ことむけやはす ( 言 向 矢 放 ) → ◎ -3ページ目

ことむけやはす ( 言 向 矢 放 ) → ◎

「ことむけやはす」というのは、日本の古い言葉です。

「ことむけ」というのは、言葉を向こうへ向けて出すということ。
その言葉を弓の矢にたとえて、放した矢が飛んでいく。

だから漢字をあてると
「言向矢放(ことむけやはす)」ということになります。

今日(11/11)は、
地区公民館の文化教養講座として
「顔とこころ・喜怒哀楽を
 筆と墨で描く」が開催された。

講師は幻一(まぼろしはじめ)さん。

幻一さんとのご縁は、
かれこれ20年前にさかのぼる。

当時、
参加した秋の羅漢まつりで
いただいた色紙が、
先日押し入れを整理して
出てきたところだった。





今日の参加者は30名ほどだったが、
最前列に座っていたこともあってか、
かなり久しぶりの再会なのに
嬉しいことに覚えてくださっていた。

喜怒哀楽は、
先生のお手本を見ながら描いたもの。

そして、休憩後は、
漢字の書かれたカードをシャッフルして
選んだ1枚の漢字を、それぞれが
自分が思う表情を描いていく。





幸せな表情は
左右対称であることや、
そうでないものは、
バランスが崩れて非対称になる
とのことだった。


最後には、
先生の描かれたお手本プレゼントの
じゃんけん大会。

何も考えずにじゃんけんをしたら、
なぜか特別に描かれた「優」を
いただけることになった。





幻一さんから

「君とは縁があるなあ」

というお言葉。


そう言えば20年前も
くじ引きか何かで当たって
幻一さんの作品をいただいたことがあった。


とても楽しい講座だった。

モレさんの塚の横には
うず高く不法投棄のゴミがあった。

みんなで、竹やぶに向かってご挨拶。
喜びの心が伝わってくるようだった。

その後、すぐ近くの宇山東公園へ。

有志のみんなで記念撮影をした。

晴れやかな空と
晴れやかな笑顔が写真におさまった。

夕方、奈良に戻った。

Sさんが一人、
亡き師匠のYさんや、霊界の皆様へ
無事に帰れたことの報告をしに
拝殿に上がられる姿を見つけた。

「ご一緒してもいいですか?」
と声をかけ、ご一緒させてもらった。

ひととおり挨拶を済ませて、
拝殿から出る瞬間、
急にSさんがガバッと
もう一度拝殿の中を向かれた。

「何だろう?」と思っていると

「今、アテルイさんからのご挨拶が
遮光器土偶からあった」

とのことだった。

その遮光器土偶は、
神祀りされてある一角に飾られている
レプリカだが、同じ東北の縁からか、
その土偶を通じてアテルイさんは
メッセージを送ってこられたのだ。

偶像崇拝は否定しているところだけれど、
霊界通信にはそういうパターンもあるのかと
ビックリした。


アテルイさんは、

「必ず必ず故郷に連れて帰ってほしい」

という強い念を送ってこられたそうだ。


Sさんは、

「いずれの時にか北へ行く」

と約束された。



(つづく)

2003年(平成15年)3月2日、
前夜の大雨がうそのような
晴れやかな天気の中、
奈良で集合し、車2台で出発。

大阪府枚方市にある
片埜神社へ向かった。

この神社の隣にある牧野公園が
アテルイさんの塚の伝承地だ。

中央付近にある木の根元には
何も書かれていない石が祀られている。

十名に満たない有志で、
お膳をお供えし、みんなで
アテルイさんにご挨拶。

Sさんは、
「強い怨念があるかもしれない」
と思いながら挨拶されたそうだ。

ところが、
アテルイさんは、
ただひたすら

「ワガフルサトノ
 ミタマタチヲ
 ユルシタマエ」

と繰り返しておられたそうだ。

「ユルス」とは、
「心をほぐすことをいう」そうだ。

東北の地、故郷で
「帰順したのに、
 大将たちが帰ってこない」と
怨念を持ったまま
一生を終えられた仲間たちへの
アテルイさんの深い思いやりの心を
感じた瞬間だった。

本当の長となる方は
自分のことよりも
民のことを考えておられる。

アテルイさんの
人格の大きさを感じた。

その後、Hさんの先導で
歩いてモレさんの塚へ向かった。

細い道を曲がって曲がって、
どんどん進んで行かれる。

モレさんの塚らしい
竹やぶにたどり着いた時には、
よく見つけられたものだと
感心するほど、複雑な道のりだった。


(つづく)