震災遺構 仙台市立荒浜小学校 へ | cotsplaceのブログ

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2024年1月12日

 

仙台地下鉄東西線の荒井駅前のバス停2番乗り場から「震災遺構仙台市立荒浜小学校前」行きのバスに揺られて15分、終点までやってきました。

 

 

寒風が吹く大地に降り立ったら、目の前に仙台市立荒浜小学校がありました。

鉄筋4階建ての立派な建物なのですが、今は廃校になっていて学校としては使われていません。

 

 

ここは、津波により大きな被害を受けた仙台市東部沿岸地域にあった荒浜小学校です。

 

 

2011年3月11日に発生した東日本大震災において、児童や教職員、地域住民ら320人が避難し、2階まで津波が押し寄せた荒浜小学校です。

 

 

荒浜小学校は被災した校舎のありのままの姿が見られる震災遺構として公開されています。

 

 

震災時に荒浜小学校付近を襲った津波の水位は4.6mでした、波の高さは9mにも達したそうです。

 

 

校舎の二階まで津波が押し寄せ水没し、2階の天井にも水しぶきの跡が残っている惨状でした。

 

 

昔は、たいていの小学校の校庭で見かけた二宮金次郎の像です。

 

 

校舎から100mも流された地点で見つかったそうです。

 

 

台座からとれてぐにゃりと曲がった姿は、津波の凄さを物語っています。

 

 

荒浜小学校の校舎は、遠くから見ると綺麗に見えて、今も使われているような感じでしたが、近くで見たら全然違っていました。

 

 

津波が襲ったところの窓は破壊され、テラスの手すりも破損したり無くなってしまっています。

 

 

手摺の施工された部分のコンクリートが破損してしまう程の破壊力は怖いですね。

 

 

見学者用の出入り口から自由に出入りして見学できるようになっていました。

 

 

被災直後の写真が展示されていました。

 

 

大量の物が流されて、ぐちゃぐちゃに積み重なっています。

 

 

1階の廊下は天井がはがれ、破壊された物がうずたかく蓄積して全く通れない状況ですね。

 

 

現在の1階の教室の状態です。

 

 

ゴミ等は綺麗に方付けられていましたが、扉や壁や天井は、そのままの状態にしてありました。

 

 

津波により、車も流されてきて、1年1組の廊下に積み重なるように押し込まれていました。

 

 

あらゆるものを巻き込んだ津波の威力は恐ろしいです。

 

 

津波が去った後の教室には、破壊され尽くしたごみの山ができていました。

 

 

今は、ごみや瓦礫はありませんが、破損した壁や天井は、当時のままにしてありました。

 

 

天井板が崩落しそうな状態なので、教室内には立ち入ることができませんでしたが、柵越しに観察できました。

 

 

こちらの廊下も立ち入ることができませんが、柵越しに観察できるのは、こんな状態でした。

 

 

ここに車が3台も流されてきて、押し込まれていたとは、想像の域を超えています。

 

 

ここ荒浜小学校には、地域住民も含め、320人が避難していました。

 

 

避難場所に指定されていて、地震が起きた時はここへ避難するようになっていたそうです。

 

 

スピーカーから津波が来るので避難してくださいと流れていたそうです。

 

 

住民の皆さんも急いで非難されたようです。

 

 

これから二階にあがり見学します。

 

 

校舎の海側に面した二階のベランダの柵も津波によって破壊されてしまいました。

この策の後ろ側が廊下になります。

一階の廊下に車が押し込まれたのは、この位置関係が影響していたのかもしれません。

 

 

一階と比べると二階は綺麗に見えますが、ここも津波で浸水した場所になります。

 

 

津波は一瞬にして二階まで押し寄せたのです。

 

 

廊下の壁の所に線ができていました。

津波が到達して浸水して汚れた跡が線となって残っていました。

 

 

鉄製の書庫キャビネットの下部に記された跡により津波到達ラインがよくわかります。

 

 

非難されている方々は、二階も危ないから、上へ上へと、さらには屋上まで行かれたのでしょうね。

 

 

天井に記された赤い矢印は・・・・・・・

 

 

津波のしぶき跡でした。

 

 

二階の廊下に残っていた水位ラインは50センチほどでしたが、天井までしぶきが飛ぶほどの津波が押し寄せていました。

 

 

三階のフロアーは閉ざされていて、公開されていませんでした。

 

 

避難勧告が廃止され、避難指示で必ず非難に変更になりましたね。

 

 

四階には、いろいろな展示物がありました。

 

 

当時の新聞記事も展示されていました。

 

 

日本中、いや世界中の人が驚いた大地震の新聞ですね。

 

 

まさか原子力発電所までもが・・・・・・

 

 

初の炉心溶融や放射能漏れまでも・・・・・・

 

 

屋上も公開されていましたので行ってみました。

 

 

新しく「かさ上げ道路」が作られているのがわかります。

大津波をここで止める役割も担います、減災の役割を持っているのですね。

 

 

海側の眺望です、震災前にはここに古い町並みがあったようです。

残念なことに津波ですべて流されてしまいました。

 

 

このエリアは住宅建築が禁止になっています。

しかし、レジャー施設などが少しづつできてきているようです。

 

 

屋上の最上部には大きなスピーカーが全方位に向いていました。

防災放送が流れる施設になっていると思われます。

 

あしたにつづく

地震発生時の荒浜小学校の様子を時系列的にご紹介したいと思います