どこかで見たこと読んだこと -23ページ目

ふるさと鶴岡

お盆は、ふるさと鶴岡で過ごす。
市内を電気自転車で散策をする。


昔は、市内に映画館が4か所ほどあった。
昭和末には、全て廃業し、郊外の大型ショッピングモールの
シネコンのみの興業となっていた。


今年、5月に「まちなかキネマ」が市内にオープンした。
http://www.machikine.co.jp/index.html

その映画館のロビーには、ピアノが置いてあり、明らかに
ミニコンサートもできる多目的ホールとしても活用できる。

この映画館は、松文という昭和7年創業の絹織物工場を
そのまま流用しリフォームしている。


昔、この近に、洋画専門映画館「スカラ座」があった。
荒野の7人、小さな恋のメロディ、大脱走など懐かしい。

このお盆シーズンは、「おくりびと」、「武士の一分」など
鶴岡にゆかりの映画も上映している。

町の中の小さな映画館であった。


私が中学生の頃、鶴岡の映画館で思い起こすのは
陰り、椅子の歪み、まだ見ぬ映画へ期待感。
ストーリーより、女優さんの美しさに見とれる。

なぜか、怪しげな雰囲気の切符売り場。


綺麗なロビーで「まちなかキネマ」の歴史のパネルなどを
見ながらつい昔を思い起こしていた。


受付に、見たい映画のアンケートがあったが
映画「月山」を申し込むのを、忘れていた。

ロビーでアイスを食べ、猛暑に火照った体を冷やし、
市内を流れる「内川」を、また散策する。


昭和50年代は、生活用水が川に流されて汚染され、藤沢周平氏の
五間川の面影は、全く無かった。
藤沢周平氏の活躍と共に、河川の護岸工事も一段落し、自然な
川の流れを復古させる自然回帰の活動も、功を奏し、綺麗な
川に戻りつつある。
しかし、一旦、汚れた市内の川は、清流へ戻すのは、大変、厳しい。


自転車の観光客と数人すれ違う。
猛暑の日中では、市民は出歩かないようである。
市内を「映画でまちおこし」というスローガンののぼりを沢山見た。

観光客と思われる家族が、まちなかキネマのロビーで寛いでいた。
致道博物館から公園、致道館、内川沿いから、まちなかキネマで、
一息がお勧めコースです。

地元ロケの映画が、沢山あって、しかも、その映画を上映している
のは、珍しく、そして面白い。


その内川に、木船が舫ってあった。
芭蕉が、羽黒山から降りて、泊まった「長山重行宅跡」もある。
時代が一気に巡るのも面白い歴史の町、鶴岡です。


芭蕉が、鶴岡で残した俳句
「めづらしや山をいで羽の初なすび」


元禄2年(1689年)6月10日(陽暦7月26日)から3日間鶴岡で滞在。
この句は、長山宅で開催した歌仙の発句。

長山重行の歌仙での次句は
「蝉に車の音添る井戸」

その頃の、庄内藩の城下も猛暑であったろう。
長山重行は、冷たい井戸の水で冷やした鶴岡名産の民田なすの浅漬け
で、出羽三山を巡って疲れ切った芭蕉一行を出迎えた。


長山重行宅跡は、まちなかキネマの直ぐ側にある。
暑さの中、出迎えてくれる涼しげな気持ちが嬉しい。



どこかで見たこと読んだこと

松本侑子著「恋の蛍」 感想(その3)

恋の蛍 山崎富栄と太宰治/松本 侑子
¥1,890
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「太宰治心中事件の原因は何か」という設問の中身。

この問いに、小説「恋の蛍」は、明確に示すことは目的ではない。
作者の主意は、まだ関係者でご存命の方々が居て、聴き取りができる
最後の機会と考え、山崎家側からみた心中事件の詳細取材であった。

何度も言うが、太宰やその作品の再評価は、主目的ではない。
結果的に再評価する読者いれば、それは結構なことだという程度。

あくまでも、本当の富栄に直接触れる為の作品である。

富栄の日記からは、太宰への愛を貫く幸せは、他者からみれば
周りが見えなくなった愛にのぼせた状態と、作者も認めている。

そこに、太宰の死への願望、女性への思慕と孤独のへの恐れ、
文学界への自虐的な反目が加わる。しかし、これを凌駕する作家の
才能は複雑な人間の心理を、手さぐりながら見事に文章へ昇華させ
ている。


特に、死を約束した富栄の部屋での制作は、晩年の傑作を残し、
また、過去の作品をも光りを当て、更に、輝くことになる。

冨栄の修一への心情も、太宰はフォスフォレッセンスで、空想小説の
形式で発表している。そのことを知っていたのは、富栄だけであった。

その他の創作活動にも、生活面から関与している富栄は、太宰への
思慕を作品で確認し、自ら、幸せとプライドを愛に高めていった。


太宰は、富栄とは違い、いつも通り、心中の言説と気持ちは揺れる。
これが、心中事件を周囲から想像的な解釈を許す大きな要因である。
未遂を何度もしていた太宰の過去のつけである。
富栄の覚悟は変わっていない、太宰の揺れを、富栄が包み込んで
いたのは、晩年の作品群が傑作となっている確信からも証明できる。

一方、フィリピンで現地召集され、直後に戦死した奥名修一からみた
富栄の評価は、明確に手紙に残っている。赴任する直前に親戚に宛てた
もしもの際、富栄を託す手紙だった。
「近代の女性としては珍しい程、気を使うやさしい富栄です。」
正に、富栄は、そのような人物であり、職業婦人としても有能だった。


また富栄は両親からの教育に加え、聖書の勉強もしており、至上の愛、
友愛とはなどを聖書から思索していた。


現代に置き換えた場合、東京でトップの腕を持つ美容師で、気を使い、
やさしく、知性を持ち合わせた美人であれば、おそらく、人気は沸騰し、
写真と共に美容雑誌の紙面を、飾っていることは間違いないだろう。

女性に弱く、酒におぼれ、死の病を患い、税金を滞納する太宰。
死ぬ理由は、太宰にはある。しかし、太宰と出会わない場合、
富栄には死ぬ理由がない。


太宰により、心の奥、真綿に包んでいたものが、切り出される。
心中と引き替えにする戦う覚悟のものだった。

それは、戦争の中、修一になぜ「行かないで」と言えなかったのか、
真の愛を無視した、その「後悔」ではないだろうか。


富栄は、戦争が始まってからも銀座で美容院を経営していたが、
パーマネントを非国民扱いされて、断念した経験がある。
現代の言葉でいえば、ホスピタリティに優れた人物の富栄である。
修一を送り出すことは、ある意味永遠の別れを覚悟することだった。
その覚悟は、「行かないで」と言わせぬ戦時中の国民感情であった。
皆、お国の為に死を覚悟するという、本音、真理とは、全く、違う
報道などの風潮と軍人の権力暴力から設定せれたスローガンであった。
日本人は、権力を背景としたプロパガンダに弱いことを戦争は証明した。


長いものには巻かれろ、仲間の異質な人物をイジメる、足を引っ張る
という心理から歴史的に抜け出すことができてない世論。富栄は、親、
兄弟、世間を敵にしても、覚悟し、戦い守りたいものがあった。


強きものが、弱いものを守る。
太宰への愛の覚悟が強い富栄は、太宰の創作活動を守り、弱い太宰を
守ることにしたのではないだろうか。

それは、太宰の責任ある家庭の妻への対抗。文学人として、人生を翻弄
された太田静子、治子親子に対するプライドからでもあったと思われる。

妻、美知子は、太宰の3人の子供を育て、死後、太宰の墓に迎えられた。
太田静子は、太宰の名前を冠した治子を育てあげた。
この二人から、明確な富栄批判は公式には出ていない。
彼女達から見ると、太宰からは必要とされているが、わが身だけでは
手に余す存在だった。


富栄の戦いとは、愚かな戦争を遂行し、軍事的なスローガンに無批判に
受け入れ、異質な者たちをいじめていた人々への戦いと思う。
その戦いは、「弱い太宰を守る」という覚悟で遂行された。
戦争が終わり、本来であれば、民主主義、自由主義により、高い
理念の世相に変わるべきところが、戦争の愚かしさへ本源的な課題を
無視し、世間という日本人は、相変わらず太宰をいじめることへの、
反旗が、富栄の心中の理由であると思う。

そして、一人の女として、静かに、太宰を独占する夢をみた。
入水し、6日間だけ、富栄の夢は、実現した。

最初の設問に戻ろう「事件の原因はなにか」を問うことは
戦争中、愛するものを自ら死へ追いやる愚かしさと、この太宰との心中は
何が違うのですか?という富栄からの問い返しでもあった。


太宰の美しい作品を読んで、太宰を惜しむなら、なぜ世間は
生前の太宰の創作活動を助けなかったのですか?
という、自省を強要する「富栄の罠」が浮かぶのです。
この罠に気が付いてわが身の不利を感じた者は、富栄を貶める必要を感じる。

文学界、出版界では、心中後、時間が経つと、世間に対し太宰の
ブームでビジネスをする上で、世間を追い詰めるような
太宰の心中「事件の原因はなにか」を深化することは無益と考え、
無視する為に、富栄の存在を汚し、スキャンダラスで、安易な回答が
出やすい方向へ意図的に誘導して行ったものと思われる。
当初、正確な新聞情報があったのに、無視されて行く。
誘導のピークが、もはや戦後ではないと言われた昭和30年から
明確に強まったことが象徴的な気がする。


そして、現代でも太平洋戦争の悲劇の主要因を、なかなか
明確にするメディアが出てこない。太平洋戦争を推し進めた愚民が居た
ことを真摯に国内で認めない限り、友愛や政治理念よりも長いものには
巻かれろ、仲間はずれでのイジメ、新しい工夫への足を引っ張る鬱屈した
性格は、日本人から抜けることはない。


「恋と蛍」は、この日本人の戦後のあり方、美しいものへの
知的な物語としての理解力と、その叡智が生み出す行動とは何かを
問う奥行きの深い作品となっている。

もちろん、心中を勧めることはないが太宰という作品にコミットする
心情は、芸術の審美眼から高く評価されるても良いものだ。


現在、日本が抱える、相撲協会の暴力団との関係、校内暴力、
学校での保護者の暴言、病院内での暴言、暴力は、メディアの
報道の在り方に問題がある。
メディアが、世間に媚びるように報道を集中させる時が危険である。
多面的な意見は無視する編集が、社会共有資産である公益、正義の
議論を偏向させている。
メディアには、常に正義であるとの保証はない。
病院や学校と違うのは、社会資本としての公益性が違うのです。
権力が最初に操作で利用するのが、メディアであることは常識です。


戦中の本当の被害者が求めるものは、お国の為にというスローガンを
信じて愛する人々を死へ追いやったこと、人々への自省が、真理への
追究として議論されていないことである。

戦後、抑留などでの悲劇、原爆などの悲劇として、メディアは番組とするが
権力の中、理由のない非国民いじめ、理性を排除し、真の友愛を蔑ろに
したものは何だったのか、また情報操作が起きたらどうすべきかを
議論するメディアの番組はない。
メディアとして、自省する番組の必要が、現代の日本にはある。


最後に、
冒頭で述べた、雨の玉川上水、太宰と離され一人残された富栄、
白い足を覗かせた筵の中の娘に傘を差しだす父、晴弘の姿。
この淡く蛍の様に富栄の足が光る。

それは、富栄の育てられた過去から未来への光と感じる。
過去、父は、娘に美容師の心得を次の様に、教示した。
富栄は一字一句、親の真心として心の奥に受け入れたと思う。

「美を追求する美容師は、この世の美しいもの全てを学ばねばなりません。」

富栄は、父の言葉通り、太宰の美しい作品を生む蛍となって、
恋の黒い水の中へ、消えて行った。
富栄が、父を照らす光は、やさしいが、孤独であり、戦争の悲劇であった。

この奥深い作品を作られた松本侑子氏の現地に基づく取材のご尽力と熱意に
改めて、尊敬と感謝申し上げます。



松本侑子著「恋の蛍」 感想(その2)

恋の蛍 山崎富栄と太宰治/松本 侑子
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山崎富栄の評伝小説「恋の蛍」では、評伝の部分で提示された
大きな事実分析がある。

昭和23年6月16日毎日新聞の太宰治氏心中か、愛人と家出。
という記事では、富栄の職業や生い立ちなども正確に記録
されている。
事件直後は、文学界、出版界ともに、事実に即したある意味、
冷静な発言の記録が多く残されている。
しかし、時間が経つと富栄を貶めるような発言が多くなる。
特に、昭和30年に入り亀井氏が心中当時の新証言として太宰の
首にひものあとがったなどのねつ造記事が出回ると、富栄殺人説
までが出て来る。

事実とは、全く異なる風評的、スキャンダラスな記事が増える。

一般の人には、8年も経った太宰の心中事件であり、
真実を研究する興味も、必要も余り感じていない。
太宰の作品が面白く読めれば、それで満足なのだ、創作記事が
また違う味付けでの販売促進になっていると言わざる得ない。
松本氏は、ここに太宰はまだしも、富栄の扱われ方に大きな疑問を
感じる。

また父親の自問「野の花のように明るく育てた娘が、なぜ太宰を愛し、
心中までしたのか」
松本氏は、富栄の写真を見ると、聡明で、優しそうな印象を感じる。

ここら、山崎家からみた心中事件として取材を徹底的に実行した。
結果的に富栄という人物を、見事に再現させることに成功した。
文学界、出版界からの一方的な富栄への貶める言説を明らかにし、
名誉を回復させた。

富栄の父、晴弘は、日本初の美容師養成学校を設立した現在の美容界、
職業婦人養成学校の立役者であった。
多くの卒業生に慕われていたことからも、その人望と事業家としての
有能さも伺える。
美容師として最先端の技術を教え、また人格養成に、有徳な人間への
教訓を与えたことは、晴弘自身の徳の高さをも証明した。
更に、愛娘には自分自身の後継者を期待し、教育にも熱が入っていた。
その教えを十分に反映した富栄でればこそ、親をして「野の花のような
明るい子」と言わしめたのでした。

また富栄が戦争未亡人であったとの事実から、相手の奥名修一の存在を
詳細に親族への面談を含め、再調査されている。
修一氏は、三井物産の社員で、結婚直後、激戦区のフィリピン マニラ
支社へ、会計係として派遣され、直後に、戦死されている。
松本氏は、その戦場の現場、フィリピンまで取材に行かれ、当時の日本人の
状況や、戦後の遺骨収集の現状まで、詳細に取材している。
富栄への松本氏の執念めいた努力を感じる。

富栄が太宰の愛人から秘書、看護人となって行く過程は、富栄の日記が
大変参考になる。事件直後に雑誌で公開されたこの日記は、世論から
エロティックな一部文章の印象が強いことと、世間離れした純愛さが
当時の人々には悪い印象となり、反感を買ってしまう。
本として整理され出版されるのは、相当、後になってしまう。

父が、富栄の名誉を回復を狙って公開した日記が、世間には逆効果で、
後の富栄を貶める記事への流れを作ってしまった。

この富栄の日記の期間は、「斜陽」制作の後半、「人間失格」、「おさん」
「桜桃」、「グッドバイ」という晩年の傑作を生む期間と重なる。
また、制作場所も富栄の下宿の部屋という環境であった。
この日記の価値は文学的には言うに及ばず、富栄の評伝には必須である。

この本にも随所に日記が引用されている。

太宰との最初の出会いの日記は、印象が深い。
また太宰と一夜を共にした赤裸々な日記が、世論から嫌われた訳だが
女性としての喜びを余すところなく素直に表現している。

最初の出会いの頃の日記から引用。

「何か私の一番弱いところ、真綿でそっと包んででもおいたものを、
鋭利なナイフで切り開かれたような気持ちがして涙ぐんでしまった。
戦闘、開始!覚悟をしなけらばならない。私は先生を敬愛する。」

純真で、世間知らずな御嬢さんの感じ方をされている印象です。
太宰の女性に対する性的な欲望や、自虐的な孤独、弱さ、世間や権威に
対する劣等感とその反動での、依怙地さなどは、全く気が付いていない。
1年後には、心中することになる。

それまでに、太宰の真実は、知って行くが、心中は、有徳で心の優しい
富栄の「覚悟」の内だったと言える。
ずるい太宰の創作の美しさに感動し、心を尽くす「覚悟」が印象的。

本人は、娘時代の聖書や翻訳本を、続けて勉強していれば良かったと
後悔しているが、この当時の富栄の知性には、全く関係がないと感じる。
文学的知識レベルが低いと、後日、文芸評論家臼井氏は、富栄の知能は
低いと酷評するが、この日記で明らかなように、鬱屈した心の太宰の
渾身の即興から美しさを見抜く知性がある女性のどこが、低能なのかかが、
解らない。

心中という結果から、恋に狂った、狂わされた愛人というイメージだけが
文芸関係者から操作され、これまで流布されて来たというのがこの本での
分析である。

経過から考えると、女性としての喜びは、恋愛の関係の時間的な密度で
あるとの状況判断を安易に入れ込むのが世間では今も昔も一般的なのだが、
実は、富栄は、先に覚悟をし、時間ともに不安は増えるが、その当初の
覚悟は強めるという奇跡的な恋愛を起こしていることに気が付く。
太宰の影響で、狂って行くのではなく、逆に、覚醒し、信じたことを、
素直に実現する方向だけを見つめているようだ。

ここで、「太宰治心中事件の原因は何か」という安易な設問は、
実は、大きな社会問題に出くわす構造をもっている。
富栄への言われ無き攻撃は、それに気づくことを、避ける風潮から
広まったことになる。


以下、続く


松本侑子著「恋の蛍」 感想(その1)

恋の蛍 山崎富栄と太宰治/松本 侑子
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太宰治の最後の愛人、山崎富栄の評伝小説。


富栄と太宰は、昭和23年6月13日夜 玉川上水に入水した模様。
翌日の捜索も虚しく、発見できず。それから6日後の奇しくも
太宰38歳の誕生日、6月19日午前中に杭に引っ掛かった水死体が
通行人により発見される。

不倫の末の心中。世間は、痴情騒動のゴシップ報道に賑わった。
この事件で、太宰の名が一躍、全国に知れわたり、太宰の作品は、
日本国中で読まれブームを起こした。
結果、昭和初期を代表する名文章家としての地位を確かなもとした。


2009年は生誕100年ということもあり、ヴィヨンの妻や、人間失格などが、
映画化され、何度目かの太宰ブームが、また訪れている。

太宰の純粋までに孤独な心の奥へ踏み込む見つめる鋭さ、女性の
恋愛心理への洞察は、見事な作品群を残している。

太宰の経歴を紐解く時、津軽という風土と、多くの係って来た女性
遍歴が重要な要素なっており、多くの作家や評論家が多面的に各様に
太宰論を述べ、読者を喜ばせている。


松本氏の作品は、太宰生誕100年で発行されているので、その意味では、
ブームの中にあるといえるが、ところが内容は、一線を画す、。

太宰の評価は、サブ的である。また決して、作家やその作品群を再評価
するような意図もない。

心中の相手、山崎富栄を再評価する為の小説なのである。
私も松本氏と同じ様な認識であったが、太宰の心中の相手は
銀座の女給と思っていた。有名な銀座ルパンでの太宰の写真の
影響だと思う。

少ないが、山崎富栄のゴシップによる変質を、糺す、本や文章を
松本氏が、現地調査、資料調査、生存している関係者への取材を
丹念に重ねることになる。

山崎富栄自身はもとより、晩年の日記も、再評価する作品となって結実した。


ただし、いくら精密に調査しても、二人だけの心中劇という他者からは
絶対に窺い知れない空白の真実は、松本氏の創作で埋めるしかない。

その為に、山崎富栄評伝ではなく、評伝小説とした。
読後感じる山崎富栄に対する感情を考えると手法として成功していると
思える。

あとがきで、触れているが、富栄の評伝は、結果として、父、晴弘の
人生を明治から昭和の激動期に、志敗れ傷心し、世間からも忘れられ、
歴史の堆積に埋もれかかったところを、浮き上がらせることになった。

この本の描写で映像的に印象が強く残った部分がある。どうも当時の
映画ニュースで実際に撮影され、上映されていたようだ、そのせいもあり
私には、これらの映像がシーンとして本から明確に読み取れる。
(1)玉川上水をみつめ茫然とする晴弘。
(2)雨の中、二人の死体が引き上げられ、赤いひもで結ばれた二人を離し、
   別々の筵に寝かされた。火葬場は別々となり、いち早く太宰の遺体は
   霊柩車で運ばれる。
   一人残された富栄の遺体は、衆人の目を引き付け、噂話が飛び交う。
   父は、雨に打たれる富栄の遺体に、レインコートを掛け、傘を差して
   やるのだった。
雨に煙る土手に集まる群衆と風景は、墨絵のようにはっきりしない。
その状況での、見つからない愛娘を心配する父。衆人の興味本位の視線から
必死に守る父の姿がある。読みながら涙が止まらなかった。

富栄の筵から出た白い足が、傘を差す晴弘を立体的に浮き上がらせる。
富栄から反射された光が、晴弘に当たっている。

この富栄が悲しく照らす光は、なにを意味しているのか、「恋の蛍」で
著者と共に考えてみた。

「恋の蛍」は、太宰のファンはもとより、太平洋戦争とはなんだったのかを
考えるうえで、大変大きな示唆をもった本でした。広い世代にお勧めです。

以下、続く。

古代史謎解き紀行「東北編」

新・古代史謎解き紀行 消えた蝦夷たちの謎 東北編/関 裕二
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関祐二 消えた蝦夷たちの謎 新古代史謎解き紀行 「東北編」

関祐二氏の作品は、史学学究者からは余り良い評価は聞かない。
本屋さんの古代史の書籍コーナーに関氏の本が並ぶことに不満が
あるようだ。

資料が少ない時代の考証は、史学学会としても資料の分析が
大変な分野であることは容易に想像ができる。

素人から見ると、その不確実性から、学究的に実証された史実を
読むのは、現代、未来を考える上でも、大変、安心して読める。

一方、素人でも史跡などを訪れて、感覚的に歴史を想像した際
文献には、収まりきれない感覚が湧くことがある。

私は、桜井市の三輪山周辺を散策すると、その長閑さと歴史として
起きた事柄が、何か空間的なイメージを引き出される。

同様に、史学学会では評価されないが、史跡と地元の伝承、
学術的な史論を交えて私見を表明することは、歴史紀行文と
しては成立すると思う、この場合、現地の史跡と作品での
イメージが一致すれば楽しめる。


この私論、私見に、学術サイドから作品批判をしても余り意味が
ない。逆に弱い論説を指摘する位でも良いと思う。
関氏の作品は、切り口は、史学的には定説化しそうな資料を再評価
して、自らの切り口を加えるというものだ。

その意味では、作品の骨子は、史学的な記述を借用することが
学会サイドから見ると歯がゆいのであろう、それも当然で、
結論を得る過程を学術的な努力で埋めようとしている時に、
直観的な私論を表明されては、研究に心理的な影響を受けることを
避けられないという気持ちも理解できる。

今回の作品は、蝦夷の概念は、大和朝廷の藤原不比等を頂点
とする天皇制を守る畿内政権の政権闘争の結果の創作という。
また東北地方は、天皇やその周辺権力集団と深い関係があり
ながら、常に中央での敗者との関係を背負う歴史を持っている。
それは、太古の縄文時代での長い文化的な隆盛とその後の歴史に
夢を馳せる。


縄文の風土が、そこに暮らす人々の反骨の哲学と、純粋な心根を
植付けてゆくのではないかと、関氏は想像する。それとなく同感
する東北人は多いと思う。
ヤマトで、神武東征に対抗した長膸彦は、名前の体型からして
縄文ぽいし、ニギハヤニという吉備の王を奉り、西方防御に優れた
地勢をもつヤマト盆地を守っていた。

かつてヤマトは縄文文化の最前線であったのではないかとまで
関氏は想像を楽しく膨らませる。
(この推論かつ飛躍が史学者には許せないのでしょう)

三輪山周辺を散策すると東北地方を連想する空気がある。

本のタイトルを「謎解き紀行」としているので、
本書の趣旨は間違っていない。