南域結界☆ ジェルソミーナ -7ページ目

5 天使、わらう

 ジェルソミーナ達は、対岸で、食器の片付けを始めたところだった。
「騒々しいねー。なんだか」
 怒鳴り合いが聞こえていたと思えば、今度は、ラッパが聞こえてきた。

「やだな。今日ぐらいはのんびりできると思ったのに」
 緑茶でゆっくりまどろみながら、レイリが、低い声で呟いた。
「『錫杖』、って言ってた?」
「うん」
 マチルダも、どうも気乗りがしないらしい。
 ジェルソミーナは、焚き火の跡に、カップを使って水をかけた。

「……帰ろっか」
「あー。いいの、ジェルちゃん?」
 薄く、レイリが目を開けた。
「私の方はねー。また実験動物を探して、出直すわ」
「ふん」
 レイリは、軽く返事をして、切株から立ち上がった。
 そして、エプロンから光る玉を取り出す。

 女達が魔物の大群を見ても、全くひるまず――
 あまつさえ、デザートにまで手を伸ばしているのを、目の当たりにして。
 タルト大尉は、突き出した額の先まで、真っ赤にして怒った。
「ゆけっ、全軍っ、突き進めっ!」

 森の入り口に隠しておいた兵士、数百が、対岸めがけ、次々に、川へ飛び込んでいく。
「ふはははははっ、見よっ、わしの軍をっ! 今さら後悔しても遅いわっ! もしさらに、『錫杖』の魔石が手に入れば、わしのマイエル吸収力は飛躍的に向上し、魔法の威力は計り知れないほどに強大なものとなるっ! ふはははははっ!」

 レイリは、水際にまで、降りて行った。
 少女の、胸の高さほどある「巨大ヒル」が、次々に、川岸へ上陸してきている。
 ……赤いまだらのヒル。黒い横線に彩られたヒル。紫の血管が動いているヒル。
 ピンクのぽつぽつを背負うヒル。内臓が透けて見えるヒル。

 その中の一匹がおずおずと、少女の細い足首に、濡れそぼった触手を伸ばしてきた。
 レイリは、凄味の利いた声で、命令する。
「浄化せよ!」
 胸に抱えた魔法の玉から、閃光が広がり、轟音と共に、山岳一体を呑み込んだ。

「すっごーい」
 光が薄らぎ、なんとか、辺りの様子が分かるようになった頃。
 ジェルソミーナは、目を開いて、一言目にそう呟いた。
 川を一時、色とりどりに埋め尽くしていた魔物達は全て蒸発し、川岸から中州にかけて、乗り込んで来ていた兵士達は、今や、水面に倒れ、動かない。

 雑木林の中は、と見ると、タルト隊長が、一人きりで逃げて行くところだった。
「ねえ、今の、どうやったのーっ?」
 レイリに聞いてみた。
 が、返事がない。
「あれ?」
 よくよく周りを見渡すと、レイリもマチルダも、すでに居なくなっている。

(……置いていかれた?)
 落ちていく水の響きにあわせ、鳥のさえずりが、戻ってきた。


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4 天使、わらう

 その頃。
 対岸の、雑木林から、ジェルソミーナ達の様子を、窺っている者達がいた。
 双眼鏡を手に、茂みから目だけを出している、怪しい影。
 二人組みである。

「おっおい。隊長。あの、みょみょ、妙な、機械に乗った男は、いないんだろうなっ?」
 声を静めているつもりなのだろうが、その声は、彼女たちのいる川岸にまで、はっきり聞こえている。
 人参のような顔に、口髭を長く、水平に伸ばした男――
 グリッセン軍・騎侯団、魔道使いタルト大尉は、配下の顔を、じろり睨み、
「馬鹿もんっ! 隊長補佐の分際で、その口の利き方があるかっ」

 鞭で、大男の膝を、痛烈に叩いた。
 叱られて、犬顔の隊長補佐――ゼバクロアは、小さく唸る。
 そこへ伍長が、藪の下を這いくぐってやって来た。
「隊長殿っ!」
「なんだ!」
「はっ。ただ今、補佐官殿が申された、過日の『機械龍』の男の件であります! かの夜襲の際、女達と数分談笑した男は、それほどの間を置かず、単騎で戦場を離脱したとのこと。実家に帰省する途中だったという話であります!」

「そうか。あの邪魔な男は、おらんのだな。ふうむ。お前、なかなか役に立つ男だ」
「はっ。ありがとうございます!」
「あのような武器を抱え、いったいどこへ、帰省するつもりだったのか……。で、その情報はどこから仕入れた」
「はっ。鍋当番の、レイリという、少女からであります!」
「ばっ……馬鹿もんっ!」

 敬礼した伍長を、力いっぱい殴り飛ばし、蹴り上げた。
「敵に、直接、聞きに行く奴があるかっ! もういいっ! わしらには、この「守り袋」がある! 本国より送られし、『パスティ神』の、守り袋ぞ! これさえあれば、わしらは絶対無敵! 西域最強・タルト騎侯団の、真骨頂を見るがいい!」

 声を受け、武者震いをしたゼバクロアが、山へ向かって遠吠えしだす。
「が。――その前に。ゆけっ! 我が下僕たちっ!」
 タルトが、空へ向かって、ラッパを吹き鳴らす。
 と、雑木林が騒がしくなり、黒光りする大群がむくむくと、草むらをかき分け、対岸へ走り出した。

「ゆけ、ゆけゆけっ! 骨の髄まで、食らい尽くせ! 我が魔物どもっ! 『錫杖』を取り返すのだっ!」


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3 天使、わらう

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 グリッセン兵の襲撃にまぎれ。
 エストが『錫杖』を持ち、「放浪の民」の集落から、逃走した。

 村長の息子達は、その『パストラル宰相への奉納品』を取り戻そうと、躍起になって追いかけたが――
 ついに、錫杖も少年も、捕まえることはできなかった。

「ブリジットの物なんだ……とかなんとか、ほざいてやがったが、ありゃあ間違いなく、次の町あたりで売り飛ばす気に違えねえ」
 崖から突き落とされた怪我の手当てを受けながら、男達は神官に、怒りのすべてをぶちまけている。
 あの激しい、深夜の乱戦にも関わらず、避難していた村人達には、一人として――村長を除いて――怪我人や死人は出なかった。

 人質となり、焼け死んだ村長には、村を守って死んだという栄誉が捧げられ、即刻、息子である「新村長」により、山のふもとに埋められた。
 その埋葬が、事の真相も明らかにされず、淡々と進められたのは、彼ら、村長親子の間に「いろいろあったから」……
 ということだ、そうである。

 とにもかくにも。
 ジェルソミーナ達は、
『エストを見つけたら、必ず、『錫杖』と一緒に連れて帰る』
 という、心にも無い、口約束をして――その翌日、「放浪の民」の集落を発った。

「わーいっ、きゃはははははっ!」
 川の水に足を漬け、マチルダが、魚と一緒に遊んでいる。
 お昼ご飯の魚はもう、準備できているのだろうか。
 ちょっと謎である。

 レイリは、お鍋の番をしながら、うつらうつら。読みかけの本も開きっぱなしで、切株を背もたれに、舟をこいでいる。
 マチルダが、高い声を張り上げた。
「もったいない事しちゃったねーっ。あれ、まあちゃん達がもらってたら、きっと、ジュン君のお仕事に、役立ってたよおー?」

 滝壷まぎわで、「魔法の実験」を繰り返していたジェルソミーナの足元に、なにやら、尾っぽに目のある魚や、背中に触覚のある魚が、腹を上にして浮き上がってきた。
 ジェルソミーナは、
 「うーん」
 と唸って、手を止める。
「……錫杖かー。『魔石』が付いてたよねー。そっか、気付かなかったなあ。マイエルをどーのこーのしてくれる石なんて、私達には関係ないって思っちゃったから。ジュンクリフの特殊部隊で、使えたんだ」

 渦に引き込まれてゆく魚達を、ついに見なかったことにして。
 ジェルソミーナは、逃げるように、川岸へ戻る。
「エスト君には、キーツ宰相の『魅了』が、まだかかってなかったのねー。まあ、誰かの持ち物だっていうなら……。仕方ないわ!」
 滝へ向けて、手のひらを払う。と、仕掛けてあった結界の幕が消えた。
 途端、結界の天井に、溜まり溜まっていた大量の水が、一斉に落下し、岸の上まで跳ね上がって、

「やあーんっ、ジェルちゃんっ、つめたーいっ!」
「あはははっ、ごめーんっ」
 マチルダ達に、怒られるはめになった。


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