「山の辺の道コース」を歩く VOL.2 大和川~金屋の石仏 | cotsplaceのブログ

cotsplaceのブログ

歩いて、食べて、遊んで楽しい・・・・
ただそれだけのブログです

2021年3月26日

少し前に桜井駅から天理駅へ散策した時の記事になります。

 

近鉄ハイキングの「山の辺の道コース」を歩いています。

桜井駅から大和川までやってきました。

 

 

満開なのに誰もいないのはなんとなく不思議な感じがしますね。

山野辺の道へ行く曲がり角を見過ごしてしまい、少し戻ってきました。

ハイキングマップによると曲がり角に防災小屋があるのですが、これですね。

 

 

大和川の堤防道をそれて住宅街の方へ進みます。

 

 

石の道標には、「左いせ えせ」と書かれています。

「いせ」は、伊勢のことなのでしょうね、「えせ」は、??? 初瀬のことでしょうか

 

 

私は、そちら方面ではなく、大神神社(おおみわじんじゃ)の方へ進みます。

 

 

趣のある建物が続いています。

 

 

海石榴市(つばいち)の案内看板がありますね。

 

 

今は静かな住宅地ですが、万葉の時代には国内有数の交易の中心地だったとか。

大阪から大和川をさかのぼってくる川船の終着点であり、当時の幹線道路である、

山の辺の道、初瀬街道、磐余の道、竹ノ内街道が交錯する交通の要衝でした。

 

 

当時は、市の立つ日には賑わいとなり、若い男女も集まって互いに歌を詠み交わす「歌垣」も行われます。
 

 

むらさきは 灰さすものぞ つば市の 八十(やそ)のちまたに 逢へる児(こ)や誰
 

紫の染料は灰汁を入れるものよ。

海石榴市の八十の辻に逢ったあなたは何という名だろう。

 

 

歌をかけあって結婚相手を探すという歌垣(うたがき)の中で詠まれた歌とみられます。

歌垣は、市場や山中や橋のたもとなど決まった場所で、春と秋に行われたそうです。

海石榴市で出会った女性に、高貴で美しい紫色の染め物を連想させながら求婚した歌だそうです。

 

 

このあたりの「山の辺の道」には、カラー舗装がしてあり道に迷うことはありません。

 

 

カラー舗装していない路地は、山の辺の道ではありませんよ。

曲がり角も、しっかりと判別できますね。

 

 

石碑には、これより三輪大門神と書かれています。

 

 

大神神社のことでしょうか。

 

 

狭い道ですが、風情がある建物の壁がいいですね、癒される街になってます。

 

 

所々に山野辺の道の案内標識があります。

 

 

これが日本最古の道なんですね。

 

 

普通の田舎道と変わらないと思いますが・・・・

 

 

由緒ある道なのだそうです。

 

 

桜の木の前にあった建物は・・・・・門が閉まってますね~

まだ朝早いので開館していないのでしょうね。

 

 

ここは「喜多美術館」というところでした。

 

 

創設者である喜多才治郎氏が、長年に亘って、蒐集した西洋近現代美術の美術館だそうです。

今は、フジタナオミ展が開かれてますね。

 

 

開館していないので、柵越えに撮らせていただきました。

 

 

入館して美術品を近くで見たかったですね。

 

 

そして、その「喜多美術館」の向かい側にあるのが・・・・金屋の石仏なのだとか。

 

 

そこには、ちいさなお堂がありました。

 

 

金屋の石仏の説明書きがこちらです。

 

 

鉄格子の向こうには・・・・・石仏が二体並んでいました。

 

 

凝灰岩製の石板に浮彫(レリーフ)されたもので、国の重要文化財に指定されています。

 

 

左側が、弥勒菩薩像です。 やや風化していますが重厚な表情が印象的です。

 

 

右側が釈迦如来像なのだそうです。 用材は石棺の板石を転用したとも言われています。

 

 

石仏は元々これより東に入ったミロク谷(三輪山の一部)の谷間に置かれていましたが、

神仏分離で今の場所に移され、大木にもたせて置かれていたそうです。

石仏がだんだんと傷んできたので、屋形を造り錠前をかけ保存するようになったようです。

 

 

このあたりからは、モザイク模様の道に代わっていますね。

 

 

平等寺に向けて進みます。

 

 

なんだか山の中の雰囲気がしてきました。

 

 

名前の「山の辺の道」にふさわしい風情になってますね。

 

 

歴史的風土三輪山特別保存地区になっているようです。

 

 

素敵な道は続きます。

 

 

あしたにつづく