日牟禮八幡宮の左義長祭へ行ってきました | cotsplaceのブログ

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2024年3月17日 日曜日

 

近江八幡の日牟禮八幡宮の左義長祭へ行ってきました。

日牟禮八幡宮の左義長祭は、毎年三月十四、十五日に近い土日曜日に行われるので、今年は、3月16日~17日でした。

 

 

お天気がすっきりしない曇天です、たまに雫が落ちてくるような感じです。

このまま降らないように祈りながらお祭りを観覧しています。

 

 

近江八幡の左義長は元来、安土城下で行われていたもので、城主であった織田信長自らも踊り出たと伝えられています。

織田信長亡き後、八幡城下に移住してきた人々は、既に4月に行われていた八幡まつりに参加を申し入れましたが、松明の奉火場所が無く、また新参とのことで断られたため、これに対して、安土で行われていた左義長まつりを始めたことが起源となっているようです。

 

 

左義長は「十二段祝着」と言われます。

本体部分には、新藁を美しく十二段の段状に重ね、高さ約三メートルにおよぶ三角錐状の松明と杉葉の頭を付けます。

さらにその上部には青竹(もしくは笹)を据え付け、短冊型の赤紙、扇やくす玉などで飾り付けます。

 

 

さらに胴体と青竹を繋ぐ部分に「頭」を作ります。

頭は緑色の杉の葉で作り、藁で編んだ「耳」を三つ、それぞれに御幣を差します。

もう一つ、頭の上に「火のぼり」という御幣をつけます。

 

 

左義長の中心正面には「だし」を飾り付けます。
毎年、干支や時局にちなんだテーマを各町内で考案します。

 

 

主として干支の動物を題材にした造物を俗に「むし」と呼び、

据えつける背景となる円形・扇形・方形などの部分を「台」と呼びます。

このむしと台を合わせたのが左義長の「だし」です。

 

だしは穀物や海産物、地元特産品を使い、その自然色を生かして制作します。

これが、左義長の晴眼とも呼ぶべき部分です。

 

 

費用を惜しまず趣向を凝らし、各町内は名作を競い合いながら郷土芸術の誇りとしています。

 

 

日曜日には、午前中から各町の左義長が旧城下町を中心に自由に練り歩き、「組合せ」(左義長のけんか)が行われます。

 

 

日牟禮八幡宮内でも左義長同士のぶつけ合い(ケンカ)が行われます

 

 

ここでもぶつかり合いが始まろうとしています。

 

 

向かい合った2基のダシが担ぎ棒の前部を高く持ち上げ、笛と「セイノー」の掛け声に合わせ突進します。

 

 

ぶつかり合いは一方が横倒しになるまで続くのです。
 

 

♪ハァー 天下奇祭の左義長おどり 馬場は火の海人の波♪

 

 

けが人が出ないか心配になっちゃうほど激しいぶつかり合いでした。

 

 

けんかしている横を別のダシが平然と通り過ぎていきます。

 

 

こちらはコンクール優勝の宮内町のダシです。

けんかによってダシが壊れてしまっています。

 

 

優勝するとけんか相手として狙われやすいそうです。

 

 

こちらでもけんかが始まってます。

 

 

この日の日牟禮八幡宮の境内は熱気にあふれていました。

 

 

ずっとこの状態が続きますが、夜20時になると5基のダシに一斉に火がつけられます。

 

 

そのあと、残りのダシも順番に放火されて燃やされてしまいます。

 

 

まだまだ時間があるので、お茶しながら待ちたいと思います。

 

 

たねや 日牟禮乃舍 の つぶら餅 を頂こうかな。

 

 

すぐ横にお店があるので、休憩するのにちょうどいいです。

 

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