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シンデレラの魔法使いのように

あなたの理想に近づいていただく気功・占いをしています太田マスミです
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 【私のこと⑦】

 

3月に大学を卒業して、4月には、もう中学校の教師になっていました。


きのうまで東京にいたのに、

きのうまで学生だったのに、

もう、今日から私は教師、なのです。


右も左もわからないうちに

岡山県井原市の中学校教師に赴任しました。

 

 

 

岡山市が実家だったのですが、たいていの教師は最初の三年、どこか地方に赴任して また実家付近に帰ってくると言われました。


ですので、タイムリミットは3年。

きっと、地方で楽しく教師をしていると思っていました。

 

 

 

ところがどっこい。


当時は、学級崩壊とか 校内暴力とか いろんな嵐が吹き荒れている時代で、

最初の1年生は可愛かったのですが、

次の2年生はなかなかで(汗、

(とはいえ、最後には可愛くなってくれました)


3年生は、また可愛く、


きのうまで学生だった私は、その日から教師として ほぼ毎年、40人から43人の生徒たちを担任していったのでした。 

 

 

 


 

 

3年目まで、同僚の女性の先生と一緒に暮らしていました。


3年生の担任が始まった4月のある日、

ずっとバレー部の副顧問をしていたのですが、

その練習試合の帰りに

なんと、

お見合いをすることになったのでした!


鴨方というところから

山を越えて、選手を送迎し、最後の生徒を送り終わって、

お見合いのお店に直行しました。


お相手は小学校の先生。

小学校の時、PTA会長だった人が、息子さんが中学生になり、私をごらんになって、

「あの2人、合うかも」

と、企画してくださったのでした。


 

ところが、山を越えて生徒を送迎していたものですから、私は遅刻してしまいそうだったのです。


「これは いかんぞ」


いそいで運転しました。が、20分の遅れ。


「ヤバい」

汗だくで来ました。


そこには、カッコいいふうの人が!


お腹が減っていたので、出されたおまんじゅうを食べていると、


「僕のもどうですか。食べてください」


と、3つも下さるではないですか。


「なんて、優しい!」


と、思って、思えばその時にすでに結婚を決めていたかもでした(爆


そして、教師3年目に担任しながら結婚して、

そのまま井原市に居つくことになりました。

 

 

(その夫と新婚旅行に行き、

彼が 旅行のローンを払い終わったころに別れることになろうとは、

その時は知る由もなかったのでした)

 

 

翌々年、27歳のときに子どもが生まれ、


産休・育休で子育てをしながら、学生時代に落ちていた英検1級に合格しました。


当時の夫は、

「本当に受かるとは思わなかった」

と 驚いていました。


そして、また副担任をして、2年後、次の子が生まれ、

 

しばらく平和な時を過ごしたのでした。


2人目の子育てのときは、通訳案内業試験に挑戦して、

これも無事 受かりました。


学生時代に「見かけ倒し」だった英語の力を

卒業して7年かけてジワジワつけていった感じです。


しゅうと・しゅうとめ・夫・娘・息子、そして私の6人家族は、

仲良く平和に暮らしていました。


32歳のときに、美星中学校という星が綺麗に見える山の上の学校に転勤しました。


そこから、また 昔やっていたバレーボールを再開して、

顧問になり、

とても運動神経のいい生徒たちが体育館で跳ねるのを楽しみに見ていました。


転勤してすぐに大山(だいせん)登山という行事があり、

当時は、まだ下の息子が乳飲み子でしたので

大山の山頂で 自分の乳をしぼっていました。


「これ・・・

もったいないなぁ」


しかし、飲む人は家にいたので、

山の精にあげたのでした。


 

 


美星の子たちは性格もいい、運動神経もいい、賢い、


どうしたんだ、何があったんだ、と思う子が多かったです。


しかし、たまには「この子、テニス部に入って


朝から晩までテニスのことしか考えてないんです。


大丈夫でしょうか?」

お母さんが心配されているような生徒さんがいました。


「お母さん、

大丈夫ですよ。


私も、そうでしたから」

 


 

 

英語ができなくて、

数学しかしない、

国語が苦手で

理系はいいのに、文系がダメ、という子どもさんがいました。


「先生、大丈夫でしょうか?」


「大丈夫ですよ。

私も、そうでしたから」


(私の場合は、数学ができなかったのですが)。

 

 

 

 

 

朝から晩まで、部活のことしか頭にない。


給食を楽しみに学校に行っている。


「先生、この子、大丈夫でしょうか?」


「大丈夫ですよ。

私も、そうでしたから」

 

 

 

 

そして、バレー部のお子さんたちは、

毎年、毎年 どんどん強くたくましくなっていかれて

ついに、7年後には 岡山県で第2シードを取るチームになったのでした。


「県大優勝!!」

と 

全員で声をかけてから練習が始まる、

そんなチームでした。


(その数年前から、ずっといいチームだったと思います)

 

  

 


普通にいったら勝てるだろう、という試合で、


相手チームの監督さんが

神社のおふだを貼りまくった「ほこら」みたいなのを


副監督の席に置いていて、


「なんだか、イヤな予感がするなぁ・・・」


と思っていたのですが、その最後の試合だけ、負けたのでした。


 

 

「勝ちに不思議の勝ちあり

負けに不思議の負けなし」


と言いますが、


あれは若干、不思議の負けに分類されたかなと思います。

 

 


のちになって分かったのは、


敗因の1つに、ユニフォームの布の縫い方、が あったということでした。


冬用のユニフォームは

体に良かったのですが、


夏用のそのユニフォームは、持っているだけで

咳が出てくる

なんだか、体に悪い製品であったと記憶しています(冬用だけにしておけば良かったです・・・)

 

 

 

 

布の手触り、とか

布の目の向き、とか

すごく細部のところに

「体に良い・悪い」があり、




伝統的なチームは、先輩からうけつがれた

伝統的なユニフォームを着て、




新興チームは そういう

「新しい、けれども体に良いとはいえない」系の


速乾、であるとか

ギザギザな手ざわり、

パサパサな手ざわりの

長く着ていたら疲れるユニフォームを着ていたことが


新興チームの敗因の1つであったとは


15年くらい過ぎないと気が付かなかったことだったのです。

 

 



 

 

それでも、自分が監督していたチームの選手たちが

のびのび、自分たちで考えて

自分たちで楽しんでがんばって部活をしてくれたことは


とても良かったなぁと思います。

 

 

 

 

 

たとえば、対戦相手のチームが

ビシッとした緊張感があるチームで


丸坊主で

「ハイ! ハイ!!」

しか言わなくて

監督さんに直立不動の姿勢で言うことをきいていたチームだった

ということが

とても多かったのですが、




「ワ――ッ!!」

と キャプテンを中心に 楽しそうに挑んでいく

美星中学校の子どもたちが


だんだん熱を帯びてきて調子が出て来て

アタックは決まるはサーブは決まるわしていると


相手チームの監督さんが

椅子を投げたり靴を投げたり

しまいには、選手たちをむんずと襟首つかんで


バシバシッと平手打ちする人もいて・・


選手の白いユニフォームが鼻血で赤く染まる、といったところも見てきました。


 

 

私は、終始、

「ナイス!いいぞ!」

しか、言ってなかったですからね・・


それでも、岡山県ベスト8,そして、第二シード(2位を期待できるシード)までいきましたし

気高杯という鳥取県の大会で準優勝したチームもありました。


 

選手たちは、教師がコントロールしてるものではないと思います。

 

 

選手たちは、自分で考えて自分でやる力はあるんですね。

 

 

「ナイス!」しか言わない監督でも、怖くて厳しい監督さんのチームに勝つことは、あるのでした。 

 

 

「勝てば選手と保護者のおかげ

負ければ自分のせい」


監督は、これでいいのだと思います。 

 

 

選手たちには、感謝です。 

 

 

さて、家ではしゅうとめが どんどん年とともに権力を増してきました。


その、「県大会で第2シード」を取った春の予選では、私はしゅうとの介護をして、福山市民病院に寝泊まりしながら体育館に行ったのでした。

 

しゅうとが、ボケてしまって、徘徊するというので、家族の誰かがついておかなければならず、


最初は、元夫、しゅうとめ、私の3人でローテーションを組んでいたのですが、2人が風邪や病気になり、最後は私ひとりが2週間、毎日そこから学校に行っていたのでした。


そのあいだは、家事をしなくて良かったので、自分としてはとてもラクでした。


しゅうとが徘徊するくらい、家事に比べればなんともないのでした。


自分は介護系や、施術系は得意分野なのかもしれないです。


(逆にいうと家事がすごくニガテ)


 

 

 

 

 

家では 家事をする私に、猫としゅうとめが追いかけていつも後ろを付いて来ていました。


猫は文句を言いませんが、しゅうとめは言います。


自分で何をするわけでもないのに、ただついてきて文句だけ言われていると本当にイヤになってきて、


ある日、学校から帰るとストーブを4台使っていて、

灯油を使いつくしていました。


「おばあさん、灯油の入れ方を教えてあげようか。


そうしたら、私がおらんでも(居なくても)、自分で入れられるからなぁ」


と言って、しゅぽしゅぽ入れるやり方をレクチャーしていましたら


そこに帰ってきた元夫が


「何をしよるん?」

というので


「おばあさんに灯油の入れ方を教えてあげよる」

と言うと、


「教えんでええ。ぼくがやるから」


と しゅうとめをかばうので、


「あー、もう ご勝手にどうぞ」


と 私はそのまま家を去ったのでした。


去る前に、


「おばあさん、お風呂の焚き方はな、

赤いじゃくちを回せばええからな」


と 伝えて出ました。


しゅうとめは、年齢が行ってしまったので、


家事をまったくしなくなっていたのでした(もともと


学校に行きながら、私が朝5時に起きて洗濯したり


6人分の食事を朝と夜 毎日作ったり、

 

「そりゃー、ムリだよね。1人の人間のやれる仕事量じゃないよ」

と 思っていたので、


家事がなくなったら、ほんとうに自分は解放されたような気がしたのでした)

 

 


結婚17年目のことでした。


それまで、家事はほぼカンペキにやっていたと思います。


努力だけは得意でしたので。


別居を3年して、


結婚20年目、2004年に別れたのでした。

 







 【わたしのこと⑧】


優しくてカッコいいという理由で結婚した元夫でしたが、

その優しさは第一に母親に向けられていたものでした。

 




そして、その母はゴッドマザー。

「あそこの家にはヨメは来めぇ(来ないだろう)」、とウワサされていたとか、いないとかの豪放磊落なところがあるとびきりの美人の女性でした。


話好きで大きな声で笑い、人が好きで人とつながる人でしたが、

自分に「こう」というこだわりがあり、その通りにしたい人でした。


 


「病院に行くんじゃ。あんた、順番取ってきて」

「へ?

どしたん、風邪ひいたん?」

「ちょっとなぁ、喉が痛うてなぁ」



「順番って、行ったときから待ちゃぁええが」



「それがなぁ、10時に行ったら12時になるんじゃ。私しゃ、そんなんイヤじゃ」



「おばあさん、私しゃ、学校に行くんよ。」

「わかっとるよ。でも、5時からあの病院は あいとるから、順番取ってきて」



「ウソじゃろ・・・」




と言いながらも、4時50分に起きて車でその医院に行って番号札を取ってきていたのでした。

 

 


医院の扉はうすい紫色で、夜明け前の街の色もうすい紫色。


扉が開いていると思って突進したら、まだ閉まっていて、顔を強打し、



その医院のとびらには私の人面マスクの跡が浮かんだのでした。


(数日後に行ってみてみたら、まだ私の顔がとびらに浮かんでいました。皮脂がついていたのでしょう)



(のちに 子どもたちに、

「あの病院 行ってみ。

母さんの顔が魚拓になって残っとるで」

と言ったら、



「ホンマじゃ!あった!!」

と 娘も息子も笑っていたのでした。) 

 

 

 

 


その日のことに話を戻します。


「おばあさん、取ってきたよ。2番じゃったで」


「2番・・・そんなに早いのは おえん(いけない)のんじゃ」


「なんでなん!」


「私しゃ、5番くらいがええんじゃ。

2番は、早すぎるからなぁ」



「ほんなら、また今度行ったら、5番を取ってくるから、


今日はがんばって早うに行ってな。


もう、5番くらいまで、ほかの人に取られとるで」

 

 



こんな調子で、世界は自分のために回っていると寸分もうたがっていないような


純真な態度のしゅうとめさんを、


家族全体が、毎日 快適にすごしてもらえるように支えたと思います。

 

 


しゅうとめは純真だったので、

子どもたちの育成には

いいはたらきをしてくれたのだろうと思います。

 

 

 



ちょっと魔法使い的なところもあって、


カラスが鳴いていると

「今日は カラス鳴きが悪ぃなぁ、だれか人が死ぬんかな」


と言ったり、ほんとうにお葬式があって、また町内の人がたおれたと聞くと、



「“死に風”がひーとる(吹いている)」

と言ったりしていました。



私は、そういう魔法使い的なところのある人が好きでしたので、実はしゅうとめとは、とても気が合ったのでした。


 

 


 

「息子は態度が悪りぃ。あんたが本当の娘のようで、

お店に行っても、『婿(ムコ)さん養子さんですか?』と言われるんじゃ」

元夫は元夫なりに一生懸命 おばあさんの言うとおりにしていたのですが、かゆいところに手が届くように私が行動していた(たぶん)を評価してくれていたのでした。


 

 

 

できるだけ しゅうとめの願いをかなえてあげよう、そうすれば家族がうまくいく、と思っていたように思います。


しかし、年を取ってきて私のあとを追いかけ始めたら、面倒になってきて、


「おばあさん、私じゃなくて友だちと遊んでぇな」


と言っていました。



しかし、どうやら魔法使い的なところを分かってくれる人は、珍しかったようで、友人は少なかったようでした。




私ひとりに関心が集まってずっとしゅうとめに文句を言われるのが

しだいに耐えられなくなってきて、

朝、学校に行くときは たいてい泣きながら運転していたのでした。




「あれして、これして、あれするな、これするな、これはどう、あれはどう」

と、ずーーーっと言ってくるのでした。

 

 


 

 

朝と夜は私が6人ぶんの食事を作るのですが、



夜は、そこにも張り付いていて、「味噌は、薄い味がええんじゃ」とか「あんたの切るキュウリは、つながっている」とか、いちいち言ってきます。

 



私は、しまいには、キュウリを切りながら、小声でリズムをとって、


「シネシネシネシネ」


と切っていました。



「は?」


としゅうとめが言うので、


「あ・・・いや、なんでもないよ」




こうでもしないと、やってられないのでした。




「今、なんか、言うたろう」



「いや、そら耳 じゃろう」

 

 




本人に面と向かっては、最後まで反抗しなかったのですが、


こんな川柳もつくりました。


お日様のにおいが好きでしたので、よく布団をほしていた私・・・




「しゅうとめのフトンをたたく 強さかな」




私には、同居17年が、限度だったのでした。

 


 


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