蔵王町遠刈田温泉にある 刈田嶺神社 へやってきました。
祭神は天之水分神・国之水分神(あまのみくまりのかみ・くにのみくまりのかみ)で、
明治5年には水分神社とし明治8年に刈田嶺神社と称するようになりました。
刈田岳山頂には「刈田嶺神社 奥宮」があるのに対し、こちらは「刈田嶺神社 里宮」と呼ばれます。
この神社と蔵王山参りによって、遠刈田温泉が発展してきたそうです。
木製鳥居には、蔵王権現
「蔵王連峰」の "蔵王" は、かつて両宮が祀っていた蔵王権現に由来する。
殉難碑と書かれた大きな石碑と説明書きがありました。
昭和2年6月、当時の円田村永野に於いて発生した大火の際、
消火に出動した数人がトロッコに乗り消火に向う途中疣岩付近で転覆事故に遭遇し殉職されました。
当時の宮村に置きましては村葬を以って個人の供養を行いました。
等々と書かれていました。
その奥に、コンクリートの鳥居があり、さらに上りの山道が続いてきました。
ひぇ~、上り坂だと思って案内板で確認したら、こちらは遠刈田公園の遊歩道のようですね。
刈田嶺神社に行くには、コンクリート製の鳥居をくぐらずに左手に進むようです。
こちらの神社にある狛犬達についてパネル解説がありました。
最初に出会ったのが、出雲地方の来待石を素材にした「出雲身構え型狛犬」です。
江戸時代から大正時代に多く作られて北前船で全国に流通したのですね。
次に出会ったのが、江戸時代にまだ狛犬が一般的でない時期に作られた「はじめ狛犬」です。
「犬」というより「カエル」のようなユニークな形です。
最後に、戦時中に大流行して全国各地の神社に奉納された「護国型狛犬」です。
こちらの狛犬は戦後のものだそうです。
それでは蔵王道中の旅の安全を願って、参拝させてもらいましょう。
冬の間、御神体は刈田岳山頂の奥宮から山を下り、ここの里宮に移されます。
「里宮」から、山頂の「奥宮」への遷座は、道路の蔵王エコーラインや蔵王ハイラインの開通に合わせて行われます。
両道路の開通日は冬季閉鎖期間中の積雪量に依存するため、遷座の時期がずれる場合もあるそうです。
例年、4月下旬頃に開通し、遷座が行われる前に大崎八幡宮が「刈田嶺神社雪かき奉仕」を行ない、凍結した雪に埋もれた社殿および参道をつるはしやスコップを用いて露出させ、参拝可能な状態にしているそうです。
また、「奥宮」から「里宮」への遷座は、10月第1日曜日に「御神体下山式」として執り行われます。
そして、蔵王エコーラインや蔵王ハイライン、文化の日(11月3日)の数日後から昭和の日(4月29日)の数日前までの約半年間閉鎖されるのだそうです。
刈田嶺神社 里宮 の前には、先ほど入浴させてもらった神の湯がありました。
お次は、どこへ出かけましょうか
神社のデータ
神社名 刈田嶺神社 里宮
鎮座地 宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉字遠刈田仲町1
主祭神 天之水分神、国之水分神