私の住んでいるこのたくさんの団地のある町では、夏祭りというものはあっても秋祭りというものはない。ここに住んでもうかれこれ3年になるが、そうしたものを見たことは一度もない。
夏にはこの地区の住民達によって毎年盆踊り大会が行われている。団地の敷地内にある広場に櫓が組まれ、たいてい毎年出店が2つ3つ出ていて、いつも子供達の楽しそうな声でとても賑わっている。中央の櫓では大人達によって盆踊りが行われるのだが、その人数はとても少ないものだ。ざっと見ただけでも30人に届かないくらいだと思う。紅白幕で巻かれた櫓の上には太鼓を叩く人はなく、スピーカーから盆踊りの曲が流されているような状態だ。その流される曲目も地域独自のものではなくて、関東一円に広く知られたごく一般的なものだ。
このイベント自体は有意義なものなのだが、何となくその様子は空虚な印象を与えるものがある。なんと表現したらいいか、どうも上手い言葉が見つからないが、何となく宙ぶらりんで、歴史から断絶されたもののような、不確かで、とりあえずのもののような、そうした空な印象を私に与えるのだ。まぁ、だいたいにおいて、このイベント自体が、子供達に夏祭りの雰囲気を楽しませてあげるためのものであったり、地域のコミュニティー作りの一環として行われているようなものなので、私がそうした印象を持ったとしても何ら不思議なことではないと思う。本来の宗教的意味合いや死生観といったものは、もはや必要ではなくなってしまったことから失われてしまい、表面的な楽しいイベントの部分だけが模倣されて行われているに過ぎないからである。ここは、戦後の焼け野原でさえない、首都の縁に残っていた中世以来の農地の後に急拵えで出来た新興の町なので、土地の歴史や伝統に根ざしたものなどあるはずもないからである。よしんばそうしたものが過去にはあったのだとしても、戦後の人口の流入流出によってもうとうに失われてしまっているに違いない。
私の生家の近くには小さな神社があった。歩いても15分とかからない位の近さだったと思う。小さな神社だったが祠というようなものではなくて、ちゃんとした神殿を持つ神社だった。詳しい数字は忘れてしまったが、たしか創建が西暦の700年代で、もうあと何年かで1300年祭だったと思う。その昔、いつか話した家の裏手にある河が氾濫を繰り返したために、それを鎮めるために水神としての神を勧進して建立したといわれている。
その神社の前にはおよそ150メートル位の参道があって、その参道は中世以来の古い街道と直接つながっていた。参道の入り口の所に大きな鳥居が建っていて、正確に北の方角を向いて真っ直ぐに伸びていた。道幅はだいたい車一台が通れるくらいの幅で、両側には石の灯籠が対になって数メートルおきに置かれていた。神社の手前まで来ると、川幅2メートルに満たないほどの川をまたぐアーチ状の石橋が架かっていた。その橋を渡りきった所に、はじめのものよりも幾分小さな鳥居があった。それは、昔の人の身長の低さをあらためて感じさせるような、ちょうど古い日本家屋の鴨居の低さに不思議な驚きを覚えるのと似た、そうしたほのぼのとしながらも奇妙な、何ともいえぬ違和感を感じさせる鳥居だった。境内は玉砂利などがひかれた厳かなものではなくて、地面が剥き出しのグラウンドのようなものだった。その地域の公園のような使われかたをされていたので、ゲートボール用の矩形が、まるで神様に遠慮しているかのように、目立たぬよう、細いロープによってかたち作られていた。神社の建物自体はもちろん創建当時のものではなく、何度も立て直された末に今のものに落ち着いたのであろうような、ひなびた感じの、きわめてありふれた質素なものだった。その建物の向かいには、以前は田舎芝居でも行われたのであろうことを想像させる、簡素な作りの舞台が残されていたのを覚えている。
この神社自体は扇状地の平野に突き出した岩山に建てられたものだった。きっと今のような大きな堤防のなかった昔は、河が大規模に氾濫すると、この辺り一帯が一面水浸しになって、この小山のような岩山が水浸しになった平野の中にぽつんと、まるで小島か何かのように浮かんでいたのであろうことは容易に想像することが出来る。そうしてこの平野に浮かぶ小島のような岩山は、椎や楠の木などによって遠くからも黒々と見えるほど鬱蒼とした緑に覆われていた。毎年夏になると、けたたましいくらいの鳴き声で蝉が鳴いていたのを今でもよく覚えている。
この神社の向かって右側の方からこの岩山の山頂に登ることが出来た。登るといってもとても低い小山なので大層なことではない。子供の足でもものの数分で上まで行き着くことが出来た。山頂に続く道には、いつの時代のものとも知れない古い石積の階段があった。子供の頃に初めて上まで登った時には、きっとこの上には何かすごいものがあるに違いないと思って期待を胸に膨らませて登ったあげく、意外にも小さな祠以外に何もなかったことに肩すかしを食らったものだ。しかし、考えてみれば、この岩山自体に神が宿っていて、信仰の対象になっているのだから、そんなことは至極当然のことなのだと今でこそ思えるのだが、当時の私には鬱蒼とした木々の中に隠された奥深くには、何か神秘的なものがあるように感じられたのである。そして、そうした感覚を私が抱くようになったのはおそらく祖母の影響だと思う。
祖母は何にしろ、とても信心深い質の人だった。神にしろ仏にしろ、とにかくそうしたものに対して畏怖の念を持っていた人だった。時としてはそれが度をこしてしまうことがあったけれど、とにかく、そうした超自然的なものを畏れ畏む人だった。この神社に対しても、いたずらな気持ちで軽はずみに立ち入ったりなどすると神様の使いに罰を受けるぞと、祖母には子供の頃よく叱られたものだった。今ではなぜ祖母がそう言っていたのかをよく理解することが出来る。もちろん祖母とは違って理性的に理解できるという意味である。信仰の対象は非日常的性格を持つものである。その非日常性ゆえに、神秘性や超自然的力を持つようになると信じられるものなので、そうしたものを“日常”によって失わせないためだったのだろうと思う。こういったことは古い言霊思想と似通ったところがあるのかもしれない。
この普段は静かな神社が賑やかになる日があった。それは秋に行われる例祭で、ある神事を行い五穀豊穣を願うというものだった。そのある神事というものはここでは述べない。詳細を述べてしまうと場所が特定されてしまう恐れがあるためだ。ここでは単に秋の例祭とだけ述べておくことにする。その神事には威儀を正した晴れやかな行列や様々な神事があり、たくさんの屋台の出店も出た。私が生まれて初めて本物の馬を見たのは、祖母に連れられて行って見た白い神馬だったと思う。お祭りや人混みが大嫌いな父親とは違い、祖母はこうしたお祭りごとなどがとても好きな人だったので、私がうんと小さかった頃はそうして何度か連れて行ってもらったことがあった。祖母といっしょにお祭りの行列を見たり、祖母から貰ったお小遣いで出店でお菓子を買ったりした。もう今ではその頃の記憶はうっすらと断片的にしか思い出せないが、とてもワクワクした不思議な熱っぽい空気に包まれていたことだけははっきりと思い出せる。その出店でいつも買って貰ったものにアイス最中があった。今思えば全くたいしたものではない。コーンの最中にバニラアイスをはさんだありふれたものなのだが、当時まだほんの小さな子供だった私には、祖母が買ってくれたそのアイス最中はとても大層なもののように思えて、弟と二人で食べたその味はとても甘く、まだほんのり暑さの残る秋の日には丁度よく冷たかった。はさんだコーンの最中の間から、溶けたアイスが垂れてきて手がべたべたになったのをよく覚えている。何でもないものがとてもおいしかった。
月日が流れて、私が祖母とお祭りに行かなくなってからも、祖母はそのお祭りに行っていた。もっとも、そのお祭りは神社の暦で行われる日が前もって決まっており、イベント化してその日を日曜にずらすなどということもせず、あくまで神事として行われていたし、その上、お昼過ぎ夕方前に行われるので、学校のある私達ではそもそもが行けるはずなどなかったのである。そういう訳なので私が帰ってくる頃には、お祭りを見終わった祖母が帰って来ている途中か、もしくはもう既に帰っているかといったような具合だった。東の方から補助車を押しながら帰ってくる、腰の曲がった祖母の姿は、何とも言葉にならないものだった。今でもそれを上手く言い表す言葉を私は見つけることが出来ない。それは不思議な、人のかたちをした何者かであった。
そうしてお祭りから帰っていた祖母が、いつもではなかったが、あのアイス最中を買っていてくれたことが度々あった。当時、馬鹿で生意気の盛りだった中学生の私は、祖母の買っておいたから食べなさいと言う言葉のままに、たいして有り難いとも思わずにそれを食べた。今にして思えば、祖母にとって私はどれほど大きくなろうと、生意気な口を訊くようになろうと、何度自分をクソババアと罵ろうと、何も変わらず、昔と同じほんの小さな子供だったのだろうと思う。当時の私はそんなことは全く思いもしなかったのだ。薄情にそのアイス最中を平らげている時でも、そのことを何とも思わなかったのである。つくづく愚かさとは恐ろしいものであると思う。いったい、私はどういう人間だったのであろうか。
私はこの街で生きることは出きるだろう。しかし、この街で死ぬことはどうしても出来ない。歴史から絶たれて、宙ぶらりんのまま、根無し草のようになることなど到底出来ないし、そうなりたくもない。この徹頭徹尾、現世利益的な街で生を終えるなどということは想像さえしたくないものだ。
ここは生きる者の街だ。
ここに人の死に場所はない。
少なくとも私の死に場所は。