今回は旅の間の一息。私のコレクションをご紹介します。

情報収集に始まり、Moutonさんとの出会い、そして香港でのホッケーまで。これまで「体験」を中心にお話ししてきましたが、今回は少し趣向を変えて、私が半世紀かけて集まった「ホッケーの記録」をご紹介します。

リンクしたアルバムにそれぞれに対する思いを書きましたので、そちらも併せてお読みいただければ幸いです。

 

1972年の暮れに近い日にテレビで偶然観たアイスホッケーの試合。

その年の9月におこなわれた”Summit Series”のうちの1試合でした。プロ選手を揃えたカナダ対ソビエトナショナルチームの初めての試合。

それまでアイスホッケーとは無縁で、しかも引っ込み思案だった私を一気に虜にし、「こんな試合を生で観たい!」「絶対に観に行く!」と思わせたほどの衝撃でした。

それ以降、日本国内の試合を観に行くようになりましたが、常に「あの試合」が私の頭の中にありました。

 

「いったいどうしたらあの試合を観られるのだろう」

「どこに行けばいいのだろう」

 

その手がかりを求めて洋書を扱っている東京都内の書店を巡り歩き続け、「あの試合」から2年後にようやく見つけた1冊の本。

”FACE-OFF ’74-’75”

書店の棚に“FACE-OFF”という文字を見つけた瞬間、「もしや」と胸が高鳴りました。そして、手に取ってみると表紙に「あの試合」で見たヘルメットをつけていないホッケー選手の写真。「やっと見つけた!」という思いでした。

私にとって「ホッケーへの入り口」というべき本です。北米のプロアイスホッケーリーグ、“NHL(National Hockey League)”という言葉を知ったのもこの本でした。

 

▪️書籍

その後も洋書店巡りを続け、NHLに関する雑誌や本を見つけては興奮して買いました。

そして、大学のカナダ人教授とのお付き合いの中で知って購読するようになったThe Hockey News 。この新聞のおかげで私のNHLに関する知識は急速に増えてゆきました。興味のある本を見つけては取り寄せ、また、モントリオールに行ったときには目についた書店に必ず入ってホッケー関係の本を買い集めました。今、三つある私の本棚は本や雑誌でいっぱいになっています。

 

▪️NHLおよびチームの出版物

NHLは毎シーズンの初めに “Official Guide & Record Book”を発行していました。

そのシーズンの各チームに関するあらゆる情報、それまでのチーム記録、個人記録などNHLのあらゆる情報や記録が載っているNHLの百科事典、聖書とも言える本です。

PDF版が発行されていた時期もありますが、インターネットがこれだけ普及し、情報がいくらでも入手できる現在はもう発行されていません。

しかし、紙のページをめくる感触を味わえたり、なんとなくパラパラ見ているだけで新たなことを知ったり、懐かしんだりできるのは紙の本ならではです。そのため、かつての記録の重みがより一層貴重に感じられます。

 

また、NHLは全日程付きのルールブックを発行しています。これも今はNHLの公式サイトでPDF版を無料で入手できます。

 

Moutonさんが毎年送ってくれたものの一つにYear book(イヤーブック)、あるいはMedia Guide(メディアガイド)と呼ばれるものがあります。

選手一人ひとりのことを始めとするそのシーズンのチームに関することが載っています。

他のチームのものも欲しいと思い、これも各チームに手紙を送って取り寄せました。NHL職員のCaroleさんがまとめて送ってくれた年もありました。

 

▪️ビデオ

試合を見ることができなかった私にとって、ビデオは選手の動く姿を見ることができる貴重なものです。

カナダにいる友人に頼んでテレビでの中継を録画して送ってもらったビデオは100本くらいになりました。これらのビデオは試合を楽しむだけでなく、画面に表示される「外気温-40度」にびっくりし、この寒さだからこそ外出せずに家族がテレビの前に集まってホッケー観戦を楽しんでいる。そこに、むしろ家族団らんの温かさのようなものを感じます。また、コマーシャルを通して、カナダではどんなものがどういうふうに売られているのかを知るのも楽しみでした。

このようなビデオ以外にも、The Hockey Newsなどで往年の名選手や優勝チームの記録のビデオを見つけては必ず買っていました。

 

▪️小物

とにかくホッケーに関するものはなんでも欲しい。

絵皿、切手、トレーディングカードなど、手当たり次第に買い、また、友人が送ってくれた入場券の半券も私にとっては大切な宝物です。

 

▪️ヨーロッパ

私はNHLのファンである以前にホッケーファンです。

これからこのブログで中心的な存在になるホッケージャーナリストのDenis GibbonsさんはNHLはもちろんですが、特にヨーロッパのホッケーに詳しい方です。オリンピックなどへ取材に行ったときにはプログラムを送ってくれたり、手紙で現地のことを知らせてくれました。ヨーロッパのホッケーのことを知る機会は今でも少ないので、いつも興味深くプログラムや手紙を読んでいました。Gibbonsさんはもう取材に行くことはなくなりましたが、今でも公の情報では知ることのできないことを教えてくれたり、私の疑問に答えてくれています。

 

▪️感謝

やっと見つけた1冊の本に始まり、このように「膨大」とも言えるほどのものが集まったのは、私の「ホッケーをもっと知りたい」という強い気持ちの結果ではありますが、それ以上に一人のホッケー好きである私と関わってくれている人たちの友情や親切が形として表れているものと考えています。

 

地球の反対側からホッケーを観にきた奇妙な日本人を温かく、そして長く迎え続けてくれたClaude Moutonさん。そしてそのご家族。

今でも交流を続けている私の「ホッケーの先生」とも言うべきホッケージャーナリストのDenis Gibbonsさん。

まだ日本で試合を観ることが出来なかったころにテレビでの試合を録画して送ってくれたり、ホッケーファンの立場で話を聴かせてくれているRay Leatherさん。

本についての問い合わせをしたのがきっかけで、その後もお付き合いを続けてくれた元NHL職員のCarole Robertsonさん。

The Hockey Newsの存在を教えてくれ、また、NHLについていろんな話を聴かせてくれた気難し屋さんの大学教授、Conrad Fortin神父。

そのThe Hockey News の創設者で、何故かご自宅に招いてくれたKen McKenzieさん。

まだこのブログには登場していませんが、長年にわたってLos Angels Kings やNHLに携わっているBob Borgenさん。

他にも、私の最初の手紙をMoutonさんに届けてくれたモントリオール市観光局の方。モントリオールに行くたびにお礼をお伝えしようと試みましたが、結局会うことはできませんでした。

Canadiensが優勝したときの記録映像の16mmフィルムを送ってくれたMolson社のRichard Dubreuilさん。

そして、これらのコレクションには直接関係していませんが、ニューヨークからモントリオールへのバスの運転手、George Savignacさんなど、みなさん一人ひとりへの感謝の気持ちでいっぱいです。

これらの友情や親切があったからこそ、一目惚れしたホッケーをますます好きになりました。そして、今も大ファンであり続けているのです。

 

 

 

さて、私のコレクションをご紹介して一息ついたところで、次回から私のホッケー人生の後半を書き進めることにします。

私は30歳くらいのときにホッケーを始めました。

ホッケーに関心を持つようになって以来「いつかホッケーをやりたい」と思っていたので、週に2、3回スケートリンクに通いました。そうするうちに顔見知りになった人に声をかけられ、その人の所属チームに入れてもらいました。数年はそこで続けましたが、上手な人ばかりでついていくのが難しくなり、「それなら初心者でも楽しめるチームを作ろう」と思い立ち、会社の中にチームを作りました。

 

最初はなかなかメンバーが集まりませんでしたが、「やってみたかったけれど機会がなかった」という初心者や、「学生時代にやっていて、またやりたくなった」という人が少しずつ集まってきました。スケートすら初めてという人から経験者までごちゃ混ぜのチームです。指導者はいませんので、私はカナダやアメリカから教本を取り寄せ、練習メニューを考えました。

 

ホッケーをやるには防具が必要です。一式そろえると15万円くらい。北海道などでは兄弟や友人からお下がりをもらえることもあるようですが、東京ではそういう機会はほとんどありません。ゴールキーパーはさらに高額なので、その一部をチームが負担することもありました。

 

リンクを借りられるのは、一般公開が終わってから。しかも早い時間は少年チームや大学の強豪チームが優先なので、私たちが使えるのは早くても夜11時。練習が終わるのは深夜0時半ですので車は必須です。もっと遅い時間のこともあり、帰りの車の中で夜明けを迎えることもありました。リンク代は1回5万円ほどで、会費でまかないます。

 

お金はかかる、時間は深夜、車も必要。しかも氷の上では常に走り続けるので体力的にもきつい。だからこそ、本当に好きでないと続けられません。防具をそろえても、なかなか上達せずに挫折する人も少なくありませんでした。言い換えれば、続けている人たちは「生半可な好き」ではない、ということです。

 

Moutonさんが亡くなった1993年の夏、私は仕事で香港に赴任しました。

チームの運営が軌道に乗り始めたところだったので、仲間たちは残念がりましたが、香港赴任は私自身の希望でしたので迷いはありませんでした。

 

 

香港は日本と同じかそれ以上にホッケーとは縁が遠い場所だと思っていたので、しばらくホッケーはできないと覚悟していました。日本ではNHLの試合は見られなくても、日本リーグや大学リーグがあり、国際試合も時々ありました。しかし香港にホッケーチームがあるとは聞いたことがありません。

 

ところが実際には状況が違いました。まだイギリス統治下だった当時の香港には欧米人が多く住んでおり、カナダ人やアメリカ人も大勢いました。彼らがホッケーをしていると赴任前に知り、防具一式を持って行ったのです。

 

着任してすぐにリンクに行ってみました。ショッピングモールの中にある狭いリンク。体格の大きな人ばかりで、ヨタヨタ滑っている人は一人もいません。子どものころからホッケーに親しんでいるから当然です。日本人が野球やサッカーに自然に触れながら育つのと同じです。

 

日本ではスケーティング、パス、シュートなどの練習をしてから最後に試合をしますが、彼らは最初から最後まで試合。しかも、ベンチはなく、リンクに入る入口が一つだけ。そこに一列に並んで順番を待ち、一人が戻ってきたら一人が入る、というやり方でした。だから二組に分かれるのではなく、そのときどきでどちらのチームでプレーするかが決まるのです。どっちが勝った負けたではなく、とにかくホッケーを楽しんでいました。みんななかなかベンチに戻ってこないし、うかうかしていると先に出られてしまうことも。子どものころからホッケーをやっているので、ホッケーをやる体になっているのでしょうね。私はすぐに疲れてしまい、頻繁に戻っていましたが(笑)。

 

彼らのプレーを見て感じたのは「良いものを見て育ってきたんだな」ということ。もちろんプロには及びませんが、憧れの選手のプレーを真似しようとしているのが分かりました。きっと頭の中では好きな選手になりきっていたのでしょう。

 

スポーツに限らず、一つのことを習得しようとするとき、練習だけでなく「良い手本を見る」ことが大切だと思います。甲子園を目指すのとメジャーリーグを目指すのとでは、結果はどうあれ大きな違いが出るはずです。

 

そしてもう一つ思ったこと。

「カナダ人は、どこにいてもホッケーをやるんだな」

 

 

香港赴任中のもう一つの思い出。

私は中国への出張が多く、週に一度はどこかへ行っていた時期もありました。北京の協力会社の人が、私がホッケー好きだと知り、「出張のときにスケート靴を持ってきて」と言われたことがあります。

 

連れて行かれたのは北京大学の広い池。平日昼間なのに、たくさんの人がスケートを楽しんでいました。その中でスティックを持ってパックを回して遊ぶ若者たちがいました。危険なので日本では絶対にあり得ない光景ですが、そこが中国らしいところ。私は「一緒にやらせてくれ」と声をかけ、しばらく混ざって遊びました。あ、仕事中に。内緒、内緒(笑)。

 

「どこにいてもホッケーをやる」のはカナダ人の他に日本人がここに一人いましたね。

 

墓地に行ったあと、Michelと奥さんのLiseも合流して、5人でお昼を食べました。

イースターの昼食どきとあってレストランは賑わっていました。その賑わいが沈んでいた私の気持ちを持ち上げてくれ、ビュッフェの食事を楽しむことができました。魚料理を中心にしている私を見て、「日本人は魚をたくさん食べるから健康なんだろうな。自分は肉ばかりだから不健康なんだ。」とMichel。また「前に中華料理の辛いものをたくさん食べたら、翌朝、トイレで大変だったよ。」と言って、Liseに「食事どきになんてことを言うの!」と叱られていたのがおかしかったです。(実際のMichelの言葉はここには書けない直接的なものでした。笑)

 

Camil DesRochesさんは、Moutonさんがあの体で車を運転するのが心配で、後ろからついていったところ、Moutonさんの車がが蛇行していたことや、痛みでお腹のあたりを抑えていたのを見たことがあると話してくれました。

 

食事の後、ご自宅でMoutonさんの写真が載っている雑誌を見せてくれましたが、すぐに目を背けてしまいました。痩せたMoutonさんを受け入れたくなかったからです。私にとってのMoutonさんはいつまでも大柄の男性だからです。

ご家族によれば、私が電話した後、検査のために病院に行き、そのまま帰らぬ人となったそうです。いつも病院で、Moutonさんの姿を見て悲しそうな顔をしているご家族に笑顔で「なぜそんな顔をしているの?私は大丈夫だよ。」と気丈に振る舞っていたという話も聞かせてもらいました。

 

Michelが見せてくれたMoutonさんの写真。(友人から贈られたと記憶しています)

Forumで、Moutonさんがいる放送席の隣にあるペナルティボックスからリンクに戻ろうとするCanadiensの選手のユニフォームを、Moutonさんがリンクの上にある時計を見上げながら「まだまだ!」と引っ張っているクスッと笑ってしまう写真でした。

 

ホッケーに馴染みがない方への補足説明です。

ホッケーでは反則をするとその選手は一定時間ペナルティボックスという特別な席に座っていなくてはなりません。最も多いのは2分間で、その間、チームは一人少ない人数で戦わなくてはなりません。ですから、その時間が終わったら一刻も早くリンクに戻りたいわけです。このときMoutonさんが引き止めていたのは血の気の多い選手だったのでなおさら早くリンクに戻ろうとしたのでしょう。

 

その年、Canadiensは優勝しました。Moutonさんに捧げる優勝だったでしょう。

試合の時間は日本では平日の午前中でした。私は職場で周りに見えないようにイヤフォンを手で隠しながらラジオでの中継を聴いていました。試合終了、そして優勝の瞬間が近づいてきたとき、仕事の電話がかかってきました。イヤフォンはそのままで反対の耳に受話器を当てていましたが、仕事のことなど耳に入るわけはありません。涙が止まらず声も出せませんでした。

それ以来、Canadiensは優勝していません。

 

Moutonさんが私にどれだけのことをしてきてくれたか。

これまでこの場にたくさんのことを書いてきました。試合や練習を見せてくれたり、パーティに招いてくれたり。しかし、それ以上に、文字では書き表すことのできない大きなものを与えてくれました。

 

当初はMontreal CanadiensのMoutonさんでした。

世界一のスポーツチーム、Montreal Canadiensとつながりを持てていることがホッケーファンとして大きな喜びでした。しかし、次第にその気持ちは薄れてきました。Moutonさんは毎年、チームのカレンダーやイヤーブックやクリスマスカードを送ってきてくれましたが、お互いの手紙の中にはホッケーのことだけでなく、お互いの家族のことなども書くようになりました。

ご自宅にも招いてくれ、ご家族とも交流させていただいています。

私の長男が生まれたときにはお祝いを贈ってくれました。幼児が口にしても無害な加工がしてある木製の積み木でした。

 

(Mouton一家からのクリスマスカード)

 

亡くなった後、毎年命日に奥様のMoniqueに電話をしていました。普段はフランス語が中心の生活だと思いますが、慣れない英語で一生懸命に話してくれているのが伝わってきました。手紙もくれました。電話や手紙の中では、Moutonさんの思い出はもちろん、ご自身のこともたくさん聞かせてくれました。健康のこと、仕事のこと、生活のこと。常に二人の息子さんのことを気にかけ、応援している様子、お孫さんたちに囲まれて幸せで賑やかなクリスマスパーティをしたことなどいろんな話をしてくれました。

また、役目を終えたForumの設備類が競売にかけられたときにMoutonさんが使っていたマイクロフォンを選手たちが3,000ドルで落札してプレゼントしてくれたこと、モントリオール郊外のLa PrairieというところにCentre Sportif Claude Mouton(Claude Moutonスポーツセンター)ができたこと、Mouronさんがケベック州のスポーツ界に貢献があった人として「Pantheon de sports du quebec(ケベックスポーツ殿堂)」入りしたことも教えてくれました。

 

会うことはできなくても地球の反対側にMoutonさんがいる。いくじなしだった私を大きく変えてくれ、日々元気づけてくれたMoutonさんがいる。それがどんなに私の支えだったことか。

この投稿を書いている2025年夏。Moutonさんが亡くなってから30年以上経った今も、こうしていると涙が止まらなくなり、声を上げて泣きそうになります。

今でもMoutonさんがいてくれたことが大きな励みであり続けています。

 

私は昨年6月に脳腫瘍の摘出手術を受けました。腫瘍は取れましたが、1年以上経った今も手術の後遺症に悩まされていて、毎日が辛くてなりません。

今、Moutonさんがいたら、どんな声をかけてくれたでしょう。挫けそうになる私をどんな言葉で元気づけてくれたことででょう。

 

癌に罹っていることを知って電話をしたときに、Moutonさんが言った言葉。

 

“I AM A FIGHTER”

 

私にも“Fight, my son!”と言ってくれたかもしれません。

 

“Merci Beaucoup”et “Reposez en Paix”