誇れる自分...I'm Proud | 会社を辞めてXXを season 2

会社を辞めてXXを season 2

自分の原点に戻るべく57歳にして東京の商社を辞めて農業分野への転職を決意。年齢フィルターに苦戦しながらも農園への転職に成功するも1年でリストラに。再び彷徨いはじめた自分探しの備忘録。

 

 



みなさん、こんにちは。

都内の桜は満開を迎えたが土日の冷たい雨と強い風によって見に行く機会を失った諸兄も多いようだ。近くの桜の名所はまだまだ見応えがあるようで平日にも関わらず多くのヒトで賑わっていた。

さて、前々回「メキシカン・ドリーム」でアメリカ西海岸の不法入国したメキシコ人労働者のことを拙ブログでご紹介した。また前回「不正の代償」で破天荒なリーダー格が何をしたのかをご紹介した。

 

 

 

 

この部署にいたときアメリカ西海岸で一次製品の生産管理のため会社のスタッフが長期出張で派遣されるのだがこのときのエピソードをご紹介しよう。

1人あたりの出張期間はほぼ1か月から50日で日本から交代で行っていた。この西海岸の町は片田舎にあり、最寄りの国際空港までクルマで片道3時間を要した。

代理店はあるのだが彼らは日々の生産と輸出サポートだけで、スタッフの送迎や日々の工場への通勤、買い物などの移動はレンタカーが使われた。従って出張にいくスタッフ全員は国際免許証を用意しなければならなかった。

2005年、私はYY課の課長になったが、新規で始まったXX課の人手不足もあり臨時で現地の品質管理をやらされることになった。乗り気ではなかったが現地であの破天荒なリーダー格が何かワルサしていないか、良く調べてこいと当時の専務にいわれ行くことにしたのだ。当時の専務はこのリーダー格がなにか隠れてワルサしているのではないかと訝しく思っていたのだ。

時代はもう、Eメールだ。先発隊の後輩くんに連絡をして国際空港まで迎えに来るよう依頼した。私の父方の叔父が50年以上前にまったく同じ地に出張に来ていたそうで、このときはテレックスでしかも無事にむかえに来てくれるか連絡手段もなく非常に気をもんだという苦労話を聞いたことがある。

私はリーダー格が勝手に予約したノースウエスト航空のエコノミー席で西海岸に向かった。勝手に予約したのは自分のマイルが加算されるからだ。ご丁寧に私のマイルカードまで作っていた。紹介マイル狙いだ。破天荒だがこういうところが細かくヌケメがない。この貯まったマイルを使って家族で海外旅行に毎年いっていた。

機内は窮屈で席も選ばせてもらえなかったので列の真ん中だった。しかもCAの態度が悪い。夜食のサンドウィッチなんかは真ん中まで投げてよこす。あと外人客が多く香水の匂いが入り乱れてひどかった。この年このキャリアは連邦破産法Chapter 11を申請、破綻したのだった。このサービスでは当然だろう。

国際空港に到着すると後輩くんが迎えに来ていた。借りていたクルマはマツダのMAZDA 6、日本名でアテンザだった。このころ日本ではカーナビが当たり前になっていたがアメリカではまだ普及率が低くナビはついていなかった。これが後に悲劇をもたらす。なにせ直線道路が多いとはいえ、3時間の道のりを覚えないと帰ることができない。

後輩くんは2回目の派遣でもう慣れているので私に運転させて欲しい、といったが「イヤ、先輩に運転させるわけにはいきません」と譲らない。しかたなく現地までの道しるべや信号の渡り方、信号は赤でも右折OKとか、パトカーやスクールバスの対処の仕方などレクチャーを受けながら向かった。

パトカーの対処法は本当にコワイ。サイレンが聞こえたら道端に止めてやり過ごす。これは救急車も一緒だ。あと交通違反でもし捕まったら同じく道端に止めて静止していること。ハンドルに手をかけ、何も持っていないことを示すのだ。

ポリスが話しかけてきたらゆっくりと窓をおろしてはなしを聞く。免許証の提示を求められたらゆっくりした動作で免許証をとりだす。ダッシュボードなんかにイキナリ手をかけたらアッという間に発砲され確実にあの世へ逝くという。日本の警察と違って急所を狙うからだ。親指と人差し指をポリスに見せながらゆっくりツマミとるのがイイとのことだった。

ヤベェところに来ちまったなぁと思った。だが来ちまった以上仕方がない。道中はセコイアの森を抜けるのだがめちゃくちゃ木が高く昼間でも道路が暗い。北米が走行中はヘッドライトの常時点灯を規則にしている理由の一つだ。

道中はトイレ休憩も必須になる。セコイアの森でいたすのもアリなのだが凶暴なクマもいるらしくキケンだ。そこで唯一ある個人経営のストアでトイレを借りるのだ。正式な店名があるのだろうが我々は勝手に「ウ〇コポイント」と呼んでいた。トイレは施錠されているのでお店に入って店員から鍵を借り、店の裏手にあるトイレで用を足す。終わると鍵を返しに店に入り、お礼代わりにジュースやスナックなどを買うのだ。

そして我々は無事宿泊先にしているレンタルハウスに到着してメシにありつくことになった。後輩くんはサプライズで「今日は先輩のために日系スーパーで高いコメを奮発しましたっ!」といってホカホカの炊いたご飯を見せた。

おお、うぃヤツと早速食べてみるとなんか固くておいしくない。後輩くんが「あれっ」といってコメ袋を確認するとなんとモチゴメだった。「スミマセン...」と後輩くんが謝るが仕方がない。私は大丈夫、心配するな、と言っておこわより硬い触感のモチゴメを何とかおいしそうに食べた。

一週間ほどの引継で後輩が帰国することになり一緒に国際空港へ行くことになった。この一週間もかなり濃厚な体験だったので次回にご紹介しよう。私はレンタカーのカギを受け取り後輩くんを見送った。帰りは私一人キリだ。

そしてこの一週間も私は運転できなかったのでこの帰り道がはじめての運転となった。MAZDA 6は当然左ハンドルなので勝手が悪いしウィンカーは逆だ。周りの確認も日本とは逆にしないといけない。私は空港をでて慣れない高速道路に入り宿泊しているレンタルハウスに向かった。

1時間半ほど走ったところで私は例のセコイアの森がいっこうに現れてこないことに気がついた。太陽はだいぶ傾いて広大なアメリカの地平線に近づいていた。なかなか次の道路標識が見えてこない。もうすぐ2時間経つというときついに標識が見えた。

!!! がーん!(゚д゚lll) !!!

アタマのなかでハッキリこの音がした。私は空港から西へ向かうべきところを南に向かってつっ走っていたのだった。きっとどこかのインターチェンジで道を間違えたにちがいない。

つぎの出口でおりて道を戻ろうとしたがこの出口がなかなか現れない。私はなかばパニックと情けなさと切なさで自然に涙が溢れ出てきて泣いていた。いかん、落ち着こうと涙を拭いてCDの音楽をかけた。

すると華原朋美さんの「I’m Proud」が流れてきてまた泣いた。イイ曲だ。後輩くんがクルマのCDに入れっぱなしで忘れていたのだ。私はリピートボタンを押して何回も聞いた。久しぶりに聞く日本の音楽だった。

Lonely く じ け そ う な 姿  窓 に 映 し て
あ て も な く 歩 い た
人 知 れ ず た め 息 つ く


まさに、今、自分が置かれた状態だった。ドンピシャでこのフレーズが来るかと思った。そしてやっと出口が現れた。ウィンカーを出すとワイパーが作動して、あぁ違ったと逆の操作をして高速を降り、反対方向の高速道路へ乗り直すことになんとか成功した。

イイ大人が涙を流しながら運転しているクルマも、周りから見たらオソロシかったに違いない。異様な雰囲気だったのだろう。みんな避けてくれた。でも、高速がタダなのは自動車大国アメリカのイイところだ。日本なら数千円はとられていただろう。

間違えたインターチェンジの標識は2時間後に現れた。まったくの見落としだった。初めての海外運転で周りがよく見えていなかったのだ。時速80Kmとして2時間だから片道160Km、往復で320Kmのムダ足だった。そしてセコイアの森、ウ〇コポイントを抜けて自分のねぐら、レンタルハウスに到着したのだった。

その翌日の操業時、後輩に代わって私がリーダーとなったアメリカ人現地スタッフにこの失敗談を話したら腹抱えて笑ってくれた。あそこはオレたちでも間違えるんだよねって言ってくれた。私の失敗に共感が得られたのだった。

ボス=Bossというコトバには「上司」以上に「支配者」くらいの意味合いが英語にはある。後輩くんは私を自分のボスと現地スタッフに紹介していたので警戒されていたらしいのだが、私の失敗談でイッキに親近感を持ってくれたらしい。

イヤイヤで来た現場だったが自分が与えられた仕事、任務、そして一緒に働いてくれる現地スタッフが誇りに思えた瞬間だった。最後まで読んでいただきありがとうございます。

Live long and Prosper.  ||//_