◆永久保存版・日本画家・田中一村の覚醒 Vol 1 つづく~ | 異端のTourism Doctrine

◆永久保存版・日本画家・田中一村の覚醒 Vol 1 つづく~

 

 

 

駄目だ"帰る"ことができない。

ほぼほぼの放心状態。

完全に中(あ)てられている。

 

その原因は、この画集だ。

田中一村。

一部では、日本のゴーギャンと例える向きもあるようだが_____________

申し訳ないが、そんな生易しいものではない。

 

私ごときが軽々に『命を梳って』などという言葉を使うことは憚られるが

他に例えようもない。

この画家の画から生命力を感じることができたとするのであれば______________

いやぁ・・・・・・生命力 ? 違うなぁ。

 

『命とその営み』そのものとすることでしか落ち着きを見ることは叶わなかろう。

こんなものは個々人に与えられた感性であるからして、その感度、向き、指向性アンテナによって如何様にでも感じることができるという前提はある。

 

しかし、私にとってはここで原稿として扱ってきた芸術家たちの"営み"は、完璧に一致を見る。

死生観というテーマ『一点』において。

 

 

"世間体"という条理の坂道を前に、登るも地獄、落ちるも地獄~"生きること"に苦悩を滲ませ、描くための営みと覚醒をみる。

 

良い人で居たいと願う。淋しいと感じるから淋しいものを描く。

 

自他合一。暮らしが仕事、仕事が暮らし。この世は自分を見に来たところ探しに来たところ。

 

"この"三人の芸術家たちの覚醒は明らかに"死生観"によって支えられている。

逆説的には、死生観によって芸術は覚醒をみることにも繋がろう。

太宰にしろ川端にしろ三島、吉行、阿川、遠藤、近啓__________純文系作家全般が藝術家たり得る所以は死生観による覚醒だ。

 

現代日本画家として活躍をしておられる松井冬子氏の2021年の新刊に「芸術は覚醒を要求する」がある。

松井冬子氏の画風をご存知の方は膝を打てようか。

好き嫌いはあろうが。

 

 

余命を悟ったのか。一村はこう記している。

 

「この二枚の画は、地獄の閻魔様への手土産です。」と。

 

なぜ二枚必要なのか。

 

何故、二枚の手土産が必要だと考えたのか。

 

「この命を梳って描いた二枚の画は100万積まれても売れない。」と。

 

なぜ二枚、命を梳って描く必要があったのか。

 

なぜ閻魔様への貢ぎ物として"二枚分"命を梳る必要があったのだろう。

 

 

 

この画家、ヤバすぎる。

 

"私の画が評価されるのは50年か100年後でしょう~"

なぜ。なぜ、この画が評価されるのに、それほど時間を要しなければならなかったのか。

 

しかし、画家は、東京での"勝負の時"を夢見ていた。

その為に、奄美の一年を連作として仕上げていた。

画壇に背を向け己の画風を、己にすら容赦なく突き詰めた生き方。

 

そうか ? 背を向けたのは画壇に対してなのか?

 

私には人世のシステムそのものに対してと思えるのだ。

 

時代は"多様性"による選択が許容された時代ではない。

7千万人総弾丸時代。

明かりの周りに遮光の黒い布をたらし、怪しい酒を飲んでいた時代。

多様が生きることができる場所は限定的だった。

 

それを物語るように一村の画風は度々変わった。

これほどまでに、画風が変わるものか。

そう思わせるほど環境によって画が変わって行く様は、むしろ鬼気迫るものを感じさせる。

限りある一生。命。

"不喰芋と蘇鉄" "アダンの海辺"に描き表された田中一村が観た死生観。

 

不染鉄といい、河井寛次郎といい、田中一村といい、ダ・ヴィンチといい、カラヴァッジョといい。

一体、なにを見せようとし、何を感じさせようというのか。

あれほど数多のメジャーに触れてきて、何故、これほどまでに"ピンポイント"で魅かれるのか。

 

チョット考える必要もありそうだが_______________

深入りすると、ちょっとヤバ目なZONE(覚醒)に持っていかれそうでもある。

 

覚醒かぁ・・・・・・覚悟でもあるなぁ。

 

凡ての画が美しく、素人目にも画力の非凡な才を感じ取ることができる。

中でも、私がどうしても"特別扱い"にしておきたい作品が二作ある。

それがこれ。

 

枇榔樹の森に崑崙花 田中一村

 

山重水複疑無路

柳暗花明又一村

山重なり、水複(かさ)なりて、路無きかと疑えば

柳暗く、花明らかにして、また一村あり 

(一村雅号の由来の詩)

まぁ、探求する姿勢も芸術と向き合う上での切り口の一つであり、楽しみ方の一つだが

結論を求めないことだ。概ね、迷路にて憤死するが関の山かと。

 

 

白花と赤翡翠 田中一村

 

『白花と赤翡翠』は、一村59歳の作品である。昭和42年の作品だ。

この2年前。一村は姉を亡くしている。

5年働き、3年画を描くルーチンの、働き三年目に一村は姉を亡くしている。

その2年後のルーチン明けすぐに、一村はこの画を上げている。

 

私には、この木立朝鮮朝顔が、亡き姉を思慕したものとしか思えず、赤翡翠に己を重ねた画として映るのである。

木立朝鮮朝顔の背景が暗いトーンで押さえられており、赤翡翠の前が明るい配色となっている。

この年から、一村は奄美大島時代の代表作を次々に仕上げることになる。

"失った"姉を想い、沈痛な時とともに画業に専心する覚悟とも取れそうな一枚ではないだろうか。

 

 

 それにしてもだ。

一村は多くの赤翡翠(アカショウビン・鳥)の姿を描いているのだが、どうにも釈然としない。

途中で筆を止めている____________いや寧ろ、赤翡翠に関しては、始末を終えた__________、予め、扱いが決まっていると思える軽い描き口が感じられて仕方がない。

写実的技巧技術の才すら高く、他の鳥蝶への姿勢は"実直"そのものと観える。

にもかかわらず、赤翡翠の扱いだけが違和感を覚えるのは何故だろう。

 

最も特徴的なことは、赤翡翠の「目」の扱い方なのだが・・・・・その時々で"気"が滲む。

殺気、朧気、弱気、陽気、脱気・・・・・・

 

専門家によると、一村は赤翡翠に自分の存在を被せていたと観ておられるようであり、然も在りなんと考えるに吝かではない。しかし、だからと云って、それだけが「不完全」にも映り、構図を埋めるだけの存在として赤翡翠を描く理由にはなるまい。

 

赤翡翠の簡潔とも観える扱いに対し、写実的、技巧技術に裏付けされた花蝶風景の対比が狙いなのか。

はたまたここの考え過ぎか、迷路に迷い込んでいるのか。

これもまた楽しからずや。

 

この原稿、まだ脱稿できない(笑)

 

~了~

 

おかげさまで______________。