3章 : 大きなノッポの鳩時計 3
「……そうか!」
アーヴは空を見上げたまま、神の啓示を受けたかのように眼をしばたたかせた。
そして、とても切ない表情になって、
「お前……。ひょっとしなくても、澪ちゃんに惚れてるだろ……?」
「お前の頭ん中は、そーゆことばっかりかぁー!」
足音をたてて駆け戻ってくると、悪友はわざわざ梯子の下から顔を突き出した。
オランダ系の赤ら顔で、迫力あるニキビ面のトムは、間近で激昂されると本気で怖い。
アーヴの鼻先に、ストローの尖った方を突き付けて、
「今度ばっかりは付き合いきれねーんだ! お前ときたら毎度毎度、危ない女にばっかり……!」
と、言葉を切って――薄い眉をひそめ、
「……なに……笑ってんだよ」
ジト目で、アーヴをにらみ返す。「言い開きがあるなら聞こうじゃねーか。こら」
「笑ってないよ、ただ……」
たださぁ、お前が澪ちゃんを好きになったのなら良いなあと思ったりしてさあ。そう言いかけて、
「あのおんな!」
もういいっ!! と言わんばかりに、身振りつきで遮られた。
梯子の下から、ペコペコっと音がして、紙パックにストローを突っ込む気配がする。
続いて、ペココココ、という、ミルクの紙パックのしぼんでいく音が続いて、
「……魔拂閣(コンドラーチー)を、ひとりで滅ぼしやがった。幹部どもが東の孤島に総本部を引っ越した、そのさなかを狙って……ドカンだ。魔拂閣だけ吹き飛ばしゃいいものを、四方の山も巻き込んで、地図を書き換えなきゃならないほどの巨大なクレーターを作ったんだ。そりゃあ、コンドラーチーに」紙パックを押しつぶす音が続き、「反撃してる暇なんてないわな」
「俺さぁ、ずーっと不思議に思ってたんだけど……」
眠りに落ちかけの声で言う。まぶたを、うっとりと閉じたまま、
「コンドラーチーは、古来からの永遠の宿敵、本当なら西側がやっつけなきゃならなかった存在だ。それを東側があっけなくやっつけてしまったから、みんな釈然としていないっていうのは分かっているし、コンドラーチー以上の力を持った者が出てきてしまって、エライさんたちが第二第三のコンドラーチーの存在に早くも怯えている、それどころか東側を恨み始めているっていうのも分かっているんだ……けど、さぁ」
「分かってんじゃねーの。だから、俺たち裏側社会の連中がここんとこ、ピリピリしてんだよ」
「でもさあ、実は俺……。魔拂閣の件……信じてないんだ」
「あぁー?」
トムは濁った青い両目をしかめてみせた。が、「……お前はどーも分かんねー」鼻の付け根にしわを作り、どっかり、床石の上に両腕を乗せて、
「魔拂閣を消滅させたのは、あの女じゃないってことか? よし……。なら、そう思う理由を聞かせてもらおうか」
「だいたいさぁ。常識で考えてみろよ」
できの悪い生徒に接する教師のように、アーヴは深い溜息をついて、
「あんなかわいー子が、そんな恐ろしいマネ、するわけ……いや、できるわけ、ねーだろー……? じょーしきで……」
そう言って得意満面になるより早く、「いたっ!」投げた紙パックがアーヴの額を直撃した。
「トムぅっ!」
「……ニコチン切れでついにイカレたか?」
冷めた目で、アーヴをじっとりと見やる。
「かわいいカンケーねーって言ってんだろ。女は悪魔だ、ペテン師だ。奴らを甘く見るなってんだ」
「天使天使」
涙目のまま、アーヴも真剣な調子で返す。上向きだった顔を、ようやく悪友に向けて、
「お前ときたら、女の子の清らかで純真で、ふわふわっとしたハートの中枢を、何一つ理解してやらないからなあ……。だからそう心がささくれ立って、いつもだまされるんだ……。『疑いの沼地には疑いの芽しか育たず、無理解には争いの実しか生らない』ってやつさ。まずは――そのヨコシマな目だなぁ……。それが原因だ。まずはそう、俺を見習え……!」
「お前に言われたかねーよっ!」
トムは憤然として、もう一発をアーヴに投げつけた。が、今度はさすがにかわされる。
「ふふふーん……ばーか」
「うるせー! 一度、こっぴどく、だまされりゃいいんだっ!」
「ムリだろーなぁー」
「けっ!」
怒り任せに梯子を蹴って、悪友は足音を立てて梯子を下ろうとする。
のんびり羽づくろいをしていたハトたちが、慌てて飛び上がった。
「おーい、トム」
だが、足音が遠ざかる直前に、アーヴは思いついて呼び止めた。「もしもうまくいっても」
そしてにやにや笑って続ける。
「分けてやんねーぞ?」
すると数秒間、沈黙が続いて、
「……いるか!」
「はっはっはっ」
返ってきた怒鳴り声に、アーヴは思わず大笑いした。
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悪友の気配も消え、ついに屋上はアーヴ、一人の楽園になった。
尻ポケットに、煙草の最後の一本を運良く見つけ、アーヴは大切そうに火をつけた。
校庭では実技授業をやっているらしい。薄い煙が地上から青空へと昇っていく。
アーヴは何気なく地上へと、手すり越しに視線を移し――
見慣れた金色の髪を見つけると、形のいい鼻をぴくぴくさせた。
煙草を足でもみけし、排水溝に蹴り落として、抜け道を使って急いで後をつける。
「命がけの恋ってのも……」
ありかな。アーヴは人知れず、苦笑した。
3章 : 大きなノッポの鳩時計 2
「へぇ……まさか、俺とやりあおうっていうの?」
眠たそうな様子にまぎれさせて、アーヴは不良どもの頭数を素早く把握する。
六……七……人。
その数なら、半歩も戻らずに缶詰の山を蹴倒せる。
缶詰の山は、不良どもの頭上、天井の高さまで届く燻製サバの山をもなぎ倒すだろう。そうしたら、悲鳴を上げている不良どもの頭上に、アラビアの大壺やら大皿を投げつけて、動きがにぶくなったところで、さらにタコ殴りにしてやれば完璧だ。
一瞬で大人しくなるだろう。
それが難しいようなら、とっととあのガラクタの通路の向こうへ逃げ出せばいい。
「へへ……」
まあ――。向こうも、こっちの手の内は知り尽くしているだろうから、手下どもも、薄ら笑いを浮かべながら、きっちり後ろ手に飛び道具の準備を始めているわけだが。
「悪いが」
うんざりしたような調子で、リーダーは片手で部下たちを制し、
「あいにく、お前さんと遊んでるほどヒマじゃないんでな」
「へー」
関わる気もないので、深くは聞かない。
どう見積もっても、すこぶるめんどくさそーな様子だし。
「じゃ、俺は屋上で昼寝でもしてくるわ」
正直にそう言っただけなのに、全人類のカタキでも見るような、ものっすごい目でにらまれた。
「……いくぞ」
武器を背負った制服の後ろ姿と、階段を駆け下りていく靴音が聞こえ、さらに、「いいんですかい、あいつを引き込まなくても!」「うるさい!」怒鳴り声が聞こえて、やがて静かになった。
間をおかず、昼休み終了のチャイムが鳴る。
教室移動を急ぐ生徒たちの慌ただしい足音が聞こえたが、それもすぐに静かになった。
アーヴはぶらり、不良たちとは逆の、上りの階段に足を向けた。
誰かがうっかりケージから外に逃がしてしまったらしい、オバケウツボカズラの幼体が、陽の光を避けるようにしてびっしり、階段や手すりで繁殖している。オバケカズラの赤い実が踏みつぶされて、甘酸っぱい匂いがする。すでに先客が、来ているらしい。
踊り場の天井の隅に、ふかふかの白い毛で包まれた、パンダリスが巣を作っている。それを驚かさないようにそっとドアを開けると、果たしてそこには、先客がいた。見張り塔の影から、シャツの端が見えている。
アーヴの足音を聞きつけて、その端がぴくりと動いた。
「よお」
「……おー」
梯子を登りきると、すっかり日焼けした顔なじみの男子生徒が、シャツをはだけた格好で転がっていた。
手には三角形のミルクの紙パックを握りしめ、口にはストローをくわえたままだ。辺りにも十個以上、紙パックが転がっているから、「こいつ、今度は牛乳にハマったなぁ……」アーヴは内心、微笑した。
レンガ作りの三角屋根に背中をあずけ、アーヴも同じ格好で、手すりから足を突き出す。すると目の前に、果てしなく続く深い森と、広大な青空が広がった。
1月の風が、屋上の、二人の少年たちの上に吹いてくる。
女の子たちなら「アーヴくん寒いー」といって腕にしがみついてくるほどの寒さだが、彼らにとってはまだまだ、この程度なら全く、冬ではない。
頬を伝う風が、アーヴには春風のように思えた。
我知らず、小さな溜息をつく。
そして当たり前の手つきで煙草を取り出し、口にくわえる。
胸からゆっくり煙を吐き出すと、穏やかな光が彼の紅茶色の髪をなぜた。
「春だなぁ……」
「……ぎゅーにゅー、うめぇー……」
「おー」
吐き出した煙が輪になって、澄み切った青空に登っていく。
雲が途切れ、また生まれて、二人の上をゆっくりと過ぎていく。
神さまは人間に、ステキなものを与えてくれたと思う。一つは太陽、そして風。やわらかな雲。
それから、
「……ちゃん……かぁ……」
その呟きに、ぴくり、初めて、悪友が目を覚ました。「……なんだ?」
ストローをくわえたまま、横に転がる。「だれ、ちゃん?」
「澪ちゃん、かわいかったよなあ……」
煙草の箱が、もうからっぽになってしまったのが悲しかったけれど、いいんだ、また澪ちゃんに会えるのなら。
「ば……っ!」
万年寝太郎かと思われた悪友が、真っ赤な顔をして跳ね起きたのはその瞬間だった。
「バカかお前! バカだとは知ってたけど、そこまでバカか! あいつ、『魔拂閣』だぞっ!?」
「ふぅぅぅぅーん……」
「ふーんって……」
驚愕の表情でアーヴをまじまじと見つめ、そして、ガックリ肩を落とすと、
「……とーぶん、お前とは縁を切ることにする」
「なんでー?」
帰り支度を始めた友を、アーヴは視線だけで追いかけた。
友人は、辺り一面に転がった紙パックを手当たり次第拾っては、ポケットに詰め込んで、
「さらば悪友。お前といると、とばっちり受けることが、今はっきり分かった。死んでも俺のことは思い出さないでくれ。以上だ」
3章 : 大きなノッポの鳩時計 1
「きゃー、アーヴくん大丈夫ーっ?」
ベッドの上で、ぼぉーっとしてたら、白いカーテンが弾け飛んで、少女たちの笑顔が飛び出した。
保健室の消毒液の匂いなど一瞬でかき消え、辺りは甘ったるいコロンの香りだらけになる。
「アーヴくんが急に突き飛ばされちゃうから、あたしすっごい、心配したのっ!!」
「私だって、心配したのよっ!? ケガ痛くないーっ?」
どこからこんなに集まったのだろう、まばたき一つさせないうちに、ベッドは少女たちの「大丈夫?」な涙目に、幾重にも包囲されてしまった。しかし明らかに、「アーヴはあたしのモノなんだからね!」「看病するのは私なんだから、あんたどいてなさいよ!」の殺意がひしひしとみなぎっていたりするのは……保健室なんだし、平和的に、勘弁してほしい。
アーヴはぼんやり、彼のためにめかし込んできた、晴れやかで賑やかな少女たちの姿を眺めていたが、やがてにぃっ、と口の端に笑みを浮かべると、
「平気平気。俺、頑丈だから」
「でも、アーヴ。早くクラスに戻ってこなきゃ、授業遅れちゃうよ?」
親しげに、ベッドの端に腰掛けたのは、ブロンドの髪を豪奢な夜会巻きに結った少女だ。さりげなく、他の女子と隔離するように身を乗り出し、しなを作って、
「戻ってきてくれないと、私、授業受けてても、全然楽しくなんかないの」
「そうよ、アーヴ。Cクラスに戻ってきてくれなきゃ」
他の女子も割り込んでくる。こちらは本気の涙目になっていて、正直、危険なぐらいに可愛い。
「けどなぁ、俺……」
紅茶色の髪を、かきむしる。可愛い女の子のお願いは叶えてあげたいのが山々なのだが……仕方ない、
「授業、めんどーだしさぁ……。さぼっちまおーかなあー……って」
「けど、期末試験も近いよ?」
「……あ。それは大丈夫。俺、ゆーしゅーですから」
「すごーいっ! だったら、あたしも一緒に、保健室にいるーっ!」
「私も私もーっ!!」
「あんたたち、いいかげんにしろっ!!」
がその時、雷鳴のような声が、保健室を震わせた。
「ここは託児所でも、幼稚園児のお遊戯室でもないのよ! さっさと授業へ戻るっ!」
白衣をひるがえし、女性校医が保健室に帰ってきたのだ。
慌てふためき逃げていく少女たちの背中を睨みつけ、
「ほら、アーヴ、あんたもっ!」
まだいたのっ? 愕然とした表情をして、アーヴの腕からクマさんのヌイグルミを、無理やり取り上げた。
「打撲程度で、どうしていまだにベッドを占領できるのかなっ? 教室へ戻るっ! サボリ厳禁!」
「痛い痛い、先生っ! もっとやさしくっ!」
手首をつかまれ、必死にアーヴは悲鳴を上げるが、女性校医は聞く耳を持たない。
「何しに、あんたは学校へ来てるんだ!」
そしてアーヴはいやおうなしに、保健室から廊下へ放り出された。
保健室の通路は異様に薄暗かった。
まるで、これ以上進んでも何もないに決まってるでしょさっさとお帰り下さいと、嘲笑されているかのような淋しい薄暗さだ。しかも行く手には意地悪く、赤錆だらけの缶詰の山と建築資材が、わざわざ額をぶつけそうな高さに、積み上げられている。鼻を突くのは、濡れた雑巾のようなカビ臭さだし、首を失った魔物の解体模型やタヌキの置物は、暗がりで見るとゾッとする。
しかし今のアーヴには、そんなものは全く視界に入っていなかった。
ベッドに横になっていた時から、たった一つのことで、頭がいっぱいだったのだ。
(……あの転入生……かわいかったなあ……)
思い出しただけで、どうしようもなく頬がにやけてきてしまう。工事現場のポールを乗り越えながら考える。
連れ去りたいぐらい小さな女の子だったのに、いやはやどうして。あれでなかなか、勇敢なのだ。
大人しい女の子も好みだが――芯に強いものを秘めている可憐な女の子も、これまたいい。
(澪ちゃん、って言ったか……)
ふっふーん。しかも守ってもらっちゃったし。
男として恥ずべきことなのだが、それには気付かなかったことにする。
「よー、アーヴ。女にかばってもらったんだってー?」
なおも、にやにや続けていると、渡り廊下の暗がりから、いかにもガラの悪そうな男子生徒たちがぞろぞろと現れた。
そろいもそろって、うっとおしそうな服装をして、うっとおしそうにへらへら、笑っている。
アーヴもここぞとばかり、にやにやして、
「へへん。いーだろー」
鼻をひくひくさせ、
「助けられた」
「おまえ、プライドねーのかよ」
「ないね」
「ふざけたやろーだぜ」
陰険な目つきをしたアゴのしゃくれた男が、吐き捨てるように言う。不良グループのリーダーだ。