娘が通信制の高校に転校するにあたって
何度も学校側と話し合いをして
娘の出席日数を稼ぐ為に半ば無理矢理
話し合いに同席させたりしました。
学校は娘が学校に顔だけ出せば出席にすると
そこまで妥協案を出して下さいました。

何とか娘が学校に行けるように
何とか同級生と卒業出来るようにと
最後まで手は尽くして下さいました。

だから学校には感謝しています。
有難かったなと思っています。

そんな中であまり友達が居ないと思っていた娘に救世主が現れました。
娘が入学して入ってすぐに、心折れて退部した部活の仲間だった同級生ともう一人の同級生が
「誰か会いたいお友達は居ない?」と言う
今の学年主任の計らいに話し合いの席に連れて来られ、娘のことを心配していたと
娘の前で号泣してくれたのです。

それが、夏前のことでした。娘が学校に行かなくなって2ヶ月ほど経った位での出来事でした。少しの間でも一緒に部活をした同級生は特に娘のことが大好きだったらしく、学校でも一番娘のことを信頼し、大切に思っていたと
学年主任からも聞かされていましたが、同じようなことを泣きながらボロボロな顔で話をしてくれました。とても大人しくて自己主張をしないタイプな子なので、白と黒しかなくてハッキリ物を言う娘が大好きだったようです。

「一緒に部活、出来なくてごめんね。出来れば一緒に卒業したいから頑張る…つもりではいるから。」

そう、その時は話をしたのですが結局、
転校することになりました。だけどその子は
そのことを伝えた時も「関係は切れたわけじゃないから。これからも友達だから。」そう言ってくれました。

行けなくなってしまったけれど、
この高校に行けたことは良かったことだと
今は思います。
友達は数ではなく質だと思うので1人でも
こんなに思ってくれる友達が娘に出来たことは娘の財産です。
これからも進む道は変わってしまったけれど
頑張ろうね!
平成10年10月10日に

私と旦那さんは入籍しました。

ですから今日で19周年です。

早かった…本当に早かった(笑)

色んなことがありすぎて

笑えるくらい波乱万丈でしたが

全て結果オーライです。

悩んでも辛くてもしんどくても

とりあえず生きていればなんとかなると

痛感しています。

来年の20周年に向けて

前を向いて歩いて行きますね。
旦那さんが休職して
娘が学校に行かなくなって、
結局、通信制の高校に転校しました。
でも、そこに行き着くまでには
4ヶ月ほどかかり、何度も前の高校と話し合いを繰り返し、悩み、考えました。

娘が学校に行けなくなった大きな理由は担任が変わったことです。他にも理由はありますが、この事が一番の理由です。

娘の1年生の時の担任は教員生活30年ほどになる大ベテラン。娘に精神論を叩き付けて下さいました。娘も尊敬出来る人でした。

「本当は(娘を)ずっと担任、したかった。彼女のことはいつも気にしてました。
だけど、教員としてはこの子の担任をしたいからとかは立場的には言えない。申し訳なかった。守ってやれなくて。」と話してくれました。
実はこの春に娘の前の担任は一個下の
学年の担当になってしまいました。
副担任も一個上学年の担当になって
しまいました。2人共、男の先生でした。
それでなくても新しい環境に慣れるのに時間が掛かる娘は2人の担任が自分の学年から外れてしまったことで気持ちを壊してしまいました。そして融通の利かない新しい担任。
しかも 若い女の人。おまけに学年主任までもが変わっていました。
どうにもこうにも娘が上手くやれるはずがないことは最初から明確でした。

「何でこんなにも1年の時の担任が外れるんですか?普通、何人かは持ち上がるのが当たり前ですよね?」と先生方に何度も聞きました。
「はい、その通りです。今回みたいな担任の配置は実は珍しいことなんです。こちら(先生方)もとても驚いています。」そう言いました。

娘のことは担任が後の担任に色々と伝えてくれたそうです。だからと言って細かく配慮してくれる力が若い担任にはサラサラありませんでした。娘はこの担任が尊敬出来る存在ではありませんでした。
「あの人、上辺だけで教師してる。」そう言いました。

色々とその担任については書きたいこともありますが(笑)私も何の思い入れもなく、話にもならなかったので…結局最後までろくに話もしませんでした。

1年生の時の担任が話し合いを繰り返す中で「ここの学校にこだわる必要は、無いと思うから。新しい道を選択するのもありだと思う。」と密かに言って下さったことで私の気持ちも楽になりました。もう娘は出席日数が足りなくなってダブるか、転校するか、退学するかしか道は有りませんでした。

今、娘は自宅学習中心の学校に転校したの家で独り、勉強に励んでいます。
私は「学校に行けー!」と言わないで良いだけ気が楽になりました。

1年生の時の担任と副担任に会えたことだけは娘にとって財産になりました。
先生と言う存在は子供の人生を変える存在であることだけは、先生と言う職にある方は肝に銘じて頂きたいと思います。

10月になってもう、6日が経ちました。
毎日毎日、あっという間に過ぎていきます。

この頃は時間があると色んなブログを
読ませて頂いています。なかでも
多くの方の闘病記を読ませて頂いています。

思っていた以上に多くの方が闘病記を
アップされており、想像を絶する闘病を
されている方が沢山いらっしゃることを
知りました。
小林麻央さんが亡くなられてから
病気とは?家族とは?自分はどう言う風に生きるべきか…etc……多くのことを
考えされられています。

私も娘も主人も今は命に関わる病気では
ありません。ですが辛い、しんどい、もうなんもかんも嫌だと思う程、体調が優れないこともあります。

生きることは楽ではありません。
ですが与えられた生命を終えるまで
日々を大切に生きようと、最近は
強く思っています。

また今日が無事に迎えられますように。
おやすみなさいませ。
うちの旦那さん。
ただ今、休職中。
仕事人間でとにかく真面目で
一生懸命働いていた。
それがある日
「仕事、休むから。」
そう言った。

前々から無理しないでいい、むしろ
休んだりしたら?と言っていた。
だから良い機会かと思っていた。

だけど、どうやら本気で体調が悪い様子で
辛そうにしていた。
だからカウンセリング、受けに連れて行った。
私と娘の主治医の旦那さんがうちの旦那さんの主治医になった。

旦那さんは中間管理職。そして
家を手放したロスだろうと思う。

今、なにかあるとロスロスって騒ぐけれど
当たり前にある物ってなくなって見ないと
気づかなかったりするんですよね。

安室さんの引退だってそう。
安室さんの歌が聴けることが当たり前だった。
だけど、安室さんには安室さんの生き方があり、精一杯走ったんだろうから、引退したら
ゆっくり休んで幸せに暮らして欲しいと思う。

私たち家族も引っ越しで持ち切れなかった荷物へのロスを引きずっている。もう、どうにもならないのに。悔やんでも悔やみきれなかったりする。

でもね、前を向いて歩かないとならない。
生きている限りは…。