894年
韓流がどうとか話題の昨今、「危機に瀕する日本: 日韓紛争概説 文化略奪と歴史歪曲に関する一考察」の動画を見た。至極、正当な主張をしているように思った。普通の日本人は波風立てたくないから、取り立ててアクションを起こすこともないから黙ってる。いくら真似されようが、哀れむことはあっても批難はしない。動画を見て今更ながら気づいたが、日本は894年に中国に対して独立宣言したんやな。菅原道真の建議によって遣唐使を廃止したのが894年。607年の遣隋使で小野妹子が、有名な「日出ずる処の天子~」で始まる国書を隋の煬帝に送っても、そっからなんやかんや300年近く中国の属国の地位に甘んじ続けていたわけだけども、菅原道真の提言によって完全に属国から離脱することになった。天神様とか呼ばれる菅原道真については、学問の神様とか、藤原氏に左遷されて失意のうちに亡くなったとかしか知らなかったが、独立宣言をしたということまでは知らんかった。「もういい加減、中国帝国主義にNOを突きつけようぜ」と言った道真公はジェファーソンみたいな位置づけになるんかな。遣唐使廃止から1110年以上も経つから、日本の独立国家としての歴史は結構古い。日本が独立してから1000年も中国の属国を続けた韓国とはだいぶ違う。韓国にパクられるだけの独自の歴史を持つ国ということだから、それはそれで。894年に遣唐使を廃止した時点で、中国の属国を離れて自由の国を標榜したのが日本だと思えば、自由の国アメリカよりも、かなり先を進んでいる。実質的に鎖国が始まったのが894年で、同時に独自文化を育むことを宣言した年でもある。動画で平治物語絵詞の六波羅行幸の絵巻が使われていたが、丁度、大河ドラマで平清盛をやるらしいから、そのあたりも、覚束ない足取りで歩み出した独立国家日本で侍が誕生した経緯とかに思いを馳せるにはいいかもしれない。独立(インデペンデンス)するには、武力を身に付け、精神的にも、心身ともに強くならねばならないということなんやろ。日本の繊細な芸術、技術とか、儚い(Tiny)ものを愛でる美学とかは、「寄らば大樹(中国)」の考え方から離脱した心細さから来るところの、小さくても突っ張って生きようとする心意気に由来するものかもしれない。遣唐使を廃止してそれほど経たないうちに、清少納言が枕草子で「もののあわれ」を美しいものと表現したのも、当時、既に日本人の心情の中に、健気に生きようとする姿が美しいのだとシンパシーを感じていた証拠じゃないのかな。寄生するのが楽だから、ついパクってしまう。虎の威を借るほうが楽だから。しかし自分というものがないから、いつまでたっても自分に自信が持てない。他人を利用して金持ちになっても、果たしてそれでいいんかな?心は平安だろうか。心の平安を求めて、「まだ足りない、もっとよこせ!」で、いつまで経っても心の乾きが満たされない。実に不幸な話だと思う。震災の時に日本人が見せた清廉な姿は、先祖代々受け継がれてきたものが垣間見えただけに過ぎない。おそらく、他人に迷惑かけないというのと、独立心は一緒なんやで。日本で菅原道真が神様として祀られる理由には、単に彼が頭が良かったとか、藤原氏に虐げられて不幸な最期を遂げたという以外の理由があるような気がしてきた。彼は、いまだに正当な評価を受けていないのかもしれない。