2024年5月23日
仙台空港から車を走らせて、途中で「蔵王のお釜ピザ」のランチを頂いた後、
蔵王エコーライン経由で蔵王ハイラインの終点の駐車場に車を停めました。
仙台空港でレンタカーを借りるときに「お釜観光に行く」と言ったら、
「見られればいいですね、見られる確率が意外と低いんですよ」と言われてしまいました。
でも、来てみたらしっかりとお釜が観光できる天気なので嬉しいです。
駐車場から歩いて3分程の所に有名な「お釜」がありますが、まずは蔵王連峰のひとつである刈田岳山頂に行きましょう。
なだらかな道に見えますが空気が薄いためか息が切れます。
山頂と言っても、険しい感じは全くなくて、歩きやすい広場みたいになってました。
刈田岳山頂部は、蔵王火山の約22万年前の活動で形成された溶岩ドームからなっているそうです。
車を使えば、1759米の刈田岳山頂まで難なく来られるのがいいですね。
刈田岳山頂には「刈田嶺神社 奥宮」が鎮座しています。
祭神は天之水分神・国之水分神です。
かつて、蔵王山頂には蔵王信仰の根本・蔵王大権現社が鎮座していました。
江戸時代後期の蔵王参詣では、この蔵王大権現に参拝したのです。
明治初頭の神仏分離令を受けて、嶽之坊と合一して水分神社と改称し、さらに蔵王刈田嶺神社奥宮と改めました。
神を守る狛犬達も年季が入っていますね。
冬の間、遠刈田温泉街にある刈田嶺神社里宮へ移されていた御神体は、今の時期はこの奥宮におられます。
奥宮におられる神様に、旅の安全を祈願して参拝いたしました。
案内ポスターによると噴火したのは128年前の事なんですね
「畏れの山 蔵王と人々の祈り」と書かれた説明版がありました。
噴火を繰り返す火山や雄大な山容は、人々に畏怖の念を抱かせます。
蔵王山は、平安時代以前には山そのものが神(ご神体)と崇められ、平安時代以降には、繰り返す噴火と共に修験道や御山詣り、そして観光の場として人々の暮らしと密接に関わってきたそうです。
江戸自体の初期に寛永の大噴火により蔵王山麓の村々は、当時多大な被害を受けていました。
父である仙台藩主伊達政宗の命を受けた村田城主で政宗の七男である伊達宗高公は、山頂に祭壇を設けて、噴火の鎮静を祈りました。
ほどなくして、火山活動は沈静化しましたが、その2年後に宗高公は息を引き取りました。自らの命を賭して火山の噴火を収めたことに、人々は大変感謝しました。
刈田岳山頂には、その功績を讃える石碑がいくつか建立されています。
お地蔵様も赤い衣をまとい、顔だけ出して鎮座されていました。
辺りを見回すと、ほかにもお地蔵様が何体かいらっしゃいました。
皆さんそれぞれに手を合わせて、お釜が見られたことへの感謝を伝えました。
刈田嶺神社 奥宮からのお釜の眺めも素敵でしたよ。
それでは、お釜の近くまで散策できるようなので行ってみましょうか
強風によって倒れてしまっていた「クマの出没に注意」の看板!!!。
こんな場所まで熊がやって来ているとは・・・・・注意して進みましょうか。
つづく