さるすべり日記 -63ページ目

友人の結婚式とバレエの発表会

きのうは 友人の結婚式に参列してきました

東京は晴れ渡り 新郎の人柄どおりのお天気でした


都内の教会で挙式があり そのあと 夜から二次会に出席しました

挙式は とても和やかで 新郎のお茶目振りが炸裂していましたが

最近は結婚式で新たな夫婦誕生の瞬間に立ち会うたびに

自然と涙が出てくるようになりました


ほんとうに よかったなぁとおもいます

 







 

 

挙式と二次会のあいだが 空いていたので

親戚の女の子のバレエの発表会を見に行きました

中学1年生になったのですが 本格的にバレリーナを目指しているようで

バレエ学校も掛け持ちで通っているのだそうです

この日も とても落ち着いて踊っていました

背が高いのが少し可愛そうですが(中学一年生で もうすぐ私の身長に追いつきそうです)

行けるところまでいってほしいと応援しています


時間の都合 バレエの発表会を途中で失礼して 二次会の会場に向かいました

私の結婚式にもきてくれた友人たちも一緒に大盛り上がりしました

 

 

 

 

 

ケーキカットのあと ケーキを会場の人に見せようとしてケーキを落としそうになった瞬間

 

 

新郎のバンド関係の プロ・セミプロの皆さんの演奏を楽しみました



 
子供も大人も大はしゃぎで あっという間に夜は更けていきました・・・


手作り感あふれる アットホームな結婚式で

幸せをいっぱいわけてもらいましたラブラブ




末永く お幸せに~ クラッカー

明太子とじゃがいものパスタ

ひさしぶりの きょうのごはん です


福岡から 明太子をたくさん送っていただきました

わっちは 明太子大好物なので ひとしきり白いご飯で堪能しましたラブラブ

それでも少しあまったので パスタにしてみましたよ

 


 

パスタと小さく切ったじゃがいもを一緒に茹でて

弱火にかけたフライパンで にんにく バターを香りが出るまで温めます

お醤油をたらして 茹で上がったパスタとじゃがいもと ゆで汁を少し

ざばーっとフライパンに入れて全体になじむまで炒めて

最後に明太子を絡めればできあがりです


私は じゃがいもを多めに茹でて 明太子と絡ませたあと

少しフライパンに残して もう少し火をとおして水分を飛ばし

じゃがいもがホクホクして明太子がたらこになったら

翌日のおかずの一品として冷蔵庫へ

これが本当に美味しいのでやってみてください

じゃがバタめんたいガーリック風味

朝食のトーストに挟んでも美味しいです



それから

そういえば 箱根から帰っていましたよ


箱根は 朝晩と大変涼しく 長袖を忘れたことを後悔しましたが

東京も肌寒い週末だったそうで 夫は掛け布団をひさしぶりに二枚掛けたのだそうです

東京で作った腕の汗疹は 温泉の効能のおかげもあったのか 少しよくなって

それでも東京に戻ってきたら また痒くなって 悶絶・・・

掻くと傷になっちゃうから 服の上から叩いたり押したりと刺激をあたえて紛らわしていたつもりが

気がつかないうちに引っかいていたようで 痕があって 結局ひどくなってしまったのでした

自分をすこし騙したって 中途半端なのはいけないのだなと反省しました


『リアリズムの擁護 近現代文学論集』 小谷野敦 (著) ¥ 1,995 (税込) (新曜社)




職場にある本屋さんでたまたま手に取って 買ってよんでみたら 面白かったです

本文で取り上げる作家や作品たちが ことごとく私の好みで まだ読んでいない小説はさっそく買ってしまった

落語のところは 引用の前後をもっと丁寧に説明してほしかったけれど

成人するまで落語にふれる機会がなかった私が 大学生になって 少し興味をもち

ぽつぽつと読んだり耳にした経験をつないで また理解を深めてくれるようだった

恩師 鶴田欣也先生のこと という章で 鶴田先生の言葉を引用している箇所をメモしておきます

(幼い頃実母が亡くなり継母に育てられた鶴田先生は カナダに渡り日本文学を教えていた)

「芸術とは人生に欠乏しているものに対する代償行為だという説がある。私もそう思う。何かの理由で人生に拒まれ、小説や詩を乳母代わりに育ってきた人間もこの世の中にはいるのであって、そういう人達にとって文学とは生きていくための酸素のようなものだ。(中略、最近の北米で日本文学を専攻する優等生たちは)人生の代償行為などいらないほど、人生に参加し、充足していたのだろう。そういう学生が漱石についてどれだけ深遠な論文が書けるのだろう。」

人生の欠乏の希薄さが 今の日本社会における根本を揺るがしているとおもう

自らの欠乏感に対して ニヤニヤしたり 揶揄したり 身をかわしたりしているうちに

自分が透明になって誰でもよくなってしまうのではないか

あるいは 君は はたして欠乏していないのではないか