○森羅万象と話す女の子の話
賢くて繊細でものをわかりすぎる女の子はそのまま寺院を出ました。あとのことは髪を一つにくくった寺院長がうまくおさめてくれるそうです。
「どこへ行こうかしら」
女の子は呟きました。いろんな人たちを観察しました。いろんな人生の苦しみと楽しみがあるのを知りました。土に水に火に風に生きるもののありようを体験しました。風が女の子に尋ねます。
「森はあなたをいつでも迎える準備ができているよ」
大地が女の子に言います。
「我が家に帰ってきなさい。ずいぶんと疲れとケガレがたまってしまった」
降り出した小雨を通して水がささやきます。
「私たちがあなたを浄め、癒しましょう」
太陽が笑いながら言いました。
「濡れた体を温め、活力を与えよう!」
森羅万象が女の子の決断を固唾をのんで見守ります。
女の子は頬を膨らませます。
「みんな心配性ね!」
女の子がむくれたので、風はつむじ風となり森の木々を揺らし、大地はかすかに震え、小雨がぴたりと止み、太陽は雲に隠れました。
「みんなが私みたいな存在が珍しくて大事にしてくれるのはわかるけど、まだ家には帰れない」
太陽がさっと雲から顔を出し言いました。
「そうだ。お前のような存在は稀少だ。昔はたくさんいたのに! おかげで人間と自然は切り離されてしまった。旅をしなさい! そして自分の使命を知るがいい」
そうです。昔は女の子のように森羅万象と話す人間はもっといました。水の持つ地球の記録で見ました。なので、女の子は自分のような人間は珍しいと知ってはいるけれど、そこまで稀少とは思えないのです。
「そうだ、あの男の子に会ってみよう」
女の子は自分の思いつきが気に入りました。あの男の子がどこにいるかわからないけれど、たぶん足の赴くままに旅をすれば出会えるでしょう。
だって、あの男の子は「森の賢い人」である自分に会いたがっていたのですから。
○災難が恩寵と気付いた男の子の話
勇気があって純粋な男の子は癒しの泉へ向けて旅をします。
最後の道連れのお爺さんを失ってから道のりは険しいものでした。うまく動かない手足で進むのは大変でしたが、男の子は黙って手足を動かします。よじ登った岩から転げ落ちても這い上がり、山道に敷かれた鎖に掴まりながらきつい坂を登ります。四つ足で進む男の子の爪は岩や鎖で砕け血塗れです。
「何もわかっていなかった。この体になったのを不運だ、間違いだと思っていた」
右手でつかんだ岩が剥がれて男の子はずり落ちます。肩を岩肌に押しつけ足の親指に力を入れ滑落は免れました。
「違うんだ。この体が、この病が森の賢い人からの恩寵だったんだ。国のリーダーだなんだと僕は思い上がっていた。出来ることがあるから素晴らしい。人に何かをしてあげれるから素晴らしい。体が動くから、力があるから、岩から剣を抜いたから、人望があるから、問題を解決できるから素晴らしい。人々を幸せにして役割を果たすから素晴らしい。そんなことがあるか。何も出来ないこと、こうして人々の恵みを受け続けること、理不尽に死んでしまった人に何も出来ないこと、それでも僕が生き続けること。何も出来ずに生きるだけで人を救えることがある、救えないこともある。どちらでもいい、それが生命だ。これこそが恩寵だ。恵みだ」
あと一歩、あとちょっと手を伸ばせば山頂で癒しの泉です。岩のどこにも良き手がかりはなく、鎖を頼りに登ろうとも足がかりがありません。男の子は懐から剣を取り出しました。昔、試しの岩から抜いたぼろぼろの剣です。
「岩に刺さっていた剣だもの、お前なら大丈夫だろう」
男の子は岩に剣を刺し、剣の柄を足がかりに這い上がりました。
山頂は風が吹いていました。雲が切れ、太陽が差し込みます。振り向くと今まで登ってきた岩道があり、その下に木が茂る山麓があります。深い山が連なり、山の向こうには海が広がり、海の上には空が青く青く続きます。
目の前に広がる光景に男の子は圧倒されました。
「・・・美しい」
惚けたように男の子は山と海と空とを見ていました。ただ山はそこにあるだけです。海は煌めきながら寄せては返します。空は変わらず広がります。風が時々頬をなで、太陽は汗を乾かしてくれます。
「僕はちっぽけだ。僕は何も出来ない。僕は何もわかってない。僕は間違えてばかりだ。小さい頃から、人に期待に応えるのが好きだった。みんなを喜ばせられる自分が誇らしかった。ただ僕は役に立てず、居場所を失い、必要がないものと言われるのが恐ろしかった。でもいいんだ。これでいいんだ」
男の子は癒しの泉に視線を移します。山頂のくぼみにある癒しの泉は青く静かで、水面は太陽を反射します。心奪われるような美しさです。
「ようやくわかった。ありがとうございます。何が出来ても出来なくても、生きてる価値は変わらない。ここにあるだけでいいってことがやっとわかった。恩寵をありがとうございます。ありがとうございます」
そう言うと男の子は癒しの泉に飛び込みました
続く
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