【[AIの時代]と[自分らしく生きる]の関係性】
ここ最近、AI関連の話題が
世間を賑わしている。
人間の話した質問に
ちゃんと答えてくれる
『チャットGPT』
音楽や絵や写真を
数秒で作ってくれる
『ディフュージョンモデル』
それらのAIの技術が生まれてくることで
世の中がどんな風に変わるのか?
人間のやる仕事はどうなっていくのか?
それが話題になっている。
僕個人としては
過去にバンドをやり、
楽曲制作に明け暮れていたこともあり、
ディフュージョンモデルが
どんな音楽でも数秒で
創れてしまうことに
衝撃と感動を覚えた。
これから我々は
自分の好きな音楽を
ディフュージョンモデルを使って
好きなように生成していくことができる。
『ミスチル』『バラード』『哀愁』
なんて、キーワードで
ディフュージョンモデルに
入力をすれば、
それっぽい曲を
数秒で生成してくれる。
だから、これから、
我々の社会は大きく変わることが
更に予想される。
そんな中で、僕は
『個々のアーティストは
この先どうなるのだろうか?』
と考えた。
多くの学者や評論家は
『多くのアーティストが消滅する』
と予測しているが
本当にそうなるのだろうか?
もちろん、一定量のアーティストは
自らのアーティスト活動を
変化せざる負えないと予想できる。
ディフュージョンモデルで
生成された音楽を
日常的に聴く人たちが増えるだろうから
個々のアーティストが
作った音楽が聴かれなくなることはある。
それは人間の時間が
限られている中で、
音楽だけは
無限に生成されていくから、
溢れ返るように
無限に生成されていく音楽が、
しかも、自分の好みの音楽が
無限に生成されていく中で、
個々のアーティストの音楽が
聴かれなくなることはある。
しかし、それは
今のテレビやネットのSNSにも、
もうすでに起きている。
例えば、昔は多くの人が、
テレビを見ることに
時間を費やしていたけど、
今はSNSが発達したことにより、
テレビを見ずに、
You Tubeばかりを
見ている層の人間たちがいる。
You Tubeもテレビも見ずに
TikTokばかりを見ている人もいる。
同じように、
・インスタ住人
・フェイスブック住人
・17ライブ住人
・ブログ住人
のように
それぞれがそれぞれに
気に入るメディアに
時間を費やしているから
テレビの視聴時間は
どんどん減っていく一方である。
それは僕らが
自分の時間を費やすメディアが
増えたことによって、
相対的に1つのメディアに費やす
滞在時間が少なくなっている。
同じように、
音楽も無限に増えていけば、
溢れかえる音楽マーケットの中で
個々のアーティストの楽曲は
埋もれる傾向にある。
ゆえに大半のアーティストが
楽曲制作のみで
収益化することは
できなくなると思われる。
ただし、
ディフュージョンモデルによって
たくさんの好みの音楽が
無限に生成されていくとは言え、
個々のアーティストの
価値が下がるとは思わない。
むしろ、個人的には
上がると思っている。
例えば僕の場合は
昔からバンプ・オブ・チキンという
バンドが好きだ。
新曲が発表されれば
必ずチェックするようにしている。
これからディフュージョンモデルによって
僕らの好みの音楽が
無限に生成されていき、
自分自身でも
無限に生成できるとしても、
だからと言って、
僕はバンプオブチキンを
聴かなくなることはない。
なぜならば、
『バンプが創った楽曲』
ということに
価値を置いているからである。
もちろん、ディフュージョンモデルが
創った楽曲を
聴く機会も増えるだろうけど、
だからと言って、
バンプが創った楽曲に
価値を感じなくなるわけではない。
むしろ、彼らが創ったことに
価値を感じ、
どんな曲を創ってくれたのか?
どんな想いが込められているのか?
そーゆー部分も含めて
リアルなアーティストが
創った楽曲に価値を置いている。
アパレルでも同じことが言える。
仮にAIのロボットが
接客を出来るようになったとしても
『やっぱり人に接客してもらいたい。』
という人は
必ず一定量いるだろう。
例えば、あなたにとって
特別な人がいるとしよう。
大切な子供、
大切な彼氏、
大切な彼女、
大切な旦那、
大切な妻、
何でもいいけど、
あなたにとって大切な人を
イメージしてほしい。
その人があなたに
手作りのサンドウィッチを
作ってくれたとしよう。
日頃の感謝を込めて
大切な人が
サンドウィッチを作ってくれた。
もしかしたら、
コンビニのサンドウィッチの方が
全然、美味しいかもしれない。
レストランで出される
サンドウィッチの方が
見栄えがキレイかもしれない。
でも、大切な人が作ってくれた
サンドウィッチは
あなたにとって計り知れない価値がある。
この話のように
僕らは何かモノや音楽を受け取る時、
『誰がつくったのか?』
ということに
強く価値を感じる。
男性だったら
共感してくれると思うが、
眼の前に
脱ぎたてのパンティーがあって、
それが大好きな
アイドルのパンティーだったら
そのパンティーを
頭から被るだろう。
しかし、それが
自分の母親の脱ぎたてのパンティーだったら
発狂してゴミ箱に捨てるだろう(笑)
『脱ぎたてのパンティー』
であることには変わりがないが、
『誰の?』
ということで価値が
まったく変わってしまう。
ディフュージョンモデルによって
音楽であれ、絵であれ、
本であれ、動画であれ、
コンテンツ系のモノは
どんどん無限に生成されていく。
しかし、そういったものが
無限に生成されていくがゆえに
僕らはその音楽や
コンテンツに対して
『誰が創ったのか?』
ということに
むしろ価値を置くようになる。
音楽や動画や絵などのコンテンツが
無限に生成され、
マーケットが飽和状態になることは
きっとその通りだけど、
たくさんあるがゆえに
『誰がつくった唯一無二のものか?』
ということに
僕らは価値を置くようになる。
つまり、これからの時代に
求められる要素があるとすれば、
『○○さんが創ったから』
『○○さんのものだから』
『○○さんだから』
ということが重要になってくる。
その人であるがゆえの
人間性溢れる価値が
より重要になっていくだろう。
それはつまり、
『あなただから。』
という理由で
選ばれるということである。
つまり、
『完璧であることより、
個性的であること。』
が何よりも
大切になってくるだろう。
完璧なものは
機械やAIに任せておけば良い。
より人間味に溢れた、
あなたらしい個性が、
これからの時代に必要になってくる。
だから、僕らは
自分らしく生きれば良い。
もっと自由に、
もっと大きく生きよう!
いつも、ありがとう!
【自分らしく居られる場所はどこか?】