南域結界☆ ジェルソミーナ -222ページ目

4-6 大きなペットはお好き?

 アーヴはじっと、澪を見つめた。
 そして無言のまま、青銅の扉を振り返る。
 錆が浮いた古い扉は、荒野の中心に、唐突に立ちつくしていた。
 まるで誰かが置き去りにしていった、家財道具の一部のようにも見えたし、世界遺産に指定されるような古代の遺跡のようにもそれは見えた。
 灼熱の太陽光を受けながら、扉はなんの照り返しもなく立ちつくしている。
「……瞬間移動だけは、ありえない」
 まなじりを上げ、アーヴはもう一度、断定的な口調で言った。
 澪をやさしく振り返り、
「僕らの世界の物理法則が、制約をかけるから」
「ぶつり……ほーそくって?」
「世界ごとにもっている、世界のバランスを取る、ルールのようなものかな」
「るーる」
「ルールがないと、どんなゲームも、メチャクチャになっちゃうだろ?」
 うんうん、と澪は首を振る。
 それがこの世界にもあるんだよ、と付け足して、それから手近な小石を拾い上げ、
「たとえば……質問。リンゴはどうして、樹の枝から、地面に落ちるの?」
「腐ってるから?」
「あ"ー」
 おしいなあ……。苦悶ともつかない声でアーヴは呻き、
「……この世界には<引力>っていうルールがある。物体は、地面に引っ張られる。林檎もそうだ。重力があって、引力があって、全ての物体がちりぢりになってしまわないように、地球が、地表の方向へ引っ張っているんだ」
「それが、ぶつ……」
「そう。物理法則のひとつ。古典力学っていうんだけど。んー……とにかく、一つの世界を作るためには、そうしたルールがたくさんあって」
「うんうん」
「各世界ごとに、ルールをたくさん持っている」
「世界って……たくさんあるんだ」
「そうだよ?」
 手招きし、アーヴは扉の陰に澪を座らせた。
 太陽は天空の頂にあるので、影はまったくできておらず、でたらめに吹く熱風の前には、風避けにもならない。が……ただ、アーヴが澪と並んで、一緒に座りたかった。それだけの理由だ。
 岩場でふらふら遊んでいた澪は、嬉しそうに、彼の隣に腰かける。
「魔界とか地獄とか……幽界。未空間、死空間、異空間、無空間、腐空間……そういうの。知ってるでしょ?」
「魔界にも、ルールがあるんだねー」
「そうだよー。だから仮に、魔界で誕生した生物は、違う世界――例えば、この僕たちの世界にまぎれこんでしまったら、そもそも体を作りあげた物理法則――ルールが全然違うから、生きていくのが大変なんだ」
「痛そうだね……」
「痛いだけならまだいい」
 拾った小石を、もてあそびながらアーヴは答える。
「世界によっては、引力のないところもあるだろうし、空気のないところもあるだろうし、時間や空間や物理法則だなんて概念自体がこの世界のものだから……僕たちの考えのつかないルールで、成り立っている世界がある。――「穴を抜ける」っていうのは、違うルールで成り立った世界の層を、幾つも通過しなきゃならない、っていうことだ」
「ヘタすりゃ、消滅しちゃうよ」
 澪は座る位置をずらすと、無言で、扉を振り返った。
 アーヴもまた肩越しに、その大きな扉を見上げる。




 →4-7

4章 : 墓守りの城  5


 瞬間移動した……?
 ――ばかな!!
 アーヴはその可能性を、即座に否定した。
「瞬間移動なんてあるわけないだろ! さっきの扉が世界の<ほころび>だったとしても、瞬間移動なんて不可能だ」
「ほころび?」
 紅茶色の髪をかきむしる彼に、制服のスカートの裾をぱたぱたさせながら、澪が問い返す。
「ほころびって、悪魔や地獄の魔物が迷い込んでくる? <こっち>の世界と <あっち>の世界の間の、<ほころび>? <穴>?」
「……かと、一瞬思ったけど」
 眉をひそめ、アーヴは荒野の白い地面を蹴ってみる。
 <穴>は、あらゆる世界につながっている。未来に。過去に。並行するもう一つの現在に。
 あるいは魔界につながる穴。気付いてはいけない次元につながる穴。それは、「扉」の形をとる場合もあるし、破れ、裂け目、ほころびとして存在する場合もある。多くの狂気の魔物たちは、その<ほころび>を通じ、こちらの世界に迷い出てくる。
 澪たち呼応者の異能の力は、<こちら>の世界が、自身の防御機構として発現させた力だと言われる。魔物をウイルスとするならば、呼応者たちは免疫、といったところだろうか。
 アーヴは視線を深く落とすと、ふと、小さく息をつき、
「ごめんよ……」
 急に、力のない声で言った。
「こんな変なことに、みおちゃんを巻き込んじゃって」
 ものめずらしそうに地平線を見回していた澪が、振り返る。
 熱風にあおられ、吹流しのように荒野を舞っているのは、澪の長い髪だ。
 少し離れた岩場の上で、スカートをひるがえしながら立つ彼女は、この焼けつく風をものともしない、静かな機械仕掛けの人形のようにすら見える。
「本当はさ……俺」
 流れる汗が額から落ち続けるのも構わずに、アーヴは整った眉を暗くひそめ、
「澪ちゃんに学校を案内するんじゃなくて、本当はもうちょっと別の……全然別の、違う……いろいろなことを考えてて……」
 じっと見つめたままで、言葉を発しようとしないのは、きっとアーヴの言葉の続きを待っているのだろう。
 アーヴは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「……早く帰ろう」
 ようやくそれだけを呟く。
 声がざらついて、やたら遠い。
「必ず、澪ちゃんをもとの世界に戻す……約束するよ。もうこんな怖くて、危ない目にあわせたりはしない。だから……さ、早く、帰ろう」
「でも……楽しかったな」
 岩場の上から、ぽつり、澪が呟くように微笑んだ。
「アーヴくんと一緒に来れて、よかった」
「僕と一緒で、どうしてよかったって?」
「どうしてって……」
 砂まじりの風に髪を吹き流しながら、澪は本当に困惑したようだった。
「だって、楽しかったし」
「もとの世界に、帰れないかもしれないんだよ?」
「帰れるよ」
「どうして?」
 畳みかけるように彼は続ける。
「どうして、帰れると思うの?」
「……この学校にね」
 と、そこで言葉を切り、そしてまた、なぜだかいつもの、とても嬉しそうな笑顔になって、
「転入してきた時も、私、学校にたどり着けずに迷子になってたの。寒くて暗くておなかがすいて。一人ぼっちで。だからとても不安だったけど。でも今は違う。アーヴくんがいるから」
 だから、だいじょーぶ。
 はにかむように、微笑んだ。
「だから、帰れるの」
「……」



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4章 : 墓守りの城  4

 ――あんなに綺麗な、竜宮城のようなホール、今まで見たことがない!
(どう考えても大正解だった!)
 隠されていたドアの鍵穴に、アーヴはどきどきして、カギを突っ込んだ。
 この秘密の扉の向こうには、素晴らしい光景が待っているに違いない。
 竜郡城のような華麗なホールの先には、水晶のシャンデリアに、真珠の鏡。
 小さな可愛い天蓋ベッドに、藤で編んだ二人の椅子。
 白い紅茶のカップが二つ。
 女の子を連れ込むために、最初は、用務員室でカギをコピーしたのではなかったのだが、結局は、『そーゆーこと』になってしまっている!
 たまたまとはいえ――
 ナイスだっ俺っ!!
 グッジョブ! 俺っ!
 肩越しに、鼻をくすぐるのは、香水の香りではない。
 石鹸の、清潔な香りだ。
 澪は長い髪を振り振り、元気いっぱい、彼の後ろにくっついて来ている。
 ――アーヴさえ、来たことのない場所に、来てしまった――
 その時点で、それは「学校を案内してあげるよー」どころではなく、単なる「冒険」あるいは「共犯」だというのに、それでも澪はまだ文句一つ、不平一つ、アーヴにこぼしていない。
 「先生に怒られちゃうから。帰る」とか言われても、文句は言えないはずなのに。
(それでも俺に、ついてきてくれるんだなぁ――!)
 ロマンチストな彼のボルテージが、最高潮に達する。
 西側諸国の女の子たちは、みんな胸もお尻もプリプリで、積極的だし愛想は良いし、恥じらいながらも最後には、アーヴの言うことならなんでも聞いてくれたけど、こんなに不安要素たっぷり! かつ危険な場所に、黙って付き合ってくれる子はいなかった。
(女の子を愛し続けて17年っ!)
 彼の中で、今まで聞いたこともない、難波節の世界が展開する。
(本当の愛を、僕はついに、知ってしまったような気がするよ――!)
「さあ、扉を開けるよ、澪ちゃん……」
 彼の心の翼がはばたく。
 二人の愛は、この扉の向こう側にあるのだ。
 扉を開けよ。いざ、二人の愛の世界へ――!
 青銅の扉が、音をたてて開く。
 かちゃっ。
 と、
「……?」
「あれれ」
「……暗いぞ?」
「真っ暗だねー」
「待って、澪ちゃん。今、マッチ付ける」
 しゅっ、と軽い音が響き、
「わっ!」
 目の前が明るくなって、
「……近っ!!」
「壁だぁ」
 二人は同時に、頭上を見上げていた。
 高さは3メートルはあるだろうか。
 背丈を追い越し、ぬうっとはるかに伸び上がる、茶色の壁。
 というよりも、いつでもこちらに倒れてきそうな、天井まで埋め尽くされた飽和状態の、ガラクタの山。
 それが、鼻をぶつけそうな至近距離まで膨れ、押し迫っていて、
 高い。
 狭い。
 汚い。
 湿気臭い。
 かつ、視界が一面の、黒ずんだ茶色だ。
 着古した剣術道着の、裏側みたいな匂いがする。
「物置みたーい」
「物置だよっ!」
 思わず声を上げてしまう。
 正直、アーヴは泣きそうだ。
 女の子を連れ込むには、ムードが大切なのにん……
 心が砕けてしまったアーヴの横で、
「みおちゃん……」
「ずいぶん、おっきな物置だねー」
 なんだかいつも、嬉しそうな、澪。
「『古い知識のお墓』って、ここにもいっぱい詰まっているのかなあ」
「ぐうっ……!」
 ちょっと中を覗いて、踊るように振り返り、無邪気に問いかける澪の笑顔が、今のアーヴにはひどく痛い。
 胸。ズキズキ。
 ぎゅうぎゅう詰めで臭いばかりの壁面は、なんとも形容のしがたい物ばかりで構成されていた。ボロボロの鉄パイプや何かの工具、玉突き台のような大型のものぐらいは判別がつく。ありとあらゆる隙間に突っ込んであるのは、丸めただけの雑巾やらモップだ。
 大半は、元の場所に戻すのもメンドーだったので突っ込んでおきました、みたいな、完璧なるゴミの山だった。
 あの美しい大ホール。ひっそりと目立たないようにしてあった秘密の扉は、
『隠してあった』のではなく、
『目立つ必要がないから、ひっそりとさせていた』
 のだということに、今頃になって、ようやく気付く。
「……次、行こうぜー……」
 くすん。
 澪の手を引っ張る。
 が、
「……あれ。澪ちゃん?」
 まだ澪は、ガラクタの山を見ている。それも、食い入るように。
「そんなの見たってつまらないよー?」
 我ながらしごくもっともなことを言う、アーヴ。
「僕と一緒に遊ぼうよー」
 しかし、ちらり、こちらを振り返った澪の横顔に、彼はそれまでと違う違和感を感じた。
 アーヴは心配になり、
「……どしたの……?」
「これ、物置じゃない」
「どうして」
「向こうに……通路が見えるもん」
「通路?」
 アーヴも同じように、壁に顔をくっつける。
 やたら臭くて、手にねばねばした感触があったが、気にしている場合ではない。
「ほんとだ……」
 左端のガラクタから、斜めの方向を覗く。
 と、隙間からうっすらと、細長い通路のようなものが見えた。
 つまり、ここは物置というよりは、L字型の通路。入った場所にガラクタをめいっぱい積み上げているせいで、物置にしか見えなかったのだ、そして――
「澪ちゃん!」
 アーヴは反射的に、澪の手を力ずくで引っ張った。
 ガシャンッ!
 何かが、ガラクタの山に、体当たりする音が響く。
 やたら重たい音だ。長いものを引きずりながら走り出してきたそれらは、廊下を跳躍。次々にこちらへ向かって体当たりを繰り返す。が、山に阻まれて、アーヴたちのもとへ辿り着くことができない。
 それらが何なのか、を確かめる気などさらさらないまま、
「ここを出よう!」
 半開きの扉を突き飛ばし、アーヴは再び、明かりに満ちた大ホールへ――
「ここ……どこ……っ!?」
 たたらを踏むなり、アーヴは愕然として左右を見渡した。
 扉からはまだ、半歩も出ていない。なのに、彼の左右に広がっていたのは、学校の地下、あの大ホールではなかった。
 青空。
 地平線まで続く、灼熱の荒野。
 正視などとてもできない、激しく燃える真っ白な太陽。
 重苦しい風。
 タンブルウィードという根無し草が、彼の足元を転がっていく。




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