【Art Ross Trophy】

公式戦での最多ポイント獲得選手

受賞者:Connor McDavid (Edmonton Oilers)

3年連続、5度目の受賞

82試合64得点89アシスト計153ポイント

153ポイントは自己最高(それまでは2021-22の44-79-123)

2位は同じくEdmontonのLeon Draisaitlで80試合で52-76-128

5回以上受賞したのはWayne Gretzky (10回)、Gordie Howe(6回)、 Mario Lemieux(6回)、Phil Esposito(5回)、Jaromir Jagr(5回)に次いで6人目。

 

【Frank J. Selke Trophy】

守備面で最も優れたフォワードに贈られる賞

受賞者:Patrice Bergeron (Boston Bruins)

公式戦終了時にProfessional Hockey Writers Association(プロホッケー記者協会)に所属する記者による投票で、上位3人による決戦投票で受賞者を決める

Bergeronの受賞は2年連続で通算6度目

Bergeronは12年連続でこの賞の決戦投票に残っており、Wayne Gretzkyが1980年から89年にわたって10回Hart Memorial Trophyの決戦投票に残ったよりも2回多い

1,000回以上フェイスオフをおこなった52人のセンターの中で、1,043回勝ち、勝率61.1%はリーグ1位

 

【Hart Memorial Trophy】

公式戦でチームにとって最も重要だった選手に贈られる賞

受賞者:Connor McDavid(Edmonton Oilers)

公式戦終了時にProfessional Hockey Writers Associationに所属する記者による投票で、上位3人による決戦投票で受賞者を決める

McDavidの受賞は2016‑17と2020‑21に続いて3度目

NHLでの最初の8年間で3度以上の受賞はWayne Gretzky((8回)、 Bobby Clarke(3回)、 Bobby Orr(3回) 、Alex Ovechkin(3回)に次いで5人目

得点、アシスト、ポイントの3分野ともNHL最多だったのは1986-87のGretzky(Edomontonで79試合62‑121-183)以来

64得点は2007‑08のOvechkin(Washingtonでの82試合65得点)以来最多

153ポイントは1995‑96のMario Lemieux(Pittsburgでの70試合69‑92-161)以来最多

出場した82試合のうちの91.5%にあたる75試合で得点かアシストを記録。これは50試合以上出場した選手としては1990‑91のGretzkyの93.6%(Los Angels Kingsでの78試合のうち73)以来最高率

153ポイントはチームの総得点325(PSを除く)の47.1%に絡んだことを意味し、NHL史上最高率

 

【Conn Smythe Trophy】

プレーオフでチームにとって最も重要だった選手に贈られる賞

受賞者:Jonathan Marchessault(Vegas Golden Knights)

プレーオフ終了時にProfessional Hockey Writers Associationに所属する記者による投票で受賞者を決める

22試合13得点12アシスト25ポイント

1963年にNHLのドラフト制度が始まって以来、ドラフト外の選手の受賞は7人目で、1988年のWayne Gretzky 以来初。

過去の6名はGretzky(2回)、Bobby Orr(2回)、Bernie Parent(2回)、 Yvan Cournoyer、Roger Crozier、Serge Savard

 

【Vezina Trophy】

最優秀ゴールキーパー賞

1981-82以前は公式戦での最少失点チームのゴールキーパーに与えられていた

(現在のWilliam M. Jennings Trophy)

受賞者:Linus Ullmark(Boston Bruins)

公式戦終了時に32チームのGMによる投票で、上位3人による決戦投票で受賞者を決める

UllmarkはBostonではPete Peeters(1982‑83)、Tim Thomas(2008‑09、2010‑11)、Tuukka Rask(2013‑14)に次いで4人目の受賞

49試合に出場し、40勝6敗1分。

チームメイトのJeremy Swaymanと合わせて177の失点は公式戦最少で、William M. Jennings Trophyも獲得、チーム史上最多の65勝に貢献した

40勝、1試合あたりの平均失点1.89、セーブ率 .938%のいずれもリーグ1位はCarey Price2014-15のCarey Price(Montreal)以来で史上8人目

今季最終戦ともなった49試合目での40勝はリーグ史上最速

40勝は1982-83のPeeters(63試合)のチーム記録に並ぶ

 

【Calder Memorial Trophy】

新人賞

受賞者:Matty Beniers(Seattle Kraken)

公式戦終了時にProfessional Hockey Writers Associationに所属する記者による投票で、上位3人による決戦投票で受賞者を決める

受賞資格:

・受賞対象となるシーズンの9月15日時点で25歳以下であること

・プロとして26試合以上プレーしたシーズンが一つもなく、かつ、7試合以上プレーしたシーズンが二つないこと

Krakenでなんらかの賞を獲得したのは初

拡張チームで加入2年目以内にこの賞を受賞したのは、1980−81シーズンにQuebec Nordiquesの2年目にPeter Stastnyが受賞して以来

80試合で24得点33アシスト57ポイント、新人のなかで最多

2021年のドラフトでシアトル初のドラフト指名選手、通算2位指名

NHL(National Hockey League)は1917年11月26日に設立されました。

そのときのチームは以下の5チームでした。

Montréal Canadiens

Montréal Wanderers

Ottawa Senators

Quebec Bulldogs

Toronto Arenas

 

最初の試合が行われたのは12月19日で1シーズンに各チーム22試合をおこないました。

NHL最初のシーズンを制したのはトロントでした。

3月11日と13日におこなわれたMontréal Canadiensとのプレーオフは1勝1敗で、総得点10対7でトロントが優勝しました。

続く3月20日から30日にかけてのPCHA(Pacific Coast Hockey Association) チャンピオン、Vancouver Millionairesとのスタンレーカップ決勝でも3勝2敗でトロントが勝ち、スタンレーカップを獲得しました。

このころはいくつかのリーグがあり、その優勝チームによるプレーオフに勝ったチームがスタンレーカップを獲得していました。

1927年までにNHL以外のリーグは消滅し、NHLだけがスタンレーカップを争うリーグとなりましたが、もし他のリーグやチームからの挑戦があれば、受けなくてはなりませんでした。しかし、そのようなチームはありませんでした。

1947年にNHLはそのような挑戦を拒絶する権利を得、実質的にNHLの優勝チームがスタンレーカップを獲得することになりました。

 

その後、加入、消滅を繰り返し、1942年に6チームによる「Original Six」と呼ばれる時代が始まり、その時代は25年続きました。

Boston Bruins

Chicago Black Hawks

Detroit Red Wings

Montreal Canadiens

New York Rangers

Toronto Maple Leafs

 

1967年:12

1度に6チーム増やしたのはプロスポーツリーグで最多です。

California Seals (後にOakland Sealsとチーム名を変え、さらにCalifornia Golden Sealsとなりました)

Los Angeles Kings

Minnesota North Stars

Philadelphia Flyers

Pittsburgh Penguins

St. Louis Blues


1970年:14

Buffalo Sabres

Vancouver Canucks

 

1972年:16

New York Islanders

Atlanta Flames(1980年にCalgaryへ移転)

 

1974年:18

Washington Capitals

Kansas City Scouts(Kansas Cityで2シーズンプレーした後、Denverへ移転しColorado Rockiesとなる。さらに1982年に再度移転してNew Jersey Devilsとなった)

この年のWashingtonの公式戦の成績は8勝67敗5分で、8勝は1シーズンに80試合以上になってからの最小記録でいまだに破られて(?)いません。

余談ですが、1976年4月にこの2チームが日本で試合をおこないました。

「NHL初来日!」と銘うった4試合(札幌と東京で2試合ずつ)でしたが、情報が少なかった時代、全18チームの中で最下位の2チームだったことはほとんどの人が知らなかったでしょう。

 

1978年:17

1976年California Golden SealsがClevelandへ移転してCleveland Baronsとなり、1978年にMinnesota North Starsに統合されたことで1チーム減りました。

(North Starsは1993年Dallasへ移転しStarsとなった)


1979年:21

もう一つのプロホッケーリーグだったWHA(World Hockey Association)が解散し、そのうちの4チームがNHLに加盟しました。

Edmonton Oilers

Hartford Whalers

Quebec Nordiques

Winnipeg Jets 

(Quebec Nordiquesは1995年にDenverへ移転しColorado Avalancheとなった)

(Winnipeg Jetsは1996年にPhoenixへ移転し、Phoenix Coyotes、現在のArizona Coyotes、となった)

(Hartford Whalersは1997年にCarolinaへ移転してHurricanesとなった)

1978年に、当時17歳だったWayne Gretzky はWHAのIndianapolis Racersに入団しました。Gretzky はすでに注目されていましたが、NHLは20歳以下の選手との契約を禁じていたのでした。Gretzky はそのシーズンに8試合プレーした後、Edmonton Oilers に移籍しました。


1991年:22

San Jose Sharks

 

1992年:24

Ottawa Senators

Tampa Bay Lightning

 

1993年:26

Florida Panthers

Mighty Ducks of Anaheim


1998年:27

Nashville Predators

 

1999年:28

Atlanta Thrashers(2011年にWinnipegに移転し、Winnipeg Jetsとなった)


2000年:30

Columbus Blue Jackets

Minnesota Wild

(1993年に、The Wild, who play in St. Paul, Minn., bring the NHL back to Minnesota seven years after the North Stars depart for Dallas.


2017年:31

Vegas Golden Nights

2022-23シーズンにスタンレーカップを獲得しました。リーグ加盟6年目での優勝は最速です。

それまではフィラデルフィアの7年目でした。

ちなみに、北米4大スポーツでの拡張チームの最速優勝は2001年MLBのArizona Diamondbacksの4年目です。

 

2021年:32

Seattle Kraken

 

 

私が(アイス)ホッケーに目覚めたのは今からちょうど50年前のこと。

 

1972年。

 

16歳。

高校2年生のときでした。

 

世界は「東西冷戦」のまっただ中にありました。

「東西」というよりもアメリカとソ連の対立と言って良かったのかもしれません。

その二大国の「冷戦(Cold War)」。

武力衝突はしない「戦争」の時代でした。

しかし、この二つの国が直接戦火を交えることはなくても、ベトナム戦争は続いており、また、ソ連がアフガニスタンに侵攻するなど、世界は緊張状態にありました。

 

そのような中、ホッケーの世界で歴史的な「戦争」がありました。

“Cold War on the Ice”、”Summit Series(サミット・シリーズ)”などと呼ばれている戦い。

 

1972年9月。

カナダのプロホッケー(NHL:National Hockey League)とソ連が初めて対戦しました。

 

このころのホッケー界ではソ連が圧倒的な強さをほこっていました。

オリンピックでは1964年のインスブルック大会から1976年の同じくインスブルック大会まで4連覇を果たし、また、ほぼ毎年おこなわれる世界選手権では1963年から1971年まで8大会連続で優勝していました。

 

この間、ホッケーを国技とするカナダは何をしていたのか、というと、カナダの一流選手はすべてプロのため、プロの出場を認めていなかった当時のオリンピックにも世界選手権にも出場できず、アマチュア選手でチームを組むしかなかったのです。

いくらホッケーが国技とはいえ、アマチュア・チームでは当時のソ連にかなうわけはありません。

一方、ソ連の選手は「アマチュア」とはいえ、ほぼ全員が陸軍の軍人。

しかし、この選手たちが実際に戦争にゆくことはなく、ホッケーが仕事といっても良かったでしょう。

これはソ連の他のスポーツや芸術の世界でも同じだったようです。

 

それでは、プロ、アマを問わず、最強の陣容だったらどちらが強いのか。

「世界一を決めようじゃないか」ということでおこなわれたのが1972年のサミット・シリーズだったのです。

カナダの4都市で1試合ずつ、そして、ソビエトのモスクワで4試合、合計8試合のシリーズでした。

「自分たちが世界一に決まっている」「カナダが圧勝するに違いない」とカナダの誰もが疑わなかったシリーズ。

選手たちも緊張感を持つことなく、シリーズ前の練習も試合前のロッカールームでも笑顔すら見られる和やかな雰囲気でした。

 

ところが、モントリオールでの初戦、ソ連が7対3で圧勝したのです。

 

試合会場となったモントリオール・フォーラムは、だらしのないカナダチームにブーイングの嵐。

「こんなはずじゃなかった」と大あわてのカナダの選手や関係者たち。

第2試合のロッカールームは重苦しい雰囲気に包まれていたことがこのシリーズのドキュメンタリー映像からもうかがい知ることができます。

 

その後、奮起したカナダが挽回し、最終的にはカナダが4勝3敗1分でなんとかプロの面目を保ったのでした。

 

 

日本ではこのシリーズのうちの何試合かが、何ヶ月か後に放送されました。

偶然それを見た私は一気にホッケー、それも、カナダのプロホッケーに惹かれてしまったのです。

それまで漠然としか知らなかったホッケー。

そのころの私といえば、スポーツは日本のプロ野球や相撲はよく見ていましたが、ホッケーとは無縁でした。

それが、途端にホッケー熱を発症してしまったのですから、いかにこのシリーズが素晴らしいものだったか、ということです。

 

それから私の生活はホッケーを中心に回り始めました。

寝ても覚めても「ホッケー、ホッケー」。

あのような素晴らしい選手たちが活躍しているカナダのプロホッケー(NHL)とはどんなものなのだろう。

どんなチームがあって、どんな選手がいるのだろう。

あんな試合を見ることができないものか。

 

ホッケーの情報など皆無に等しいのに、「ホッケーを中心に」した生活とはどういうものなのか、と思われるでしょうね。

 

まず目をつけたのは日本で発行されている英字新聞でした。

日本国内のニュースがほとんどですが、日本語の新聞よりは海外のニュース報道が多くありました。

スポーツ面にもわずかながら海外のスポーツに関する記事が載っていました。

毎日ではありませんが、NHLの試合結果や記事が載ることもありました。

それを、どんなに小さな記事でも、ホッケーに関する記事を切り抜き、スクラップブックに貼っていました。

 

次にやったことは、都内に何ヶ所かあった洋書店を巡り歩き、ホッケー関係の本を探しました。

しかし、今もそうですが、日本ではまったくと言って良いほど人気のないスポーツ。

まして海外のホッケーの本などあるわけはありません。

それでも時間を見つけて洋書店巡りを続けるうちに、ごく稀にNHL関連の本を見つけては大喜びで買ったものです。

 

そうするうちに、いつも書店に置かれている雑誌に目が留まりました。

表紙がホッケー選手だったのです。

“Sports Illustrated”という、アメリカで発行されているスポーツ雑誌です。

綺麗な写真に深く掘り下げた記事。

毎号ホッケーの記事があるわけではないので、書店に行っては中身を見て、ホッケーの記事が出ているときには買うようになりました。

 

また、大学生のころに知り合ったカナダ人から”The Hockey News”というホッケー専門の新聞があることを聞きました。

シーズン中は毎週、オフシーズンには月に1度発行される新聞です。

ホッケー以外のことは一切書かれていない新聞です。

そのカナダ人は日本で生活していて、その新聞を定期購読しているという話を聞き、私もそうすることにしました。

しかし、一つ問題がありました。

支払いです。

まだクレジットカードが普及していなかったころ。

海外へ支払いをする手段は「送金小切手」というものしか見つかりませんでした。

当時、外国為替を扱っていたのは「東京銀行」だけでした。

余談ですが、今の「三菱UFJ銀行」は数年前まで「三菱東京UFJ銀行」という社名でしたね。

この「東京」は「東京銀行」の「東京」です。

 

閑話休題。

新宿にあった東京銀行の支店に行き、数千円の手数料を払って送金小切手を作り、それを郵便で送る。

そんな面倒くささも厭わないほど情報に飢えていたのです。

 

そうして毎週届くようになった”The Hockey News”。

隅から隅まで貪るように読みました。

ホッケーの情報が満載のこの新聞のおかげでNHLのことをどんどん知るようになりました。

そして、知れば知るほど「試合を見たい」という思いが強くなっていきました。

 

この”The Hockey News”とともに私の大きな情報源になっていたものがもう一つあります。

FENというラジオ局です。

FEN、Far East Network(極東放送網)は在日米軍向けのテレビ・ラジオ放送です。

現在はAFN(American Forces Network)と名称が変わっています。

 

この放送網のテレビは米軍基地の中でしか見られないようですが、ラジオは誰でも聴くことができます。

このFENで18時から放送されるニュースに続くスポーツニュースを毎日カセットテープに録音して聴きました。

もちろん、お目当てはNHLの試合結果と関連するちょっとしたニュースです。

一言も聴き漏らすまいとテープを何度も巻き戻しては聴くということを繰り返し、それを書き写しました。

 

また、FENではスポーツの試合の中継放送もしていました。

ほとんどがアメリカ大リーグの野球でしたが、ごくたま~にNHLの試合が放送されることがありました。

プレーオフの時期になるとその頻度が増え、決勝は生中継されていました。

試合中継は日曜日の午後に放送されることが多かったので、毎週日曜日にはホッケーの放送がないかを確認するのが習慣になっていました。

また、決勝が平日のときには仕事を休んでラジオに聴き入っていました。

そして、そのような試合の放送はすべて録音し、家で過ごすときには音楽ではなく試合の実況放送が私のBGMでした。

 

時が進み、1980年ころに家庭用のビデオが普及し始めました。

私がビデオデッキを買ったのは、忘れもしません、1979年の年末でした。

まだ高価だったビデオデッキ。

冬のボーナスのほとんどを使ったような気がします。

そこまでして買ったのは、1980年2月、アメリカのレイク・プラシッド・オリンピックのホッケーの試合を録画するためです。

私にとっては、北米のプロホッケーが一番の関心事ではありましたが、世界のトップレベルのホッケーにも興味を持っていました。

当時、アマチュアホッケーの二強であったソ連とチェコスロバキアの決勝戦を期待してのことでしたが、大方の予想に反した大番狂わせの結果となったのがこの年のオリンピックでした。

このオリンピックについて書き始めるとキリがないので、それはまた別の機会に譲ることにします。

 

このビデオの普及が私のホッケー熱に拍車をかけました。

カナダに住む友人たちに試合の録画を頼んだのです。

テレビで放送される試合をそのまま。

ホッケーの試合は1試合あたり2時間半くらいですので、120分のVHSテープに3倍速で2試合撮ることができます。

ありがたいことに、友人たちは快く引き受けてくれ、これでようやく選手たちの動く姿を見ることができるようになったのです。

ホッケーに目覚めてから8年後のことです。

こうして集まったビデオテープは100本を超えました。

 

その後、NHK BSで週に1度、NHLの試合が放送されるようになりましたが、それも1、2年(だったかな)で終わってしまいました。

また、ケーブルテレビのスポーツチャンネルで放送されていた時期もありますが、それも今はなくなりました。

野球はもちろん、バスケットやフットボール、サッカーなどは海外のものがさかんに放送されているのに、ホッケーはない。

 

日本では人気の出ないスポーツなのだ、ということを痛感しています。

 

でも、私は相変わらず大好きです。

 

参考に。

今、NHLの試合を見るには、私が知る限り、NHL自身が提供している配信サービスだけです。

すべての試合をライブで見ることができますが、月額2,000円から3,000円の料金がかかります。