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映画「悪人」


どこかで見たこと読んだこと

悪人公式サイト



2010.09.11 109シネマズHAT神戸にて「悪人」を見る。
スタッフ
監督:李相日、原作:吉田修一
脚本:吉田修一、李相日
音楽:久石譲、製作国:2010年日本映画
上映時間:139分、映倫指定:PG12

キャスト
妻夫木聡、深津絵里、岡田将生、満島ひかり、樹木希林、柄本明、宮崎美子、
松尾スズキ、光石研、余貴美子、塩見三省、井川比佐志、永山絢斗、中村静香、
韓英恵、山田キヌヲ

ニューヨークの9.11を思いつつ、「悪人」を見る。
テロという悪人が見えなえない戦争と同様に
社会の中、特に現在日本の中での悪人は見えにくい。
老人を騙す悪徳商法。これも悪は見えにくい。
孤独を持て余し、本当の自分自身と他人との物語を語り合えない
状況が、リアルに映し出される。

利に適う状況は、自省を生む勇気が湧かないことも、現代の悲劇を生む。

物語は、自らが変えない限り、止まらない。

利潤があれば、それで良いのか。
他人との関係で、不利益でも義を語る必要はないのか?

映画は、イメージとセリフで、物語を演出する。
小説よりもリアルである。それが小説の想像力での楽しみを消す場合もある。

実社会でも、物語は、進行する。
自らが関与することから逃げられそうで逃げることは出来ない。
自ら撒いた種は、自分自身に返ってくる物語りという人生。
人生は、思うようには行かない。

逃亡先から妹に電話する光代。
「よりよって、殺人犯なんて」と詰め寄られ絶句する。
これが人生である。
祐一に何もしてあげれない光代は、悪人であろうか?
という見方も出来た。
祐一に抱きついて、泣くしかない。

悪徳業者に、「金を返せ!」「これまで人間として、生きて来たんだ」と凄む
祐一の祖母、房江、樹木希林。
逃亡する孫へ、自宅へ殺到する取材陣に、圧倒され、立ち竦む。
意を決し、その中へ進む時の肩の動きに感動する。
取材陣が房江を取り囲む、土下座させる様に押し寄せる。
殺人犯の家族は、悪人であろうか?

被害者佳乃の描き方は、少し丸め過ぎているのが気になる。被害者の
殺人へ直結する悲劇は、ぎりぎりの脚本で描いているので、
違和感が残る。生きの良いイカの目の中に入った凝った演出の割には、
残念なところだった。



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祐一を簡単に捨て、増尾からはゴミ扱いされた現場を見られた女が、逆上する。
これは、解るが、腹いせに祐一から暴漢されたと警察に訴えるという女。
普通の悪人なら、そのまま放置するだろう。


妻夫木聡の悪役も良かった。佳乃がデートを断り、他の男の車に乗って去る。
怒りの目で車をターンさせる時の表情は、今までにない演技だった。

モントリオール映画祭で最優秀女優賞を取った深津絵里は、妻夫木の演技に
引っ張れるように激しくなって行く。


特に上手いのは、出会い系サイトでメールを交換して、駅で待ち合わせる表情。
初デートでセックスまでしてしまう自分への悲しさで駅で泣き崩れる。

待ち合わせの演技が良い、深津の出世作、森田芳光監督の「ハル」でのパソコン
通信から新幹線の駅での出会いで、良い演技を一度経験しているからだろう。
これは、パソコン通信から携帯メールへの時代の進化だろうか?


メールでも、出会い系であっても、実際に出会うのは、この孤独な社会を
自分なりの物語を持って生きている人間達なのだ。
孤独の感性が合わないのなら、長く出会う必要はないが、孤独が人間を
狂わせるのだ。

利潤なき不利益な他人との関係は、力強き者が、弱き者を助けることにより
初めて成立する。それを、一人一人が、他人へ自分の物語として正義を
語ることの緒言となることを、この物語が語るのである。


映画は、その意味でリアルで暗い。
救いは、五島列島の断崖に建つ大瀬崎灯台の美しさと
久石譲の音楽と、福原美穂の主題歌の美しさである。
主題歌テーマは、「Your Story」、正に、あなたの「意義」を問う歌。


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切替器の効用

私のPC環境は、ノートパソコン2台と
プリンターが、ブラザーの白黒レーザーHL2040と
キャノンのインクジェット複合機 
(FAX,スキャナー,コピー,プリンター)PIXUS MX860を
USB接続。

パソコンと2台のプリンターが離れている為、
USBケーブルが長くなり、差し替えるのも大変で、不自由に
使っていました。

そこで今回買って来たのが、PC対USB機器 2:2切替器
アーベル社のACSU22Sというもの。上新電機のカードポイントが
溜まっていたので、即購入。3852ポイント。

ACアダプターが付いて、セルフパワーなので、
USBケーブルは、プリンター側を各4m程延長し、PC側も
2m程延長していますが、大変安定しています。

MXのスキャナーも問題なく動作しています。
USBのケーブル差し替えが無くなっただけ、コネクターを
傷めないので、大分、安心感のある環境になりました。

キャノンのMX860も、使っていたFAXが壊れFAX受信専用電話器
と成り下がっていたので、急きょ購入したものです。
でも最近は、メール添付主流で、FAXを送信することも、少なくは
なっていて、余り焦ってはいなかったのですが、丁度、後継機MX870が
出たところで、8月末MX860が在庫一掃セールで、19800円とネット価格
より下げて居たので、購入したものです。
資料添付でもスキャナーは欲しいなと思っていた所で、タイミングが
良かったです。

このMXシリーズは、無線LANが付いているで、しばらくしたら
ポケットwifiで繋げれないか実験してみようかと思います。(大胆な)
そんなことが出来るか、また報告します。
それが成功しなくても、有線ルーターに繋ぐことも考えます。
そうなると、USB切替器には、変なものを繋ぐ楽しみが増えます。


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吉田松陰


幕末のオピニオンリーダー、儒学者、兵学者、教育者
松陰論は時代背景や社会的な位置で、評価が変わる。

第二次世界大戦中は、皇国の志士として称賛された。

明治維新後、政権を安定させようとする時期、特に
大正期から昭和初期は、忘れられた存在であった。

松陰は、長州藩内でも山鹿流の兵法師範として才能を
11歳の頃に認められた。当初より学問に秀でた人材と
して歴史に登場して来た。

書簡や建白書を読むと日本古代史「古事記」「日本書紀」
により皇国史観を固め、孔子、孟子の儒学体系、孫子の
兵法を古文献学的に精査、研究し、その成果を、当時の
皇国への大義、義務として誠を持って思想を教え、
天皇を中心とした有能な藩主の合議による軍政体制作りを
建白し、シンクタンクとしての軍政立案を目指したのが
伺える。

ペリー来航時の密航計画も、欧米列強の圧力に対抗する
正確な知識と軍備技術の整備への希求から生じた演繹的な
軍政計画の一歩だった。

当時のヨーロッパや特にアメリカの軍事力は、日本の
国力と冷静に比較しており、連戦練磨のアメリカという
現在でも通じる認識を持っていた。

現在の沖縄基地問題に対しても、吉田松陰であれば
ホワイトハウスの知日家行政官にパイプを作り、環太平洋
のアメリカの安全保障の計画では、人脈作りから初めている
のでないかと思う。
その信念の中心は「古代日本史の分析と東アジア共同体」と
なっていた可能性がある。
また被差別部落など差別問題は、人材登用の差別排除を
論語などの仁徳から理解し、自らも表明する現在の共同体
主義者に近い考えも持っていた。
もちろん天皇国体論としての位置は、中国の覇権闘争と
比較しても、最も海外に冠して日本の国力を表明したいと
考えていた。

このように、確かな皇国史観と海外の情勢分析が相まって
軍政の立案に関与を期待して行くが、幕府や長州藩の上層部
には、全く評価されなかった。
それを抽象的に言えば、太平を保つ身分制度、組織論の
朱子学と、軍政としての史観理論を持った陽明学の違いで
あったと思われる。

残された文面では、孟子、孔子、孫子、日本書紀、古事記
からの引用が多いが、その論からの行動に関しては、陽明
学の知行合一、事上練磨が、大きく影響していると思われる。
陽明学は、朱子学の自ずと硬直させる組織論から脱却しよう
とするダイナミックな実学を含んでいたのだ。
これを歴史からは、政治思想として革命と言う場合もあろう。

陽明学は、誠意の修行を重視した。これが学問だけでは
留めない修行という行動形式を要請したのではないだろうか。
まだ政治行動には至らない学問としての実学である。

陽明学が孟子を重んじた。同様に、松陰も孟子を研究する。
しかし、松陰は、漢土(中国)の聖人は、かの地の成人であり、
皇国史観を持つ日本では、一方的に崇めたりする必要はない、
良いものは、良いものとして受け入れ、また、皇国史観で
なじまない言動は、批判しても良いという考えであった。

この純粋に学術的な思考も、当時としては稀有な存在であった。
もし、カントの純粋理性批判に出会っていれば共感するところが
多かったと想像される。

伝馬町の取り調べで幕府の小役人へ、言わなくてもよい、
幕府要人の誅殺計画を思わず漏らし、斬首刑となる。
幕府からすれば、松陰の存在の意味が、思想的にそれ程
大きな影響を持っていたとの認識する政治機能もなかったと
思われる。
何を言いたいのかよく理解できない身分の低い貧しい学者は
面倒なので報告書通り、処刑しただけなのだ。
所謂、安政の大獄事件 安政6年1859年10月27日享年30歳

この件を持って、革命戦争には向かない理想主義革命家と
言う評論をするものもあるが、元来、松陰は、政治的革命を
求めていない。

「尊王であれば、攘夷すべき」という古代史からの日本の論拠と
合わせ戦うのであれば戦時体制を誠意をもって、幕府に問い掛けて
いただけである。陽明学から言えば、尊王攘夷が誠意の
修行であった。その修行中に、死に至ったという過程であったのだ。

中央公論社 日本の名著 31 「吉田松陰」は、現代語訳で
読みやすく、松陰の著書が網羅的に編集され、生い立ちから、
時代による評価の変化など松本三之介氏による解説が参考に
なる松陰像を勉強する良い本です。
(神戸市灘区図書館蔵)

日本の名著 (31) 吉田松陰/著者不明
¥1,529
Amazon.co.jp


不気味と、はっきり言おう


どこかで見たこと読んだこと

第2次世界大戦の前
国民の一人一人のことを政治家が考えることは、無かった。
それ程、単純に生きてゆけた時代だったのだろう。

だから、大義、国体、大和魂、美徳、大東亜共栄圏など
単純、明快な論で、国民は暴力に裏付けられた赤裸々な権力を、
卑怯と交換に一番恐れた。

凶暴な権力、長いものには巻かれろと皆、信じた。


その単純な凶暴さへの恐れからの発狂を防ぐ為、権力へ媚び、
音頭までとった。それを愚かと呼べない単純な世間を恐れての決定だった。
また鋭利な暴力は、鋭利さゆえ美意識も強めた。


戦後、人々は身勝手な自己証明と、相対的な金銭保有で生活は多様化した。
これを人間性の高度化とは、とても思えないと気が付いたのが最近だ。
結局は、権威というマスコミの宣伝から自立することは出来きていない。
政治経済という権力を、人々は、アメリカの指導の下、
自由主義という方針での権力に盲従して来た。

その政治経済の権力を得た者には、運動会の1等賞と同じレベルで称賛した。

ただ称賛とは、お金が集めることが可能だろうというお零れに預かりたい
卑しい欲望がそれを助長させている。


更に自分の家系に自惚れ、身勝手な自己証明に悦にっている。

その欲望の助長が、社会の多様化と呼ばれる、戦前より高度化した
社会と言われている。ただ複雑になっただけで、実は、何も変わっていない。

今、日本人は、戦前の大義、美徳、史観を否定した訳でもなく
新規に創生したものも何もない。
公共資本として新たに制度を創生すること自体に、まだ未熟である。
今ないものを、生み出すには、現在の叡智では、及ばぬ思考と行動が
要求されている。

お金が集まるか解らない政治経済制度に、人々は、恐怖を感じる。
その一風変わった思考と、行動は、好きになれない。
美徳と大義が許さないのだ。新生への抜け駆けも、困る。


弱く、移ろい易く、正義かどうかも判然としないもの。
美しいだけでは、人の新しい命は、守れない。
生命を守ることは、穢れや、美の範疇を超えた行動なのだ。

美と正義を、個人的な権力欲に基づき政治活動の為に声高に、
平然と叫ぶ者を、戦前の人々は、単純にかつ、うかつにも
放置した。
公共に対する無責任が、戦争の悲劇そのもの実体だった。
最も無責任だったのは、権力とマスコミであった。

一人一人が、心優しく、美徳があり、努力を惜しまないと
しても、金権と権力への個人的欲望から正義と美を叫ぶ者を
しっかりと排除できる公共としての市民の思考が試されている。

権力を手にさせてはいけない人を、直観的に排除する必要がある。
万が一間違って、善意の人であったとしても、戦前の危機を学んだ
のであれば、最善手段として、それは良い選択なのである。
精査は歴史が行う。より良い選択があったとしても、最悪の選択
でなければ、歴史として、その政治で良いのだ。

公共を意識した市民は、民主党の小沢氏の党首選立候補は、
個人の欲望と権力が重なっていると思って見るべきだ。
政治資金を個人的に使ったことを、市民へは認めない人物に権力を
与えることと、政治的に手腕に疑問がある弱い人と比較するなら
全く恐れず、国民は苦労する後者に権力を預託するべきだ。

今、秋を前に不気味な政治風潮を感じないのは、戦前の反省が
全く生きていないと言える。

今、日本人は試される。権力に汲々とし、マスコミに有能と言われる
自己証明型政治家に政治を任せては新しい公共の日本は生まれない。

権力を恐れず、不気味さを、素直に表現すべきだ。

「街は闇に 空は茜に 染まる日」


どこかで見たこと読んだこと

六甲の夏が終わる



どこかで見たこと読んだこと


「あの夏は 海を駆けぬけ 雲の峰」


今年は、猛暑が続く八月である。
明日は、満月。
赤く月は色づくかもしれない。
夏の終わりは、もの悲しい。
春の桜の散るころとは、光の影が違う。

陰影の濃い日々が、やがて記憶の中へ
消えて行く、その弱まるコントラストが
明るい思いでをも、一緒に消すのではと
恐怖に似た悲しさがある。

強い風の思いも、海峡を渡り、雲となり
高く、白く盛り上がる激しさが、心を奮い立たせる。

しかし、何時とはなく、夏の終わりに
海を渡る風は、盛り上がる勢いすら弱まる。

その頃には、熱い熱帯の空気が、過ぎ去ったことを知る。

過去形が似合う夏の終わり、
あなたのことを待てる季節と変わりゆく。