【1992年12月:クリスマスカード】

Moutonさんが毎年送って来てくれるクリスマスカードにメモが同封されていました。

 

 

10 Dec/92

Masatoshi

 I am going to New York today for medical exams for a possible Cancer tumor of the Panereas and liver.  I am very nervous.

 I hope you will pray for me.  I will send you more news later.

Claude

 

(Masatoshi 

膵臓と肝臓の癌の疑いがあるので今日、検査のためにニューヨークに行きます。とても不安です。

私のために祈ってください。また連絡します。

Claude)

 

驚いて電話をしたところ、

 

“I’m OK.  I am a fighter.”

 

と、いつもと変わらぬ声で答えてくれました。「体重が減ってスマートになったよ」と冗談も言っていたので、少しホッとして電話を切りました。

 

【1993年2月:写真】

私のホッケー仲間の一人からモントリオールでホッケーを観たいのだが、なんとかならないだろうか?と相談されました。彼はMoutonさんと私の関係を知っていましたので、もちろんMoutonさんに頼んでもらえないか、ということです。これまで私にたくさんのことをしてきてくれているMontonさんにそれ以上のことを頼むことにとても迷いました。しかし、「切符の手配だけでいいので」と相談してみました。Mouton さんは快く引き受けてくれ、友人は試合だけでなく、練習も見せてもらい、大喜びで帰ってきました。そして、練習で選手たちと撮った写真など何十枚もの写真を見せてくれました。しかし、どこにもMoutonさんの姿が見当たりません。友人に聞いたところ、「たくさん撮りましたよ」と言って、何枚かの写真に写っている男性を指しました。

それを見て愕然としました。

 

「これがMoutonさん?」

 

太っちょだったMoutonさんが見る影もなく痩せていたのです。

大変なことになっている。

迷うことなく、お見舞いに行くことを決めました。

 

次男のMichelと相談し、ギリギリまで言わずにおいてMoutonさんを驚かせようということにしました。MichelがこっそりMouton さんの予定を確認してくれ、4月10日に行くことにしました。

 

 

【1993年3月30日:電話】

朝、日本では3月31日の夜、Moutonさんに電話をし、お見舞いに行くことを話しました。

 

「私は元気だから大丈夫」

 

「私のために来るなんてお金と時間ががもったいない」

 

そう言ってくれましたが、私が「父親のためにお見舞いに行くのは当然でしょ」と言うと、しばらく沈黙があってから、

 

”Thank you”

 

 

【数日後:Michelからの電話】

数日後の夜、Michelから電話がかかってきました。

 

 

“My father passed away last Tuesday”

 

 

(父は火曜日に亡くなりました)

 

頭の中が真っ白になるというのはこういうことを言うのでしょう。

何も考えられず、呆然とし、涙も出ませんでした。

 

11年ぶりの再会まであと11日。

何故、待っていてくれなかったのでしょう。

 

翌日、職場があるビルの1階の公衆電話から奥様のMoniqueに電話をしました。

何度も「もうClaudeに会えないのだから」と言ってくださいましたが、モントリオールに行く気持ちに変わりはありませんでした。

 

【1993年4月】

4月10日、空港には長男のPierreが迎えにきてくれていました。

市内へ向かう車の中で何を話したのか、あるいは何も話せなかったのか、そしてどのホテルに泊まったのか、何も覚えていません。

 

そのままForumへ行き、Moutonさんの執務室へ。モントリオールに行くたびに訪れたその部屋はMoutonさんがいない以外は何も変わっていませんでした。

このときは試合を見るつもりはなかったのですが、ちょうどBoston Bruinsとの試合があったのでPierreが「せっかく来たのだから」と言ってくれて、一緒に観客席で観戦しました。しかし、ずっとぼんやりしていて、リンクには目が行かず。隣にいたPierreも宙を見つめていました。

 

試合はCanadiensの惨敗でした。その日はBostonのファンが多かったように思います。そして、試合終了間際にBostonのファンが一斉に歌い出しました。

 

Kiss him Good Bye

 

前回のこの投稿でご紹介したアメリカのラジオ番組でMoutonさんに贈った曲です。

 

「ここはモントリオールなのに」とPierreがつぶやきました。

 

場内アナウンスをしていたMoutonさん。こんなとき、Moutonさんだったらどのように対応していたでしょう。

 

翌日、奥様のMoniqueに墓地に連れて行ってもらいました。

以前会ったMoutonさんのご友人のCamil DesRochesさんも一緒に来てくれました。まだお墓はできていませんでしたが、Moutonさんが眠る建物の中で泣きじゃくりました。あんなに声をあげて泣いたのは後にも先にもあのときだけです。立っていられなくなり、しゃがみ込んでしまいました。

 

 

「これほど私を支え続けてくれたMoutonさんがいないなんて…」

 

 

そのとき、DesRochesさんが私の肩にそっと手を置いて、かけて下さった言葉。

 

 

“May His Soul Rest In Peace”

 

 

(冥福を祈りましょう)

 

この一言でスーッと気持ちが落ち着き、立ち上がることができたのでした。

 

これまでブログを書き進め、たくさんの写真をもとに思い出を振り返ってきて、どうしても心に引っかかることが二つあります。

 

一つはGuy Lafleurとの写真が1枚もないことです。

思い起こすと、私が観た試合にはすべて出ていましたが、ロッカーや練習ではその姿に気づきませんでした。いたら真っ先に写真を撮ったでしょうに。Lafleurの姿を試合以外で唯一見かけたのはMolsonのパーティー会場でした。しかしその会場は暗く、当時はまだフィルムカメラだったので、残念ながらその姿を写真に収めることはできませんでした。今ならスマートフォンで簡単に撮れるのに!

 

もう一つの不思議は初めての旅行以外には写真のネガフィルムがまったく見当たらないということです。

一体どこへ行ってしまったのでしょう。中学生のころから写真が好きで、自分で現像や焼き付けもしていたほどですからネガフィルムの大切さはよく分かっているはずなのに。あれば膨大な量のはずです。これまでの4回の旅行のあと、引っ越しや建て替えで仮住まいをしたことがあるので、そのときにどこかにしまったか、誤って捨ててしまったか。ですので、ここに載せている写真はすべて紙の写真をスマートフォンで撮ったものなので、鮮明ではないんです。

 

さて、新婚旅行以降もホッケー熱はおさまることはなく、Montrealに行かない代わりに本や雑誌などを手当たりしだい買い漁るようになりました。

 

 

また、ホッケーを通じて知り合った友人たちとの交流も頻繁になりました。

 

Gibbonsさんは取材先からプログラムを送ってくれたり、手紙で取材したことを知らせてくれたりしています。今は通信手段がメールになり、より多くいろんなことを教えてくれています。

 

 

CalgaryのRayは新聞やテレビの試合を録画して送ってくれたりしましたし、今もファンとしての目で見たことを教えてくれます。

 

先にThe Hockey NewsのMckenzieさんに問い合わせた本は”The Trail of the Stanley Cup”といいます。これは3冊あって、1893年から1967年までの毎年のプレーオフのすべての記録が載っています。対戦チームや得点はもちろん、試合ごとの出場選手、得点者などなど。

 

 

McKenzieさんに紹介されたのはNHLの職員、Carole Robertsonさんでした。Caroleさんとはその後、10年以上クリスマスカードのやり取りを続けて、後に会うことになります。

 

ホッケー界では大きな出来事がありました。

Lafleurの引退。そして、Wanye Gretzkyのトレードです。

Lafleurはその後他のチームに移籍し、そのチームのメンバーとしてMontrealに戻ってきたときには観客から拍手喝采で迎えられました。それほど愛された選手でした。

Gretzkyはありとあらゆる記録を持っていると言っても良いほどの選手でEdmonton Oilersを優勝に導きました。そのGretzkyが1988年にトレードされました。日本人の感覚からすると、あれほどの選手がトレードされることはあり得ないと考えがちですが、そこが日本とは違うところです。所有者にとってスポーツはあくまでも一つの事業。どんな選手でも下り坂になれば売って、代わりに事業の発展に貢献しそうな新しい商品を仕入れる。そういうことではないかと思います。

 

 

そのGretzkyが雑誌Playboyに出たことがあります。約10ページにわたるインタビュー記事です。この雑誌が出ることを知り、日本では何週間か遅れて発売されるので、毎日のように洋書店に行き、手に入れたのでした。この手の雑誌、しかも海外の、を買うのはものすごく恥ずかしかったのですが、ホッケーへの情熱が勝りました。この雑誌は、セクシーな表紙のイメージとは違い、内容は意外に硬派で、Gretzkyの記事も非常に読み応えのあるものでした。

 

 

もちろん、Moutonさんとの交流は続いていました。

クリスマスカードのやり取りはもちろん、シーズン初めには必ずチームのカレンダーとイヤーブック、そして、毎月発行されるチームの雑誌がメモを添えて送られてきました。

 

以下のYouTubeも聴いていただけたら幸いです。

0:00 英語

1:36 曲

5:04 日本語

 

https://youtu.be/BS1M4FOQOFg

 

4回目のモントリオールへの旅行は1982年3月の新婚旅行でした。

 

私は結婚相手が決まるずっと前から「新婚旅行はホッケーを見にゆく!」と決めていました。(笑

新婚旅行は海外旅行の絶好の機会ですからね。

妻は友人に「カナダへ行ってきた」と言うと、3月であることもあり、必ず「カナディアンロッキーでスキーをしたの?」「羨ましいわ!」と言われて困っていました。

「アイスホッケーを見てきた」と言っても、みなさん「は?」というだけで分かってくれる人は一人もいません。

モントリオールで入れ替わり立ち替わり現れて食事をしたり、一緒に写真を撮ったりする「有名人」たちに妻は何がなんだか分からなかったでしょう。

(1950年代のカナディアンズの黄金時代を築いたJean Beliveau:ジャン・ベリボー)

 

(Larry Robinson:ラリー・ロビンソン、鉄壁のディフェンスでした)

 

(Pierre Mondou:ピエール・モンドゥ)

 

ホテルはMoutonさんがForumの近くの”Manoir Le Moyne”をとってくれました。

キッチン付きの新婚夫婦に相応しい部屋でした。

 

このときにはDenis Gibbonsさんがお祝いを兼ねてモントリオールまで来てくれ、同じホテルに宿泊し、一緒に夕食をとりました。

GibbonsさんはBurlingtonというToronto郊外の街に住んでいます。

Torontoまでは列車、そして、TorontoからMontrealまでは飛行機で1時間半ほどかかります。

ヨーロッパのホッケー事情通のGibbonsさんですから、国際試合ではない公式戦にはあまり用はなかったと思います。

 

この旅行中にKen McKenzie(ケン・マッケンジー)さんと会いました。

ホッケーの専門誌、The Hockey Newsの創設者です。

Mckenzieさんはコラムを連載していたのですが、その中で触れられていた本について、その入手方法を問い合わせたのがきっかけで手紙での交流が始まりました。

そして、今回、モントリオールで会いましょうということになったのでした。

ご自宅に招いていただき、奥様ともどもお昼をいただきながら楽しい時間を過ごしました。

単にホッケーファンというだけなのに、こんなことをしてくれるとは、Moutonさんもそうだと思いますが、日本からホッケーを見にモントリオールに行くということがよほど珍しかったのでしょうね。

まぁ、確かに珍しいとは思いますが…(笑

 

今回、Moutonさんには食事を3回ご馳走になりました。

一つは”la brasserier 12”での昼食です。

「ブラッセリー12」。

Canadiensの背番号12、すでに引退していましたが、私をホッケーに目覚めさせ、今でも最も好きな選手、Yvan Cournoyerが経営するレストランです。

Moutonさんが行ったので、本人が挨拶に出てきました!

何故、写真を撮らなかったんでしょうね。

残念!

 

Molson社のFrank Leiveille(フランク・レベイエ)さんとの昼食。

私が参加させてもらった2回のMolson醸造所でのパーティで知り合い、「また来たの!」と驚いていました。

昼食とはいえ、ワインを飲みながら2時間ほどの食事でした。

「日本のサラリーマンは立ったまま5分でお昼を済ませることがあるんですよ」と言うと、二人とも目を丸くして驚いていました。

「私たちはいつもこうだよ」と笑っていましたが、電話をかけても繋がらないほどいつも忙しいMoutonさんですから、そんなはずはありません。

きっと結婚祝いをしてくださったんでしょうね。

 

そして、2試合目の観戦を終えての夕食。

モントリオールを発つ前夜。

食後、ホテルまで送ってくださり、車を降りるとき、悲しくて悲しくてなりませんでした。

独身時代のようにモントリオールに来ることはもうできない。

もしかしたら、Moutonさんと会うのはこれが最後になるかもしれない。

そう思うと涙が止まりませんでした。