南域結界☆ ジェルソミーナ -6ページ目

8 天使、わらう

 力を入れると、縄が、騎兵たちを握りつぶした。
 兵士達は、ガラスのように透明になり、粉々に四散する。
 しかし、ジェルソミーナは、背後に近付く、その異様な気配に気が付いて、
「!」

 タルト大尉への魔法を中止。急いで、逃げ出す。
 と、彼女がそれほど逃げないうちに、
「うわあーっ!」
 自分たちが抜けてきた雑木林から、悪霊達が――次々に、飛び出してくる。
 悪霊達は泣き喚き、色を変えて、手近のタルトへ食らい付いていく。
「離せっ、うわあっ!」
 骨を砕き、臓器を食い漁る、異様な音が木霊する。

 死霊達は、タルト大尉を呑み込むと、体を震わし、また一段と巨大な塊に成長した。
 走るジェルソミーナの右手には、結界用の瓶が握られていた。
 ほんの少し、もう少しだけでも、死霊との差を開くことができれば、こちらにも勝機はある。

(っ!)
 瓶のふたを開けようとした瞬間。
 ジェルソミーナは、とっさに剣から身をかわし、地面に転がった。
「ふはははははっ! まっ、まだ生きていたかあっ!」
(こんな時にっ!)
「まっ、待っていた甲斐があったぞっ!」

 ゼバクロアは、木立の中の、少し開けた場所に舞い戻る。
 人間に力が残っていないことに気付いているのか、得意満面に牙をむき出し、黒い炎を噴き上げる。
 ジェルソミーナは木陰に隠れ、結界用の瓶を開いた。
 そういえば、丁度いい針が――……
「あれっ?」
 中身が出てこない。

 瓶の中で引っ掛かっているのかしらと、何度も手の平で、底を叩いてみる。
 しかし、呪術用の針は出てこない。

 ジェルソミーナは、蒼白になった。
(そうだ。滝の所で、全部使っちゃったんだ……っ!)
 ひょっとすると、これこそ奇形させた魚達の祟りかもしれない。
「どうしよう……っ!」
 ゼバクロアは、突進する悪霊達を見付け、勾玉を振るい、大声で吼える。
「うっ、うおおおおおっ! こっ、ここだあーっ!」
 そしてあろうことか、彼女の隠れた樫の木を、剣の一振りで薙ぎ倒した。
「きゃあああっ!」

 二刀目は目の前、ぎりぎりの空を斬った。
 ゼバクロアは容赦なく、三刀目を、振り下ろす。
「ふっ、ふはははっ、どうしたっ! てっ、抵抗しないのかあっ! あっ、悪霊共が、迫ってきておるぞぉーっ!」


>INDEX

7 天使、わらう

 鳥打帽を斜めにかぶり、皮のジャケットを着た、その、こましゃくれた後ろ姿には、見覚えがある。
「あんた……っ。エストっ!」
「姉ちゃん、魔法使いだろっ! しっかりしてくれよっ!」
 いや、試験は合格してないんだけどね、と、本当は言い返してやりたいのだが――。
 確かに、情けないねーちゃんなので、口を閉じる。

 悪霊は、人間を見失い、脇道でどうやら、迷っているようだ。
「あんた……。まだ『錫杖』持って、こんな所でうろうろしてたのっ?」
「うん。友達のとこ寄ってたんだ」
 なんてことない、という顔をして、少年は走りながら返事をかえす。
「タルト騎侯団が、そこまで追いかけて来てるわよー」
「ええっ! しつっこいなあーっ!」

 白樺の幹を飛び越え。
 左右の確認をしてから、少年は、ジェルソミーナをまた林道へ引きずり上げた。
「錫杖、私達が持ってるんだと、勘違いしてるようだけど」
「へっ? あっ、そう? ああ、じゃあそのまま、持ってるって事にしといてくれよ。ねっ、おねーさんっ!」
「ええ。逃げ切れるものならねーっ」
 ジェルソミーナは、呪文を唱えるために、右手を空けた。
「エスト、逃げて」

 途端、行く手の茂みから、軍馬に乗ったタルト隊長と、兵士達が飛び出してくる。
「小僧っ!」
 タルト大尉は馬を反し、二人の逃げ道を塞ごうとした。
 が、少年の、パチンコ弾の方が早く、
「ぐわあっ!」

 鉛玉が眉間に直撃し、タルトは、馬に突っ伏した。
 その激痛でもがき苦しんでいる隙に、エストは軍馬の間をすり抜ける。
「へっへーんっ、ばあーっか、でーっ!」
「くっ、くそおっ! 『錫杖』を……っ!」
 少年の背負った錫杖に、大尉は懸命に、手を伸ばそうとする。
 しかしまた、
「ぐぅ……っ!」
 後頭部へ、魔法の壁が落下した。

 エストを追い駆けようとする騎馬達にも、魔法の縄が、絡みついて離さない。
「エスト、行って!」
「おーっ。ブリジットのだもんなっ、このコソ泥め! お前らなんかに渡すもんかーっ。あばよっ!」
「まっ、待て……っ!」


>INDEX

6 天使、わらう

 滝から轟々と、雪解け水が、落ち続けている。
 風が、肌寒い。
 ジェルソミーナは、砂利道へ、一歩、足を踏み出した。
「うっ。うはははははっ! とっ、取り残されたようだなあっ!」
「うるさいわねーっ!」

 間髪おかず、あまりに怒鳴られたので、ゼバクロアは驚き、ひどくうろたえている。
 彼女は、不機嫌に、
「なに、なんの用? あなたのところの隊長さんなら、今、一人っきりで逃げて行ったわよ。あなた魔物なのに、人間の格好までして、仕官してるのね。ご苦労さま」
 苛立たしげに言うだけ言って、返事も待たず、少女達を追いかけようとした。
「ま、待て!」
 大王の命令でジェルソミーナを殺さなければならない四聖獣・ゼバクロアは、このまま、彼女を逃がすわけにはいかない。

「たっ、戦ってゆけっ。お前を倒さねば、なっ、ならんのだっ!」
「今、そーいう気分じゃないのよーっ」
 空へ逃げようとしたが、そこにはすでに、四聖獣の「巣」、前回絡まった粘着糸が張りめぐらしてある。
「はあああああっ!」
 四聖獣の黒ずんだ肌に、みるみる力こぶが湧き、赤味がさしてゆく。
 鈍色の髪が波うち、金色の粒子が、舞い始める。

(奥が知れないわね、この化け物っ)
 舌打ちして、森の奥へ、走り出す。
 しかしふと、ゼバクロアが追い駆けて来ないなぁ。
 と気付き。
 一瞬、後ろを確かめた、その時、
「げ……っ」
 ジェルソミーナは、世にも気持ちの悪いものを見た。

 川の中で息絶えた、数百の兵士の背中から、どんよりと陰気な、何か重苦しい「煙」が這い出して来ようとしている。青黒い煙には目鼻があり、どれも恐怖と苦痛に顔をゆがめ、苦悶の叫びを上げている。
 ――死霊である。
 その死霊がゼバクロアの唸り声に反応し、滝壷で、一つの「巨大な塊」になろうとしていたのだ。
「……っ!」
 当然、ジェルソミーナは全速力で、逃げだした。

 川面に一面かかっていた紫の「霞」が、自分の足元にまで広がっていることにも、もちろん彼女は気付いていた。
 霞(かすみ)に取り囲まれてしまったら、もう生きている動物に勝ち目はない。

 死霊は、四聖獣の念を受け、よりいっそう、速度を上げて迫ってくる。
 ジェルソミーナは走りながら、死霊に利く魔法はなんだったかしらと、必死に考え続ける。
(ニンニク、十字架、銀のナイフっ? あああっ、なんか違うっ!)
 陰気な匂いが漂い始めた。
 唸り声が、すぐ後ろに聞こえている。
 死霊の吐く息が、飛び越えた切株を、青く腐らせた。
(やばっ……!)
「姉ちゃんっ、こっちへ!」

 えっ、と思った時には腕をつかまれ、彼女は、雑木林に引っ張り込まれていた。
「早く!」
「えっ? あっ!」
「いいから、早く! とり殺されたいのっ? 走って!」


>INDEX