当店の歴史
市電の仕事を退職した初代が、当地にパン屋を開業いたしました。
現在はなくなってしまいましたが、
隣の吉田町にあった『日本堂』というパン屋で修行をしましたので、
最初、当店も『日本堂』という屋号でした。
当時パン屋は徒弟制度でしたので、修行をした店の名を名乗るのが習慣でした。
太平洋戦争から復員した2代目は、
小麦が統制になっていてパン屋ができませんでしたので、
喫茶店をしばらくの間営むことになります。
その際に付けた屋号が『喫茶・コテイ』でした。
この名をパン屋を再開する時にそのまま使い『コテイベーカリー』となりました。
★画像は昭和19年9月に撮影された「横浜市電」です。
市電は明治・大正・昭和の時代を市民の足として走り続けました。
(写真提供=横浜市在住O様)