが描きたいと思った。どれだけ時間が流れても普遍的な価値を持つような、まるで絵の具でできた宝石のような絵を描きたいと思うようになった。フェルメールの作品のように、どれほど時間が流れても輝きを失わない、宝石のような絵を自分の手で描きたいと思ったのだ。それでたどり着いたのが今の作風だ。


フェルメールのような永遠の輝きを描きたいというのは今も変わらない。しかし、少し考え方が変わってきたのだ。何よりも自由に描きたいのだ。こんなこともできる、あんなこともできると楽しんで描いていたときのように自由に描きたくなったのだ。規則や理論、法則などに依らず、自由な色や線、形態の中に永遠の輝きを宿らせたいと思うようになったのだ。きわめて漠然としたものだが、何にしても、今までのように何かに則って作品を作りたくはなくなったのだ。


私は有名デザイナーじゃない。白髪の大画伯でもない。何の立場もない男だ。

それなら何を恐れる必要などあるものか。誰に遠慮がいるものか。

絵描きの最後などたかだか知れているじゃないか。

成功しても死ぬ、失敗しても死ぬ。結果なんて打っちゃっておけ。