最近の日本の景気はいまいち。
中国の四川省では、大地震で、たいへんてすね。
今日は、蒲田で、打ち合わせです。
それにしても、うちのねこは気楽でいいですねー!!!
戦後日本を積極評価 日中首脳会談で共同声明
福田康夫首相は7日午前、中国の胡錦濤国家主席と官邸で会談した。
両首脳は1972年の日中共同声明から4番目の共同文書「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明」と、地球温暖化対策の協力へ向けた「気候変動に関する日中共同声明」を発表。
中国は戦後日本の歩みを共同文書で初めて積極評価、戦争や侵略に対する日本の「反省」「責任」は盛り込まなかった。
温暖化対策では2050年までに温室効果ガス排出量を半減させる長期目標に、中国が「留意し措置を検討する」と表明した。胡主席は雄雌のパンダ2頭の貸与を正式表明、首相は謝意を伝えた。
会談で、両首脳は懸案の東シナ海ガス田開発問題に関し「大きな進展があり解決にめどがついた」との認識を共有したが、今回は合意に至らなかった。
中国製ギョーザ中毒事件で首相は真相解明の必要性を指摘し、捜査協力強化でも一致。
日中関係強化のため首脳同士が定期的に相互訪問することも決めた。
また北京五輪の成功へ協力を約束、共同記者会見で開会式への出席について「前向きに検討する」と述べた。
2008/05/07 16:30 【共同通信】
中国主席の来日は、10年ぶり、あたらしい時代の関係進展になっていくといいですね。
2007年世界銀行ランキング、上位4行中3行が中国系
【5月1日 AFP】コンサルティング大手のボストンコンサルティンググループ(Boston Consulting Group)が30日に発表した2007年度の世界の銀行ランキングで、世界的な金融危機で時価総額が落ち込んだ欧米系銀行を尻目に、上位4行中3行を中国系銀行が占めたことが明らかになった。
1位は、中国工商銀行(Industrial and Commercial Bank of China)で、時価総額は約3400億ドル(約35兆円)。2位は中国建設銀行(China Construction Bank)で、英HSBC、中国銀行(Bank of China)、米バンク・オブ・アメリカ(Bank of America)、米シティグループ(Citigroup)と続く。
欧米の主要銀行は、米サブプライム(信用力の低い個人向け)住宅ローン問題をめぐって数十億ドル(数千億円)規模の損失や資産の評価損などに苦しんでおり、欧米の銀行全体では2007年末時点の時価総額にして総額6950億円(約72兆円)の損失を計上している。一方ブラジルやロシア、中国、インドなどの新興市場の銀行の時価総額は7530億ドル(約78兆円)まで上昇しているという。
躍進する中国!!! すごい時代になってきました。
観光立国推進基本法
法令番号 平成18年法律第117号
観光立国推進基本法(かんこうりっこくすいしんきほんほう)は、観光基本法(昭和38年(1963年)6月20日法律第107号)を全部改正して制定された、日本の法律である。2007年1月1日から施行された。
観光は、国際平和と国民生活の安定を象徴するものであって、その持続的な発展は、恒久の平和と国際社会の相互理解の増進を念願し、健康で文化的な生活を享受しようとする我らの理想とするところである。また、観光は、地域経済の活性化、雇用の機会の増大等国民経済のあらゆる領域にわたりその発展に寄与するとともに、健康の増進、潤いのある豊かな生活環境の創造等を通じて国民生活の安定向上に貢献するものであることに加え、国際相互理解を増進するものである。
我らは、このような使命を有する観光が、今後、我が国において世界に例を見ない水準の少子高齢社会の到来と本格的な国際交流の進展が見込まれる中で、地域における創意工夫を生かした主体的な取組を尊重しつつ、地域の住民が誇りと愛着を持つことのできる活力に満ちた地域社会の実現を促進し、我が国固有の文化、歴史等に関する理解を深めるものとしてその意義を一層高めるとともに、豊かな国民生活の実現と国際社会における名誉ある地位の確立に極めて重要な役割を担っていくものと確信する。
しかるに、現状をみるに、観光がその使命を果たすことができる観光立国の実現に向けた環境の整備は、いまだ不十分な状態である。また、国民のゆとりと安らぎを求める志向の高まり等を背景とした観光旅行者の需要の高度化、少人数による観光旅行の増加等観光旅行の形態の多様化、観光分野における国際競争の一層の激化等の近年の観光をめぐる諸情勢の著しい変化への的確な対応は、十分に行われていない。これに加え、我が国を来訪する外国人観光旅客数等の状況も、国際社会において我が国の占める地位にふさわしいものとはなっていない。
これらに適切に対処し、地域において国際競争力の高い魅力ある観光地を形成するとともに、観光産業の国際競争力の強化及び観光の振興に寄与する人材の育成、国際観光の振興を図ること等により、観光立国を実現することは、二十一世紀の我が国経済社会の発展のために不可欠な重要課題である。
ここに、観光立国の実現に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。
目的
この法律は、二十一世紀の我が国経済社会の発展のために観光立国を実現することが極めて重要であることにかんがみ、観光立国の実現に関する施策に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務等を明らかにするとともに、観光立国の実現に関する施策の基本となる事項を定めることにより、観光立国の実現に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって国民経済の発展、国民生活の安定向上及び国際相互理解の増進に寄与することを目的とする。
基本理念
1. 観光立国の実現に関する施策は、地域における創意工夫を生かした主体的な取組を尊重しつつ、地域の住民が誇りと愛着を持つことのできる活力に満ちた地域社会の持続可能な発展を通じて国内外からの観光旅行を促進することが、将来にわたる豊かな国民生活の実現のため特に重要であるという認識の下に講ぜられなければならない。
2. 観光立国の実現に関する施策は、観光が健康的でゆとりのある生活を実現する上で果たす役割の重要性にかんがみ、国民の観光旅行の促進が図られるよう講ぜられなければならない。
3. 観光立国の実現に関する施策は、観光が国際相互理解の増進とこれを通じた国際平和のために果たす役割の重要性にかんがみ、国際的視点に立って講ぜられなければならない。
4. 観光立国の実現に関する施策を講ずるに当たっては、観光産業が、多様な事業の分野における特色ある事業活動から構成され、多様な就業の機会を提供すること等により我が国及び地域の経済社会において重要な役割を担っていることにかんがみ、国、地方公共団体、住民、事業者等による相互の連携が確保されるよう配慮されなければならない。
観光立国推進基本計画
政府は、観光立国の実現に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、観光立国の実現に関する基本的な計画を定めなければならず、国土交通大臣が交通政策審議会の意見を聞いて閣議決定しなければならない。
基本的施策
国際競争力の高い魅力ある観光地の形成
1. 国際競争力の高い魅力ある観光地の形成
2. 観光資源の活用による地域の特性を生かした魅力ある観光地の形成
3. 観光旅行者の来訪の促進に必要な交通施設の総合的な整備
観光産業の国際競争力の強化及び観光の振興に寄与する人材の育成
1. 観光産業の国際競争力の強化
2. 観光の振興に寄与する人材の育成
国際観光の振興
1. 外国人観光旅客の来訪の促進
2. 国際相互交流の促進
観光旅行の促進のための環境の整備
1. 観光旅行の容易化及び円滑化
2. 観光旅行者に対する接遇の向上
3. 観光旅行者の利便の増進
4. 観光旅行の安全の確保
5. 新たな観光旅行の分野の開拓
6. 観光地における環境及び良好な景観の保全
7. 観光に関する統計の整備
国土交通省のホームページから、観光立国推進基本法は、見当たりません。
国内の、観光都市の活性化は、地方都市、商店街の活性化、新規雇用創出など
いいこと多いとおもいますが???
どうしたんでしょーか???? 海外の旅行者は相変わらずとても多いです。
年金、高齢者医療制度、特定財源、暫定税率など、それどころじゃないかもね!!!
「うちの借金は、100億円ですよ! 今のままじゃあ、1億ずつ返したって、100年かかるんです! 早く返済したいから、新しい店を出して売り上げを上げたいんだ!」。叙々苑社長、新井泰道は拳を握りしめ、銀行の応接室のテーブルを叩いた。「不況の今だからこそ、いい物件が嘘みたいな値段で手に入るんじゃないですか。お願いします。融資を検討してください」。
懇願する新井に、融資担当者は先刻から同じ返事を繰り返していた。「社長、今はじっとしていたほうがいい。こんな状況で出店するのは無謀です。これ以上お貸しすることはできません」。
時は1993年、91年のバブル崩壊の後、融資を渋る担当者を相手に、新井はさらに語気を荒げた。「金のない私らはね、のんびり時期を待ってる余裕はないんだ!」。借金が100億円にも膨らんだのは、バブル期の巨額な投資の影響だ。80年代の終わり、土地高騰の頂点で買った東京・西麻布の54坪の土地に、総工費36億円、7階建ての自社ビルを建て、91年に「游玄亭(ゆうげんてい)西麻布本館」としてオープン。すでに10店舗以上出店していた「叙々苑」より、商品、内装、サービスともに高級化した「游玄亭」は、これまでの焼き肉店にはない座敷の個室も売り物だった。
「その直後に、440坪の土地に14億円かけて工場を作ったんです。豪華店舗と工場ができて、さあ、事業拡大するぞ!と意気込んだときにバブル崩壊だ。ウチは出店したいのに、銀行は金を貸してくれない。景気がいいときは借りてくれと頼んだくせに。だから喧嘩したんですよ」。
「でもね」と新井は続ける。「冷静に考えれば、銀行さんが貸さなかったのも無理ないよ。当時は年商60億円で借金100億円。不景気の割に業績は悪くなかったが、当初の予定よりは売り上げは伸びなかった。その上もっと借りたいと言ったんだからね。年商の倍以上の借金をするなんて、健全経営にはほど遠いでしょう。私は料理人出身だから計算しなかったの。経営も知らなかったし。だから借金も全然怖くなかったんだね」。 当時、新井は51歳。15歳から焼き肉一筋に生きてきた。「だから絶対の自信があったんですよ。美味しい焼き肉を提供すれば、お客さんが来ないはずはない。お客さんが来てくれれば店は繁盛する。繁盛すれば借金も返せる。単純明快なのよ。だって、六本木本店には行列が出来ていたし、他の店舗も好調でしょ。展開しても絶対に成功すると思った」。銀行に断られた新井は、融資してくれる金融機関を探した。「リース会社が貸してくれました。銀行より審査がゆるい分、金利は高いけど仕方がない。そこで一気に借りまくって、次々に店を出していったんです。世の中が不景気で停滞しているときに、イケイケ!ドンドン!の勢いで」。
そうして平成不況の真っただ中、新井は高級業態の「游玄亭」4店を含む20数店を出店した。
「店を一気に増やしたお陰で、年商も3倍に増えました。今後順調に行けば、当時の借金はあと10年ぐらいで返せるでしょう」。“計算しない”新井の方向性は間違っていなかった。
しかし、不況の最中、高級店を出し続けることに、不安はなかったのか。世の中はデフレ一色。高級店は次々に店を畳んでいた、その時期に──。「“よそ行き”の焼き肉店があってもいいと思ったんですよ。いつもは普段着で近所の焼き肉屋さんに行く。でも、たまにはお洒落して『游玄亭』や『叙々苑』に行きたい、と憧れられるような店を作ろうと。東京は広いから、そういうお客さんを相手にしても商売できると思ったの。初めて出した六本木の『叙々苑』だって、焼き肉店としてはあり得ないお洒落な店だったんだから」
中学卒業と同時に焼き肉店に入店した新井は、2店で14年間働いた後、29歳のとき東京・神楽坂に12坪・6卓のリースの焼き肉店の主になった。貯金に退職金を足して200万円の保証金を作って果たした開業だった。「そこは前も焼き肉店だったところで、前は日商2~3万円程度だったのに、私は日商14万円、月商にして400万~450万円売ったんです。カルビ 1皿550円だったから原価率は50%にもなるけど、人件費は12%。私が3、4人分働いたからね。商品がいいからお客さんはよく入った。3年半無休で朝 11時から夜中2時まで働き通しだったね」。
新井にはもともと独立志向はなかった。「独立なんて考えたこともなかった。料理人だから経営はできないと思っていたんです。ところが店がヒットして、途中から毎月100万円ずつ貯金ができちゃった。よし! これを元手に勝負しようと思ったわけ」。
東京で一等地と言われる銀座、赤坂、六本木に物件を探した。「下町で500円で売る肉が、銀座なら800円で売れる。どこに店を出しても肉の仕入れ価格は同じなんだから、高く売れるほうが得でしょう。差額はそのまま利益になる」。 76年、33歳の新井は六本木に「JOJOEN六本木店」を開業した。ビルの3階の18坪の店で、テーブルは7卓。保証金を入れて3300万円かかった。「内装にお金をかけて、素敵なお店を作ったんですよ。真っ赤な絨毯(じゅうたん)を敷いて、花を生けて。従業員の男性は蝶ネクタイ、女性はパンタロン。カッコいいでしょ。当時、焼き肉店で働く女の子は割烹着に白い三角巾、という格好が普通だったから、うちをクラブと間違えたお客さんもいましたよ」。
店内には女性客を喜ばせる工夫を凝らした。「当時の六本木はね、銀座のホステスさんが店がはねた後に来る街だったの。だから深夜の時間帯には、女性がきれいに見えるように照明を落とした。女性トイレには色つき鏡を付けて、ライトを斜めから照らす。こうすると鼻筋が通って美人に見えるんですよ」。
メニュー開発にも力を入れた。「目玉商品がほしくて肉屋さんに相談したら、タンを使いなよ、と勧めてくれたんです。当時は、タンシチューぐらいにしか使ってなかったから、品物が余ってた。塩をかけて焼いて、賄いで食べてる、というんですよ。旨くて安いよ、と。レモンダレは、タン塩にレモンを搾って食べたい、というホステスさんの注文がヒントになった」。
新井が考案した「タン塩」は、大ヒット商品となった。ほかにも、現在、日本中の焼き肉店で提供されているメニューやサービスに、「叙々苑」発祥のものは多い。「それまでは皿に無造作に載せていた肉を、うちはきれいに並べて盛り付けた。ピシッとアイロンのかかった布のエプロンも出して」。今ではおなじみの、デザートやにおい消しのガムのサービスも、「叙々苑」から広がったもの。「女性をターゲットにしたからこそ生まれたアイデアです」。
常に“お客を喜ばせる”ことを考え続け、お客の声に耳を傾けた。「店の者だとバレないように着替えてお客さんと一緒にエレベータに乗って、生の声を聞きました。美味しかった、高かった、キムチが酸っぱかった……。そんな本音の感想がとっても参考になりました」。
努力は報われ、店は繁盛した。「50万、100万と売り上げが伸びて、お客さんの行列が下の店まで続いて。隣のスナックを買い取り、さらにその隣、階下と店を広げました」。開店当時の約6倍の面積だ。「110坪で月商8000万円ですよ。1日600万円売ることもあったから、レジから一万円札が溢れる。チョコレートの空き箱を下に置いて投げ入れて、それも一杯になるからデパートの紙袋に詰め込んで。従業員が忙しくて可哀想だから、月給を入れた給料袋の上にさらに5万円、10万円とホチキスで止めて渡してあげた。月収20万円の人が30万円もらえるんだから、そりゃ喜んでくれるよね。私もうれしかった」。
現在、経理部長を務める松本和子は、当時六本木店のアルバイトとして働いていた。「社長は味や接客には厳しいけど、率先して体を動かすし、気前がいいんです。お客さんを大事にするから、売り上げにノルマもない。ノルマがあると、お客さんに押し売りするから嫌だと言って。ですから従業員はのびのびしています」。 実は、新井はこの頃に最初の大きな決断をしたという。「それはね、無煙ロースターに切り替えたこと」。開業より何より、悩んだことだった。
「煙が出て、肉の焼けるにおいが広がる焼き肉店。その“空気”が変わって、お客さんが来なくなるんじゃないかと怖かったんですよ。繁盛してなければ、あれこれ工夫して替えるけど、大繁盛しているときに設備を切り替えるのは、勇気がいりました。本当に迷ったね」。だが、「ホステスさんたちが髪に染み込むにおいを気にして、美容院で髪を結い直す前日しか来られない、というのを聞いて、決心したんです」。
結果、女性客も松本ら従業員も無煙化を喜んだ。「着物のホステスさんもにおいを嫌がりますから。無煙ロースターにして、さらに女性客が増えました」。
ワンランク上の「游玄亭」を展開したのも、お客の声に応えるためだった。「予約したい、接待に使いたいから座敷を作ってほしい、という要望が多かったんですよ。それで、完全個室の座敷がある高級店舗を作ったの」。
赤坂店は永田町が近いから政治家が多く、西麻布店は芸能人に人気があるという。「車で乗り付けてそのままエレベーターで個室に入れば、ほかのお客さんに顔を見られないですむ。芸能人がテレビのトーク番組で、『叙々苑』で最高の肉を食べた、『游玄亭』でごちそうして親孝行するのが夢、なんてしゃべってくれるから、すごい宣伝効果ですよ。ありがたいですね」。
しかし、順風満帆だった新井も、BSE問題には頭を抱えた。「あれだけは困った。BSEがなかったら、うちはずっと右肩上がりでいけたはずなんです。BSEの影響で、タンが高くなっちゃった。原価1200~1300円のタンを1200円で売るんだから、売れば売るだけ損するんです。タン塩で 2000円、3000円は取れないからね。焼き肉業界全体が泣いている。ほかの商品で補って、何とかやりくりしている。苦しいときを勉強と思って乗り切らないとね」。今、新井が目指すのは、「高級店」より「一流店」と呼ばれること。「うちは“食のエルメス”だと従業員に言っているんです。一流ブランドがブランドたるゆえんは、『不良品がない、買って後悔する人がいない、次もまた買おうと思う』という点にある。うちも、一度食べたらまた来たくなる、そういう店でありたい。ほかの店より高くてもお客さんを納得させるには、いつも一流の味を提供できるように、まい進しなくてはならないんです。焼き肉店の最高峰であり続けたいと思っていますから」。そして、こう加えた。「食べ物屋はボランティアですよ。人の喜ぶ顔を見るのが喜びなんですから」。
今後は別ブランドの立ち上げも検討中だ。「工場にはまだキャパシティもあるし、より広い展開を考えていきたいと思っています」。
自信に満ちた言葉には、焼き肉一筋に歩んだ50年の重みが込められていた。
日経レストラン2008年3月号のコラム「決断のとき」
叙々苑 社長 新井 泰道(あらい たいどう)氏
1942年神奈川県生まれ。中学卒業後、叔母の勧めで東京・新宿の焼き肉店に入店。さらに東京・神田の焼き肉店に13年勤めた後、72年、東京・神楽坂で開業。76年「JOJOEN六本木店」を開業し、従来の焼き肉店の常識を覆すメニューやサービスを提供。84年には株式会社叙々苑設立。首都圏を中心に店舗展開し、2008年2月現在、45店舗(「叙々苑」36店、「游玄亭」6店、デリカ店3店)。全国焼肉協会会長も務める
叙々苑はとてもおいしいです。私は、新宿の小田急ハルク店にたまに行きます。

いつ行っても、とてもおいしいのは、やはり、社長さんの焼き肉一筋に歩んだ50年の重みですかね。
Manner maketh the man. マナーは人を創る。イギリスの古い諺
「イギリス・オックスフォード大学のバッチに刻印されている言葉です。
[Thank you]・・・・ありがとう
[Excuse me]・・・・失礼ですが
[Please]・・・・・・どうぞ お願いします
[After you]・・・・お先にどうぞ
[Sorry]・・・・・・・申し訳御座いません

1.挨拶
2.表情
3.態度
4.身だしなみ
5.言葉遣い
「オックスフォード流一流になる人のビジネスマナーの本 西出 博子さん」
よい人間関係を作って行くには、最低限のマナーは必要です。
臨機応変の気配り、相手の気持ちを考えられること、家族・ビジネス・友人でもとても大切ですね。
「2008年4月17日 日経レストラン」
近畿大学水産研究所が養殖した魚は、アーマリン近大(TEL:0739-42-2627、FAX:0739-42-2600)が販売している。価格は流通業者によって異なるが、畜養もののトップクラスと同等で、天然の生のブランドものの半値以下
http://www.a-marine.co.jp/
バッシャーン。エサやりの担当者が大量のサバを海に放り込むと、銀色の巨体が海中から飛び出し、サバに食いついた。「近大マグロ」の名で知られる完全養殖のクロマグロだ。
完全養殖マグロとは、養殖施設内で人工孵化(ふか)した親から生まれたマグロのこと。これに対し、天然の幼魚を捕らえてきて生け簀(いけす)で育てたマグロを「畜養マグロ」と呼ぶ。稚魚を天然から獲るばかりだと、資源は減る一方。そこで、畜養ものから卵をとって再生産に結び付けようと考えて実現したのが、完全養殖マグロだ。
マグロの完全養殖は無理と言われていただけに、2002年6月に流れた成功のニュースは、関係者を驚かせた。
それから6年。今では近大マグロは、一部の百貨店や飲食店などに出荷されている。その一つ、「三越日本橋本店」にある吉川水産の鮮魚売り場では中トロを100g1990円前後で販売、週に一度の入荷日を心待ちにするファンもいる。
当初から研究に携わっていた現近畿大学水産研究所長の熊井英水さんは、完全養殖達成までの苦労を克明に覚えている。
1979年、初めて畜養マグロが生け簀で卵を生んだが、孵化した稚魚は47日で死んでしまった。その後も数十日で死ぬことが続いた揚げ句、83年から11年間は卵を生まない年が続いたという。

「実は今でも毎年は生みません。ここは黒潮と伊勢からの冷たい海流が混ざり、1日のうちに水温が急変する。それが良くないと分かってきたのは最近です」(熊井さん)。
現在は大島で稚魚を年間3万尾生産しているが、陸上水槽が最近できた奄美実験場が本格稼働すれば、年間6万尾の生産が可能になる。また、昨年12月には稚魚を初めて養殖用種苗として業者に出荷した。近大マグロをより大量に育て、供給できる可能性が広がった。
「日本の養殖マグロの消費量は年間3000tで、天然ものの稚魚を年に20万~30万匹獲っている計算。だから完全養殖で30万匹が目標です」と熊井さん
「脂もの」好きの日本人の好みに合うだけでなく、安全性が高い近大マグロは、食の安全性が重視されている今、飲食店もぜひ注目したい食材だ。
日本で消費される刺身向けマグロは約45万トン。その内の約10% 3万トン強が養殖マグロです。
マグロ資源に対する危機感から、水産庁が中心になって養殖プロジェクトを実施してきましたが、マグロはとてもデリケートな魚で、扱いがとても難しく、当時、卵のふ化までこぎつけられたのは近畿大学だけでした。近畿大学は今では、完全養殖したクロマグロの販売会社を設立して出荷も始めています。
また、静岡県の清水にある東海大学海洋学部では、キャンパスの片隅に大きな白いテントを設置し、民間企業のWHAとともに、クロマグロの陸上養殖に取り組んでいます。
かつては高根の花だったクロマグロが、これほど安価に大量に食べられるようになったのは、「蓄養」が普及したここ10年ほどのことです。
それ以前の供給の状況に戻すだけで、クロマグロの資源問題は解決するという意見もありますが、世界的に寿司人気やクロマグロの需要は高まっていて、漁獲量を減らすことは容易ではありません。
だからこそ、日本の完全養殖に対する期待は大きくなっているといえるのでしょう。
「日経トレンディネット2007.4.25」
業界では地中海、メキシコ、オーストラリア産は”蓄養マグロ”、日本産のモノは”養殖マグロ”と呼んでおりますが、日本農林規格(JAS)法では、給餌した水産物はすべて『養殖』表記をするよう義務付けられているので、店頭では”養殖マグロ”も”蓄養マグロ”も同じ”養殖マグロ”という表記になります。
"養殖"とは稚魚(卵からかえったばかりの魚)から育てたマグロ。もしくは、卵からふ化させた完全養殖のことを指します。(2002年7月に串本で成功)産地は完全養殖に成功した和歌山の串本を始め、沖縄(本部)、奄美大島、長崎(福江)がこの部類に属します。
日本は、世界中のマグロを買いあさる、当然風当たりは強い。ワシントン条約の対象にもなったことは記憶に新しいと思います。そこでマグロの資源を保護し、一方で確保することが重要になってくる。稚魚(天然の小さなマグロ)を獲って育てる豪州や西欧諸国の蓄養では資源保護にならないため、卵から成魚まで一貫生産することが必須、そんな思いがあったようです。
和歌山串本では、養殖に着手したのが1970年、32年の歳月を費やして平成14年に成功しました。それまでのご苦労は、並大抵ではありません。いけす10基は直径31m、水深10~ 15m、常時5000~6000匹を養殖しています。マグロを育てるには、酸素をたっぷり含んだきれいな水に恵まれている場所を選択。稚魚は簡単に入手できたが、定置網にかかったマグロは、衝突したり暴れたり傷ついたりしてすぐに死んでしまいます。またエサとか水温調節、水温管理など色々と試行錯誤をしながら、いけす養殖を始めて9年目に、5歳のクロマグロが世界で始めて自然産卵そしてふ化にも成功しましたが、2ヶ月も持たずに全滅しました。大きくなっても産卵しない。この繰り返しが12年も続いたと言われています。
クロマグロの成魚は1回につき1千万個以上の卵を産む。しかし成魚に育つのは1匹だと言われる。成魚になるまでは、幾つものヤマがある。ふ化後7日間~10 日間の間に大半が死んでしまう。20日ほど経過すると今度はエサを与えても共食いが起きます。30日~60日たつと猛スピードで泳ぐようになり、水槽にぶつかって死ぬ。サバほど成育すると、水槽から海中のいけすに移動されるわけですが、ここでも網に引っかかったり、衝突したりする。マグロは非常に光にはパニックになるくらい過敏に反応する。マグロを1キロ増やすには、イワシ、サバなどエサが15キロほど必要です。当初の卵から成魚までの生存率は0.1%だったが、努力を重ねて現在では3%まで高まった。 現在では、串本よりも奄美大島で人工孵化し出荷するのが大半です。
ベンチャー企業としてアーマリン近大が、販売を手掛け入荷時期を調整しながらほぼオールーシーズン対応しており、平成16年関西の百貨店に初出荷。平成 17年9月には日本橋三越本店で週一匹のペースで販売。首都圏や関西のスーパーでもマグロを販売促進することで大学の名前が浸透するとともに、生産履歴を公開することで安心安全を売り物にし週に10本~15本出荷し、年間売り上げも3億円まで成長してきました。また2007年4月には初めてアメリカ、ロサンゼルスに出荷しました。但し、大手スーパーや百貨店に大量販売するにはまだ難しい現状ですし、課題もないわけではありません。要するに稚魚がなければ養殖業は成り立たないし、漁師の高齢化も懸念材料の一つです。稚魚(数百グラム)は壱岐、対馬、四国、紀伊半島で獲られ、高値で買い取られています。
"蓄養"は言葉通り「蓄え養う」と書きます。若魚や成魚(成長した魚)特に脂の薄いマグロを捕らえて生け簀(直径約50m)でエサを与えて育てたマグロです。スペイン、マルタ、イタリア、トルコ、クロアチア、キプロスの本まぐろ。オーストラリアのミナミマグロがこの部類に属します。「魚丸商店」
むずかしいマグロの養殖。2002年6月に流れたニュースは、よく覚えています。
養殖はとてもむずかしいものなんですね。でも、マグロの刺身とてもおいしいですよね。
今は、ジャパンブームで、生マグロは不足ぎみ、中国、ロシアなど海外の人気商品です。
日本の漁業発展の為にも、近畿大学水産研究所さんら関係者の方々の活躍に期待したいです。
調布飛行場はその価値がうもれている
首都圏には3つの国際空港が必要だと考えている。ロンドンやニューヨークなどの国際的な大都市は、大きな国際空港を周囲に3つ抱えているところが多い。たとえばニューヨークには、JFK空港(ニューヨークから24km)、ラガーディア空港(同15km)、ニューアーク空港(同25km)がある。これにたいして東京には、16km離れた羽田空港と、66km離れた成田空港の2つしかない。そして国土交通省は「国際線は成田」と縛っているから、国民には国際線は成田空港しか選べないのである。
「眼からウロコ 第2回」で「国際空港としての役割を羽田、成田、横田で案分し、3分の1ずつを担うべき」と書いた。しかし、横田基地については米軍側が交渉を遅らせており足踏み状態に陥っている。
調布に飛行場があることをご存知だろうか。調布飛行場は調布インターチェンジを降りて約2km、車で5分くらいの場所にある。新宿副都心から、中央高速で10分程度である。羽田-香港路線の就航式典に出席する前に、調布飛行場を視察した。
調布飛行場は京王線飛田給駅、西武多摩川線多磨駅が最寄り駅で交通の便がよい。味の素スタジアムや国際基督教大学、東京外国語大学、国立天文台などに囲まれている。
調布飛行場は地元住民のために存在するはず
運用時間は昼間だけで、平日は午前8時30分~午後5時。日祭日は午前10時~午後5時。4~8月の期間は離島便に限って、午後6時まで使用可能となっている。
2007年の離着陸回数は約1万9000回。うち65%は航空写真の撮影や測量、防災、医療、消防などの用途の飛行機が使用。残り35%は、運送業務に利用している。
調布飛行場の800mの滑走路とさまざまな型式の飛行機を眺めるため、「プロペラカフェ」が繁盛している。ガラス張りのレストラン。地元ではひそかな人気スポットになっているらしく、子供連れの親子や若いカップルなどでにぎわっていていた。間近でみる飛行機はかっこいいし、夢が膨らむ。
調布飛行場を都民の足として生かせ
現在のところ、調布飛行場から発着する定期便は大島、新島に一日3便、神津島に一日4便である。2007年度の輸送実績は5万6000人だが、離島のための空港にとどまる。これだけならば、調布飛行場の地元の人たちが自分たちには関係のない、騒音をまき散らすだけの迷惑施設だと考えるのも無理はない。
しかし、すでにあるインフラを活用しないのはもったいない。うまくつかえば大きな地元の利益になる。調布から全国へ飛べるようになれば、新宿副都心から出張するビジネスマンの交通の便は格段に向上する。乗客は地元にどれだけの経済効果をもたらすだろうか。新空港ビルで地元産の野菜を売ってもいい。例えば、ボンバルディアQ300という機体は56人乗り。この大きさの飛行機を導入して、新潟や松本、福島、あるいは名古屋や大阪に飛ばすのはどうだろう。
このままでは大きな機会ロスだ。
JR東京駅前に中央郵便局がある。40階近い丸ビルや新丸ビルに対して、5階建ては低すぎる。経済財政諮問会議で、使われていない空中の30数階部分は年間100億円の機会利益の損失だと指摘されたことがある。39ヘクタールの調布飛行場でも同じ、もったいない、つまり使われないことで住民が失っている受益があるのではないか。
敗戦後米軍から1972年に返還されたあと、正式に都営空港として開港する前に、近くの中学校校庭に墜落事故がおきたり、別の場所への移転を検討されたこともあった。東京都と地元の調布、府中、三鷹の3市の間でジェット機の利用を制限するなどの約束を交わし、離島便だけで運用してきた。
当時「空港」は、騒音や住民の危険というマイナス面だけが強調されていた。羽田空港でも同じである。しかし墜落事故は1981年のこと、航空機の性能が向上し、飛行機での移動が国民の日常生活に浸透してきた。羽田空港をいま、移転させようという地元住民はいない。
Nikkei BP net 猪瀬直樹の「眼からウロコ」
JR立川駅から近い、横田基地は、713ヘクタール (約7,136,413平方メートル)、の面積をもち、
調布飛行場の約18倍、米国高官の利用する、ジャンボ旅客機が離着陸する、
幅の広い4000メートルの滑走路を持っています。
今は、戦時ではないので、飛行場は、いつもガラガラです。当然ですね。

東京都の人口は、12,810,340人、その内、東京都多摩地区は、4,111,941人です。
つまり、東京都民の、3人に1人は、多摩地区の人間です!!!!
多摩県にしたら、ランキングで、日本の人口の十位以内に入ってしまいます。
多摩地区にある、横田、調布とも、活用する時が、そろそろ来たと考えるべきでしょうねー!!!!















