旦那さんが休職して
娘が学校に行かなくなって、
結局、通信制の高校に転校しました。
でも、そこに行き着くまでには
4ヶ月ほどかかり、何度も前の高校と話し合いを繰り返し、悩み、考えました。

娘が学校に行けなくなった大きな理由は担任が変わったことです。他にも理由はありますが、この事が一番の理由です。

娘の1年生の時の担任は教員生活30年ほどになる大ベテラン。娘に精神論を叩き付けて下さいました。娘も尊敬出来る人でした。

「本当は(娘を)ずっと担任、したかった。彼女のことはいつも気にしてました。
だけど、教員としてはこの子の担任をしたいからとかは立場的には言えない。申し訳なかった。守ってやれなくて。」と話してくれました。
実はこの春に娘の前の担任は一個下の
学年の担当になってしまいました。
副担任も一個上学年の担当になって
しまいました。2人共、男の先生でした。
それでなくても新しい環境に慣れるのに時間が掛かる娘は2人の担任が自分の学年から外れてしまったことで気持ちを壊してしまいました。そして融通の利かない新しい担任。
しかも 若い女の人。おまけに学年主任までもが変わっていました。
どうにもこうにも娘が上手くやれるはずがないことは最初から明確でした。

「何でこんなにも1年の時の担任が外れるんですか?普通、何人かは持ち上がるのが当たり前ですよね?」と先生方に何度も聞きました。
「はい、その通りです。今回みたいな担任の配置は実は珍しいことなんです。こちら(先生方)もとても驚いています。」そう言いました。

娘のことは担任が後の担任に色々と伝えてくれたそうです。だからと言って細かく配慮してくれる力が若い担任にはサラサラありませんでした。娘はこの担任が尊敬出来る存在ではありませんでした。
「あの人、上辺だけで教師してる。」そう言いました。

色々とその担任については書きたいこともありますが(笑)私も何の思い入れもなく、話にもならなかったので…結局最後までろくに話もしませんでした。

1年生の時の担任が話し合いを繰り返す中で「ここの学校にこだわる必要は、無いと思うから。新しい道を選択するのもありだと思う。」と密かに言って下さったことで私の気持ちも楽になりました。もう娘は出席日数が足りなくなってダブるか、転校するか、退学するかしか道は有りませんでした。

今、娘は自宅学習中心の学校に転校したの家で独り、勉強に励んでいます。
私は「学校に行けー!」と言わないで良いだけ気が楽になりました。

1年生の時の担任と副担任に会えたことだけは娘にとって財産になりました。
先生と言う存在は子供の人生を変える存在であることだけは、先生と言う職にある方は肝に銘じて頂きたいと思います。