そもそも、私がアートセラピーへの扉を開いたのは、「臨床美術」というものを習い始めたところからでした。
何故、「臨床美術」を選んだか?
たまたま、ネットで見つけた、というのもありますが・・・
とにかく、臨床美術で描かれた作品がとても素晴らしかった
というのが一番の選んだ理由です。
講釈を入れずに、作品から制作した人の心が伝わってきたからです。
今回、行ったアートセラピーの研修は、どちらかというと古典的な、心理分析と結びついたアートセラピーで、「投影法」というもの。
臨床美術では、分析行為は一切行わないので、少しそちらも学んでみようと思い、行ったわけですが・・・
まず、「スクリブル」という技法。自由に殴り書きをした線から、自分が見えたものをさらに描きこんでいく、という技法。ある線がネズミに見えれば、ネズミを描きこんでいくというものでした。
そして、自分が描いたものは、自分の何かが投影されており、何が投影されているのかを見ていきます。
・・・とここまでは、良いのです。
そもそも、自分が生み出したものの中で自分を表さないものはない。
どんな線にだって自分が表れてきます。
そこからのセッションは、描かれたもの・・・(例えば、カツオとタコだった場合)、カツオが自分に思える場合、タコに向かって何か言ってみる。「タコ、何よ。いつもベタベタして気持ちが悪い」・・・みたく。そして、本当の感情を引き出していく・・・という理論なのですが・・・
う~ん、なんだろう。私の中でもやもやとしているものが。
理論的には、とてもわかりやすいし、クライアントも納得しやすい方法だと思うけど。
これだけで満足する人もいると思うけど。
私がやりたいと思っているものは、なんだろう?
そう、もっと芸術的なもの
この投影法の中で私が感じたもやもや感は、絵を使いながら、結局は言葉で処理をするところなのかもしれない。
だから、結果がすごく限定されているように感じたのだ。
芸術は言葉の壁を越えていく。
だから、本人が問題と思っていることが、問題でなくなったり、解決が思わぬことによって現れたりする。
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