異端のTourism Doctrine

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閲覧注意 ! ! 『偽名で純文学は書けるのか』

 

 

 

「世一の創作日記」でも少し書いたのですが……「純文学」ですね。

わたしの中では「純文学」というものは学問のひとつの枝となっているので、純文学とは何か? という事については書けないと思っているのです。
わたしのような立場のものが「書くべきではない」というのが正しいと思う。

これは「文学」という言葉も一緒でね、学問なのよ。
即ち、修める前提の存在。
なのに修めていない者がこれについて言説を振り回すという事が気色が良くない。

中には「考え過ぎ」と感じる方もいるかもしれない。
同時に、もしも私が「文学」や「純文学」についてあれこれ書いたとするのなら、「おめえ、6年早いわ、高校二年生から六年間勉強してから喋れ」そう言われるかもしれない。

これね、そう言われたら私ね、返す言葉ないのよ(笑)
そうなったら気分悪いでしょう(笑) 
だからね、わたし絶対に言わないの。
これは学問として修めた人たちのもの。
気が小さいのよ。

但しだなぁ。ここが神が創りたもうた「人間」のよくできたところであって、学問として修めた者が秀作を仕上げることが出来るかと言えばそうではない。何故なればそこに横たわり躰を貫く人間の「感性」というものが作品上支配的になるからである。

理論理屈を身に着け文学を修めたとしても、感性と洞察という集合体である作品が書けるかと言えばこれは別物なのだ。

最近、文学系のYouTubeなどを見ていると「純文学の書き方」というコンテンツをよく目にする。わたしね、不思議なのよ。どうして先生達は「本当のこと」を教えてあげないのかなぁと。聞こえの良い言葉を用いて、尤もらしい講釈垂れているのだけどね、どれもこれも絶対に言わないことがあるのよ。

「どうすれば純文学が書けるようになりますか?」

なんでYouTubeの先生達、本当のことを言わないのでしょう(笑)
わたしがこうすれば純文学が書けますよ~というとアンチノミーが滲むので、ここでは「純文学系統」「純文学かもしれないね~知らんけどw」という書き口にしますけどね。

「純文学が書きたいの ? 簡単ヨ。凡てのSNS、凡てのアルゴリズムへのプロンプト、全部本名で晒しなさい。どこで生まれ、どこで育ち、どこで教育を受け、どんな社会生活を送ってきたか。これを凡て、本名で晒しなさい。その上であなたの書きたいものを書いてごらん。
発信も凡て自分の本名に紐づけて、自分の言葉に責任を伴わせ、十字架背負って書いてごらん。
それはきっと純文学と読んで貰えるだろうから(笑)」
これがわたしの答えだね。

残念だけどね、匿名免罪符や偽名で書いたものを読まされてみたところで、わたしがそれを読んで「純文学」として読むことは無い。

それは差乍ら、虎の威を借る狐という事でしかないのであるよ。
わたしにとってはだけどね。プロの先生達や、文学を修めた人たちがなんていうかは知らないよ。わたしにとってという事であり、わたしの読み方という事でしかない。

でもさ、プロの先生たちも「こういうこと」書いていないし、YouTubeでも喋っていないから「違うのかもね(笑) わたしだけの感覚なのかもね♬ それか、それを言えない事情があるのかもね(笑)」

ただね「純文学を書く、書けるようになる方法」の魔法のコツは、自らを晒して生きる。この痛みと、この苦しみ。そしてこの気持ち良さと諦念、毒と耽美しか無いのではありませんか ?
ねぇ~あまたSNSあたりでプロとして解説されている先生たち?

だぁれも書かない「純文学を書く、書けるようになる方法」世一バージョンでした(笑)

鈴木涼美ちゃんの書く物読んでごらんなさい。
書けるかい ? 匿名免罪符、偽名を晒して生きてるあなたたちに。
それが苦しくって書けないのであれば「純文」なんか目指すのやめちまった方が良いのだよ(笑)



※まぁ、わたしにとってだけどね。あくまで個人的な考え方だけどね。
「純文学」なんていうものは、「CANNIVARISM」なのだよ。結局。
でさ、その腐肉と腐血に寄ってくる捕食者たちがいるのだけどさ(笑)
喰われて骨までしゃぶりつくされるのが純文の書き手にとっての幸せなのだよ。 
 有体に申し上げてみようか。
わたしが此処に書いたことを、もしも文学を修めた皆さんが「否定」しようとしたとき、どうゆう結果になると思う?
君たちの「学問」である文学と純文学の存在がわたしの手に堕ちてくるのだよ(笑)  

分かるかなぁ。この意味が。

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