東京リーシングと土地活用戦記 -174ページ目

東京リーシングと土地活用戦記

ニーチェ・ツァラトゥストラの言葉「神は死んだ、神なんかもう信じるな」「強い風が吹く所に一人で立て!そこは非常に厳しいけれど、人間自分自身が主人公だ!風を受けて孤独になれ!」「真理などない。あるのは解釈だけ」いいねー。スバム読者申請コメント削除します。

★東京・リーシングと土地活用のビジネス戦記


内閣府の【今週の指標】がある。

最近公表された指標についての解説、あるいは注目されている経済的なトピックスなどをまとめたレポートで、国内に限らず海外の情勢も説明する場合もあり、非常に参考になるものが多い。今回はその中から、12月1日に公表された【景気後退局面でも好調な耐久財消費】に興味深い話が掲載されていたので取り上げてみることにする。いわく、「薄型テレビは景気の影響を受けつつも息長くセールスを拡大しながら売れ続け、9000万台は売れるだろう」というものだ。

今記事では「耐久消費財の構成は『日本はAV機器とIT関連』『アメリカは自動車中心』」という、興味深く気になるデータも掲示されている。それと共に目に留まったのは「薄型テレビの普及進捗が、かつてのカラーテレビのそれと同じ傾向を見せている」というものだった。テレビは耐久消費財(長時間使用に耐える消費財。目安は1年以上長持ちするか否か)の中でも、もっともその影響力・割合が大きく、消費全体を推し量る上で注目すべきアイテム。

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薄型テレビ(液晶やプラズマ含む)・ブラウン管のカラー&モノクロテレビの普及率推移

今レポートには
・かつてブラウン管のモノクロテレビがカラーテレビに移行したような現象が、カラーテレビと薄型テレビの間にも起きつつある。少なくともここ数年の薄型テレビの普及率は、かつてのカラーテレビの普及と似たような傾向を見せている。
・2008年3月時点で薄型テレビは3000万台。カラーテレビは9000万台ほどで、「全テレビ」に占める薄型テレビの普及率は25%程度でしかない。

・カラーテレビが薄型テレビに代わるには、あと9000万台分購入が必要とされる。

という推測が提示されている。確かにこのまま薄型テレビの普及率がカラーテレビのそれと同じ傾向を見せれば、10年足らずで「テレビ世帯」に普及するために必要な残り9000万台(カラーテレビからの買い替え)の需要が生じる計算になる。

総保有台数。普及率がほぼ100%に達した80年代初頭以降も伸びているのは、1世帯当たり複数台数を持つ場合などがあるから。
10年間で9000万台。単純計算で年間900万台。とんでもないボリュームの需要に見える。これをもってレポートでは「普及段階にあるテレビや、同様に普及段階にあるビデオデッキは、景気の影響を受けつつも息の長い拡大が見込まれる」と結論付けている。

今レポートはあくまでも経験則上の数字を元に推測したもので、その他の環境はあまり配慮されていない。そこで「プラスα」という意味で「テレビを取り巻く現況」を色々と追加してみることにしよう。

●プラス要素
・2011年に地デジスタート。これまでのテレビはそのままでは使えなくなるので、「せっかくだから」と薄型テレビへの買換え需要が生じる。
・AV機器の断続的な価格下落。全体的な需要冷え込みをカバーするため価格競争(国内外で)が激化している。
・ブラウン管テレビより液晶テレビの方が省エネの傾向が強い。また、大型のビジュアルを楽しめる(安価で)。


●マイナス要素
・「モノクロ→カラー」の場合と違い、現行テレビを薄型テレビにしても劇的な変化があるわけではない(地デジ化とは別問題)。
・地デジ移行の際の「ついで買い」を打ち消すようなチューナーの存在。
・地デジメディアの多様化。テレビ以外にパソコンや携帯電話でもテレビの視聴可能に。
・テレビコンテンツの質の低下。「テレビ世代」と呼ばれる40~50代より下の世代ではテレビへの注力度が下がっている。

プラス要因は大きく分けると3つ。来年あたりからそろそろ「地デジに移行することだし、せっかくだから」という「地デジ化ついでに薄型テレビを買いましょう」パターンが一つ。円高などによる海外製品との競争激化により、薄型テレビをはじめとしたAV機器の価格が下落し、消費意欲が増す傾向にあるのが一つ。最後はオマケ的なもので、省エネや「よりダイナミックな映像を楽しみたい」人には薄型テレビの方が好まれる。

特に「地デジ」による後押しは大きく、これだけなら「本当に10年間で9000万台売れるかも」と思ってしまう。しかしマイナス要素を見ると、疑問符を投げかけざるを得なくなるのも事実。

まずもっとも大きなマイナス要素は、「ブラウン管テレビから薄型テレビへの移行」は「モノクロテレビからカラーテレビ」ほど劇的・必要性の高いものではないということ。携帯電話ならアプリが動くか否か、パソコンならWindows3.1とWindows95、録画装置ならVHSとDVDの違いのような、「誰にでもすぐに分かるような、必ず変えたくなるような違い」が見受けられないということだ。「地デジ化問題は?」という意見があるが、現行のテレビでも別売りのチューナーをつければ移行後もアナログテレビを使えてしまう。画質や機能にこだわらない人なら「これでOK。壊れるまでは買い換える必要はないネ」という次第。

次に、これも地デジと関係してくるのだが、パソコンや携帯電話で地デジが搭載されていれば、それらのメディアでテレビ放送を閲覧することが可能となる。特に携帯電話でのテレビ視聴は最近増加する傾向にあり、「じっくりと見るわけじゃないから携帯電話のテレビでいいや」と、わざわざテレビを買い換えることなく満足する人も少なくない。テレビの購入意欲が元々低かった人は、薄型テレビに買い換えることなく、手元の地デジ端末で満足してしまう。

最後に「薄型テレビに買い換えてまで見るべきものがあるのか」という問題。詳細の解説は別記事にあるので譲るとするが、メディアの多様化と共にテレビ放送の質そのものが劣化し、テレビの視聴者に対する求心力が低下する傾向にある(テレビへの広告出稿の減少がひとつの裏づけ)。「見たい」という気持ちが低下すれば、携帯電話の地デジなどに横すべりする人、あるいは「見ない」という選択肢を選ぶの数も増えてくる。
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「カラーテレビ普及時」の急カーブは
1世帯あたりのテレビ台数が1台未満だった時のもの。
複数台数を保有している現在で同じような上昇率が見られるとは考えにくい。

これらの要素を考慮すると、「カラーテレビの普及時」のような急激な普及率を、薄型テレビも後追いする形で果たすのかどうかは少々疑問を呈せざるを得ない。第一「カラーテレビの普及時」の急激な普及率は、「テレビ無し世帯」「テレビ1台のみ世帯」がほとんどだったことから得られたもの。現在では「1世帯に複数台」が前提であり、世帯毎の台数が違うのに、一斉に同じ割合で切り替わると想定することに無理がある(仮に1世帯に2台のテレビがあったとして、いちどきに両方とも薄型テレビに買い換えるだろうか?)。

地デジへの切り替え、テレビコンテンツの急速な質の劣化、「メディア」の立ち位置の変化、新メディアの登場による視聴者の注意拡散化、広告業界の急変など、さまざまな変化が2011年の地デジ切り替えに向けて加速度的に起きている。ベースとなる媒体であるテレビの新型機である「薄型テレビ」の売れ行きは、家電業界はもちろん、テレビ放送業界にも気になる要素だろう。

今レポートの予想「10年間ほどで9000万台」が正しいのかどうか、(いずれにせよ寿命がくればテレビは買い換える必要が生じるので)もう少し長期間にかけて普及していくのか、それともテレビの世帯普及総台数自身が減少するのか。ここ数年のうちに、その答えが見えてくるに違いない。

gamenews


 やはり、地デジは、格段にいい・・

 47インチでは、小さく感じる・・ブルーレイもいい・・

 2011年、可能性あるかもね・・・
家族で、2009 初詣に、行ってきました!!

日野の高幡不動です。多摩センターから、モノレールに乗り10分、とっても近いです。


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多摩地区最大のお不動さんで、参拝の人はとても多いですね!!

息子に、クリスマスプレゼントでもらったipodで、矢沢永吉、聞きながら・・・


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多いよねー!!

今年の元旦は、天気もよく、あたたかい。


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しっかり、お祈りしてきました。


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人気の熊手とほのお団扇を買ってきました。

これで、今年もバッチリ!!


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高幡不動尊

真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺は古来関東三不動の一つに挙げられ高幡不動尊として親しまれている。その草創は古文書によれば大宝年間(701)以前とも或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、今を去る1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王をご安置したのに始まる。のち建武2年(1335)8月4日夜の大風によって山中の堂宇が倒壊したので、時の住僧儀海上人が康永元年(1342)麓に移し建てたのが現在の不動堂で関東稀に見る古文化財である。続いて建てられた仁王門ともども重要文化財に指定されている。足利時代の高幡不動尊は「汗かき不動」と呼ばれて鎌倉公方をはじめとする戦国武将の尊祟をあつめ、江戸時代には関東十一檀林に数えられ、火防の不動尊として広く庶民の信仰をあつめた。当時門末三十六ケ寺を従え、関東地方屈指の大寺院であったが安永8年の業火により大日堂をはじめ大師堂、山門、客殿、僧坊等を一挙に焼失した。その後、歴代住持の営々たる努力により徐々に復興に向ったが殊に昭和50年代以降五重塔・大日堂・鐘楼・宝輪閣・大回廊・奥殿等の工事が相継ぎ往時を凌ぐ程の寺観を呈するようになった。
総重量1100キロを超える巨像で古来日本一と伝えられた重文丈六不動三尊は此の度千年ぶりの修復作業が完了し現在奥殿にご安置されている。
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ソロス氏「金融市場は底入れ」自然治癒へ

2008年12月29日(月) ヤフーファイナンス

 米著名投資家のジョージ・ソロス氏はこのほど、東欧エストニアのメディア取材に対し、「世界の金融市場は底入れした」との認識を示した。外匯通が29日までに伝えた。

 ソロス氏によれば、米証券大手リーマン・ブラザーズの破たん以降、一旦はまひした世界の金融システムは再び機能し始め、自然治癒の状態に入った。ただ失業や企業経営の悪化など、金融危機の実体経済への影響は今後も続くとしている。

 中国社会科学院・国際金融研究センターの張明秘書長もソロス氏とほぼ同様の見解。金融市場には今後もいくつかの試練が待ち受けており、安定するまでには時間がかかるものの、リーマンが破綻した9月のような大きな混乱が起こるとは考えにくい。

 世界各国が相次ぎ対策を打ち出したことで、銀行の信用体系は回復に向かっている。ただ実体経済への影響は始まったばかりで、全治には少なくともの3-5年が必要とみている。(編集担当:服部薫)


・ジョージ・ソロス、金融危機について見解を語る(2008/12/15)
・ソロス氏、中国に熱視線「次世代の経済大国の役目を」(2008/12/11)
・ソロス氏、シティバンク救済「対応遅すぎ」財務長官批判(2008/11/25)
・「07年ヘッジファンド富豪」ソロス氏2800億円で第2位(2008/11/14)




教育と信条

 ソロスは哲学にも強い関心を抱き続けてきた。彼の哲学に対する考え方は、主にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス在学中に学んだカール・ポパーの思想に広範な影響を受けている。実際、ソロスが創設したオープンソサエティ研究所は、ポパーの上下2巻に及ぶ著書『開かれた社会とその敵』にちなんで名付けられているし、ソロスが現在取り組んでいる哲学上の関心事である「可謬論」[1]の原則も、同様にポパーの哲学に由来している。もっとも、ソロスの固い政治信条がポパーが支持する徹底した合理主義と矛盾するのではないかとする批判もあるが、ソロス本人の主張するところによれば、彼の政治信条はまさにポパーの合理主義を通して培われてきたものであるという。

再帰性および金融市場と経済理論

 ソロスの文書は再帰性の概念、それは個人が市場取引に参入するとき、(市場に対する)偏見や先入観を持って参入しているようであり、それが潜在的に経済のファンダメンタルを変化させている、という考え方に焦点が当てられている。

 このような経済のファンダメンタルの移り変りは、均衡の変化というよりもむしろ不均衡と捉えるべきであり、従来の「効率的市場仮説」(the 'efficient market hypothesis')は適用できない、と主張する。
この説が理論的に正しいのかどうかは別として、ソロスには確かに市場における信任と業績があり、このことから、再帰性理論と市場には関連があると考えることができる―少なくとも彼にとっては。また、彼は動的不均衡(dynamic disequilibrium)、静的不均衡(static disequilibrium)、そして均衡に近い条件(near-equilibrium conditions)の3つの概念を普及させた。



 良いお年をーーー!!!







やってる人が少なそうなファイナルファンタジー12を実況してみる。

って、実況って??? 知りませんでした。


ファイナルファンタジーも、12にもなると、すごいねーー!!


にこにこ動画、とってもおもしろいですねーーー!! http://www.nicovideo.jp/

 
お休み、ゆっくりしています!!


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おまけ【PS3】RESISTANCE2





【MGS4】メタルギアソリッド4


コール オブ デューティ4 モダン・ウォーフェア

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中田市長元愛人「車内でいろいろなこと」

中田宏横浜市長への訴状を持つ「奈々」さん


 中田宏横浜市長(44)と約2年間不倫関係にあったと主張する元クラブ従業員の女性(30)が25日、市役所で会見し、市長を脅しているなどとして名誉を傷つけられた上、周囲のいやがらせで病気になったとして、中田市長に3000万円の慰謝料請求する民事提訴を横浜地裁に起こしたことを明らかにした。

 女性は「奈々」の源氏名で市内のクラブに勤務。04年春、客だった中田市長と初めて会い、1カ月後に「好きだ、一緒にいたい」などと告白され、同年夏ごろに性的関係を持ったという。

 「妻とは破たんしている。離婚する」と告げられ、会うたびに「一緒になろう」とプロポーズされ、週1回ペースで性的関係を持ったという。女性も「ヒロリン」と呼ぶなど結婚を意識したという。

 公用車に一緒に乗り、車内で手をつなぐ以上の「いろいろなことをした」と女性は話した。中田市長の自家用車でもデートを繰り返し、その際に中田市長は最低でも7回は飲酒運転をしたという。

 2人の交際のうわさが広がり、嫌がらせをうけるなどしたことで女性は06年2月、体調不良で入院。ストレスからくる腎不全の診断を受け、現在も人工透析を隔日で行っていると主張。

 女性が3カ月後に携帯メールで退院を報告すると、中田市長は友人にそのメールで「女に脅されている」と話し、クラブに行ったことも、女性との不倫関係も完全否定。

 06年6月に不倫関係は終わったとしている。女性は「私との関係が本当だったら『ベイブリッジを逆立ちで歩く』などと彼が話したと聞いて、ガッカリを通り越して残念。

 ひと言でも謝ってくれたら提訴は取り下げます」と話した。★東京・リーシングと土地活用のビジネス戦記


 中田市長の事務所は「訴状が届いていないので答えられない。弁護士と協議の上、法的措置などを含め、しかるべき対応をする」と法廷闘争を辞さない構えをみせた。

 [2008年12月26日日刊スポーツ]



 
横浜市

 横浜市は、東京都心から南へ約30km、東京湾に面した神奈川県で最大の都市である。市政の中心地は関内地区(中区の関内駅周辺)で、市域の中央駅は横浜駅(西区)[2]。経済活動の中心は関内地区から約3km北の横浜駅周辺地区へ移っており、両地区の中間に位置する横浜みなとみらい21地区(桜木町駅周辺)の開発を進めて、中心部の一体的な発展を図っている。
市域は、鎌倉に鎌倉幕府が置かれた鎌倉時代から本格的に開発され始め、江戸時代には江戸幕府が置かれた江戸に近いため、幕府直轄地や旗本領が大部分を占めた。横浜市内唯一の藩として六浦藩がおかれた。また、大きな港を持たない鎌倉の海の玄関口として六浦湊(金沢区六浦)が、江戸湾(東京湾)内海交通の要衝として神奈川湊(神奈川宿、神奈川区神奈川)が、早くから栄えた。江戸時代末期には、神奈川湊沖で締結された日米修好通商条約により、「神奈川」を開港場にすることが定められた。
実際には神奈川湊の対岸にある横浜村[3](現在の中区関内地区)に新たに港湾施設が建設され、短期間に国際港の体裁を整えた。1859年7月1日(旧暦:安政6年6月2日)に開かれた横浜港は「金港」とも呼ばれ、生糸貿易港、商業港、旅客港として、また工業港として急速に発展。横浜を日本の代表的な国際港湾都市へと発展させる礎となった。
1889年(明治22年)4月1日に市制が施行され、横浜市となった[4]。市域の面積は、市制施行時には横浜港周辺の5.4km² にすぎなかったが、6次にわたる拡張と埋立てにより437.38km²(平成18年)となっている。
1927年(昭和2年)の区制施行で市域は5区に分けられ、周辺町村の合併と区域の再編を経て、行政区の数は18区となっている。市制施行時の横浜市の人口は約12万人だったが、その後は第二次世界大戦中の一時期を除いて増加の一途をたどり、現在では約360万人となった。これは日本の市では最も多く、人口集中地区人口も東京特別区に次ぐ。1956年(昭和31年)には政令指定都市に[5]、1988年(昭和63年)には業務核都市に指定された[6]。



 大好きな、横浜!!

すごいことになったねーーー!!




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【経営】パシフィックが資金調達先を発表、中国系10社から470億円

                                  2008/12/26 ケンプラッツ

 不動産ファンド運用会社のパシフィックホールディングスは12月26日、同社に資金提供する予定の中国企業10社の社名を発表した。パシフィックは経営難を乗り切るため、2009年2月27日に約470億円の優先株発行を予定しているが、割当先の詳細は公開していなかった。

 資金を提供する中国企業の出資比率は、寧波華瑞房地産開発有限公司(寧波市)が20%、中国浙江緑城集団(杭州市)が15%、銀億集団(寧波市)が15%だ。残り50%を負担する7社は寧波、杭州、上海の各市にある。元産業再生機構専務の冨山和彦氏が社長を務める経営共創基盤(本社:千代田区)が設立した、中柏(ちゅうはく)ジャパン(同)が資金の受け皿となる。

 中柏ジャパンは日本円で約470億円に相当する36億人民元を出資者から受け取り、パシフィックが発行する優先株を引き受ける。10社は今回の出資合意に際して、パシフィックが2月の払い込み期日の30日前までに事業計画を提出し、承認されることと、取引銀行のサポートを得られることを前提条件に加えた。

 なお、パシフィックは2008年12月26日付で470億円のうち200億円を社債で調達し、その後優先株に転換する予定だったが、中国政府の許認可を理由に予定を延期した。社債発行の期日はあらためて決める予定だが、2009年2月27日までに許認可が得られない場合はこれを取りやめて、全額を直接、優先株発行で調達する。

 2008年12月19日には、今回の10社と別の非上場の中国企業が、6億5000万円を中柏ジャパンに出資している。パシフィックが調達する資金は、総額約477億円になる。

パシフィックホールディングス  
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中国すごいね!!
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山本モナ、年内謹慎処分解除を受け自分を律する宣言

12月26日 アメーバニュース コメント(139)

 今年7月、当時読売ジャイアンツ選手だった二岡智宏(32=現北海道日本ハムファイターズ)との不倫疑惑が報じられ『サキヨミ』(フジテレビ系)降板となり、所属事務所から芸能活動謹慎を言い渡されたアナウンサーの山本モナ(32)の謹慎処分が12月31日をもって解かれることが所属事務所から発表された。

 今回の発表を受け、モナは自身のブログで「私の無自覚な行動から、番組や関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことを大変申し訳なく思い、謹慎期間中に改めて深く反省いたしました。申し訳ございませんでした」と過去を反省。「今後は厳しく自分自身を律し、再度このような事態を引き起こさないことを皆様に誓います」と、これからは問題を起こさぬことを誓った。






事務所のたけし社長が、

クリスマスプレゼントにしてくれたんだろうか???

懐の深さがわかるね・・・・芸能界もね・・

そして、あたらしいキャラクターの出現かもね・・







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バフェット氏の「教え」、大切なのは企業の将来像

2008年12月25日

 米著名投資家のウォーレン・バフェット氏はフロリダ大学で講演した際、株投資の「教え」として、有望企業が将来どのように変化するかを見極めることが重要で、それがいつになるかは大切ではないと紹介した。25日付で外匯報が伝えた。

 バフェット氏はコカ・コーラ株を例に挙げ、企業の株式を買うタイミングをつかむのは難しいと指摘。コカ・コーラが1919年に上場した際の公募価格は40米ドル。その1年後、同社株は砂糖の高騰などが響いて19米ドルにまで下落した。その後も、世界大恐慌、第二次世界大戦などの異常事態が立て続けに起き、投資家が買い入れるのに良いタイミングは訪れなかった。ただもし、上場時の40米ドルでコカ・コーラ株を1株買い、その配当資金で地道に買い増して、現在の保有価値が5000万米ドルにまでに膨れ上がったのならーーそれまでのすべての過程は吹き飛ぶ。

 有望企業の株式を保有していれば、その後にどんなハプニングがあるかということはみじんも心配しない。その会社が将来どのように変化するかをイメージしている」とバフェット氏。

 バフェット氏のモットーは自分が得意とする分野に特化すること。これによって90%の企業が投資対象から外れる。そして残った企業から対象を選ぶ際に大切となるのが企業競争における「城壁」の厚さだ。

 30年前、コカ・コーラとコダックの城壁はともに厚く、他社がこれを責め崩すことは難しった。ただコダックの城壁は、競合の富士フイルムの猛攻撃に遭い、手薄になった。とりわけ同社が長年独占してきた五輪スポンサーを富士フイルムに開け放したころから、両社の勢力図は均衡に達した印象が強い。

 一方でコカ・コーラの城壁は30年前よりもさらに厚くなった。この城壁の変化は日々刻々と変化しているが分かりづらく、10年経ってようやく如実に表れる。

 バフェット氏は、城壁を固めつづけ、それを保護し、競合に付け入るすきを見せない企業を投資対象として探すそしてこうした企業は、単純な商品を生産する企業の中から見出す。たとえばチューインガムメーカー。インターネットの普及が人々のガムの食習慣を変えることはない。10年後も20年後もやはりガムを噛んでいるだろう。10年後の企業がどのようになっているかをイメージできるかが投資の上で大切となる。(ヤフーファイナンス)


ウォーレン・バフェット(Wikipedia)

Warren Buffett

生年: 1930年8月30日(78歳)
アメリカ合衆国
ネブラスカ州オマハ
職業: 投資家、実業家
資産: 620億ドル
配偶者: スーザン(1952年 - 2004年)死別
アストリート(2006年 - 現在)

ウォーレン・バフェット(Warren Edward Buffett、1930年8月30日 -)はアメリカの著名な株式投資家、経営者、慈善家。敬愛を込めて「オマハの賢人」(Oracle of Omaha)とも呼ばれる。[1]。世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの最高経営責任者である。

バフェットは株式投資で成功を収め、フォーブス誌によるアメリカの長者番付フォーブズ400では1986年の5位以来、毎年ベスト10に入り続けている(2008年現在)。[2]世界長者番付ではビル・ゲイツが1994年から13年連続で1位となり[3]、バフェットは2位になることが多かった。バフェットは2007年に前年から資産を100億ドル増加させ、620億ドル(約6兆4360億円)となり初めて1位になった(米国内の長者番付では1993年に1位になったことがある)[4][5]。
バフェットの資産は主に自身がCEOを務めるバークシャーを通じて形成されている。[6]バフェットの生活は質素で、1958年に31,500ドルで購入したオマハの郊外の住宅に今でも住んでいる。バークシャーから年に10万ドルを受け取り、暮らしている[1]。
2006年6月にバフェットは資産の85%にあたる約374億ドルを5つの慈善財団に寄付すると発表した。これはアメリカ史上最大の金額であり、寄付はバークシャーのB株の形で寄付残額の5%ずつ毎年支払われる。寄付のうち約310億ドル(B株1000万株)は友人であり2004年からバークシャーの社外取締役を務める[7][8]ビル・ゲイツのビル&メリンダ・ゲイツ財団に[9]、残りは4つの財団に寄付される。

投資

バフェットの投資に関する考え方はベンジャミン・グレアムの理論をベースとしている。[44]株式が企業の一部であることを意識し、市場に惑わされず、安全余裕率を忘れないことが重要な要素だとしている。その他にフィリップ・フィッシャーの影響も受けている。[45]そして失敗した投資やチャーリー・マンガーの意見によって、バフェットは単に割安な企業よりも数字に表れないものを含めて内在価値が高く、適切な価格以下の企業へ投資するように変化した。



語録

1ドルのものを40セントで買う哲学を学んだ。
リスクとは、自分が何をやっているかよくわからないときに起こるものです。
他人が慎重さを欠いているときほど、自分たちは慎重に事を運ばなければならないということです。
株式投資の極意とは、いい銘柄を見つけて、いいタイミングで買い、いい会社である限りそれを持ち続けること。これに尽きます。
世論調査なんて考えることの代わりにはなりません。
ルール その1:絶対に損をするな。ルール その2:絶対にルール1を忘れるな。
ビジネスの世界では、いつもフロントガラスよりバックミラーの方がよく見えるものです。
風見鶏を見ているだけでは金持ちにはなれません。
時代遅れになる原則はそもそも原則ではありません。(バリュー投資について)
尊敬できる人のもとで働きなさい。(就職に関するアドバイス)
ウォーレンはカラーテレビのような人です。みなが白黒なのに彼にはカラーに見えるの(妻スーザンがバフェットを評して)
買うのは企業、株ではない



尊敬できる人のもとで働きなさい・・・・

いい言葉ですね・・