出発の日。

成田空港反対派によって管制塔が破壊された翌年の1978年3月。

大学3年生のときの春休み。

両親と従姉妹が羽田空港まで見送りに来ました。

「もう大学生なんだからこなくていい」と思いましたが、まだ海外旅行が一般的ではないときに、ツアーではなく一人で、しかも初めての海外旅行なので心配するのももっともなことだったかもしれません。

しかし、当の本人は「人がいないジャングルに行くわけではなし、同じ人間が住んでいるのだから」と不安はまったくありませんでした。

 

ロサンゼルスで乗り継いでトロントへ。

入国審査場でパスポートを見せると、入国のスタンプを押してくれず、出口とは違う場所へ案内されました。

誰もいない広い待合室にぽつんとひとり。

 

「いったい何故?」

 

しばらく待っていると仕切りのあるカウンターに連れてゆかれ、審査官にいろいろ尋ねられました。

カナダに来た目的、行く場所、滞在期間、どこに泊まるのか、友人はいるかなど、細かなことを。

「ホッケーを見に来た」と答えましたが、なんだか納得できない表情。

そこで、カナディアンズから来た手紙を見せると、驚いた顔をして “Interesting” と言って無事解放されました。

「面白そうだ」という感じでしょうか。

 

後から知ったのですが、そのころ日本や外国でテロ活動をしていた日本赤軍のメンバーがアメリカとの国境付近で捕まったので「日本人の若者は要注意」とされていたようです。

そんなことがありましたが、いよいよホッケー旅行の始まりです。

 

空港の外に出たのは19時ころだったと思います。

カナダの3月ですからかなり寒かったはずですが「うー、さぶっ!」とは思いませんでした。

早くも気持ちが昂っていたのでしょう。

とはいえ、何も分からないので、「市内へ行くにはどうしたらいいか」「両替はどこでできるか」などをあちこち尋ね周り、リムジンバスでトロント市内へ向かいました。

「さあ~、とうとう来たぞ~」という思いで窓の外を眺めていました。

高速道路のオレンジ色の街灯がやけに印象に残っています。

市内へ到着し、ホリディインホテルにチェックイン。

なにしろ初めての海外旅行ですから、戸惑うことを予想して、1泊目だけは安心できそうなホテルにしました。

2泊目以降はモントリオールも含めて、学生らしくYMCAにしました。

チェックインを終えて、部屋に入り、真っ先にテレビをつけました。

その晩はトロント・メイプルリーフスの試合があることを知っていたからです。

するといきなり大歓声が聞こえてきました。

ちょうどリーフスのキャプテン、Darryl Sittler (ダリル・シトラー)が得点したところでした。

(これ以降、選手などの名前はアルファベット表記にします。カタカナにするのが難しい名前もあるので。参考に最初だけカタカナ表記をします。)

 

着くなり大興奮!

テレビに釘付け。

トロントで、生中継、地元リーフスが得点、観客の大歓声。

これだけで「ここまで来た甲斐があった!」「これでもう十分!」

心底そう思いました。

 

(その試合のことを伝える新聞)

 

 

 

(トロント市庁舎、庁舎前の広場がスケートリンクになっています)

 

トロントではリーフスのホーム、Maple Leaf Garden (メイプルリーフガーデン)で1試合見られる予定でしたが、私のつたない英語のせいでちょっとした手違いがあり、見損ねてしまいました。

この手違いをしたときのこと。

外から来た人が、Maple Leaf Gardenの関係者らしき人に声をかけました。

 

You did well last night!

 

前夜の試合のことです。

「いい試合だったね!」という感じでしょう。

こういう表現をするんだ!と一つ英語を学びました。

知らなかったら「The game which was played last night …」なんていう表現しか思いつきません。

 

手違いはありましたが、ジュニアの試合を見ました。

試合はいずれも平日の日中。

Maple Leaf GardenはモントリオールのForum(フォーラム)とともに歴史があり、ホッケーの聖地といっても良い競技場です。

両方とも現在はすでに閉鎖されており、後年モントリオールに行ったときに、Forumの跡地はショッピングモールになっていて、座席が飾られているのがわずかに往時を偲ばせるものでした。

 

さて、ジュニアホッケーですが、カナダでプロを目指す者は16歳ころからこのジュニアリーグのチームに入ります。

ジュニアリーグにもいくつかのレベルがあり、最上位に位置するのがメジャージュニアリーグで、3つのリーグがあります。

オンタリオ州のOntario Hockey League、ケベック州のQuebec Junior League、西部のWestern Hockey Leagueでそれぞれドラフトがあります。

他にもジュニアリーグがあり、あまりにたくさんのリーグやチームがあるので、その仕組みや構造は私は理解できていませんが、カナダ人のプロ選手の多くはこのジュニアを経ているようです。

 

このジュニアの試合を3試合観ました。

いずれも地元のToronto Marlborosの試合で、相手はLondon Knights、Hamilton Fincups、Sault Ste. Marie Greyhoundsです。

 

(プログラム。両チームの選手やジュニアに関連する記事が載っています)

 

現在はないチームもあるので、その後、移転などで名称が変わったのでしょう。

試合は平日の日中だったこともあり、客席にはほとんど人がいなかったので、リンクサイドや上のほうなど、その都度、好きな席で観戦することが出来ました。

ホッケーの聖地であるMaple Leaf Gardenで思いのままの席に座ることができるなんて、贅沢なことです。

試合そのものは、伝統的なカナダ流のプレーの繰り返し。

パックを相手陣内に放り込んで、それを追ってなだれ込み、フェンス側で相手と激しくぶつかり合いながら、パックを奪って、ゴール前にいる味方にパス。

単調ではありますが、こうやって一つの型を身につけてゆくということがよく分かりました。

 

 

そうするうちに、NHLの試合を見に行きたいという思いがますます強くなりました。

しかし、それまでにアルバイトで貯めた貯金では必要な費用の半分くらいにしかなりませんでした。

そこで親に相談したところ援助してくれることになりました。

ホッケーを見に行くという突飛な話なのに、よく許してくれたものです。

 

さあ、いよいよ始動開始です。

 

さっそく、どうしたら試合を見られるかを調べ始めました。

 

まず東京の青山(だったと思います)のカナダ大使館に行きました。

そのころは、大使館直轄の「カナダ政府観光局」というところがありました。

そこにはカナダ各都市の観光情報がたくさんありましたが、ホッケーに関するものはありませんでした。

応対してくれた日本人の局員さんはホッケーが好きで、仕事でカナダに行ったときにはよく見る、という話を聞かせてくれたりしました。

そして、カナダ大使館に行ってみるよう勧められました。

カナダ人の大使館員にホッケーを見に行きたい旨を話したところ、カナダ、特にモントリオールやトロントという古くからのチームがある都市では切符を手に入れるのは不可能だと言われました。

何故なら、切符はほとんど年間通し切符だからです。

ジュニア・ホッケーなら見られると言われましたが、私はテレビででもNHLを見たいという気持ちでした。

そして、大使館員に試合日程を調べてもらうようお願いし、後日その年の全試合の日程が出ているコピーをもらいました。

3連戦が多い野球と違って、ホッケーは2、3日に一試合行われます。

その日程表を見て、モントリオールとトロントで最も多く試合を見られる時期を検討し、日程を決めました。

1978年3月初旬。

先述の政府観光局でもらってきたパンフレットを頼りにモントリオールとトロントで「Travel」とか「Tourist」など、観光に関係がありそうなところに片っ端から手紙を送ることにしました。

ホテルによっては宿泊客へのサービス用に切符を持っているところもあると聞いたので、いくつかのホテルにも。

モントリオールのフォーラム(Forum)やトロントのメープルリーフ・ガーデン(Maple Leaf Garden)という競技場にも。

しかし、チームに送るということは考えつきませんでした。

ホッケーチームがどこにどういう形で存在しているかを知らなかったからです。

手紙には、自分は日本人でNHLが大好きであること、日本ではNHLの試合をまったく見ることができないこと、今度試合を見に行くこと、テレビで見るだけでも満足だができれば1試合でいいので競技場で見たいこと、などを書きました。

当時はまだ複写機というものが一般にはなく、コピーをとるためには街のコピーサービスで1枚数十円払う必要がありました。

学生の私には大きな出費です。

ですので、航空便用の便箋に5枚くらいの手紙を手書きで10通ほど書きました。

 

宿泊するホテルへの宿泊予約も手紙でした。

飛行機の切符は比較的安く売っている小さな旅行会社を見つけ、そこに頼むことにしました。

交通公社など大手の旅行代理店はパッケージツアーしか扱っておらず、一人のための「オーダーメイド」には対応していなかったこともその理由です。

HISはまだありません。

 

旅行に行く1ヶ月ほど前に、いつもの通りにFENのスポーツニュースを聴いていてハッとしました。

いつもは結果だけなのですが、その日はその後の試合日程を報じていました。

そこでは、例えば、「Montreal at Toronto」という言い方をしていたのです。

大使館でもらった日程表で確認すると「Montreal - Toronto」となっています。

つまり、日本で「巨人対阪神」と書いてあったら、後楽園球場(東京ドーム)で試合が行われますが、ホッケーではそれが逆なのです。

後楽園球場での試合だったら、「阪神が巨人で試合をする」という意味で「阪神対巨人」と表記るのです。

これはホッケーに限らず、欧米の他のスポーツでも同じです。

 

 

さあ大変!

 

それまでに決めた日程だと、モントリオールもトロントもビジターとして相手チームの都市に行っているわけです。

日程を再検討して、モントリオールで3試合、トロントで1試合おこなわれる日程を決めなおしました。

切符の手配は終わっていましたが、風変わりな私の旅行に関心を持ってくれていた旅行会社の担当者は快く変更手続きをしてくれました。

ホテルへも手紙の送り直しです。

 

当時、航空便の郵便物は片道1週間ほどかかりました。

因みに船便だと1ヶ月くらいかかります。

手紙を送ってから2週間くらいして、返事が届き始めました。

郵便配達のオートバイの音を心待ちにする毎日。

しかし、いずれも政府観光局でもらったのと同じ、都市の観光案内のパンフレットが送られてくるだけで、ホッケーに関するものは一つもありませんでした。

 

ある雪の日。

忘れもしません。

いつものようにオートバイの音が聞こえ、ポストに郵便物を取りに行くと、モントリオール・カナディアンズのロゴが印刷された封筒が入っていました。

 

 

 

 

え?

 

これから起こることの予想がつくわけもなく、封を開けると、手紙と主要な選手の写真が何枚か入っていました。

手紙には「あなたの手紙を受け取りました。あたなに試合を見せるためにできる限りのことをします。モントリオールに着いたら連絡をください。」という主旨と電話番号が書かれていました。

手紙の主は「Claude Mouton, Director of Publicity and Public Relations」。

広報担当の取締役といったところでしょうか。

喜びで舞い上がるどころか、何が起こったのか分からず、しばらく呆然としていました。

 

なんで?

 

そのうちに体が火照り始め、呆然が興奮へ変わりました。

 

 

 

モントリオール市の観光局に届いた私の手紙がチームに送られたのでした。

 

そして、トロント、モントリオール、ウィニペグに1週間ずつ、アメリカに留学していた友人を訪ねるために1週間、ぜんぶで約1ヶ月の旅をすることにしました。

こうしてNHLの情報を集めてゆく中で、有力な情報源を見つけました。

 

今でもあると思いますが、FEN (Far East Network) という在日米軍向けのラジオ放送です。

夕方の10分ほどのニュースの中にスポーツの時間があり、ホッケーを含む各スポーツの試合結果を伝えていました。

そこで、タイマーを買って毎日そのニュースをカセットテープに録音し、NHLの部分を書き出すことを始めました。

試合結果だけではなく、誰が点を取ったとかちょっとした話題など、そのニュースのホッケーに関する部分をすべて。

そのために何度も何度もテープを巻き戻し、繰り返し聴いて一言一句漏らさずに文字にしました。

おかげで英語の聞き取り能力が上達しました。

ただし、今もそうですが、解るのはホッケーのことだけです。(笑

 

FENではときどき試合の実況放送がありました。

私が聴けるのは日曜日の午後でしたが、試合をやっているとそれも録音しました。

それが私のBGMで、部屋にいるときはいつも聞くとはなしに流しっぱなしにしていました。

 

(当時録音したテープ)

 

また、今思えば笑い話ですが、当時は真剣だったことがあります。

そのころファミリーレストランというものが出来始めました。

それまでに見たことのないしゃれた外観のデニーズ。

「~’s」という店名、屋根の上やポールで表示されている看板。

今では当たり前の光景ですが、当時はまだそれが新しかった。

アメリカ映画でしか見たことがありませんでした。

「あれはアメリカのレストランに違いない。中にはアメリカ人の店員がいて、ホッケーが好きな人がいるかもしれない。その人と話をしたい。」と思って店内に入ったものの、店員は全員日本人でがっかりしたのでした。

 

デパートやレストランでカナダ関係の催しが開かれることがありました。

カナダ物産展ではカナダの食品、衣類、工芸品などが販売されたり、カナダフェアではカナダ産のサーモンやメイプルシロップを使った料理が提供されたりしていました。

ホッケーに関するものも何かないかと思って、この手の催しには必ず出かけました。

 

ある物産展でのこと。

食事ができる場所に、当時としては珍しかった大きなスクリーンが置かれ、カナダの観光地などのビデオが映されていたのですが、ホッケーが始まりました。

しかもCanadiensの試合!

さあ大変。

何も注文せずにそこに居座り、試合を見続けました。

VHSビデオでしたから試合の途中でビデオが終わってしまいます。

係の人に続きを見せてくれと頼み、「試合再開」。

このビデオをダビングさせてもらえないかと頼みましたが、当然ダメでした。

その物産展が開かれていた数日間はその試合見たさに毎日通ったものです。

 

当時通っていた大学には外国人の教授が多くおり、その中にはカナダ人もいました。

どうやって知り合ったのかは覚えていませんが、ホッケーが大好きなその教授と親しくなり、学部は違いますが、ホッケーの話を聴かせてもらいによく研究室に行きました。

偏屈と思われていて学生の評判が良くない教授でしたが、私とホッケーの話をしているときはいつも笑顔で、いろいろなことを話してくれました。

そこに置かれていたのが「The Hockey News」というホッケー専門の新聞でした。

NHLのことしか載っていない。

シーズン中は毎週発行される。

「うわー、こんな新聞があるんだ!」

さっそく連絡先を教えてもらい、購読しました。

 

 

まずはその新聞社に手紙を書いて購読を申し込み、代金の支払いは送金小切手というものを作って郵便で送らなくてはなりませんでした。

クレジットカードはようやく出始めたころなので、持っている人はまだ少なく、国際決済は出来ません。

海外旅行に行くときは「トラベラーズチェック」という小切手を使うのが一般的でした。

そして、外貨取引といえば東京銀行。

「三菱東京UFJ銀行」だったころの「東京」はこの銀行です。

新宿にあった東京銀行で小切手を作り、それを国際郵便で送る。

国際郵便は航空便か船便かを選ばなくてはなりませんでした。

この送金小切手は航空便で送りましたが、購読する新聞は船便にしました。

航空便はかなり高かったので、到着までに1ヶ月近くかかりますがそこは我慢しました。

そうやって購読を始めたThe Hockey Newsはその後10年ほど購読し続け、今でも押し入れにとってあります。