ー 今の私があるのはClaude Moutonさんのおかげです

私のすべてを変えてくれました

その運命の人との出会い ー

 

うとうとしていると、ドアをノックする音で目を覚ましました。

ドアを開けると、いつも1階に座っている案内係のような男性が戸惑った様子で “Telophone call for you”と言いながら私にメモを渡しました。

 

Mont Canadian Mouton そして電話番号が書かれていました。

 

Montreal Canadiensからの電話なので「このアジア人は何者だ?」と驚いていたのかもしれません。

「すぐに電話をしなさい」と促されて、急いで1階に降り、公衆電話からその番号に電話をかけました。

出たのは優しい声の男性。

それがMoutonさんでした。

 

(以下、その時の日記から)

M : Hello.

私 : I am Masatoshi Kondo from Japan.

“How do you do?”

“I’m fine thank you, and I’m very glad because you won all the games I saw.”

(以下、日本語)

M : それは良かった。どの試合を見たんですか?」

私 : ワシントン、トロント、そして、今日のロサンゼルス。いい試合でした。

「プレゼントありがとう」

「いいえ、どういたしまして」

「あの手紙を見たのは今晩の試合の後だったんです。手紙にあなたの席が書いてあったけど、行けませんでした。」

「試合の後?」

「そう」

「それは残念でした」

「いつ持ってきたんですか?」

「昨日の午前中です」

「どうしてもっと早く来なかったんですか?カメラマンや新聞記者を呼んでいて、選手にも会わせてあげようと思っていたのに。」

「え~、でも、何回電話しても話し中だったし、いきなり行くのは失礼だと思ったので。でも、行けば良かったです。」

「明日は何時に出発するんですか?」

「10時の便です」

「明日の午前中に練習があるから、見せてあげようと思っているのだけど」

「でも……」

「午後の便はありませんか?」

「なかったと思います。夜だったらあるようですが。」

「その便を変更できませんか?」

「はい、午後の便を探してみます。」

「それがいい。もし午後の便に変えられたら電話をください。」

「はい」

「じゃあ、待ってるから。おやすみなさい。」

「おやすみなさい」

 

しかし、飛行機の便の変更ってどうやればいいのだろう。

そもそもどこに連絡をしたら良いのか。

 

何も分からなかったので、朝早くリムジンバスで空港に行き、なんとか便を変更することができ、YMCAに戻りました。

寝不足の頭でロビーの椅子に座ってぼんやりしていると、フロントの人が私を見て、「ここに泊まっている人?」と聞くので

「はい」と答えると

「511号室?」

「はい」

「電話がかかっているから、そこの電話で話しなさい」

 

Moutonさんからの電話でした。

M : どうでした?

私 : 変更できました。

「それは良かった。じゃあ、今、10時15分だから11時に迎えに行きます。」

「ありがとうございます。スーツケースはどうしたらいいでしょう?」

「車のトランクに入れておくから持ってきなさい。空港まで送ってあげます。」

「ありがとうございます。」

「では、後で」

「はい」

 

11時前にチェックアウトを済ませると、フロントの人に「さっきの人?」と聞かれました。

「また、電話があって、11時より15分くらい遅れるそうです。」と。

 

ドアに寄りかかって外を見ていると、何人か男性が入って来て、その都度「この人かな?」と思いましたが、いずれも人を探している様子はありません。

11時15分、道路の左側からナンバープレートのところにCanadiensのロゴが付いた車が来て、クラクションを鳴らしました。

「これだ!」

スーツケースを持って、外に出ると、車の向こう側のドアから降りて車の前をぐるっと周って元気よく歩いてきた大柄の男性。

“Glad to see you.”と言って手を差し出しました。

Moutonさんとの初対面です。

 

私のスーツケースをトランクに入れてくれて車の中へ。

私 : I couldn’t sleep last night.”

M : No?

私 : Yes!

 

“Yes!” と答えてしまいましたが、正しくは “No” ですね。

興奮と緊張で、頭の中は真っ白でした。

Lafleurはその何年か後にトレードされました。

どんなスター選手でも力が衰えてきたらトレードに出されるのは当たり前にあることです。

 

相手チームのメンバーとしてモントリオールに戻ってきたLafleurを観客は大歓声で迎えました。

そして、その試合でLafleurが得点を挙げたとき、その興奮は頂点に達しました。

観客総立ちで拍手喝采。

Forumのファンが、相手チームのゴールにスタンディングオベーション――こんな光景は、後にも先にもこの日だけだったのではないでしょうか。

それほど人々に愛された選手でした。

 

このLafleurを始め、Canadiensに良い選手が揃っていたのはゼネラル・マネージャー(GM)のSam Pollock(サム・ポロック)の手腕によるものでした。

誰をコーチ(監督)にするか、ドラフトでどの選手を指名するかなどを決めるのはGMです。

 

新人選手のドラフト指名権の順番はチームの前年の順位によって決まります。

リーグ全体の成績が悪かったチームから順番に指名権が与えられます。

ですから、強かったCanadiensの指名権は一番最後ということになります。

また、NHLのドラフトには日本のプロ野球の「逆指名」や複数チームが同一選手を指名してくじ引きで交渉権を決めるなどという中途半端な制度はありません。

選手は自分を指名したチームが弱かろうが強かろうが、そのチームに入るかプロになるのを諦めるかのどちらかしか選べません。

良い選手が特定のチームに偏らないうようにするのがドラフトという制度のはずです。

そこには「選手にもチームを選ぶ権利がある」といういかにも日本的な考えは存在しません。

それは北米の他のスポーツでも同じことです。

 

反面、ドラフト指名権をトレードに使うということは日本にはないことでしょう。

選手とドラフト指名権を交換するのです。

それも翌年の指名権だけではなく、2年後、3年後の何巡目の指名権とのトレードもあります。

ですから、ドラフトの1巡目に同じチームが二つの指名権を持っているということはよくあることです。

Lafleurは多くのチームが欲しがっていた選手ですが、それをCanadiensが獲得できたのはこのようなトレードにより、他のチームの1位指名権を持っていたからなのです。

欲しい選手をドラフトできる年にどのチームが1位指名権を持つか、つまり前年の最下位になるか。

それを見据えてトレードを考える。

だからこそ、誰をいつ指名するか、そしてその指名権をどう得るかは、GMの手腕に大きくかかっているのです。

 

 

さて、初めて見るMontreal Canadiens。

Lafleurの他にも活字や写真でしか知らなかった選手の動く姿を見ることができているということは言い表せない感激でした。

私がLafleurと同じくらい、いや、それ以上に好きなYvan Cournoyer(イワン・コールノワイエー)もいます。

私をホッケーに目覚めさせた1972年のソビエトとのシリーズで私を最も惹きつけた選手です。

小柄ながら誰よりも速く走る。

Road Runnerというあだ名が付いていました。

アメリカのアニメでオオカミに追いかけられ、猛スピードで逃げる「ロードランナー」という鳥をご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?

あの速さを連想させるのでこのようなあだ名がついたのでしょう。

 

また、それまでは知らなかったBob Gainy(ボブ・ゲイニー)が私の目を惹きました。

グッグッグッと伸びてパックに追いつき、強いチェック(体当たり)で相手選手を負かしてパックを取る。

ホッケーにはディフェンシブ・フォワードという役割があります。

防御的なフォワード。

フォワードは点を取ることが一番の役目であることはもちろんですが、相手チームの得点力のある選手を押さえることを役割にしているのがこのフォワードです。

NHLには最多得点や最高防御率などの賞がありますが、最も優れたディフェンシブ・フォワードに与えられる賞もあります。

それほど重要な役割ということです。

その典型的な選手がこのGainyでしたし、その賞を獲得し、後にはキャプテンやコーチを務めました。

 

この日のWashington戦の後、対 Toronto Maple Leafs、対 Los Angels Kingsと合計3試合を見ることができ、夢を叶えたのでした。

 

この間、何度もMoutonさんに電話をかけたのですが、結局繋がることはありませんでした。

しかし、Canadiensの試合を三つも見ることができ、私の目的は果たせたので、最後の試合の日の昼間に、手紙をくれたお礼と残念ながら会うことはできなかったが3試合見ることができた旨と宿泊先を書いたメモを添えて、日本から持っていったちょっとしたお土産をForumの守衛さんに託しました。

 

 

3試合ともCanadiensが勝ち、名残惜しいForumを後にしてYMCAに戻りました。

夢を叶えた満足感で興奮状態でしたが、翌日は早朝の便で次の目的地Winnipegに向かう予定でしたので、床に着きました。

 

しかし、この旅にはまだ続きがありました……

 

https://youtu.be/UTnbTAzOOw8?si=kO7zvWlD-WGWJlgG

 

私の誕生日でもある、特別な日。その記憶を振り返ります。

 

Forumに入場し、エスカレーターで上って行くと、次第にホッケーの試合に付きものの軽快なオルガンの音が聞こえてきます。

そして、席のある3階くらいだったと思いますが、観客席へ向かうと、見えてきました。

眩しいほど真っ白なリンク。

そして、そこに選手たちが動いている!

いるいる!

記事や写真でしか知らなかったあの選手もこの選手も!

興奮している私のことなどお構いなしに当たり前に動いている。

 

 

試合が中断したときに弾かれるオルガン。

競技場ごとにオルガンだったり、賑やかな音楽だったりします。

モントリオールでは、オルガンは最新式のものになっているでしょうが、テレビで見ている限り、メロディーは今もこのときと変わっていないようです。

 

私の席は相手チームWashingtonのゴールの裏でした。

ホッケーは正味20分間の「ピリオド」を攻める方向を入れ替えて3回、計60分間戦います。

つまり、その三つのピリオドのうちの2回はCanadiensがこちらに向かって攻めてきます。

トロントもそうでしたが、Forumは最近の競技場に比べて観客席は急勾配になっています。

 

(急勾配のForumの客席)

 

前の席との間隔も狭く、中のほうの席にゆくためにはすでに座っている人が立たないとならないくらいで、ちょっと踏み外すと下まで転げ落ちてしまいそうです。

 

(私)

 

最後列の席は手を伸ばすと天井に付くのではないか思うほどです。

ですから、歓声が広がらず、競技場の中を渦巻く、低くうねるように響く不気味な風の音のような、う~ん、うまく表現できませんが、巨大な洞窟の中で音が反響しているような、そんな低くうねるような音――ぐわわーんという感じがします。

 

また、Forumではベンチがリンクの両側に分かれています。

放送席とペナルティボックスの横にCanadiensのベンチ。

リンクの反対側に相手チームのベンチ。

しかし、これだと相手チームに不利になることがあるので、今はそういうリンクはありません。

どこのリンクも同じ側に両チームのベンチがあります。

 

Forumの名物、Roger Ducetの国歌斉唱。

白髪なのか銀髪なのか、小太りの体に黒の蝶ネクタイ。

力強い歌声。

 

そして、いよいよ試合開始です。

ホッケーに馴染みがない方がいらっしゃるかもしれませんので、ちょっとだけ補足を。

ホッケーの試合では1チーム6人がリンクに出ます。

基本はフォワード3人、ディフェンス2人、ゴールキーパー1人。

そして、フォワードとディフェンスは、チームによりますが、それぞれ4組くらいあります。

キーパーを除く5人が試合を止めることなく1分くらいごとに交代しながら試合が進みます。

1組目の次に2組目、そして3組目、4組目、1組目…というように。

場面によってこの順番を変えたり、組み合わせを変えたりすることがありますし、ゴールキーパーをベンチに下げて、6人で攻めることもあります。

この駆け引きはコーチ(日本でいう監督)の采配によるわけですが、それが勝敗を分けることににもなります。

ですから、自分が好きな選手は5、6分ごとに出てきて、1分くらいでベンチに戻ります。

 

チームそのものがオールスターチームのようだったCanadiens。

その中でも最も人気が高かったのはGuy Lafleurという選手です。

カタカナでは「ギー・ラフラー」とでも書いたら良いでしょうか。

La Fleurはフランス語で、英語のThe Flowerという意味です。

まだヘルメットの着用が義務付けられていなかった時代でしたので、金髪をなびかせながら走るその姿は華やかでしたが、相手チームにとっては最も警戒すべき “le Démon Blond” (金髪の悪魔)と呼ばれていました。

 

Lafleurがリンクに出るたびに、場内はGuy ! Guy !という歓声に包まれます。

「歓声」というよりも異様などよめきとでも言ったら良いかもしれません。

 

(円の中の白いユニフォームがLafleur!)

 

リンクの中央でパスを受けたLafleurが私のいるWashingtonのゴールへ向かってきました。

キーパーと1対1です!

観客は総立ち。

Guy! Guy! がますます高まり、悲鳴のようになります。

1、2度体を振ってキーパーをかわしてゴール!

場内大歓声。

一人で観ていた私も飛び上がって喜びました。

「大歓声」という言葉では表しきれないほどの興奮。

しばらく鳴り止まない歓声と拍手。

 

後から知ったのですが、これはLafleurにとってそのシーズンの50得点目だったのです。

今でこそ珍しくはありませんが、このころは年間80試合で50得点というのは大変なことでした。

しかも、4年連続の50ゴールだったのです。

 

(50点目を報じる新聞)

 

Lafleurのゴール、しかも記念すべき得点。

 

私への何よりの誕生日プレゼントでした。