2021年10月30日土曜日
近鉄全線が3日間乗り放題となる「近鉄全線3日間フリーきっぷ」使って近鉄沿線旅をしています。
桃山御陵前駅を下車したら、近鉄のてくてくマップを参考にして、伏見酒蔵のまち・歴史探訪コースを散策したいと思います。
先ずは、桃山御陵前駅で、デジタルスタンプをゲットです。
デジタルスタンプとは、近鉄あみま倶楽部アプリで、現地でスマホにスタンプを押すことが出来ます。
桃山御陵前駅を下車したら、てくてくマップのルートを逆回りに散策したいと思います。
そのわけは・・・・・十石舟の乗船時間の調整を兼ねているから・・・・・。
大手筋商店街とは、豊臣秀吉が築城した伏見城の表門にあたる大手門に続く道に誕生したアーケードです。
港町京都と書かれた垂れ幕が目を引きますね、伏見は、川の港があり反映してきた街なのです。
アーケードを通り抜けたら「おきな屋」さんがありました。
昔ながらの量り売り酒があるのも伏見らしいですね。
ここは、西浜と呼ばれています。
江戸時代は浜地になっていて、穀物、木材、薪炭問屋が軒を連ねていたそうですよ。
伏見城の西外堀にもなっていたようですね。
濠川を渡ります。
登録有形文化財の町家が並ぶ街並みは、材木問屋のお宅だったようです。
板壁がとても美しい街並みです。
今も生活の拠点として使われている家並みです。
近代的な酒造会社の工場もありますね。
高瀬川を開削した角倉了以の記念碑がありました。
石碑のすぐ傍に流れていた細い川が、人の手で掘られた昔の高瀬川らしいです。
水でつながる文化とくらし、酒と歴史が薫るまち・・・・・なるほどね~
変遷を書いた説明書きもありました。
伏見出会い橋です。
この場所でも、デジタルスタンプをゲットです。
十石舟から見た伏見であい橋はこんな感じです。
三方向から橋が繋がっているのですね。
Y字のユニークな形をしており、三方向から歩き進んで真ん中で出会うから「伏見であい橋」と名付けられたとか。
また、「疏水(濠川)」から「宇治川派流」に分かれる分岐点でもあるようです。
伏見であい橋から見た川の風景です。
伏見であい橋を渡って、柳の木陰を進みます。
とても雰囲気がある場所ですね。
十石舟の乗船場を目指して歩いています。
蓬莱橋のあたりで地上に出ましょう。
そこは、ちょうど寺田屋さんのところでした。
幕末の京都で事件の現場となった京都伏見の寺田屋です。
寺田屋事件とは、幕末の慶応2年1月23日(1866年)、京での薩長同盟の会談を斡旋した直後に薩摩藩士として寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を、伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとした事件です。
寺田屋の階段京都で薩長同盟の斡旋をした坂本龍馬は、長州の三吉慎蔵らと共に寺田屋に宿泊していました。
深夜2時頃、寺田屋は幕府の伏見奉行によって派遣された捕り方30人ほどに取り囲まれます。
その異変にいち早く気付いたのは入浴中だった龍馬の妻・お龍でした。
お龍は、袷一枚を羽織るとすぐさま裏階段を2階へと駆け上がり、龍馬たちに危機を知らせたのです。
捕り方たちは肥後守からの上意を主張し迫ります。
龍馬たちは奉行所の権限が及ばない薩摩藩士であると主張しましたが、
簡単に見破られ、龍馬は高杉晋作からもらった拳銃で防戦します。
その場で2名を射殺し、数名に傷を負わせますが、捕り方により拳銃を持つ手に刀傷を負いました。
三吉は槍で応戦し、その隙に隣の家の壁を壊し、両名は脱出に成功します。
材木屋に隠れた二人は薩摩藩邸に助けられ、
すぐに報告を受けた西郷隆盛が軍医を派遣し、薩摩藩邸で治療と警護をしました。
その後、龍馬は伏見の藩邸から二本松の藩邸に移り、再び伏見の藩邸に戻った後は、
西郷隆盛の勧めもあって大阪から鹿児島へ渡り、薩摩藩内で湯治しながら身を隠していました。
この時に龍馬は妻のお龍を連れており、これが日本で初の新婚旅行とも言われています。
これが寺田屋事件の騒動の要約になります。
寺田屋さんで三十石船の乗船券が売られているようですが・・・・
今は、おやすみなのだとか・・・・でも、別の場所から十石船が運行しているらしい。
この道をまっすぐ行って、右に折れたところだそうな。
まだ時間に余裕はあるけど・・・・少しだけ急ぎましょうか。
月桂冠大倉記念館がありました。
おっと、デジタルスタンプの場所でした、スマホを操作してゲットです。
月桂冠大倉記念館の見学をしたいけど・・・・・寄っていたら、舟の出航時間に間に合わない・・・・
また今度にしますね。
十石舟の幟が見えています。 ここから川岸に下りましょう。
おお~っ、乗船場がありました~、なんとか一番舟に間に合いましたよ。
十石舟遊覧の様子は、こちらになります。
遊覧船を楽しんだ後、街に出たら行列が・・・・まだ11時なのに、人気店なのでしょうね。
私たちは、ランチをどうしようかと悩みましたが、伏見の街の散策を続けることにしました。
そして、その後は天気もいいので信貴山朝護孫子寺へ行くことにしました。