2章 : <魔拂閣の>澪 4
大気が震え、異様な熱気が背後に現れるのと、それは同時だった。
黄金の瞳に、緑がかった光がほとばしり、
「なれあいに来たわけじゃないっ!」
轟音。
竜巻に跳ね飛ばされたかのように、廊下を埋め尽くす瓦礫が舞い上がった。
巨大なランプが笠ごと、天井に激突する。割れたガラスは、氷雨のように所構わず突き刺さった。
鋼鉄の鎖が軽々とムチのようにしなって、ぶ厚い石の壁に生々しい傷跡をつける。
そこまでが一瞬の出来事で、目も開けられぬ灰色の暴風の中、瓦礫の渦は一挙に澪に襲いかかった。
「かなめさま!」
柱の陰に瞬時に転がり込んだ澪の耳に、若い男の叫び声が聞こえた。
駆け寄ってくる、大人数の足音。
長距離走は苦手なのだろう、聞き覚えのある声はやたら息切れをしながら、かぼそい声で叫んでいる。
「およしになってください! そんなことをしても、彼女には……!」
「ちっ! うるさいのが来たわねえ!」
忌々しげに、少女は舌打ちした。
しかし邪魔が入ったからといって、攻撃の手がゆるくなる気配はない。
少女が巻き起こした瓦礫の渦は日頃の鬱憤をぶちまけるかのように、壁を割り、天井を落下させ、レリーフを削り取って、嵐のように唸り続けている。武装した警備員たちが駆けつけてきたらしいのだが、嵐のために近付くこともできないでいるようだ。
警備員を連れてきた、事務長<七番番頭の>ヴァレリーが、渦の向こうから必死に声を上げている。
「かなめさま、どうかお気をお鎮めになって……!」
「あたしが……。何やっても、あんたたちには迷惑かけてないでしょーが!」
さんざん学校を破壊しておきながら、女子生徒は好き勝手なことを言う。
「あんたには分からないでしょーけど、今、もう少しで……!」
「しかし、そんなことをなさっていては……」
ここまで学校を破壊されていても怒ることなく、言葉を選び選び、少女の機嫌をなだめようとする。
まるで主君か王族に仕えるかのように、彼はどこまでも低姿勢だ。
「ここはわたしが話をつけますから……ですから、今だけは……」
「うるさーいっ!!」
「ねえ、こっちよ」
錯覚かと思うほど小さな声に振り返ると、腰よりも低い位置の石壁に穴があいて、そこから少女が澪を見上げていた。
おそらく、電気や配管のメンテナンス用の通路なのだろう。赤錆の浮いた鉄の扉が開いていて、そこからいかにも気の弱そうな少女が、両膝をついた姿勢のまま、澪を窺うような視線で見つめている。
少女は目が合うと、驚いたように通路の奥へ身を引いたが、しかし、しばらくの沈黙の後、おずおずと、
「……もし……よかったら……だけど……」
暗がりの中で、低く呟いた。
澪は即座にうなずいた。
そして、慌てたリスのように取って返す、少女の後を追い、メンテナンス通路の中に滑り込む。
2章 : <魔拂閣の>澪 3
今にも崩れ落ちそうだった壁の最後の一枚が、ついに砕け落ちた。
飛び出した金色の光が、女子生徒の横顔をくっきりと照らし出す。
その風貌は、ひと眼で澪に強い印象を与えた。
魂は消し飛んだような思いで、澪は声もなく、立ちすくむ。
――どうして、こんな人がここにいるの――?
それが、率直な感想だった。
学院の学生服は身にまとっている。襟章だけ見れば、学年は澪と同じなのだろう。
しかし、存在感が圧倒的だった。
溜め色の学生服になど収まりきらない、何か、傲慢で尊大で、野育ちで、それでいて、ごく古い貴族性のようなものがある。
本当に<少女>なのかさえ怪しくなってくる。肉体は、この『西側』に来てよく出会った、ヨーロッパ大陸の少女の<それ>だったが、自信と優越感ではち切れんばかりの大きな胸、腰まで大胆にうねる豊かな金色の髪、世の中のありとあらゆる知識を知り尽くし、それでもなお求めてやまぬ貪欲な瞳。
襟章の示す学年など当てにはならない。威厳と風格に満ち溢れた姿だ。
実際の年齢は、三百歳を越えていると聞かされたほうが、澪はたやすく納得できただろう。
それほどまでの、強烈な存在感と天才の威力に圧倒され、澪はやっとの思いで気力を保つ。
(人間じゃ……ないみたいな人……)
大勢の生徒たちが澪に怯え、鬼か悪魔でも見るかのように、じりじりと後ずさっていたが、そんなことも意識にのぼらない。
「……ま」
女子生徒はかったるそうに首をひねった。
いじけたような有象無象の学生たちを、毛虫かイモムシのように見やる。
「こいつらが恐れる<ゼロチーム>とやらがどこまで使い物になるんだか、決め手の段階まで調べきってはいないんだけど。利用価値ひとつ計るにも……」
顔を向けただけで男子生徒は悲鳴を上げ、他の生徒を突き飛ばしながら逃げさっていく。
それを感情のない視線で見送り、ぽつり、
「転入してきたばかりって立場は、不自由ねぇ……」
しかし、澪は彼女の呟きを、聞き逃したりはしなかった。
自分でも驚くほど、瞬間、全身の力が抜けて、
「あなたも転入生なのっ!?」
「はあ?」
空気を読めない声に、不機嫌な顔が振り返った。
美人も台無しなしわが、忌々しげに眉間に寄って、
「……だったら? なに」
「そっかあ……」
澪は全身で溜息をつくように、声を吐き出した。
澪は嬉しかったのだ。
新しい環境。新しい国。
そして、初めて見る、同い年の子供たち。
閉鎖された村で育った澪は、こんなに大勢の、子供たちと出会ったことがなかったのだ。
しかも澪は、他人からの排他的な態度に慣れていない。
「転入生なのっ? あなたも、今月入ったばかり?」
相手にどう思われようがおかまいなしに、闇の中に一抹の光明を見つけたような嬉しさで声を上げた。
自分も同じ瓦礫の山に上がろうと、澪は革靴の足を一歩踏み出す。
「私、日野寺澪。あなたのお名前はっ?」
「私は……」
2章 : <魔拂閣の>澪 2
爆風で通路が吹き飛んだのは、その瞬間だった。
澪はとっさに全力で、<番頭>を玄関前から引きはがす。
間一髪、黒煙が噴き出し、白亜の玄関にこまかい石の破片を突き立てた。
<番頭>を背中に守ったまま、澪はそろそろと、通路の奥を覗き込む。
薄らいできた煙の向こうに、左右に激しく揺れている一つの影が見えた。
全て吹き飛んでしまった通路の天井ランプの中で、たった一つだけ、生き残っているランプがあるのだ。
しかし、厚い石壁に閉ざされた、高いアーチの通路に窓はない。唯一の光源であるランプが全て消えてしまった今、ここは鼻をつままれていても分からないほどの、不気味な暗闇に閉ざされているはずだ。
それでも通路が薄ぼんやりと明るい理由は――
考えるまでもなく分かった。
廊下の最奥の壁が、吹き飛んでいるのだ。
そして、眩しい光の中に見える、シャンデリアと食器棚。反り返った大きな木の椅子。肖像画。
雰囲気からして団らん室らしい。その壁が、内側から吹き飛び、眩しいばかりの光が溢れだしている。
そしてその光を遮るように、部屋の中から一歩進み出た、一人の女子生徒の影。
同時に、うずたかく積み上がった柱の前の瓦礫の山が、音を立てて、崩れる。
誰かが瓦礫の中から、這い出そうとあがいているのが見えた。
「……魔術師って呼ぶなって言っただろ?」
不思議な響きのする声で、女子生徒は言った。
ここからだと横顔しか見えない。しかも光が強く、逆光になって、女子生徒の姿は影法師のように、くっきりと光の中に浮かび上がって見えた。それが女子生徒の声を、いっそう神がかったものにする。
瓦礫の山に、誰かの腕がかかったのが見えた。
女子生徒はそれを睥睨し、低い声で、囁くように続ける。
「そんなことも覚えられないんだ……?」
空気がぴん、と張りつめる。黒いシルエットの右腕が、長い髪を打ち払い、
「やめてっ!」
とっさに澪は駆け出し、瓦礫の下敷きになった生徒の前に飛び出していた。
「もう、決着はついてるじゃない!」
両手を広げ、かなり高い位置にある、女子生徒の顔を睨みつけた。
「へえ」
その美しい――まるでどこかの専属モデルのように美しい、赤い唇と、長い手足の女子生徒は――薄く、馬鹿にしたように笑ったようだった。
そして、大仰に腰に手を当て、
「あんた……<魔拂閣の>澪ね」
笑いもなく、決めつける。
瞬間、遠巻きに見守っていた生徒たちの間で、ざわめきが広がった。
早口で隣から隣へ、隣から後ろの生徒へ、今聞いた名前を伝えていく。「魔拂閣(まふつかく)だって!」「まさか、あんな子が!?」
女子生徒はそんな声も聞こえないかのように、胸をそらし、じっと澪を見下していたが、「ふん」と鼻で笑った後、あごをしゃくり、「ここがあんたのクラスよ」
そして、小馬鹿にしたような視線を澪に転じ、
「あんた、ここじゃすでに有名人なのよ……? 気付いてた?」
周囲の不安げなざわめきは、いっそう大きくなっていくようだった。
驚きは怯えに変わり、生徒たちの輪は二人を避けるように後ずさる。みんな怯えた顔で「魔拂閣だって……」「信じられない、あんな子が」「女の子じゃないか」「でもゼロチームと協働したらしいぜ」
「……そうそう」
聞こえた声に、女子生徒も大きくうなずく。
「<ゼロチーム>とすでに作戦を共にしたんでしょ? だから予定より、一ヶ月も転入が遅れた。そうよね?」
何もかも知り尽くしているその言葉に、澪は、絶句した。