南域結界☆ ジェルソミーナ -224ページ目

3章 : 大きなノッポの鳩時計  12


 静謐な、まるでお城のように美しい、白亜の校舎。
 なのにそこに漂う、緊迫感。
 その不穏な緊迫感は、ここで繰り返し、しかもごく最近、血生臭い戦いが繰り広げられたことを示していた。
 しかも、この緊迫感が示すのは「過去」のことばかりではない。
 「今」もなお、彼らの『敵』が、学院内で我が者顔に、絶対的勢威を振るっている。
 じっと格下の境遇に耐えているのは、最近まで、我こそが最強であると自負してやまなかった者たちだ。勝利のための万策は尽き、かといってナンバー2に留まるにはプライドが許さず、屈辱に身を焦がし、息を潜めながら復讐の好機を狙い続けている。
 彼らは『狩り人』の卵たちだ。魔を破り、闇を薙ぎ払い、鬼や妖魔以上の猛者と化し、圧倒的大差で地上に安定と秩序をもたらす。彼らはこの世に生を受けた瞬間から、間断なく修練を重ね、昼夜のない修行により、個々の技を鍛え、奥義を骨の髄まで叩き込んできた。
 彼らはあらゆる敵より、強くなければならない。
 学院内には手負いの野獣たちが発する、重苦しい雰囲気が漂っていた。
 なのに、
「んふふふふ、澪さん」
 理事長は一人、やけに嬉しそうに笑っている。
 まるで学校内が混乱するのを、面白がっているかのようだ。
 銀色の長い後れ毛を、シフォンドレスの肩に揺らし、
「お友達になるなんて、それは絶対、間違いなく、不可能ですわー」
「不可能?」
「はあい」
 否定的なことを口にしているわりに、マリーナはにっこりと笑った。
 ほのぼのとした雰囲気を崩さないまま、ショールの端を優雅に指へ絡ませ、
「できることと、できないことがありますのよー?」
「ティーナちゃんとお友達になることが……無理?」
「そーですわー?」
 踵を返す。
「なぜなら……」
 林立する柱時計に、シフォンドレスの紺色の影がゆらり、と躍る。
 細い腰をうねらせながら、マリーナはゆらゆらと、壁際の背の高い時計台へと近付いて行った。そしてうっとりとした横顔でその無愛想な、古めかしい文字盤を見上げる。
 校舎の外から小さく、鐘の鳴る音が聞こえた。
「……12時ですわねー」
 澪も文字盤を見上げる。
 しかしその時計の針は、根本からぽっきりと折れてしまっていた。
 長い通路に林立する他の柱時計も同様で、一点の曇りもなく磨き上げられた古めかしい樫材の本体に、ガラスの蓋。奥には金色の大きな振り子が吊り下げられていたが、どれ一つとして、本当の時刻を指しているものはなかった。
 小さな扉が頂上にあるので、きっと鳩時計と呼ばれるものだろう。
 澪は初めて、これを目にするのだが。
「どうして、お友達になれないって……」
「さあ……」
 んふふふ、とマリーナは姿勢の良い背中で笑い、首をすくめると、
「……ないしょですわ」
 少女のような笑みを銀の瞳に浮かべ、肩越しに澪を振り返った。
 窓から差し込む白い光がマリーナの人形のような肌をなぞり、まるで透明な、本物の彫像のように澪には見えた。
 そしてすっと、澪の目の高さにまで腰をかがめると、聞き逃しそうになるほどの小声で、
「誰にも語られず、何者も知らない、秘密のことですわよ」
 いたずらっ子のように、楽しげに囁いた。




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3章 : 大きなノッポの鳩時計  11


「偉いって。女の子なのに……」
「あらぁ。ティーナさんの方が2つも年上ですわよー」
 うふふふふ、と理事長は、唇に人差し指を当てたまま、「ナイショ♪」とでも言うように、澪へ向かって首を傾げてみせた。
「ティーナさんは、あの年齢ではとても信じられないほど凄まじい、この世に二つとない偉大な能力と実力の持ち主ですの。北の大きな帝国も、西の連合国家群も、みんな争うようにティーナさんにお仕事を依頼していますのよ。南の帝国さんったら何度、ティーナさんに頭を下げて、断わられ続けていることか」
「すごーい」
「すごくなんてありませんわぁ」
 急に声を高くし、理事長は澪の手をとった。
 そして顔を覗き込み、細い目をいっそう細くするようにして、
「……澪さんだって、その年齢では、持っていてはいけないぐらいの大きな力を持っているはず」
「……私は……」
「この学院のクラス分けや学年分けは、年齢なんて関係ありませんわ。いつ、どの年に入学したか、それだけで学年を決めますの。そして「たまたま」ティーナさんと澪さんは同じ月に転入し、「たまたま」Cクラスに二つ空席があった――この「たまたま」は、決して軽んじるべきではないと思いますのー」
「私は、ティーナちゃんと仲良くなりたいから」
 思わず澪は、舌っ足らずの声をあげていた。
 のんびり屋の澪らしくなく、妙に声に力が入り、
「かなめさまとか帝国とか、よく分からないけど、でもきっと多分、ティーナちゃんとは……お友達になれそうな気がするんです!」
 学校中が、ゼルペンティーナを恐れている。教師もクラスメイトも上級生も警備隊も例外なく、みんな、ゼルペンティーナを怖がり、避けている。
 そう、Cクラスの委員長、クロティルドが震えながら話してくれた。
 ――この一週間で全てが変わったの――
 クロティルドの怯え方は、ただの大げさではないと、その時澪は感じとった。




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3章 : 大きなノッポの鳩時計  10


 学院中の鐘の音が鳴り響いたのはその瞬間だった。
 巨大タコと澪との騒動で、荒廃した長い回廊に、ぱらぱらと埃が落ちてくる。
 しかし、澪は額にマリーナの指を乗せられたまま、身動き一つとれなかった。
 いや――この光り輝く美貌の女性の、気高い安心感に包まれ、動く気にもなれなかったのだ。澪の危険予知は、どれほど回廊が揺れても、ここなら大丈夫と告げていた。
「私の言っていること……分かりますー?」
 うふふー、と茶目っ気まるだしで、マリーナ理事長は笑っている。
 二ヶ月前と、同じ質問だ。
 あの港町で、澪はマリーナに全く同じ問いかけをされた。
 その時はトンチンカンな答えを返したのだが、今ならもう、「本当の質問」とその「正しい答え」が分かる。
「はい――古代語なら。ちゃんと聞こえています」
「翻訳機の調子、よろしいみたいですわねー」
 マリーナは心の底から、嬉しそうに微笑んだ。
 まつげの長い目尻と、泣きぼくろを中心に、頬がほんのり赤くなっているのは、誰かに親切にしてあげられるのが嬉しくて仕方がないからに違いない。
 歌うような口調で人差し指を、ピンク色の唇に色っぽくかざし、
「澪さんの脳の一番奥、言語野という箇所をお調べしましたら、古代語の単語が入っておりませんでしたの。ですからわたくし、前頭前野の46領野(ヘッドクォーター)に干渉して、古代語のフィルターを作っておきましたわー。それを使えばこれから先、古代語なんて、もう読み書きソロバン、らくちんですわねー」
 小首を傾げ、マリーナ理事長はご満悦だ。
「……とはいえ。それは留学生用の一時的な補助機能ですの。古代語の圧縮と変換の授業が始まってしまいましたら、もう大変! そのフィルターではお手上げですわ。ですからなるだけ早く、古代語はマスターしてくださいねー」
 体温をはかるように乗せられていた片手が、ようやくそっと外された。
「留学生は澪さんだけじゃありませんの、きっとお友達がたくさんできますわね。楽しいですわよー」
 桜が舞うようなほのぼのとした笑顔が、理事長にはよく似合う。
「そうそう、翻訳停止のコドン(暗号)は余裕をもたせて、ニューラルネットとCNS(中枢神経システム)に組み込んでおきましょ。第三外国語の授業の度にいちいち切り替えるのは面倒ですものー」
「そうだ、ティーナちゃんは……!」
「あらぁ。かなめ?」
 夢から覚めたような声を出して、マリーナは澪を見下ろした。
 女性にしてはかなり長身な理事長だから、小柄な澪との間には、大人と子供ぐらいの背丈の差がある。
 本当は、今まで聞いたこともない能力――どうやらマリーナは、他人の脳内を指先で、外側からいじることができるらしい――について聞いてみたかったのだが、どうもそれは……用語が難しすぎて理解できないような気がしたので、後回しにして、
「ゼルペンティーナさんと同じクラスだ、って聞いたから、ティーナちゃんのこと、もっと知りたくて……」
「まぁ。なんだって教えますわよー」
 うふふふふーと、実に楽しそうに声を上げて、理事長は明るく笑った。
 理事長が笑うと、埃まみれの床に、その裏側を何かが這い回るような小さな、波紋が広がった。木製の床だというのに、石鹸の泡のようなものも、板目の表面へ浮かび上がってくる。
「悪魔紋章ですわー」
 嬉しそうに理事長が手をかざすと、その指先に、石鹸の泡が集結した。
 ビデオの逆再生のようなゆるやかさで、泡は次々に理事長の指へと上昇、光を放ちながら、爪の間へと吸い込まれていく。
「ティーナさんのお誕生日に血液型。好きな男性のタイプに好きな精密機器メーカー、接着剤。幾何学の数式、ケロシンの香り、魔界書店、天然アルコールの種類、砂糖菓子の店。靴のサイズから秘密口座の暗証番号まで……うふふふふふ」
「ティーナちゃんって……かなめさま、って呼ばれてるんですか?」
「そうですわよー」
 理事長は首を傾げ、嬉しそうに微笑んだ。
「とーっても偉い子ですの」




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