カナダの公用語は英語とフランス語で、すべての表記はこの2ヶ国語が併記されています。

道路標識、施設の表示、注意書き、製品の説明などなど。

私が持っているカレンダーにも英仏両方が記されています。

 

 

Montreal CanadiensがFlying Frenchmenと呼ばれていたのはモントリオールがあるケベック州ではフランス語が主体で、また、Canadiensの選手はケベック州出身者が多かったからです。

 

カナダを離着陸する飛行機の機内アナウンスも英語とフランス語でなされます。

トロントを出発したときは英語の後にフランス語でしたが、モントリオールが近づくとフランス語が先になります。

 

空港から市内に着くと、フランス語しか聞こえてきません。

見知らぬ土地で英語以上に言葉が分からない…という不安はまったく感じませんでした。

トロントでの落ち込みもすっかり解消し、さらにいよいよモントリオールに来たということで、それまで以上に胸が躍っていたのでしょう。

フランス語を話している人にも英語で話しかければほとんどの場合、英語で返してくれることも不安を軽くしてくれたと思います。

 

宿泊はトロント同様、YMCA。

その数年後に行ったときのこと。

アメリカに留学していた友人(男)が私に会いにモントリオールに来て、一緒に試合を見たり食事をしたりしました。

二人でいるときに人に宿泊先がYMCAであることを言うと、ニヤッとして「ほほぉ…」という表情をされました。

今でこそLGBTQ+が市民権を得始めましたが、当時はまだ奇異な目で見られる時代でした。

私はそうではありません。

念のため。

 

さっそく、手紙をくれたCanadiensのMoutonさんに電話をしました。

しかし、残念ながら「会議中」とか「話し中」などでなかなかつながりません。

学生で、しかも外国。

「伝言を残して、折り返しの連絡をもらう」という習慣を知らなかったので、何度もかけ続けました。

結局、モントリオールを離れる前夜まで電話が通じることはありませんでした…

 

しかし、日本では他にも手を尽くしていて、三井物産のモントリオール駐在員の方が切符を手配してくださっていて、おかげで3試合を観ることができました。

 

初めてのNHL。

1978年3月8日。

奇しくも私の誕生日です。

 

相手はワシントン・キャピタルズ(Washington Capitals)。

その数年前に年間80試合のうち8勝しかできなかったチームです。

でも、そんなことはどうでも良いこと。

 

Canadiensのホームリンク、Forumはモントリオールの中心、目抜通りのRue Ste.-Catherine(セントキャサリン通り)沿いにあります。

周囲に広い広場や駐車場があるわけではなく、例えば、新宿の伊勢丹のように大通り沿いに他のビルに並んで建っています。

ご記憶の方もいらっしゃると思いますが、1976年のモントリオール・オリンピックで体操のコマネチが大活躍した舞台がこのForumです。

 

 

 

(3枚とも"The Montreal Forum Forever Proud, 1924-1996"

by Chrys Goyens, Allan Turowetz, Jean-Luc Duguay

より)

 

Forumへの観客の多くは地下鉄を利用しているようです。

試合前には周囲が人でごった返しています。

ダフ屋もいます。

それをかき分けていよいよForumの中へ。

目についた小学生くらいの兄弟。

目をキラキラ輝かせて中を見回していた顔が印象に残っています。

おそらく、私と同じく、初めてForumへ来たのでしょう。

 

モントリオールでは、朝、街を歩くと、前夜の試合結果が分かると言われていました。

Canadiensが勝った翌朝は人々が顔を上げて朗らかに歩いている。

一方、負けたときはうつむいている、と。

 

また、そのころ、カナダ人には好きなチームが二つあると聞いたことがあります。

一つは地元のチーム。

そして、もう一つがCanadiens。

それほど全国的に人気があったチームです。

 

 

 

さて、モントリオールに着く前にちょっと一息。

二つのことを書きます。

 

一つは、この時点での私の気持ちです。

ここまで、到着したとたんにテレビでの試合に興奮し、ジュニアホッケーの試合を観、Hockey Hall of Fameへ行き、「ホッケーの国」に来たことで気持ちが高揚している様子を書きました。

しかし、実は着いてからの二日間は気持ちが落ち込んでいました。

この旅行中、毎日日記をつけていたのですが、こんなことを書いています。

 

「やっと二日経ったという感じ。非常に寂しさを感じる。」

「何の遠慮もなくいつもの調子でペラペラやられるから何を言っているのか全然分からない。聞き返しても特に丁寧になるわけでもなし。分かりやすく話してくれようともしない。」

 

当然とはいえ、思うように言葉が通じず、また、カタコト英語の私にゆっくり話してくれることもない。

電話で相手の言うことが聞き取れず、何度も聞き返しているうちに「まったくもう!」といった態度を取られたり、レストランでも「いったい何が欲しいんだ!」と怖い顔をされたりもしました。

 

さらに日本から連絡をとっていたMaple Leaf Gardensの担当者の事務的な対応と、その人との電話でのやりとりがうまくいかなかったことで、観られる予定だったMaple Leafs の試合を見損ねてしまったことでさらに気落ちしてしまいました。

親切に返事をくれ、切符の手配もしてくれるということだったので、ちょっとしたお礼の品を持って行っていたのですが、その人とは会うこともなく、窓口で事務的にジュニアの切符を渡されただけでした。

 

日本で外国人に道を聞かれたら、英語を話せなくても身振り手振りを交えて、なんとか説明しようとするのに、という気持ちでした。

しかし、それは多民族国家であるカナダと単一民族の日本との違いなかもしれません。

早くも文化の違いを思い知らされたというわけです。

 

カナディアンズのMoutonさんという人がああいう手紙をくれましたが、

「モントリオールでもそうなんだろうな~」と思い、

「なんだかあと四日もここでガマンできるか心配になってきた」と続きます。

 

しかし、この二日目の日記の最後には「寂しさにくじけないでがんばろう!」と気持ちを奮い立たせていました。

旅行に行って「がんばる」というのも変な話ですね。(笑

そして、がんばって観光バスで市内観光をし、ナイアガラの滝へも行ったのでした。

 

「一息」のもう一つは当時の通信事情です。

インターネットはありませんからすべてのやりとりは郵便でした。

添付した写真は宿泊したモントリオールのYMCAからの手紙です。



左側の1月20日付の手紙は私が1月8日付で問い合わせた手紙への返事であることが書かれています。

そして、それに対して私が1月27日付の手紙を送り、それへの2月8日付の返信が右側です。

しかも、この時点ではまだ宿泊日も部屋の種類も確定していません。

この後、最終的な日付と部屋の種類の連絡をし、予約金を払ってようやく予約成立というわけです。

その予約金10カナダドルを作ったときの伝票が「STATEMENT OF MAIL TRANSFER」で、日付は2月20日ですから、問い合わせの手紙を書いてから実に43日かかっています。



 そして、この小切手は、当時の為替レートは1カナダドルは216.85円なので、10カナダドルは2,168円。

それにこの小切手を作るための手数料1,373円を合わせて3,541円かかっています。

さらにそれを国際郵便の書留で送るのに1通420円(「書留郵便物受領証」)かかりました。



金額だけでなく、この小切手を作るために外貨を扱っている銀行へ行き、それを国際書留で送るために都心の中央郵便局に行き、と、手間もかかりました。

 

今なら30分もあればこのすべての手続きができますね。

 

それにしても、7泊で部屋代だけで40カナダドルというのは、ずいぶん安いですね。

先ほどの小切手の為替レートで換算すると8,600円!

7泊でですよ!



 

飛行機の切符は行き先が手書きで書かれた複写式の紙でした。


また、このときの経路は羽田ーロサンゼルスートロントーモントリオール。ウィニペグーミネソターロサンゼルスー羽田でしたが、そのために旅行会社に払った金額は飛行機代だけで276,030円。

これは意外に安いですね。



 

 

トロントの街を歩くと…

雪の降る中、小学校の校庭でスティックを持って地面の上でホッケーに興じる子供たち。

あるカフェでは店員と客が激しく口論をしていました。

聴いているとどうやらそれそれが応援するチームのどちらが強いか、次の試合はどちらが勝つかというようなことを言い合っていました。

日本でキャッチボールをしている人を見たり、居酒屋で野球のことをああだこうだと話したりしているのを聞いても何とも思わないのと同じように、カナダの人々にとっては何でもないことでしょうが、私は「ホッケーの街にいるんだ」ということがたまらなく嬉しかったです。

 

トロントでは試合の他にもう一つお目当てがありました。

ホッケーの殿堂 (Hockey Hall of Fame) に行くことでした。

現在、この殿堂はトロントの市街地にありますが、そのころはExhibition Placeという広い公園(?)にありました。

市街地から路面電車でこの公園の正門に着いたものの、さて、その中のどこに目指すHall of Fame があるのか。

日本で手に入れたパンフレットを頼りに雪が積もっている公園内を歩き始めました。

しかし、以前は野球場などの競技場などがあったほど広い場所なので歩いても歩いてもなかなかそれらしきものは見えてきません。

しかも、ほとんどが雪で覆われているので人っ子一人いません。

すると、後ろからクラクションの音が聞こえました。

パトカーが近づいて来て、どこへ行くのかを聞かれました。

訪れる人のいない公園を一人で歩いているのを不審に思ったのかもしれません。

Hall of Fameへ行こうとしていることを伝えると「乗せていってあげよう」とのことで無事にHallに到着。

日本でも乗ったことのないパトカーにカナダで乗るとは!

もちろん、その後も乗ったことはありません。(笑

   

 

 

Hockey Hall of Fameにはそれまでにホッケーに貢献した人や活躍した選手を讃えるために、その人たちの顔や功績の内容が書かれた盾や使われた用具、ユニフォームなどが展示されています。

日本では東京ドームに野球殿堂がありますが、それのホッケー版とお考えいただければ良いです。

館内には私以外には誰もおらず、一人静かに一つ一つの展示をゆっくり見ることができました。

名選手たちのユニフォームや記録を作ったときのスティックやパックなどなど、それまでに知った伝説的な選手たちに触れることができ、一番の目的である試合を見る前から既に気持ちが昂ぶっていました。

 

Stanley Cup(スタンレーカップ)も展示されていました。

毎シーズンのNHLの優勝チームが獲得するホッケーの最高の栄誉と言って良いでしょう。

側面にはそれぞれの優勝チームの選手や監督の名前が彫られています。

 

珍しい記録もありました。

例えば、The fastest three goals(最も早い3得点)という記録です。

1952年に作られたもので21秒間に一人で3得点したというものです。

 

こういうものを見ているとどんどん時間が経ってしまいます。

いったい何時間いたでしょう。

帰りはどんよりした天気の中、行き先表示を見てもどこに行くのか分からない路面電車を乗り継ぎながら市内のホテルへ戻ったのでした。

 

この旅行の間、新聞を毎日を買ってホッケーの記事を読みあさりました。

一般誌にもホッケーの記事がたくさん載っています。

私にとっては貴重な資料です。

ジュニアホッケーのWayne Gretzky(ウェイン・グレツキー)という有望選手のこともこのときに知りました。

 

ホッケー以外のことは何も調べていかなかったのですが、トロントからバスでナイアガラの滝へ日帰りで行けることを知り、「せっかくだから」と思って行きました。

今なら日本語の表示があるのかもしれませんが、当時はそういうものは一切ありません。

しかも、カタコト英語。

たくさんの中長距離バスが発着するバスターミナルで耳をこらして自分が乗るバスの案内を待ったのでした。

そして、ナイアガラの滝のターミナルについたものの、ここも雪だらけで人っこ一人いません。

観光シーズンには賑わっているであろう土産物店はすべて閉まっています。

あたりを見回すと遠くに水けむりらしきものが立ち昇っているのが見えたので、そちらへ向かって歩くと、滝へつながる階段は雪で覆われて通ることができません。

仕方なく、かなりの大回りになる道をトボトボ歩き始めました。

雪に覆われた車道。

たまに車が通るだけで、歩いている人などいません。

すると、ここでもまた後ろからクラクション。

どこへ行くのかを聞かれたので、ナイアガラの滝だと答えると「近くまで乗せてあげよう」。

観光客のいない雪景色のナイアガラの滝。

美しかったです。

その後、どうやって戻ったのかは覚えていませんが、来た道を歩いたのでしょう。

 

こうして1週間ほどトロントで過ごし、さあ、次はいよいよモントリオールです。