南域結界☆ ジェルソミーナ -8ページ目

2 天使、わらう

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 諜報部――
 主任・シトラビンスは、「立入禁止」の広間に、手を差し入れ、迷わず、椀状の機械を取り付けた。
 扉を閉め、アンテナの付いた小型スピーカーを、両耳に当てる。
(……感度、良好……)
 暗がりの奥。
 部屋に残された、人間の強い「思念」が、彼女の鼓膜に伝わってくる。
『……ガガ……ッ』

 宰相、マーカス・キーツが、『城』から忽然と、姿を消した。
 城ばかりではない。
 宰相の行く先々を、陰から警護している腕利きの「伏せ人」――達でさえも、宰相がいつ、どうやって、どこへ出かけていったのか、見当もつかないという。

 エオリオ皇女の誘拐で、ただでさえ混乱している帝都ロードを、これ以上混乱させまいと、先程――
 ガービン元帥は、この件を知る者達に、固く口止めをしたばかりだ。
「閣下の力をお借りせずとも、我らは、この戦いに、必ず勝利してみせる。だがそれでも、こんな時期に……どこへ行かれたのだろう……!」

 宰相を最後に見かけた――
 と、報告のあった、小広間の前で、膝をつき。
 シトラビンスは電波が、失踪に関連していそうな「思念」を、拾い上げてくれるのを待つ。
(相手が「神様」でも……仕方ありませんわー。わたくしの仕事ですもの……)

『イヤ。ボクハ、ミタンダ! タシカニ、ミタ……!』
 突然響いた激しい叫び声に、思わずスイッチを、入れ間違えそうになった。
(……閣下? まさか?)
 驚きで、両目が険しくなる。
 強い、残留思念が、アンテナを伝わり流れてくる。
『アイツハ、ナニカガ……ナニカガ、チガウ!』
『タブン……タブン……』

 反射的に、シトラビンスは、横へ飛びのいた。
 異様な寒気が、背後へ迫ってきたのだ。

「誰!」
 壁のくぼみに隠れ。
 襲いかかる気配に、廊下へ叫ぶ。
 右手には拳銃が、いつでも撃てる状態で、握られている。

『ふふふふふ……っ。ははははははっ!』

 シトラビンスは構えていた銃を、下におろした。
 鏡となった夜の窓ガラスに、大きな翼のはえた、女が映っている。
 波打つ金色の髪は、腰まで届き、広がる翼は黒く、禍々しい。
 女は、高らかに哄(わら)い続ける。

「あなたを……宰相の部屋で見たことがありますわ……」
 言葉を受けて、鏡の貴婦人は、まなざしだけで微笑んだ。
「あなたは天使……それとも……なんですの?」

 額にじっとりと、汗が浮かぶのを感じつつ……
 シトラビンスはもう一度、ゆっくりと、拳銃を構え直した。


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1 天使、わらう

   三章 天使、哄(わら)う



 今、氷の海に、踏み進んでも、この身は沈まない。

 北海の海に、白い風が、吹いていた。
 氷の海は、行く末が見えない。
 割れ目が網状に広がり、厚い断層が海面へ姿を現わし、延々続く偽りの海が、世界の果てにまで続いている。
 氷雪の海。
 何万年の時を経ても変わらない、荒涼とした雪風の中を、『大王』はさすらう。
 白い風に、透明な、己の破れたローブが舞う。

 ――吾がまだ、人の四肢を、備えたる頃――

 白樺。
 ミツガシワ。イラクサ。
 どこまでも続く、枯れ野、ホロムイイチゴ。

 数百に散らばっていた都市を、一つの国に固めた。
 果てしなく続く、大戦、大戦。
 血の恐怖。
 殺戮。

 ただ――あの「玉座」から逃れるために、吾は闘った。
 あの、牢獄にも似た、至上の玉座から、逃れるために。
 いつ、この闘いが終わるとも知らず、朽ち果てるまで。
 干乾びたままで……。

 祈る、祈る。
 神の慈悲が訪れるまで、祈り続ける。
 祈り続ける。

 『 わずかでも、人への情けあらば、神よ、吾を「王座」から解き放て。
  この冷たい、誰にも愛されぬ王座から。 』

 それだけが、凡ての願い。
 せめて、ぬくもりを。
 心休まる、あたたかな時を。
 ほんのわずかでいい、灯火を。
 人のぬくもり。
 それだけが、凡て――。

 神は、気付いていたという。
 ただ、人間に構っている暇が、無かったのだという。

 絶望と発狂の末に肉体を失い、醜い姿となり、大地へ潜ったこの吾に、天使は哄(わら)って、こともなげにそう言った。
 ――吾が叫びは、神に捨てられていた――

 風が唸り、粉雪が、とぐろのように渦を巻き、天空から押し寄せる。
 寒さに凍え、水底で死んだ怨霊どもが、這い上がろうと爪を立てる。
 吾には聞こえる。
 このひび割れた氷の下から、あの頃の吾と同じ、悲鳴が聞こえてくる。

『 せめて、ほんのわずかでもいい、灯火を。人のぬくもりを…… 』

 大王は、氷の割れ目に、顔を近づける。
 ほのかに、暗い城塞が覗いていた。
 青い都。
 悲鳴を上げているのは、政治家の装いをした、若い男。
 一人きりで、必死に寒さに耐え、体を曲げ、身を縮め……唇をかみ……
 その呪われた、己の運命に苦悶している。

 ――この男もまた、吾と同じ、道を辿ると決まっている――
 哀れな。
 我知らず、大王は、微笑を浮かべていた。
「己の血を、憎め。神を恨み、呪うがいい」

 心を閉ざそうとする、若い宰相の背が、ぴくりと震えた。


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16 イリア・レーン&パスティ・レーン

 しっかり、の意味が分からずに、聞き返したジェルソミーナの目に、
「サザーランド、上へっ!」
 真紅の猛火が、視界を塞いだ。

 何が起こったのか、理解もできないうちに。
 龍は、鋭く、左へ深く傾斜。

 星空を、天空から地上へ、高速で流し――跳ね飛ぶ。
 さらに、反転し。
 ジェルソミーナの心の準備など待たず。鋭角で、体をひねり。
 無慈悲にも、空を一瞬で、駆け昇る。
(きゃああああっ!)

 凍てつく風が、両耳を切り裂く。
 大気圧の衝撃が、全身にのしかかり。
 何か体積の大きな物を打ちすえたような、重い重い――正体不明の――
 爆音が、鼓膜をつんざく。

「うっ、うわはははっ。ひっ、人質の……っ!」
「あーっ! そんちょーさーんっ!」

 龍は、急浮上する。
 驚いたような、彼らの長い悲鳴が、一体何だったのか、確かめている余裕などない。

「あっ!……やっちゃいましたか……っ!」
「せんせーっ」
 非難めいた、マチルダの叫び。
 それが、はるか上空から、そして、下方へと――突き抜けた。
「あーあ」

 おそるおそる、少しずつ、目を開いてみると、
「……これは、良くない見本ですからねー……」

 火炎放射器を、龍の脇腹に片づけようとする、プリッター教授。
 そして炎に包まれながら、人質になった村長と四聖獣が、一緒に、夜空を落ちていくのだけが、見えた。


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