Ken Campbell
2012-04-10 22:25:00

前回、あるチームがドラフトのテーブルで同じことをした時、そのチームはスタンレー・カップ獲得へ向かって進みだした。従って、理論的には2017年6月のどこかでエドモントン・オイラーズがWhyteアベニューをパレードすることが期待できるはずだ。

そのチームとはケベック・ノルディックス/コロラド・アバランチのことだ。とは言え、面白いことに、1996年にAvsが優勝した時、彼らがドラフトで獲得した選手の中にカップを頭上に掲げた者はいなかったのだ。しかし、1989年のMats Sundin、1990年のOwen Nolan、そして1991年のEric Lindrosはいずれもその優勝へ大きく貢献したと言える。これらの財産が価値ある貢献をし、しかもそのうちの一人が将来殿堂入りすることになったのと同じことを、今、正にオイラーズはできる状況にあるのかもしれない。

これまでNHLは長いこと不振にあえぐチームを優遇する政策をとってきた。そのため、若い才能の豊富さについて言えば、オイラーズはあり余るほどの財産を持っている。彼らは将来の有望選手と23歳以下のレギュラー選手の強さ故にThe Hockey Newsによる将来性あるチーム・ランキングで1位になった。そして、オイラーズが火曜(10日)の夜、抽選で勝ち取ったドラフト総合1位の指名権を保持し続ければ、(* OHLの)サーニア・スティングのNail Yakupovというもう一人の世界レベルの才能を彼らの財産に加えることはほぼ間違いないだろう。

オイラーズのGM、Steve Tambelliniは、ここへ来て初めて、今がこのフランチャイズに競争力をつける計画を加速し始める時かもしれないと認識したようだ。質の高いベテラン選手を呼び寄せるのが難しい土地であることを自分たち自身で認めているので、強いチームを作るということはオイラーズにとって常に頭の痛い問題なのだ。しかし、今のオイラーズにはそれを解決する材料があるのも事実だ。暖かい土地で選手生活を送ってきた選手はエドモントンの寒い気候が好きではないだろう。しかし、NHLでも有数の若い選手たちとプレーするチャンスがあるということは夜を暖かく過ごすのに十分かもしれない。

「今、いくつかの選択肢を与えられている段階に来たところだと思います。」とTambelliniが言った。「だからといって必ず何かしなくてはならない訳ではありません。しかし、1年前には、まだ準備ができておらず、動き始める時期だとは思いませんでした。ドラフトで得た新人という財産でベテランを支えることができる時期に今ちょうど到着したところです。」

今シーズンは上位を狙おうとはしなかったようだが、オイラーズがその指名権を手放すことはないだろう。もしオイラーズがYakupovをドラフトすれば、若手集団にもう一人が加わることになり、レギュラー・メンバーを補強する材料の一つになるだろう。

Avsが1996年にカップを勝ち取った時、Sundin、Nolan、Lindrosは皆他のチームへ行ってしまっていた。しかし、彼らはSundinを放出してWendel Clarkを得た。そして更に重要なことは、Claude Lemieuxを得るための3者間トレードにClarkを利用したことだった。また、Nolanをサン・ノゼ・シャークスにトレードに出し、交換にSandis Ozolinshを得た。Lindrosを獲得したことは彼らにこの上ない見返りをもたらした。Lindrosと交換にPeter Forsbergと1,500万ドルを受け取っただけでなく、同時に得たMike RicciとChris Simonは二人とも1996年の優勝メンバーの中にいた。さらに、トレードで得たドラフト指名権を使ってJocelyn Thibaultを獲得し、ThibaultをPatrick Royを得るための一連のトレードに使ったのだった。

Tambelliniは、様々な選手が集まっているチームの中にもう一人の素晴らしい才能を持った選手がいることがオイラーズにトップ・クラスのフリー・エージェントを呼び寄せるきっかけになるだろうと感じている。Ryan Smythと彼の家族はエドモントンを出たがっているが、同時にSmythはそれらの優れた若手選手とプレーすることを強く望んでいる。オイラーズもまた若い選手の手本となるベテランとしてSmythを必要としている。

「今、7月1日に向けて準備をしています。選手の代理人たちが『私のクライアントはJordan EberleやTaylor Hallとプレーしたがっている。』或いは、『私が代理を務めるウイングの選手はRyan Nugent-Hopkinsとプレーしたがっている。』と言ってきています。」とTambelliniは言った。「それはこのチームが良い方向に進んでいることの表れです。」

コロンバス・ブルー・ジャケッツは抽選に勝つチャンスがほぼ50パーセントあり、1位指名権に固執したにもかかわらず、抽選に負け、総合2位の指名権を行使することになるだろう。このことは、今シーズン、コロンバスが何事につけ上手く行かなかったことを象徴しているようだ。GMのScott Howsonは失望感を隠さなかった。しかし、これはある意味で頭を冷やすことになったのかもしれない。不思議に思われるかもかもしれないが、そもそもブルー・ジャケッツはこの6月にロシア生まれの選手を取らなかったかもしれないという憶測がある。何故なら、このチームは過去にロシア人選手に対して失敗したことがあるからだ。また、彼らはどこの国の選手とも上手く行ったことがないのだ。抽選に外れたことでHowsonは、誰もがNo.1の有望選手と認めるYakupovを指名せずに済んだと考えても良いのかもしれない。

- end -
Ken Campbell
2012-03-26 14:25:00

そう、シカゴ・ブラックホークスはレギュラー・シーズン最終日の午後の試合でデトロイト・レッド・ウィングスを訪れることになっている。話を面白くするために、ブラックホークスとレッド・ウィングスが同ポイントか1ポイント差でその試合を迎えることを想像してみよう。

そして、この試合の勝者がウェスタン・カンファレンスの5位になり、敗者は6位になるとしよう。これによる両チームの違いは、第1ラウンドでナッシュビル・プレデターズと当たるか、サン・ノゼ・シャークス、ダラス・スターズ、ロサンゼルス・キングズ、フェニックス・コヨーテズのうちのいずれかと当たるということだ。

どちらがいいだろうか。これは、ディビジョン首位のチームがそれぞれのカンファレンスの上位三つのシードのうちの一つを与えられるという奇妙なルールによってNHLが創りだした災のレシピのようなものだ。もし、この通りになるなら、レッド・ウィングスはこの試合でPavel Datsyuk、Nicklas Lidstrom、そしてHenrik Zetterbergをメンバーから外し、ブラックホークスはJonathan Toews(その時までに脳震盪から復帰すると仮定して)、Patrick Kane、Patrick Sharpを休ませるだろう。賭けてもいい。そして、両チームともプレーオフに向けてスター選手を休ませているのだと言い訳をするだろう。実際に彼らがしようとするのはその試合に負けようとすることなのだ。

そんな試合に高い入場料を払おうと思うだろうか。もしあるとすれば、自分のチームが負けるよう応援するためにその試合を観戦する場合だけだろう。

状況はイースタン・カンファレンスでもほとんど同じだ。イーストではニュー・ジャージー・デビルスが他のどのチームよりも旨みのある位置にいるかもしれない。何故なら、もしデビルスが第6シードにしがみつくことができれば、第1ラウンドの対戦相手にはフロリダ・パンサーズがなる可能性があるからだ。一方、フィラデルフィア・フライヤーズは恐らく第1ラウンドでピッツバーグ・ペンギンズと対戦するだろう。それは、順位表でデビルスより上位でシーズンを終了したことへの「ご褒美」だ。また、ボストン・ブルーインズは間違いなくフライヤーズより少ないポイントで今シーズンを終えるだろうが、第1ラウンドではオタワ・セネターズ、ワシントン・キャピタルズあるいはバッファロー・セイバーズのうちのどれかと対戦することになるだろう。

このようなことに一体どれだけの意味があるだろうか。全くナンセンスだ。NHLが1998-99年に、今となっては全く意味のない3ディビジョン制を導入した時、カロライナ・ハリケーンズが上から8番目の成績だったにもかかわらずイースタンの第3位にシードされた時には全くもって無意味な制度であった。

もしNHLがリーグの公平性を本当に気にかけているのなら、リーグ再編成が議論される次のラウンドでこの不公正を議題にするだろう。勿論、South-Leastディビジョン(* サウス・イーストのチームの成績が悪いことへの皮肉)のメンバーからは強烈な抗議がなされるだろう。彼らはリーグの他のどのチームよりも成績が悪いのにも関わらずより多くの成功をもたらされたチームの集まりだ。そして、もしNHLの役員たちが私たちの思っている通りだとすれば、益々弱体化しているパシフィック・ディビジョンもこの合唱に加わるだろう。

しかし、それでも僅か10チームだ。つまり、理論的には残りの20チームは制度の変更を支持することになるだろう。少なくともNHLはディビジョンによるシードを廃止し、ディビジョンに関係なくポイント数で1位から8位のチームにシードを与えることができるはずだ。そして、可能性が全くないわけではないが、あるディビジョンの全チームがプレーオフから締め出されることは統計的に殆どあり得ないだろう。

或いは、NHLがさらに大胆になり、単純にポイントに基づいた1位~16位までのチームにシードを与えていた時代に戻ることもできるだろう。もう1度言う。1998-99年以来の制度の下でディビジョン全体がプレーオフからシャット・アウトされたことはないのだ。

NHLは対戦相手を不均衡にするためにディビジョン制を維持してきた。しかし、ディビジョンがそれ以上のものを意味しないとすれば、次のステップに進むのが自然ではないだろうか。ライバル関係は今、基本的にレギュラー・シーズンではなくプレーオフで起こっている。バンクーバー・カナックスとシカゴは同じディビジョンでプレーしていないが、彼らはNHLで最も熱いライバルのうちの一つだ。

しかし、最も重要なことは、ポイントによってシードを決める制度へ移行することで全体をより公正にし、相応しくないチームにプレーオフへのフリーパスを与えずに済むことだろう。また、6位という順位がカンファレンス内で最も美味しい位置になるのを防げることができるかもしれない。

もし、プレーオフが今日(3月26日)スタートするとすれば、そして、ディビジョン・チャンピオンとは関係なく単にポイントに基づくとすれば、イーストの組み合わせはこうなる。

1位N.Y.レンジャーズ対8位ワシントン;
2位ピッツバーグ対7位オタワ;
3位フィラデルフィア対6位フロリダ;
4位ボストン対5位ニュージャージー。

そして、ウェスタン・カンファレンスでは
1位セントルイス対8位ロサンジェルス;
2位バンクーバー対7位フェニックス;
3位ナッシュビル対6位ダラス;
4位デトロイト対5位シカゴ。

また、もしリーグがポイントで1位~16位にシードを与える時代まで戻ると、非常に興味をそそる対戦がいくつかあるだろう。
1位セントルイス対16位オタワ;
2位N.Y.レンジャーズ対15位サン・ノゼ;
3位ピッツバーグ対14位ロサンジェルス;
4位バンクーバー対13位フェニックス;
5位フィラデルフィア対12位フロリダ;
6位ナッシュビル対11位ダラス;
7位デトロイト対10位ニュージャージー;
8位シカゴ対9位ボストン。

- end -
私が初めてモントリオール・カナディアンズを見にモントリオールまで行ったのは1978年3月のこと。

いざ、行くことを決めたのはいいけど、いったい切符は手に入るのだろうかという疑問を持っていました。でも、当時は日本でNHLの試合をテレビですら見ることができなかったので、現地でテレビで見ることが出来るだけでもいいというつもりでいました。

しかし、せっかく行くのだからせめて1試合だけでも生で見てみたいと思い、いろいろな手を尽くしました。

カナダ大使館にも行きましたが、答えは「切符はほとんどがシーズンチケットなので、旅行者が手に入れるのは難しい。ダフ屋から買うことはできるだろう。」とえ。

そこで、あちこちに手紙を書きました。そのうちの一通はモントリオール市の観光課に宛てたものでした。その手紙を受け取った人が、それをカナディアンズに届けてくれ、カナディアンズの広報部長Claude MOUTONさんから私に手紙が送られてきました。

「あなたの手紙を受け取りました。試合を見せてあげるので、着いたら連絡を下さい。云々。」といったことが書かれていました。

一体何が起こったのだろう、どうしてカナディアンズから私に手紙が?

もう、天にも昇る思いでした。


そして出かけたモントリオール。フランス語しか聞こえてこない街に不安を感じながらMOUTONさんに連絡をしました。

試合を3試合見た後、MOUTONさんから連絡があり、「明日の朝の練習を見に来ないか」という。

「行く、行く、勿論行きます!」

当日の朝、カナディアンズのロゴのナンバープレートのついた車がホテルの前に止まり、中から恰幅の良いMOUTONさんがニコニコしながら出てきました。

そして、MOUTONさんの車でForumへ。

Forumへ入り、リンクへ向かうとロッカールームから出てきたのはJacque Lemaire!MOUTONさんと一言二言言葉を交わし、リンクへ出て行きました。

そのまま中へ案内され、ロッカールームの中へ!

選手たちが着替えています。入り口でMOUTONさんが「みんな聞いてくれ、この青年(当時の私は大学生)は日本からはるばるカナディアンズを見に来たんだ」と私を紹介してくれ、私に一本のスティックを渡し、選手一人一人と握手をしそのスティックにサインを貰いました。

当時のキャプテン、Yvan Cournoyerは前キャプテンのHenri Richardのユニフォームを私にくれ、また、若手のPierre Larouchは新品のスケート靴をくれました。

選手の一人が、「リンクへあがれ」というので、そのユニフォームを着、靴を履き、恐る恐るリンクへ。

リンクの反対側から、私に向かってものすごいスピードのパスが氷の上を滑って来る、ある選手は「ゴール前へ走れ!」という。そんなこと言ったって、私はまだホッケーをしたことがないんだから無理!

でも、よたよたしながらゴール前へ滑ってゆくとそこへパス。何とか受け、ゴールへ向かうとそこには当時世界一のキーパーと言われたKen Drydenが待っていました。夢中でシュートを放つと、Drydenは膝を空けてくれ、見事ゴール!私の記念すべき初ゴールでした。

リンクを上がると新聞や雑誌記者の取材も受けました。

その後、MOUTONさんが車で空港まで送ってくれ、感動の一日の終わり。

そして、「またおいで」の言葉に甘え、その後4回ほどモントリオールに出かけました。

そのたびにMOUTONさんは良くしてくれ、試合や練習を見せてくれただけでなく、チームの忘年会にも呼んでくれました。


1983年を最後に暫くモントリオールに入っていなかったのですが、1992年の夏にMOUTONさんが癌であることを知らされました。でも、「自分は大丈夫。病気と闘っている。」と元気そうだったので、きっと大丈夫だろうと思っていました。

しかし、1993年の2月にモントリオールに行った私の知人がMOUTONさんに会い、その時の写真を見て愕然としたのでした。あんなに太っていたMOUTONさんがガリガリに痩せてしまって、言われなければMOUTONさんとは分らないほど。

その写真を見て11年ぶりにモントリオールに行き、MOUTON山を見舞うことを決めました。予定は4月10日。

そのことをMOUTONさんに告げたのが現地の3月30日。「Thank you」と言ってくれ、電話を切りました。

後から聞いた所では、その電話を終えて、病院い定期健診に行き、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

息子のMichaelや奥さんのMoniqueから、「もう来てもClaudeには会えないから...」と電話をもらいました。でも、行かずにはいられなかった。

予定通りモントリオールに行き、お墓参りをしました。あの時ほど泣いたことは後にも先にもありません。悲しみのあまり、立っていられなくなり、泣き崩れてしまいました。

11年ぶりの再会まであと10日。神様は何故あと10日待ってくれなかったのでしょう。


その年、カナディアンズは優勝しました。MOUTONさんを弔うかのように。

それがカナディアンズが優勝した最後です。

そのカナディアンズが今年は思いもよらぬ不調。最下位にはならずとも、ほとんど最下位に近い状態。

Forumの場内アナウンスも担当していたMOUTONさんだったら、どうやってチームや観客を盛り上げただろう。


MOUTONさんとの出会いは私を大きく変えてくれました。

それまで引っ込み思案だった私が積極的になったのはMOUTONさんとの出会いがあったからです。

そんなMOUTONさんを失い、今でも心の中にポッカリと大きな穴が空いています。

今でもモントリオールに行けばMOUTONさんに会えるのではないか、と思ってしまいます。


MOUTONさん、安らかに。