2 天使、わらう
>
諜報部――
主任・シトラビンスは、「立入禁止」の広間に、手を差し入れ、迷わず、椀状の機械を取り付けた。
扉を閉め、アンテナの付いた小型スピーカーを、両耳に当てる。
(……感度、良好……)
暗がりの奥。
部屋に残された、人間の強い「思念」が、彼女の鼓膜に伝わってくる。
『……ガガ……ッ』
宰相、マーカス・キーツが、『城』から忽然と、姿を消した。
城ばかりではない。
宰相の行く先々を、陰から警護している腕利きの「伏せ人」――達でさえも、宰相がいつ、どうやって、どこへ出かけていったのか、見当もつかないという。
エオリオ皇女の誘拐で、ただでさえ混乱している帝都ロードを、これ以上混乱させまいと、先程――
ガービン元帥は、この件を知る者達に、固く口止めをしたばかりだ。
「閣下の力をお借りせずとも、我らは、この戦いに、必ず勝利してみせる。だがそれでも、こんな時期に……どこへ行かれたのだろう……!」
宰相を最後に見かけた――
と、報告のあった、小広間の前で、膝をつき。
シトラビンスは電波が、失踪に関連していそうな「思念」を、拾い上げてくれるのを待つ。
(相手が「神様」でも……仕方ありませんわー。わたくしの仕事ですもの……)
『イヤ。ボクハ、ミタンダ! タシカニ、ミタ……!』
突然響いた激しい叫び声に、思わずスイッチを、入れ間違えそうになった。
(……閣下? まさか?)
驚きで、両目が険しくなる。
強い、残留思念が、アンテナを伝わり流れてくる。
『アイツハ、ナニカガ……ナニカガ、チガウ!』
『タブン……タブン……』
反射的に、シトラビンスは、横へ飛びのいた。
異様な寒気が、背後へ迫ってきたのだ。
「誰!」
壁のくぼみに隠れ。
襲いかかる気配に、廊下へ叫ぶ。
右手には拳銃が、いつでも撃てる状態で、握られている。
『ふふふふふ……っ。ははははははっ!』
シトラビンスは構えていた銃を、下におろした。
鏡となった夜の窓ガラスに、大きな翼のはえた、女が映っている。
波打つ金色の髪は、腰まで届き、広がる翼は黒く、禍々しい。
女は、高らかに哄(わら)い続ける。
「あなたを……宰相の部屋で見たことがありますわ……」
言葉を受けて、鏡の貴婦人は、まなざしだけで微笑んだ。
「あなたは天使……それとも……なんですの?」
額にじっとりと、汗が浮かぶのを感じつつ……
シトラビンスはもう一度、ゆっくりと、拳銃を構え直した。
>INDEX
諜報部――
主任・シトラビンスは、「立入禁止」の広間に、手を差し入れ、迷わず、椀状の機械を取り付けた。
扉を閉め、アンテナの付いた小型スピーカーを、両耳に当てる。
(……感度、良好……)
暗がりの奥。
部屋に残された、人間の強い「思念」が、彼女の鼓膜に伝わってくる。
『……ガガ……ッ』
宰相、マーカス・キーツが、『城』から忽然と、姿を消した。
城ばかりではない。
宰相の行く先々を、陰から警護している腕利きの「伏せ人」――達でさえも、宰相がいつ、どうやって、どこへ出かけていったのか、見当もつかないという。
エオリオ皇女の誘拐で、ただでさえ混乱している帝都ロードを、これ以上混乱させまいと、先程――
ガービン元帥は、この件を知る者達に、固く口止めをしたばかりだ。
「閣下の力をお借りせずとも、我らは、この戦いに、必ず勝利してみせる。だがそれでも、こんな時期に……どこへ行かれたのだろう……!」
宰相を最後に見かけた――
と、報告のあった、小広間の前で、膝をつき。
シトラビンスは電波が、失踪に関連していそうな「思念」を、拾い上げてくれるのを待つ。
(相手が「神様」でも……仕方ありませんわー。わたくしの仕事ですもの……)
『イヤ。ボクハ、ミタンダ! タシカニ、ミタ……!』
突然響いた激しい叫び声に、思わずスイッチを、入れ間違えそうになった。
(……閣下? まさか?)
驚きで、両目が険しくなる。
強い、残留思念が、アンテナを伝わり流れてくる。
『アイツハ、ナニカガ……ナニカガ、チガウ!』
『タブン……タブン……』
反射的に、シトラビンスは、横へ飛びのいた。
異様な寒気が、背後へ迫ってきたのだ。
「誰!」
壁のくぼみに隠れ。
襲いかかる気配に、廊下へ叫ぶ。
右手には拳銃が、いつでも撃てる状態で、握られている。
『ふふふふふ……っ。ははははははっ!』
シトラビンスは構えていた銃を、下におろした。
鏡となった夜の窓ガラスに、大きな翼のはえた、女が映っている。
波打つ金色の髪は、腰まで届き、広がる翼は黒く、禍々しい。
女は、高らかに哄(わら)い続ける。
「あなたを……宰相の部屋で見たことがありますわ……」
言葉を受けて、鏡の貴婦人は、まなざしだけで微笑んだ。
「あなたは天使……それとも……なんですの?」
額にじっとりと、汗が浮かぶのを感じつつ……
シトラビンスはもう一度、ゆっくりと、拳銃を構え直した。
>INDEX
1 天使、わらう
三章 天使、哄(わら)う
今、氷の海に、踏み進んでも、この身は沈まない。
北海の海に、白い風が、吹いていた。
氷の海は、行く末が見えない。
割れ目が網状に広がり、厚い断層が海面へ姿を現わし、延々続く偽りの海が、世界の果てにまで続いている。
氷雪の海。
何万年の時を経ても変わらない、荒涼とした雪風の中を、『大王』はさすらう。
白い風に、透明な、己の破れたローブが舞う。
――吾がまだ、人の四肢を、備えたる頃――
白樺。
ミツガシワ。イラクサ。
どこまでも続く、枯れ野、ホロムイイチゴ。
数百に散らばっていた都市を、一つの国に固めた。
果てしなく続く、大戦、大戦。
血の恐怖。
殺戮。
ただ――あの「玉座」から逃れるために、吾は闘った。
あの、牢獄にも似た、至上の玉座から、逃れるために。
いつ、この闘いが終わるとも知らず、朽ち果てるまで。
干乾びたままで……。
祈る、祈る。
神の慈悲が訪れるまで、祈り続ける。
祈り続ける。
『 わずかでも、人への情けあらば、神よ、吾を「王座」から解き放て。
この冷たい、誰にも愛されぬ王座から。 』
それだけが、凡ての願い。
せめて、ぬくもりを。
心休まる、あたたかな時を。
ほんのわずかでいい、灯火を。
人のぬくもり。
それだけが、凡て――。
神は、気付いていたという。
ただ、人間に構っている暇が、無かったのだという。
絶望と発狂の末に肉体を失い、醜い姿となり、大地へ潜ったこの吾に、天使は哄(わら)って、こともなげにそう言った。
――吾が叫びは、神に捨てられていた――
風が唸り、粉雪が、とぐろのように渦を巻き、天空から押し寄せる。
寒さに凍え、水底で死んだ怨霊どもが、這い上がろうと爪を立てる。
吾には聞こえる。
このひび割れた氷の下から、あの頃の吾と同じ、悲鳴が聞こえてくる。
『 せめて、ほんのわずかでもいい、灯火を。人のぬくもりを…… 』
大王は、氷の割れ目に、顔を近づける。
ほのかに、暗い城塞が覗いていた。
青い都。
悲鳴を上げているのは、政治家の装いをした、若い男。
一人きりで、必死に寒さに耐え、体を曲げ、身を縮め……唇をかみ……
その呪われた、己の運命に苦悶している。
――この男もまた、吾と同じ、道を辿ると決まっている――
哀れな。
我知らず、大王は、微笑を浮かべていた。
「己の血を、憎め。神を恨み、呪うがいい」
心を閉ざそうとする、若い宰相の背が、ぴくりと震えた。
>INDEX
今、氷の海に、踏み進んでも、この身は沈まない。
北海の海に、白い風が、吹いていた。
氷の海は、行く末が見えない。
割れ目が網状に広がり、厚い断層が海面へ姿を現わし、延々続く偽りの海が、世界の果てにまで続いている。
氷雪の海。
何万年の時を経ても変わらない、荒涼とした雪風の中を、『大王』はさすらう。
白い風に、透明な、己の破れたローブが舞う。
――吾がまだ、人の四肢を、備えたる頃――
白樺。
ミツガシワ。イラクサ。
どこまでも続く、枯れ野、ホロムイイチゴ。
数百に散らばっていた都市を、一つの国に固めた。
果てしなく続く、大戦、大戦。
血の恐怖。
殺戮。
ただ――あの「玉座」から逃れるために、吾は闘った。
あの、牢獄にも似た、至上の玉座から、逃れるために。
いつ、この闘いが終わるとも知らず、朽ち果てるまで。
干乾びたままで……。
祈る、祈る。
神の慈悲が訪れるまで、祈り続ける。
祈り続ける。
『 わずかでも、人への情けあらば、神よ、吾を「王座」から解き放て。
この冷たい、誰にも愛されぬ王座から。 』
それだけが、凡ての願い。
せめて、ぬくもりを。
心休まる、あたたかな時を。
ほんのわずかでいい、灯火を。
人のぬくもり。
それだけが、凡て――。
神は、気付いていたという。
ただ、人間に構っている暇が、無かったのだという。
絶望と発狂の末に肉体を失い、醜い姿となり、大地へ潜ったこの吾に、天使は哄(わら)って、こともなげにそう言った。
――吾が叫びは、神に捨てられていた――
風が唸り、粉雪が、とぐろのように渦を巻き、天空から押し寄せる。
寒さに凍え、水底で死んだ怨霊どもが、這い上がろうと爪を立てる。
吾には聞こえる。
このひび割れた氷の下から、あの頃の吾と同じ、悲鳴が聞こえてくる。
『 せめて、ほんのわずかでもいい、灯火を。人のぬくもりを…… 』
大王は、氷の割れ目に、顔を近づける。
ほのかに、暗い城塞が覗いていた。
青い都。
悲鳴を上げているのは、政治家の装いをした、若い男。
一人きりで、必死に寒さに耐え、体を曲げ、身を縮め……唇をかみ……
その呪われた、己の運命に苦悶している。
――この男もまた、吾と同じ、道を辿ると決まっている――
哀れな。
我知らず、大王は、微笑を浮かべていた。
「己の血を、憎め。神を恨み、呪うがいい」
心を閉ざそうとする、若い宰相の背が、ぴくりと震えた。
>INDEX
16 イリア・レーン&パスティ・レーン
しっかり、の意味が分からずに、聞き返したジェルソミーナの目に、
「サザーランド、上へっ!」
真紅の猛火が、視界を塞いだ。
何が起こったのか、理解もできないうちに。
龍は、鋭く、左へ深く傾斜。
星空を、天空から地上へ、高速で流し――跳ね飛ぶ。
さらに、反転し。
ジェルソミーナの心の準備など待たず。鋭角で、体をひねり。
無慈悲にも、空を一瞬で、駆け昇る。
(きゃああああっ!)
凍てつく風が、両耳を切り裂く。
大気圧の衝撃が、全身にのしかかり。
何か体積の大きな物を打ちすえたような、重い重い――正体不明の――
爆音が、鼓膜をつんざく。
「うっ、うわはははっ。ひっ、人質の……っ!」
「あーっ! そんちょーさーんっ!」
龍は、急浮上する。
驚いたような、彼らの長い悲鳴が、一体何だったのか、確かめている余裕などない。
「あっ!……やっちゃいましたか……っ!」
「せんせーっ」
非難めいた、マチルダの叫び。
それが、はるか上空から、そして、下方へと――突き抜けた。
「あーあ」
おそるおそる、少しずつ、目を開いてみると、
「……これは、良くない見本ですからねー……」
火炎放射器を、龍の脇腹に片づけようとする、プリッター教授。
そして炎に包まれながら、人質になった村長と四聖獣が、一緒に、夜空を落ちていくのだけが、見えた。
>INDEX
「サザーランド、上へっ!」
真紅の猛火が、視界を塞いだ。
何が起こったのか、理解もできないうちに。
龍は、鋭く、左へ深く傾斜。
星空を、天空から地上へ、高速で流し――跳ね飛ぶ。
さらに、反転し。
ジェルソミーナの心の準備など待たず。鋭角で、体をひねり。
無慈悲にも、空を一瞬で、駆け昇る。
(きゃああああっ!)
凍てつく風が、両耳を切り裂く。
大気圧の衝撃が、全身にのしかかり。
何か体積の大きな物を打ちすえたような、重い重い――正体不明の――
爆音が、鼓膜をつんざく。
「うっ、うわはははっ。ひっ、人質の……っ!」
「あーっ! そんちょーさーんっ!」
龍は、急浮上する。
驚いたような、彼らの長い悲鳴が、一体何だったのか、確かめている余裕などない。
「あっ!……やっちゃいましたか……っ!」
「せんせーっ」
非難めいた、マチルダの叫び。
それが、はるか上空から、そして、下方へと――突き抜けた。
「あーあ」
おそるおそる、少しずつ、目を開いてみると、
「……これは、良くない見本ですからねー……」
火炎放射器を、龍の脇腹に片づけようとする、プリッター教授。
そして炎に包まれながら、人質になった村長と四聖獣が、一緒に、夜空を落ちていくのだけが、見えた。
>INDEX