当店の『甘食』の製造工程をご紹介いたします。

①甘食は『しぼり甘食』といわれる様に、まず生地を絞り袋に入れ天板に搾り出します。

        


②搾り出した生地に上に、バターやマーガリンで十文字の切れ目を入れます。
        



③オーブンの中にいれて…
         



④焼きあがると、こんな風にふっくらと膨らみます。
         
       

 
⑤これで『甘食』が焼きあがりました。
          


「セイシュンのB級グルメ」、文藝春秋、1988年
「シベリヤ」、小松茂男、冬樹社、1989年
「4時のオヤツ」、杉浦日向子、新潮社、2004年
「舶来事物起源事典」、富田仁、名著普及会、1987年
「和菓子おもしろ百珍」、中山圭子、淡交社、2001年 
「和菓子ものがたり」、中山圭子、新人物往来社、1993年
「和菓子物語」、松尾夜城、井上書房、1960年
「日本の和菓子」、奥山益朗」、日出出版、1987年
「和菓子の系譜」、中村孝也、淡交社、1967年
「和菓子さろん」、野上千之、東京経済、1997年
「お菓子帖」、綱島理友、マガジンハウス、1991年
「街のイマイチ君―イマイチ君の理由なき探検」、

                      綱島理友、講談社、1997年
「近世菓子製法集成」、鈴木晋一・松本伸子(翻訳)平凡社、2003年
「南蛮菓子」展、虎屋文庫、1993年
「横浜とパン」、横浜市勤労福祉財団、1991年
「パンの明治百年史」、パンの明治百年史刊行会、1970年
「日本のパンの400年史」、日本のパンの400年史刊行会、1956年
「パンの日本史」、安達巌、ジャパンタイムス社、1989年
「パン」、安達巌、法政大学出版、1996年
「ぱん由来記」、東京書房社、1969年
「コムギの食文化を知る事典」、岡田哲、2001年
「銀座木村屋あんぱん物語」、大山真人、平凡社新書、2001年
「木村屋総本展120年史」、1989年
雁屋哲・花咲アキラ:「美味しんぼ 82 おむすび対決」、小学館、2002年
「パンの源流を旅する」、藤本徹、ビジネスフォーラム、1992年
「東京やきたてパン物語」、渡辺政子、東京書籍、1998年
「パンやさん大好き」、パンの会、1993年
「メロンパンの真実」、高嶋和子、講談社、2004年
「天晴れカレーパン」、石坂浩二、主婦の友社、1984年
「魅惑の香水壜―コティとラリックの物語」、遠藤賢朗、里文出版 2006年
「私の東京地図」、佐多稲子、筑摩書房、1959年
「マッカーサーの見た焼け跡」、文芸春秋、1993年
「横浜再現」、奥村泰宏・常盤とよ子、平凡社、1996年
「今よみがえる横浜市電の時代」、武相高校鉄道研究同好会、

                          竹内書店新社、2000年
「陸軍歩兵よもやま物語」、斎藤邦雄、光人社、1985年
月刊「すばる」、集英社、1988年7月号


ご注文方法

1、お電話 045-231-2944か、
  メール
coty1916t5@yahoo.co.jpで、ご注文下さい。

2、地方発送はヤマト便のコレクトコール(代引き)
  にて申し受けます。   
  ※夏季はクール便・冷蔵での配送になりますので
   クール便使用料が加算されます。
   あらかじめご了承下さい。

 ◎ご不明な点は、お電話かメールで
お問い合わせ下さい。


昭和のころ
 
昭和40年代に店を改装して
、いよいよパン屋コテイベーカリーがスタートしました。
と言っても当時は仕入れの菓子類のほうが多く、パンはごく一部でした。
コンビニもスーパーも無かったこの時代には
パン屋より菓子屋としての需要の方が多かったのでした。
早朝の仕事開始時間から夜遅くまで店を開けていたので
コンビニに似た役割を果たしていました。


 
昭和54年10月年(1978年)現在の店に建て替えました。
それまで扱っていた、仕入れの菓子類を一切置かず、
自家製造品のみの販売に移行しました。
現代では当たり前のことではありますが、街のパン屋としては、
当時画期的で斬新な試みでした。

昭和のころ

大正5年創業の当店ですが、
戦前の写真は震災と戦災で焼失してしまい名にも残っておりません。
写真は戦後のものではありますが、隔世の感があります。
横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-bara
昭和20年代前半の頃の写真です。
バラックの店、白い暖簾に『喫茶コテイ』の文字が見られます。 

横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-kan
空き缶を利用して作った看板「おしるこ コテイ」と書かれています。
敗戦で疲弊した当時の人々にとって
甘味は何よりの活力源であり、心の慰めであったことでしょう。 





当店の歴史


横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-1
大正5年(1916年)創業の頃

市電の仕事を退職した初代が、当地にパン屋を開業いたしました。
現在はなくなってしまいましたが、

隣の吉田町にあった『日本堂』というパン屋で修行をしましたので、
最初、当店も『日本堂』という屋号でした。


当時パン屋は徒弟制度でしたので、修行をした店の名を名乗るのが習慣でした。
太平洋戦争から復員した2代目は、

小麦が統制になっていてパン屋ができませんでしたので、
喫茶店をしばらくの間営むことになります。
その際に付けた屋号が『喫茶・コテイ』でした。


この名をパン屋を再開する時にそのまま使い『コテイベーカリー』となりました。


★画像は昭和19年9月に撮影された「横浜市電」です。

市電は明治・大正・昭和の時代を市民の足として走り続けました。

(写真提供=横浜市在住O様)




横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-1


甘食伝説

甘食が生まれたのは、明治時代の中ごろといわれています。

天板の上に生地を絞り、中心にとかしバターやマーガリンで

十文字の印をつけて焼きます。こうすることにより、

形の良い山型になるとともに風味もより良いものになるからです。


甘食のルーツをたどってみると、更に古く、安土桃山時代にスペイン・ポルトガル人がもたらした南蛮菓子にあると言えるでしょう。今は、日本のお菓子となったカステラ・こんぺい糖・カルメ焼き・ボーロ、これらは全て南蛮菓子が日本風に姿を変えたものです。


ボーロ(bo-lo)は、ポルトガル語で焼き菓子を意味する言葉で、小麦粉・水・砂糖で作られるものでしたが、それに卵が加えられて“おとし焼き”となり、全国に多くのお菓子を残しました。丸ボーロ(佐賀)、カステラボーロ(長崎)、そばボーロ(京都)、

タンナファクルー・花ボーロ(沖縄)等です。
日本のお菓子として定着していたボーロに明治維新後、バターが加わり、いよいよ甘食が完成しました。バターが加わる事により、より柔らかく、なめらかになり、

大正・昭和の時代にはおやつの定番になっていきます。


横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-2

また、昭和30年代には、甘味のある食パン生地のロールパンを“甘食”、そして、お菓子の方を“しぼり甘食”と呼んで2種類の『甘食』を製造していた時代もありました。


当店ではハチミツを加え、素朴ながらも、味わいのある甘食を大正5年の創業以来、変わらぬ製法で作り続けております。



【甘食伝説2005年1月作成のオリジナルレポートです】

  


横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-siberia


シベリア物語
『シベリア』というお菓子が生まれたのは明治後半から大正初期頃です。当時のパン屋では、どの店でも、このお菓子が作られていました。パン焼きがまの余熱を利用して焼いたカステラと、あんぱんに使うあんを使って作られました。
和菓子のような製品ですが、パン屋で作られたのには、この様ないきさつがあったのです。シベリアパン、シベリアケーキと呼ばれることもあります。しかし、製造に手間と時間がかかることから、いつの間にか、シベリアはパン屋の店先から姿を消していきました。さいわい当店のシベリアは、お客様に愛され続け、大正5年(1916年)創業以来、製法も当時のまま、今日に至っております。


シベリアの作り方 “犬のジュース屋さんZ”(YouTube)



                 名前の由来☆諸説紛々


①夢のシベリア鉄道説 
ようかん部分が、大雪原を走るシベリア鉄道に見えるから。


②掘ってびっくり地層説
創業カステラとようかんがシベリアのスンドラ(永久凍土)の地層に見えるから。


③心あたたかオーバー説
創業シベリアは極寒の地、ようかんが寒くて可哀想、

カステラのオーバーを着せたから。
 
④創業ドッテテ ドッテテ シベリア出兵説
大創業大正7年(1918年)にシベリア出兵事件がありました。

当時の人々にとってシベリアは身近な外国の地名でした。

その頃に作られたお菓子で、洋風な印象を与えるものだったので、

そのまま名前になりました。


⑤創業思ひ出の喫茶店名説(これは当店のお客様からの情報です)
「小樽の町「シベリア」という名の喫茶店がありました。
ロシア革命(1917年)のために亡命して来たロシア人が経営していた店でした。
そこでこのお菓子が売られていました。
父がよく『シベリアで買ってきたよ』と言ってお土産に買ってきてくれました。」


⑥闘うお菓子屋さん説
創業日露戦争(1904年)日露戦争に従軍した菓子職人が考案したから。


⑦恋するお姫様説
創業ロシア革命で、神戸に亡命した美しい貴族の姫君が恋人の亡骸が埋まっている、シベリアの凍土を想いながら作ったから。



  いろいろな説がありますが、あなたはどの説がピッタリだと思われますか?



     【これは2001年5月当店作成のオリジナルレポートです】



★当店は少々わかりづらい場所にありますので、
ご来店の際にはこちらをご覧ください。

    
横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-1

①JR桜木町駅の改札を出ると、右側に

横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-2

『野毛ちかみち』という地下道の入り口があります。




②『野毛ちかみち』のエスカレーターを降り、直進します。
横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-3



③突き当たりに『南1番出口』があります。


④『南1番出口』のエスカレーターをあがります。

横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-h



⑤地下道を出ると、コンビニがあります。

横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-i


その先のにある2軒の居酒屋の前を通過します。

横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-j

  『横浜銀行ATM』があります。



⑥『横浜銀行ATM』の角を、右に曲がります。


横濱桜木町*シベリアのコテイベーカリー-k



⑦当店に到着します。(向かいは、ラーメン店です) 

当店の外観です♪ 
横浜桜木町*シベリアのコテイベーカリー