モントリオールからトロントへ戻り、空港に迎えにきてくれていたギボンさんにスカイドームへ連れて行ってもらいました。

ここは昨シーズンの大リーグのワールドシリーズでドジャースと対戦したトロント・ブルージェイズの本拠地で、現在は「ロジャース・センター」と名称を変えています。

この球場のセンターの上はホテルになっていて、部屋でくつろぎながら野球観戦をすることができます。

 

(スクリーンの両側の窓がホテルです)

 

9月で球場はガラガラでしたから日程消化試合だったのかもしれません。

しかし、日本のプロ野球と違うテンポの早い野球を楽しむことができました。

試合はブルージェイズの負けでした。

 

(ギボンさん)

 

翌日、9月14日はいよいよ決勝の日です。

昼間にボーゲン夫妻 (Bob Borgen) と食事をしました。

ボーゲンさんは長年ロサンゼルス・キングスの試合のテレビ放映やその他のチームとも関わりを持っていて、ホッケーの歴史に関する執筆もしています。

奥様のミナコさんは日本人で女優さんです。

お二人の様子からとても仲の良いご夫婦という印象を受けました。

 

(おしどり夫婦)

 

ホッケーの殿堂の近くで一緒に昼食をとり、ボーゲンさんの計らいで殿堂の保管庫に入れてもらいました。

そこには展示されていない貴重な品々がきちんと整頓されて保管されています。

ホッケーに限りませんが「殿堂」には貢献のあった人たちを讃える盾などを展示するだけでなく、選手が着用したユニフォームやヘルメット、記念すべき点を挙げたときのパックやスティックなどなど、すべて現物が保管、展示されています。

膨大な数のものがここに保管されているのです。

スミソニアン博物館の倉庫のホッケー版といったところでしょうか。

この中に入れたことは私のホッケーの歴史の中でも忘れられない経験の一つです。

これらの保管物の一つ一つを見たかったですが、もし、それが実現できたら、いったい何日かかることでしょう。

 

 

そこでボーゲン夫妻と別れました。

残念なことですが、それがミナコさんとの永遠の別れとなってしまいました。

ミナコさんは2023年にお亡くなりになりました。

たった1度お目にかかっただけですが、不思議とホッケーを離れたとても親しい友人のように感じていましたのでその逝去を知ったときにはとても大きな衝撃を受けました。

ミナコさんを心から愛していたボブさんの心の痛みは想像できないほど強いものでしょう。

ミナコさん、安らかに。

 

16時半にグレツキーのレストランで早めの夕食を摂りました。

(グレツキーのレストランの中はグレツキーにまつわる品々が展示されています)

 

レストランはまだ空いていましたが、バーはすでに満員でした。

そこには「試合終了後すぐに閉店します」という看板が出ていました。

おそらくそこでカナダチームの打ち上げパーティがおこなわれる予定なのでしょう。

そして、17時半、いよいよエアカナダセンターに行くと、外は両チームのファンで大賑わい。

 

 

 

フィンランド対カナダの決勝戦はカナダが勝って優勝しました。

 

 

試合後の外は人々が大騒ぎ。

通りかかったバスを止めてよじ登り、揺らしたり、バックミラーを捻じ曲げたり。

車は通れません。

警官だけでは抑えきれず、騎馬警官が出動、馬で人々を押しのけて道を開けて車やバスを通していました。

どうやら馬にはかなわないようでした。

カナダ人がこんなことをするとは、私の中では意外でしたので、正直なところがっかりしました。

 

(試合後の大騒ぎ)

 

翌9月15日、日本への帰路に就きました。

 

約1年にわたって書き続けてきた私のホッケー史はいったんこれで終わります。

これまでお読みいただいた方々、どうもありがとうございます。

 

ただし、私とホッケーの関係がこれで終わったわけではありません。

今でもホッケーを見続けています。

 

情報がほとんどないなか、「カナダでホッケーを見たい」という思いをなんとか実現したいと思ってあれこれ工夫して情報を集めていた1970年代。

時代は移り変わりどんな情報もすぐに手に入る時代になりました。

試合だって、テレビで生中継を見ることができるなんて、当時は思いもつかないことでした。

 

NHLそのものも大きく変わりました。

チーム数が増え、「外国人」選手が多くプレーしています。

“Flying Frenchmen” (空とぶフランス人)と呼ばれていたモントリオール・カナディアンズにはもはやフランス系カナダ人は少数派となり、フィンランド人がキャプテンを務めたこともあり、今はロシア人やチェコ人が活躍したりしています。

かつてのヒーロー、ウェイン・グレツキーが持っていたNHLの通算得点記録も今ではロシア人選手に抜かれています。

 

世界中の一流選手が集まっているNHL。

今後も見続けてゆきますし、ホッケージャーナリストのギボンさんとカルガリー在住の空手友達のレイは現地のホッケー事情を随時伝えてくれます。

これからはそういう中で思ったこと、感じたことをこの場に書いてゆきたいと思います。

 

これまでいったい何人の方々と出会ったことでしょう。

このような素晴らしい思い出を作ってくださったこれらの人たちに心から感謝しています。

 

言うまでもありませんが、その中でも特にムートンさんにはなんとお礼を申し上げたら良いか分かりません。

ありがとうございました。

 

そして、安らかにおやすみください。

 

今回のカナダ訪問にはワールドカップとは別にもう一つ大きな目的がありました。

ムートンさんの墓参です。

準決勝を観た翌日、早朝にトロントを経ち、50人乗りくらいの小さな飛行機でモントリオールへ行きました。

飛行時間は1時間と少しです。

機内アナウンスがフランス語が先になり、モントリオールへの着陸体勢に入りましたが、以前のようなワクワクした気持ちは、もちろんありません。

空港には奥様が迎えに来てくれていました。

先ずご自宅へ連れて行っていただきました。

以前の一軒家から集合住宅に移っていました。

そして、1冊のアルバムをくださいました。

ムートンさんが選手と写っているものや、さまざまなイベントでの写真など、わざわざ私のために多くの写真を集めてアルバムにしてくださったのです。

以下、そのうちの何枚かです。

(カナディアンズは毎年夏に地方を回って、地元の野球チームとのチャリティー野球をしていました。スーパースターのGuy Lafleurは野球が大の苦手で、いつも「ベンチにいさせてくれ」とコーチ役のムートンさんに頼んでいたんだ、という話をムートンさんが聴かせてくれました。)

 

(ウェイン・グレツキーと)

 

(カナダのトルドー首相(中央)と)

 

そして、ムートンさんの名が冠せられたRue Claude Mouton(クロード・ムートン通り)経由で霊園へ。

 

屋内なので寒いときでもお参りに行けます。

ムートンさんの写真に「また来たよ」と軽く手を振る奥様。

ムートンさんの遺影の前で手を合わせているうちにムートンさんがしてくれた数々のことが思い起こされて涙が止まらなくなりました。

 

翌9月13日に、キャロル・ロバートソン(Carole Robertson)さんと昼食を共にしました。

キャロルさんは元NHLの職員で、私がThe Hockey Newsで知ったある本について問い合わせたことがきっかけで知り合いました。

その後、手紙やクリスマスカードのやり取りを始め、実際に会ったのはこのときが初めてでした。

 

このときのおしゃべりで今でもときどき思い出すやりとりがあります。

そのころ、私は社内で初心者が中心のホッケーチームを作りました。

その話をして、私はディフェンスをしているという話をしたとき、「あなたは体が大きくないのになぜ?」と聞かれました。

「後ろ向きに滑れるのは私だけだから」と答えると、キャロルさんはプッと吹き出し、私の体を叩きながら大笑いしていました。

カナダでは後ろ向きに滑れるのは当たり前のことなんですね。

 

キャロルさんに連れられてForumのあった場所へ行きました。

外側は看板だらけで、シネプレックスのあるショッピングモールのような建物に改装されていました。

 

館内のところどころに置かれている座席や人形がわずかに往時を偲ばせるものでした。

 

その後、キャロルさんとは連絡が途絶えてしまいました。

クリスマスカードを送っても返信はありません。

このときでも決して若くはなかったのですが、今も元気にしているといいのですが。

 

さあ!

いよいよ初めてのワールドカップ観戦の日がやってきました。

どんなにか素晴らしい熱戦を観られるのだろう。

 

まず午前中にギボンさんの計らいでカナダとチェコの練習を見せてもらいました。

カナダの練習のときには客席にグレツキーの姿がありました。

ギボンさんに「サインをもらっておいでよ」と言われました。

グレツキーに近づくことすら気が引けていたのですが、さらにギボンさんに促されて恐る恐る近づいてゆくと、周りにいた関係者に遮られ、それに気づいたグレツキーに「After the practice(練習が終わってから)」と声をかけられました。

グレツキーにサインをもらえる、ということで練習そっちのけで、ワクワクして練習が終わるのを待っていました。

しかし、練習が終わるとサッと席を立って行ってしまったので残念ながらサインはもらえませんでしたが、間近でグレツキーを見ることができ、声をかけられたことだけでも練習を見たこと以上に嬉しいことでした。

 

練習後にギボンさんはロッカールームの前でチェコの選手に取材をしていました。

私は邪魔にならないように離れていましたが、多分チェコ語だったと思います。

ヨーロッパのホッケーに通じているギボンさんなので、いくつかのヨーロッパの言語を使いこなすことができます。

そのために語学学校に通うなどの努力を続けてきたようです。

長野オリンピックのときには日本語も勉強していました。

残念ながら使えるほどにはなりませんでしたが、そのような熱意を持って仕事に向かい、結果を出している。

素晴らしいことだと思います。

もっとも「ほんとうは野球のほうが好きなんだけどね」。

 

昼食はオンタリオ湖に面したスポーツレストランでとりました。

その際、その晩の試合を放送するテレビ局の有名コメンテーターが同席し、ギボンさんがチェコのチームや選手に関する情報を提供していました。

こうして華やかなテレビ放送を裏で支えるのがギボンさんの重要な役割の一つとなっています。

同時に選手だけでなく、放送関係者も着々と今晩の試合に向けた準備を進めているのを感じることができ、私の気持ちも昂り始めていました。

 

そしていよいよ初めてのワールドカップ観戦です。

チェコ対カナダの準決勝。

会場はエアカナダセンター。

 

この日は9月11日でしたので9.11の犠牲者を追悼するために試合前に黙祷をし、カナダの選手は喪章をつけていました。

また、チェコの選手は8月に交通事故で亡くなったチェコの元選手であり監督であったIvan Hlinka(イワン・フリンカ)の追悼のために選手時代の背番号21をつけていました。

 

しかし、長野オリンピックもそうでしたが、試合の内容はまったく覚えていません。

両チームとも有名な選手が出場していたのに、誰がどんなプレーをしたのかも覚えていません。

覚えているのはあの場にいた自分だけです。

カナダが点をとったときには思わず立ち上がり、見知らぬ隣の人と顔を見合わせ、握手をしたり、手を叩き合ったり。

きっとワールドカップ観ているという感激と興奮があまりに強かったからかもしれません。

 

試合は延長の末にカナダが勝ち、昨日アメリカを破ったフィンランドとの決勝へ駒を進めました。