2024年1月12日
これから、大人の修学旅行として震災遺構仙台市立荒浜小学校に行きたいと思います。
仙台地下鉄東西線の宮城通駅から終点の荒井駅まで乗車します。
そこから仙台市営バスの震災遺構仙台市立荒浜小学校前行きに乗車するのです。
仙台地下鉄東西線の宮城通駅の通路には、アンパンマンのキャラクタータイルがありました。
バイキンマンも、ドキンちゃんも・・・・・・・・
うちの弟孫(1歳)が見たら喜ぶこと間違いなしです。
近くに「仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール」があるみたいです。
そういえば、歩道でバイキンマンの石像も見つけましたよ。
仙台地下鉄東西線の荒井駅で下車して、市バスに乗り換えます。
1時間に1本しかないため、待ち時間に「せんだい3・11メモリアル交流館」を見学しました。
駅舎内にある「せんだい3・11メモリアル交流館」は、東日本大震災の仙台市内の被害を後世に伝えるための施設です。
駅舎1階は「交流スペース」、駅舎2階には「展示室・スタジオ」になっていました。
これから私たちが向かう荒浜小学校の被災当時の写真も展示されていました、
荒浜小学校は、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災で被災した仙台市立荒浜小学校の校舎を、
震災遺構として保存・整備した施設になります。
被災の痕跡を鮮明に残す校舎と、被災直後の様子を示す展示等により、
来館者に津波の威力や脅威を実感できる場として公開されているのです。
その様子は、後日ご紹介するものとして、ここでは展示されていた地元の食材パネルをご紹介します。
「ここらへんのごはん」です。
仙台市の沿岸部には、風土がもたらす食材を使い、地域に根ざした数々の料理がありました。
お茶を飲みながら沿岸部の方の話を聞くと、いつもごはんの話題が飛び交います。
松林で採れる松露やキンタケのごはん、
大沼や二郷堀のフナでだしをとった雑煮、
居久根(いぐね)の恵みのくるみもち、
漁師さんからおすそ分けしてもらったイワシで作るハンバーグなど。
暮らしや環境は変わりましたが、沿岸部の食材とレシピからは、今もかつての生活を知ることができます。
松露とは、直径1~6cmくらいの球形のキノコで、黒松の林に自生します。
マツタケのようにお吸い物や炊き込みご飯など、香りを楽しむ食べ方が一般的です。
ナミノコとは、波の子貝のことで、軟体動物門二枚貝綱フジノハナガイ科の二枚貝です。
いろんな料理に使えますが酢味噌和えも美味しいとか。
仙台と言えば、ずんだ餅が有名ですが、くるみ餅も美味しいですね。
キュウリやナスは、ちょっとした空き地の家庭菜園で作られていました。
出来るときは沢山できるので、食べ方も色々と工夫したのですね。
キュウリを長く美味しく食べる技だそうです。
甘辛い和風味はみんなを笑顔にしてくれますね。
今は、いつでも「ずんだ餅」「ずんだシェイク」「ずんだ大福」が食べられますが、
昔、食べられたのは旬の時だけ、つまり、七夕から秋のお彼岸までだったようです。
初夏の旬は「なす」と「ずんだ」!!
「なすのずんだ和え」は、2大スターの共演のたまものですね。
旬と言えば、捕れる魚たちも一緒ですね。
たくさん捕れた時に、どのようにして食べていたのか、いろんな食べ方で楽しんだのです。
サンマの南蛮漬けは、さっぱりとした味で食べられるので美味しですね。
舌平目も味噌を使ったら和風の味になるようです。
売り物にならない小さなイワシやアジやイカを「おまかない」と言って、バケツでもらったそうです。
それらを美味しく食べる知恵がイワシのハンバーグになったようです。
ハゼもフナも、どこでも捕れる魚でした。
それらをダシに使った雑煮も食べられていたのですね。
特別な日に食べる「ハレ」のごはん。
昔は特別な日にしか食べなかったのかな。
土手で摘んだ春の香りを混ぜ込んだ蓬餅は、春のご馳走でもあったのですね。
おくずかけとは、数種類の野菜や、豆腐、油揚げ、豆麩などをだし汁で煮込み、
白石温麺を加えてとろみをつけた、具だくさんの汁物のことだそうです。
「角」とか「煮」とかいう不祝儀のお膳に並んだ食べ物もあったようですね。
いろんな人の思い出レシピがまとめられたようです。
こちらのお重は、食べ物ではありません、布細工なんですよ。
かまぼこも枝豆も昆布巻きも玉子焼きも伊勢海老も・・・・・素晴らしい布細工でした。
さて、そろそろバスが来る時間になりましたので、バス停に向かいましょう。
目的地の荒浜小学校まで、あと少しですね。