いよいよ出発です。
2004年9月9日。
このときにはもうトロントへの直行便が就航していました。
往復の飛行機代金は約15万円。
ずいぶん安くなったものです。
トロントの空港にはギボンさんが迎えに来てくれていました。
ギボンさんはトロントから50キロほどのところにあるバーリントン(Burlington)という市に住んでいます。
列車で1時間半、車だと50分弱ほどです。
この投稿をしている2026年で80歳代半ばですので、当時は60歳代です。
まずホテルにチェックイン。
5泊で310カナダドルの安いホテルです。
ギボンさんに「1試合に400ドル払うのにホテルは1泊60ドル(約 5,000円)なんだね」なんて笑われました。
そのホテルの最初の部屋は窓の鍵がかからなくて、部屋を変えてもらったのですが、「鍵がかからない」と言ってもホテルの人は「それで?」という感じでした。
ギボンさんの案内で、ワールドカップの会場である「エアカナダセンター」、アメリカ大リーグのトロント・ブルージェイズのホームグラウンド「スカイドーム」、新しくなっている「ホッケーの殿堂(ホッケー・ホールオブフェイム:Hockey Hall of Fame)」を車で見て回った後、試合を見るための予備知識を聴かせてもらいながら夕食をご馳走になり、1泊目は終了です。
翌日9月10日、ホールオブフェイムに行きました。
26年前、初めてカナダを訪れたときにはひろ~い公園の中にあり、しかも3月でしたから、雪で覆われたその公園には人っこひとりいませんでした。
その中をホールオブフェイムに向かってとぼとぼ歩いていると巡回していたパトカーに声をかけられ、事情を話すとパトカーで連れて行ってくれたのでした。
現在は市街地の駅のすぐそばで、試合会場であり、地元のトロント・メイプルリーフスのホームリンクであるエアカナダセンターにも近い場所にあります。
(旧モントリオール銀行の建物を改装し、その中がホッケー・ホール・オブ・フェイム)になっています)
外には1972年の頂上決戦 (Summit Series) 、カナダのプロ対ソ連の初めての対戦の記念碑があり、あのシリーズがホッケーの歴史の中でいかに重要なものであったかを改めて認識しました。
そして、ホッケーに対する関心が薄いこの日本という国で、しかも日本人選手がいないのに、何故かその試合が放送され、さらにそれを見たという偶然。
その偶然の重なりがなかったら、これほどまでにホッケーに熱中することはなかったのですから、私にとっても重要なシリーズです。
私の人生に限りない影響を与えてくれたのですから。
(1972年のソ連とのシリーズの記念碑)
ギボンさんの友人のBob Borgenさんの計らいで無料で入ることができました。
展示品の中でひときわ輝くスタンレーカップ (Stanley Cup)。
優勝チームに贈られるこのカップ。
選手一人一人が両手で高々と掲げながらリンクを回る。
「いつかは自分も」
どれほど多くのカナダの少年たちが夢見ていることでしょう。
(スタンレーカップ)
歴代の選手や関係者を讃える展示はもちろんですが、以前にはなかった展示もありました。
そのうちの一つはモントリオール・フォーラムのカナディアンズのロッカールームの再現です。
壁の高いところに飾られた名選手たちが見下ろすこの部屋にムートンさんが連れて行ってくれたときのことを懐かしく思い出しました。
(カナディアンズのロッカールームの再現)
ウェイン・グレツキー (Wayne Gretzky) のコーナーが大きくとられていたのも新しいところです。
反則以外、すべての個人記録を塗り替えたと言っても良いほど偉大な選手ですから、当然のことです。
2010年のバンクーバーオリンピックでは最終聖火ランナーの一人でもありました。
ホッケー界の、ではなく、国民的英雄と考えて良いのでしょう。
長野オリンピックでグレツキーのプレーを見ることができたことは私の大きな財産の一つです。
(何故、最も活躍したエドモントンではなく、のちに移籍したニューヨークのユニフォームを写真に撮ったのだろう...)
あれこれじっくり見ていると時間がいくらあっても足りません。
(たくさんの展示品の数々)
12時から16時まで過ごしました。







