阿弖流為(アテルイ)については、
是非、インターネットで検索いただき、
どのような御人か知っていただきたい。
「北の将星アテルイ」は、
東北先住側からの視点で
描かれたマンガだった。
それでも、
相対した坂上田村麻呂のことも
人格者のように描かれていたのは
嬉しいことだった。
読み終わった後、
「アテルイさんのことを
お伝えしなければ」と思った。
ここから、
ちょっぴり不思議話になることを
お許し願いたい。
友人の中に、
日本各地の古戦場やお墓などで
影ながら慰霊をしている方々がおられる。
それまでも、
長曽根日子命をはじめ、
源平の頃の古戦場や
流れのあった場所には、
時を見ながら、神ながらに
慰霊をされてこられていた。
そのいくつかの慰霊に
同行したこともあり、
この霊人・アテルイさんのことを
お伝えしなければと思ったのだ。
「北の将星アテルイ」を
カバンに入れて、
友人の 住む奈良へ向かった。
(つづく)
かれこれ10年以上前のことで、
正確な年月日は忘れてしまったが、
ある日、自宅でパソコンをさわっていたら
「アテルイ」という言葉が
耳に飛び込んできた。
つけっぱなしにしていた
隣の部屋のテレビから
流れてきた言葉だった。
その時、なぜか
「これは見ないと」と思い、
自然とテレビの前で正座していた。
その番組は、
15分ぐらいのもので
東北在住のマンガ家・伊藤満さんが
出演されているものだった。
そこで取り上げられていた
マンガの題名は
「北の将星アテルイ」
阿弖流為(アテルイ)は、
平安京の時代、
桓武天皇の命を受けて、
東北の地に赴いた
征夷大将軍の坂上田村麻呂と
相対して最後まで戦った
東北先住の長だった。
その姿に、
長曽根日子命と重なるものを感じて
すぐに本の注文をしている自分がいた。
正確な年月日は忘れてしまったが、
ある日、自宅でパソコンをさわっていたら
「アテルイ」という言葉が
耳に飛び込んできた。
つけっぱなしにしていた
隣の部屋のテレビから
流れてきた言葉だった。
その時、なぜか
「これは見ないと」と思い、
自然とテレビの前で正座していた。
その番組は、
15分ぐらいのもので
東北在住のマンガ家・伊藤満さんが
出演されているものだった。
そこで取り上げられていた
マンガの題名は
「北の将星アテルイ」
阿弖流為(アテルイ)は、
平安京の時代、
桓武天皇の命を受けて、
東北の地に赴いた
征夷大将軍の坂上田村麻呂と
相対して最後まで戦った
東北先住の長だった。
その姿に、
長曽根日子命と重なるものを感じて
すぐに本の注文をしている自分がいた。
禊(みそぎ)というと、
水をかぶったり、
滝に打たれたりする
イメージを持っている人が
多いのではないだろうか。
でも、やまと言葉での本来の意味は
次のようになるそうだ。
ミソギというのは、
ツミソギということで、
ミというのが自分の本心とか
霊魂とかたましいとか、自分の心のこと。
そして、ツミとはミというものを
包み隠しているもののこと。
自分の生まれながらに持ってきた本心、
霊魂の上に、生活環境から出てくる
知識とか観念とか現在意識など
かぶさっているものがツミ。
ツミがあると
自分のもって生まれてきたものが
表に出てきにくくなる。
そうしたツミをトルというのが
ツミソギで、これはツミをソグ、
ケズリトルことをいう。
ツミをソグに従って
ミイズという天地自然の恵み、
いわゆる神のお徳をたとえた
ミイズが注がれてゆく。
これがミイズソソギ。
このツミソギとミイズソソギが
一緒になってミソギという言葉 になった。
だからツミソギとミイズソソギは
表裏一体のもので切り離して
考えるものではない。
ツミが削がれるに従って
ミイズが入ってくるのだ。
水をかぶったり、
滝に打たれたりする
イメージを持っている人が
多いのではないだろうか。
でも、やまと言葉での本来の意味は
次のようになるそうだ。
ミソギというのは、
ツミソギということで、
ミというのが自分の本心とか
霊魂とかたましいとか、自分の心のこと。
そして、ツミとはミというものを
包み隠しているもののこと。
自分の生まれながらに持ってきた本心、
霊魂の上に、生活環境から出てくる
知識とか観念とか現在意識など
かぶさっているものがツミ。
ツミがあると
自分のもって生まれてきたものが
表に出てきにくくなる。
そうしたツミをトルというのが
ツミソギで、これはツミをソグ、
ケズリトルことをいう。
ツミをソグに従って
ミイズという天地自然の恵み、
いわゆる神のお徳をたとえた
ミイズが注がれてゆく。
これがミイズソソギ。
このツミソギとミイズソソギが
一緒になってミソギという言葉 になった。
だからツミソギとミイズソソギは
表裏一体のもので切り離して
考えるものではない。
ツミが削がれるに従って
ミイズが入ってくるのだ。