Hさんは奈良へ行き、
Sさんへ竹やぶの写真を見せられた。
その頃、Sさんはアテルイさんから
「ウツシヨノカタチ
ノゾミマセヌ
ウツシヨノミナサンガ
キテイタダケルコト
コノウエナイ
ヨロコビデス」
と言ってこられていたそうだ。
そして、モレさんからは、
「モレハ ココニ
タカマノハラノミチ
オマチモウス」
「スデニ
ワレラノマチタルトコロワ
キマリタリ」
と言ってこられていたそうだ。
Hさんの中では確信になっていたものの
やはり審神者(さにわ)のできるSさんに
確認されたのだった。
そしてその後、
2003年(平成15年)3月2日、
有志で枚方へ慰霊に行く流れになった。
(つづく)
その後の展開は神ながらだった。
いつも猿田彦のように
道案内役になる友人のHさん。
枚方市の
アテルイさんの塚と
言われている場所を
一人で訪ねられ
ご挨拶をした後、
ふと
「一緒に斬首された
副将の母禮(モレ)さんの
塚はどこだろう?」
と思ったそうだ。
すると、体が勝手に向きを変え、
住宅街の中の迷路のような道を
どんどん歩き始めたそうだ。
その時、なぜか
その体の動きにまかせてみようと思われた。
徒歩か自転車でしか進めないような
細くて曲がりくねった道を
体が運ばれていく。
曲がり角で立ち止まると、
どちらに行けばいいのか、
なぜかわかる。
そして、かなり歩いた後、
たくさんの不法投棄のゴミがある
すぐ横の竹やぶで体が止まった。
その時、
「ここがモレさんの塚なのだろうか?」
と思いながらも、確信には
至っていなかったらしい。
その竹やぶに向かって
使い捨てカメラで写真を撮られた。
それから、すぐ近くの公園に出ると、
そこにはアテルイ伝承地を示す立て看板。
これも写真に収めようとされたが
フィルム切れのため撮影できなかった。
この時、
「あの竹やぶがモレさんの塚だ」
という確信に変わったらしい。
後日、
現像されたその竹やぶの写真を持って、
Hさんは奈良の地へ向かわれた。
いつも猿田彦のように
道案内役になる友人のHさん。
枚方市の
アテルイさんの塚と
言われている場所を
一人で訪ねられ
ご挨拶をした後、
ふと
「一緒に斬首された
副将の母禮(モレ)さんの
塚はどこだろう?」
と思ったそうだ。
すると、体が勝手に向きを変え、
住宅街の中の迷路のような道を
どんどん歩き始めたそうだ。
その時、なぜか
その体の動きにまかせてみようと思われた。
徒歩か自転車でしか進めないような
細くて曲がりくねった道を
体が運ばれていく。
曲がり角で立ち止まると、
どちらに行けばいいのか、
なぜかわかる。
そして、かなり歩いた後、
たくさんの不法投棄のゴミがある
すぐ横の竹やぶで体が止まった。
その時、
「ここがモレさんの塚なのだろうか?」
と思いながらも、確信には
至っていなかったらしい。
その竹やぶに向かって
使い捨てカメラで写真を撮られた。
それから、すぐ近くの公園に出ると、
そこにはアテルイ伝承地を示す立て看板。
これも写真に収めようとされたが
フィルム切れのため撮影できなかった。
この時、
「あの竹やぶがモレさんの塚だ」
という確信に変わったらしい。
後日、
現像されたその竹やぶの写真を持って、
Hさんは奈良の地へ向かわれた。
平成14年(2002年)の
暮れの頃だったと思う。
奈良の地で
何かの集まりがあった後の宴会の席で、
霊界人と話の出来る友人Sさんの隣に座った。
そして、頃合いを見計らって
マンガ「北の将星アテルイ」を手渡した。
パラパラとそのマンガを
めくっておられるSさんに、
アテルイさんの略歴を
説明させてもらった。
すると、
Sさんは以下のような
不思議なことを語り始めた。
その年(平成14年)の9月、
九州の宇佐神宮などを
十数人で巡った。
そして、その帰路、
伊丹空港から奈良へ向かうバスの車内で、
今は亡き師匠Yさん
(日本各地の慰霊をされておられた)から
「イズレノトキニカ キタヘイケ」
というメッセージをもらっていた
とのこと。
Sさんは
「今、西から帰ってきたところなのに
どういうことだろう?
まあ、イズレノトキニカということだから
時がきたらわかるのだろうか」
と思ったらしい。
それから2ヵ月ほどの間に
東北先住の長・アテルイさんの情報。
タイミングの妙を感じられた。
その後、別ルートからも、
アテルイさんの情報が来たそうだ。
後でわかったことだが、
ちょうどアテルイさんが
802年に斬首されてから
1200年の節目の年廻りだった。
(つづく)
暮れの頃だったと思う。
奈良の地で
何かの集まりがあった後の宴会の席で、
霊界人と話の出来る友人Sさんの隣に座った。
そして、頃合いを見計らって
マンガ「北の将星アテルイ」を手渡した。
パラパラとそのマンガを
めくっておられるSさんに、
アテルイさんの略歴を
説明させてもらった。
すると、
Sさんは以下のような
不思議なことを語り始めた。
その年(平成14年)の9月、
九州の宇佐神宮などを
十数人で巡った。
そして、その帰路、
伊丹空港から奈良へ向かうバスの車内で、
今は亡き師匠Yさん
(日本各地の慰霊をされておられた)から
「イズレノトキニカ キタヘイケ」
というメッセージをもらっていた
とのこと。
Sさんは
「今、西から帰ってきたところなのに
どういうことだろう?
まあ、イズレノトキニカということだから
時がきたらわかるのだろうか」
と思ったらしい。
それから2ヵ月ほどの間に
東北先住の長・アテルイさんの情報。
タイミングの妙を感じられた。
その後、別ルートからも、
アテルイさんの情報が来たそうだ。
後でわかったことだが、
ちょうどアテルイさんが
802年に斬首されてから
1200年の節目の年廻りだった。
(つづく)